第19話 どちらを選ぶか


 昴からの頼みを引き受けた後、太一はあれからずっとチャンスを伺っていた。


 由貴は隣の席で、太一ならいつでも聞けそうなものなのだが、クラスメイトたちの前で女の子に好きな人がいるかと聞く勇気は、あいにく太一は持ち合わせていない。


 由貴の方からは何故か頻繁に話しかけて来るようになったが、なかなか聞けるタイミングはなく、太一がチャンスを伺っている間に気が付けばもう放課後になってしまっていた。


 放課後になるといつものようにすぐ部活に向かった昴。


 いつもと違ったのは、教室を出る前に太一のところに来て、後押しするかのように背中を叩いて行ったことだ。


 口では過剰に期待しないようなことを言ってはいたが、やはり本心では昼に頼んだことを期待しているらしい。


 目が合うと最後に力強く頷いてから教室を出て行った。


 昴が見えなくなると太一の口からは自然にため息がもれていた。


 太一は確かに協力するとは言った。昴のためなら力になりたいというのも本心だ。


 けれど今まで女の子の友達が明里しかいなかった太一にとって、他の女の子に話しかけるというのは、けっこうなハードルの高さになる。


 しかもただの会話ならまだしも、恋愛関係のことをきかなければならないのだからなおさら憂鬱だった。


 それでも大切な幼馴染のためだ。いくら無茶ぶりされたとはいえ、昴には幼い頃から庇ってもらっていた恩がある。


 だから本当なら、太一だってもういい加減踏ん切りをつけて由貴に質問していたはずだ。


 それが出来ていないのは、今回はもう一人の大切な幼馴染である明里の事が頭から離れてくれないから。だから太一はなかなか踏み出せないでいた。


「はぁ……」


 何度目になるか分からないため息が太一の口から漏れ出した。その時だった、


「どしたの?」


 聞こえてきた優し気な声と共に、頭をゆっくりと撫でられた太一は、驚いて反射的に立ち上がった。


 慌てていた太一の目に飛び込んできたのは、隣の席からこちらに向かって手を伸ばす由貴の姿。


「わ、びっくりしたなぁ」

「ご、ごめんね……ってびっくりしたのは僕の方だよ! その、何で急に……」

「撫でたのダメだった?」


 不思議そうに聞いてくる由貴は、特に今の行為を気にしている様子はない。


 太一が前から感じていることだが、由貴は距離が近いと言うか、ボディタッチが多い。


 何気なく今みたいに頭を撫でてきたりして、由貴からすれば何気ないことなのかもしれないが、太一にとっては、その動作の一つ一つが心臓に悪かった。


「で? どうかしたの?」

「何がですか?」

「でっかいため息。何度もしてたよ」

「あぁ……」


 太一は貴女が関係することで悩んでいますと言いたかったが、それはなんとか踏みとどまった。別に由貴のせいではないのだ。


 こんなにも悩んでいるのは、ただ自分の気持ちに折り合いをつけられていないから。


 ゆっくりと気持ちを整理したくとも、去り際の昴の反応を見るに、今日中に聞けなければ心底がっかりされてしまうのは間違いないだろう。


 太一が一応周りを確認すると、教室にはもう人がまばらになっていた。


 太一が悩んでいる間に時間も経っていたのだろう。もうほとんどのクラスメイトが教室を出ていったようだ。


 今なら聞けるかもしれない。そう思った太一は覚悟を決めることにした。


「あの、僕のため息はどうでもいいんですけど、実は上埜さんにちょっと聞きたいことがあって」

「聞きたいこと? なになに?」

「それはですね、えっと……なんといいますか」

「…………そうだ!」


 覚悟が足りずに太一がはっきりと切り出せないでいると、急に由貴が何かを思いついたように立ち上がった。


 由貴の声に驚いて固まっている太一に向けて、由貴が手を差し出してくる。


「せっかくだし、このまま二人でどこか行こうよ!」

「え、な、何でですか?」

「だって話しが長くなるならお茶とか欲しいじゃん? カフェでもファミレスでもいいからさ、せっかく友達になったんだから二人で遊びに行こ―よ」

