第28話 二人だけの秘密③
「あれ、もうこんな時間だ」
結局、個室に入ってから太一は一度も歌うことなく、由貴とあれやこれやとお喋りをしているだけで、気が付けば借りていた時間も終わりに近づいていた。
「ホントだ。どうする? 私は延長してもいいけど」
「ん~いや、今日はそろそろ帰ろうかと、これ以上は親になにか言われそうで」
最近由貴と遊ぶようになってからというもの、太一の帰宅時間は目に見えて遅くなっていた。
部活に所属しているわけでもなく、いつもなら明里と真っすぐに帰ってきていたこともあって、親から怪訝な顔をされることが増えている。
今のところ親から何か注意されたりはしていないが、これ以上帰宅を遅くすれば、何かしら面倒になるのはなんとなく予想できることだった。
「おっけ、じゃあ時間が来たら出よっか」
「うん。あ、僕今の内にちょっとトイレに」
「出て右に向かって真っすぐ行けばあるから……なんならママが付いて行ってあげるけど?」
「それはもういいから!」
「アハハ、いってら~」
また由貴に揶揄われて肩を怒らせながらトイレに向かう太一。
由貴のおかげでもうすっかりとカラオケ店の空気に慣れていて、一人で騒音の響く廊下に出ても委縮することはなかった。
だからこそ、太一は少しだけ気が緩んでいたのかもしれない。
最後の角を曲がると、トイレは目の前だったが、トイレの前で来るときにすれ違った他校の女子高生たちがたむろしていた。
その光景を見て、太一の脚が一瞬止まる。
思わず引き返えしそうになった時、女子高生の一人と目が合ってしまった。
太一はすぐに目をそらしたが、今から引き返すには少し露骨すぎた。極力目立たないように、俯きながら早足で通り過ぎようと試みる。
ただ残念ながら、女の子たちの会話が太一には聞こえてしまった。
「ねぇ、さっきの男の子だよね」
「うん。目を付けられたんだよ」
「うわぁ、かわいそ」
トイレに入ってから、太一はその会話の意味を考えた。
会話の全てが聞こえたわけではない。あくまでも聞こえたのは一部だけだ。
最初にすれ違った時もこちらを見て何かを話していた女の子たち。
これまでの経験から、てっきり太一は自分が馬鹿にされているのかと思い込んでいた。
カラオケ店にいるのが似合っていないとか、一緒にいる由貴とつり合っていないとか、そういう事を言われていると思っていたのだ。
だが、さっき聞こえた会話は明らかにそういう類の物ではなかった。
『目を付けられたんだ』
『かわいそ』
さっきの男の子と言われていたこともあり、その言葉は全て太一に向けられた言葉であることに間違いはないのだろう。
女の子たちの口調は、太一を馬鹿にするようなものではなく、その言葉通りに同情しているようなものだった。
想像とはまったく違う内容に、太一の頭の中ではクエスチョンマークが踊り出す。
なによりも太一が気になったのは『目を付けられた』という言葉。
自然に考えると一緒にいた由貴から目を付けられたとということなのだろうか。だとするならあの女の子たちは由貴の知り合いだろうか。
それにしては初めにすれ違った時、挨拶も交わしていないのはどういう事なのだろう。
彼女たちがどうして同情的だったのか、考えてみても太一に分かることは何もなかった。
少し時間をあけて太一がトイレから出ると、すでに他校の女の子たちはいなくなっていた。
もし残っていたとしても直接聞く勇気なんて太一にはないのだが、結局モヤモヤとした気分のまま部屋に戻るしかなかった。
「おっかえり~……どしたの? なにかあった?」
部屋に入ってすぐ、由貴からそう言われて太一は心臓が止まりそうな程驚いた。
由貴にも聞いていいのかわからず黙っていることにしていたのだが、すぐに何かあったことを見抜かれてしまったからだ。
こうなったら聞いてみた方がすっきりするかもしれないと思った太一は、廊下であった出来事を直接聞いてみることにした。
「ここに来たときにさ、他校の女の子たちとすれ違ったでしょ?」
「え……あぁ、うん」
由貴の反応を見ただけで太一は確信した。
あの女の子たちは由貴の知り合いなのだろう。
「今もトイレの前ですれ違ってね。なにか、その、変な事を言われたから気になって」
少し深刻なことなのかもしれない。
言ったあとで少し後悔した太一だったが、由貴はそんな予想に反していたって普通に答えてくれた。
「あれ、中学の時の同級生なんだ。私嫌われてたからなぁ」
「そうなの?」
それは太一にはあまり信じられないようなことだった。
明るくおおらかで、クラスに友達も多い。もちろん男子からも人気で、こんな自分とも楽しく会話をしてくれる由貴が嫌われていたなんて、まるで意味が分からなかったからだ。
「上埜さんが嫌われることなんてあるの?」
「まぁね~。てかなんでそんなに驚いてるの?」
「だって、上埜さんって……その、いい人だから」
太一がそう言うと由貴は目に見えて嬉しそうな顔になって、太一は褒めたことを少しだけ後悔した。
「ほら! ママの胸に飛び込んでおいで!」
「それはもういいって!」
「ちぇ~」
割と深刻な会話をしているはずなのだが、いつもとあまり変わらない由貴。
太一が飛び込んでこないことに少し不貞腐れていたが、すぐに詳しく話してくれた。
「こんな見た目してると目立つからさ、どうしてもタイプの違う子とかには嫌われたりするんだよね」
「あの子たちのこと? 喧嘩とかしたの?」
「別に、話したこともほとんどないかな」
「え? それならなんで嫌われるの?」
「太一は甘いなぁ。女の世界はね、恐ろしいんだよ」
そう言った由貴はカッコつけたかったのか、脚を組んで憂いているような顔つきになった。
悔しかったが太一にはそんな由貴がいつもより大人びて見えた。
きっと容姿がいい人には、その立場だからこその悩みや諍いがあるのだろう。それは太一には想像もできない事だ。
「私って片親なんだけどさ」
「へ? え、うん」
急に始まった由貴の身の上話。
しかもさっきよりも深刻そうな内容に、思わず太一は声が上ずる。
それでも由貴はまるで気にしていないかのように話を続けた。
「小学校に入る時にはもうママしかいなかったんだけど、昔はその事を周りからあること無い事いろいろと言われたんだよね」
「……そうだったんだ」
「それに私ってモテるからさ、女子からはやっぱり妬まれてたわけよ。あの子たちにもよく片親だからって、あれこれ言われたもんですよ」
「酷いね。上埜さんは何もしてないのに」
「ね~。きっと親は浮気で離婚したとか、そんな親の子なら私も性格最悪だとか、あんな見た目だから男を何人も作ってるとか、もう散々言われてさぁ。妬み全開だよね」
由貴は努めて明るく話しているが、太一は由貴が自分に気を遣ってくれているからだとすぐに分かった。
暗くなってしまわないように、辛いはずなのに由貴は太一のことを考えて話してくれているのだろう。
「ちなみに親が離婚したのは浮気じゃなくて単に喧嘩別れね。子供の私から見ても相性最悪なくらい毎日怒鳴り合ってたから、浮気云々は根も葉もない噂」
「そっか」
「という訳で、すれ違った時も無視したんだけどね。せっかくもう接点なくなったんだから、ほっといてくれてもいいのになぁ」
そう言う由貴は、その時だけはいつもよりも少しだけ弱弱しく見えた。
普段は自分を引っ張ってくれる由貴が見せた、一瞬だけのか弱い姿。
そんな姿を見た太一は、由貴の事を守りたいと素直に思った。
「……僕は、上埜さんはいい人だと思います」
「お、急にどした~?」
「だって! 親のことは関係ないじゃん。上埜さんは僕なんかにも優しくしてくれるいい人なのに、なんか、その、悔しいよ」
「……お、おぉお~」
惚けたような顔になった由貴が近寄ってくる。
何をするのかと思えば、近寄って由貴は一心不乱に太一の頭を撫で始めた。
「太一はホントにいい子だね~」
「茶化さないでよ」
「ごめんごめん。でもホントに嬉しい」
見つめてくる由貴の瞳は柔らかく細められていて、太一は少しこそばゆかった。
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