「と、友達、遊び……」

「ほら、何ぼーっとしてんの? 早くいこ!」


 太一はオロオロしていると由貴に強引に手を引かれていた。


 勢いで立ち上がるとそのまま由貴に引き寄せられて密着し、腕を抱き寄せられる。


 いつもの太一なら由貴の身体に密着して慌てるところなのだが、今の太一はそれ以上に衝撃を受けていることがあり、腕を抱きしめられていることも気にせずに放心していた。


 太一がそこまで衝撃を受けたことは、由貴が友達と言って遊びに誘ってくれたことだった。


 これまで明里しかまともに話せる女の子がいなかった太一は、もちろん他の女の子と遊んだことなんてない。


 この前も由貴は昴に対して太一が友達だと言ってくれていたけれど、こうして面と向かって言われて、遊びにも誘ってもらえると、本当に友達だと認めてもらったような気がして、太一は少し感動すらしていた。



「た、太一?」

「……へ?」


 だが、そんな太一を現実に引き戻す声が聞こえた。


 太一を我に返らせたのは聞き馴染んだ声。


 今、太一の目の前には動揺しているのか、オロオロと立ちすくんでいる明里がいた。


 少し冷静になってきた太一は自分の状況を分析する。


 今の太一はどこからどう見ても由貴と腕を組んで密着してしまっている。その姿を、明里に見られてしまった。


「おわぁあああ! ど、どうしたの明里!?」

「あぁん」


 もう遅いのだが、太一は慌てて由貴を振り払って距離をとった。


 とにかく明里に変な誤解をされないかと太一は必死だった。


「どうしたのって、もう帰るかと思って」

「そ、そっか。そうだよね」


 もう帰りの準備も出来ているのだろう。鞄を持っている明里を見て、太一もそのまま明里と帰ろうと鞄に手を伸ばした。


 しかし、太一は直前にしていた由貴との会話を思いだす。


 どこかへ行こうと誘われていたわけだが、そうなると明里はどうすればいいのか。


 単純に考えれば明里も誘って一緒に行けばいいのかもしれないが、目的は昴からの頼みで由貴に彼氏がいるのか聞くことだ。


 そんな事に明里を付き添わせるなんて残酷な事はしたくない。結論が出ないまま太一がどうするべきか頭を悩ませているうちに、由貴が先に喋りだしてしまった。


「田端さんだよね? 話すの初めてだね、私上埜由貴、よろしくね」

「ぁ、はい、よろしくお願いします」

「私と太一はこれから二人きりで遊びに行くとこなんだ! あ、もしかして太一に用事でもあった?」

「ぇ、あ、用事というか……そうなの太一?」


 驚きの視線を明里に向けられて、太一は居たたまれなくなった。


 昴から頼まれたからなのだが、明里を裏切っているという罪悪感にかられる。


 太一は明里に近寄って、言い訳のように耳打ちした。


「その、お昼に昴から頼まれたことを聞こうと思って」

「……そっか」


 太一には、明里の声のトーンがそれまでと比べて明らかに下がったように聞こえた。


「私待ってるから用事があるならお先にどうぞ?」

「いいえ大丈夫、今日は先に帰るって太一に言いにきただけだから」

「そうだったんだ。じゃまた明日ね田端さん」

「えぇ、時間を取らせてごめんなさい。じゃあまた明日ね、太一」


 すぱっと会話を終わらせると、明里は太一の返事も待たずに背中を向けてた。


 いつもより大股で歩いて行くその後ろ姿は、ともすれば怒っているように見える。


 それは、いつも一緒に帰っている太一が急に予定を入れたからだろうか。


 それとも明里の気持ちを知っていながら、早速太一が昴のために協力しようとしているからだろうか。


 遠ざかっていく明里を見送るしかなかった太一には、どちらかといえば後者のように思えた。


 口では昴の気持ちを応援するとは言っても、すぐに心から納得できるはずもない。明里が昴を想っていた年月はそんなに短いものじゃないからだ。


 結局、太一は明里が見えなくなるまで声をかけることができなかった。

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