第15話 初めての体験②


 急に距離を詰められて困惑していた太一だったが、冷静に考えてみると何のことはない、由貴も昴が気になっていて、手っ取り早く近づくために太一に接触してきたのだ。


 将を射んとする者はまず馬を射よ。ということわざがある通り、昔から有効な手法だ。


 まだ太一の憶測でしかないが、そう考えると急に太一に声をかけてきた理由も納得できるし、なにより他の理由が思いつかない。


 昔は女の子に話しかけられて、その全てが昴目当てだったことに悲しくなったこともあるけれど、今の太一はむしろ理由が分かってすっきりとしていた。


 それに、昴にとってもこれは追い風だ。由貴も昴が気になっているのなら、昴の気持ちが報われるのもそう遠くないはず。


 今ここで由貴が聞きたいような昴の良いところを太一が教えてあげれば、もっと早まるかもしれない。


「あのね! 昴はホント凄いんだよ! 昔からね……」


 少しでも昴の印象を良くしようと、張り切って喋り出した太一だったが、すぐに声は尻すぼみになっていった。


 太一の頭に明里の顔がよぎったからだ。


 由貴のように太一に昴のことをききに来た女の子たちに、太一はこれまであまり昴の事を教えなかった。


 それはがっかりした腹いせや昴に嫉妬したわけではなく、全て明里のためだった。


 太一は明里のことを一番に応援していたからこそ、明里にとって不利益になるようなことをしないと心に決めていたのだ。


 今までは一貫してその姿勢を貫いていた。けれど、今回はどうすればいいのか太一には判断できなかった。


 明里は昴が好きで、太一はその気持ちを知っているが、その思いを向けられている昴は気が付いておらず、由貴のことが好き。


 ややこしすぎる三角関係だ。


 太一が昴のために行動すると明里の想いを蔑ろにしてしまう。反対に明里のために行動すると今度は昴の気持ちが報われないかもしれない。


 明里は昴の気持ちを応援すると言っていた。


 だが、あの時の明里は太一には無理をしているように見えた。


「どしたの?」


 途中で黙り込んでしまった太一の顔を、由貴が心配そうに覗き込んでくる。


 由貴のサラサラの髪が太一の頬をくすぐってきて、太一は慌てて身を引いた。


「いや、昴はね……昔から何もできなかった僕の面倒を見てくれてね、困ってるときはいつも助けてくれて、本当にいい奴なんだよ」


 悩みながらも結局太一は昴のために行動することにした。


 明里の決意を無駄にしたくはなかったし、帰り際に昴に言った事も嘘にしたくはなかったからだ。


「へぇ~」

「でね、昴は運動も得意でさ、テニス部でも凄いんだよ! この前の大会なんてね――」


 決めたからにはしっかりと昴のためになりたい太一。


 自分の長所は一つも浮かんでこないくせに、昴の長所はまるで湯水が湧くかの如く溢れるように思い浮かぶ。


 他のことではこうはいかないが、昴と明里を褒める時だけは饒舌に喋れるのが太一の特技だ。


 きっと気になっている昴のことを沢山きけて、由貴も満足してくれるに違いない。


 そんな風に考えていた太一が由貴の顔を見ると何故か興味が無さそうで、自分の爪を見ている由貴は話しをちゃんと聞いているのかも怪しい様子だった。


「あれ? あの、上埜さん?」

「え? あぁ終わった?」

「あ、いやまだあるよ! 昴はね!」

「あぁ~ごめんだけど、赤羽君の話はもういいや、けっこうみんなが話題にしてるから嫌でも耳に入って来るしね」

「そ、そう? まぁ昴は有名だからね」

「そうそう、そんなことより私はさぁ……」


 そこまで言った由貴がまた太一に身体を寄せて来た。


 今度は肘なんて次元ではない。まるで由貴に抱き着かれるような形になり、その体重を太一は全身に感じた。そして左腕がすっぱりと由貴の胸に挟まれてしまい、柔らかな感触に埋まってしまう。


「私はさぁ、太一君のことが知りたいなぁ」


 止めは耳元で囁かれたその一言だった。


 太一の全身に鳥肌が広がり、ビクンッと激しく身体が震えてしまう。それは確実に由貴にも伝わってしまっただろう。太一の全身が沸騰するくらいの熱さに包まれた。


 密着されたまま逃げ場のない手すりに押し付けられ、まるで壁ドンをされているような太一。


 極度の緊張で声も出せないでいると、至近距離で見つめてきていた由貴がゆっくりと顔を太一に近づけて来た。


 徐々に近づいてくる由貴を見つめながら、太一は金縛りにあったように動けない。


 そのまま由貴が近づいてきて、お互いの鼻と鼻がくっつきそうになった時、太一はただ目をつぶることしかできなかった。




「ふふ、ビクッってなってたね……かわいいんだ」


 耳元で囁かれて太一が限界を迎えそうになった時、車内放送と共に電車のドアが開いた。


 我に返りはっとする太一。気が付くと、そこはもう太一の降りる駅だった。それを意識した瞬間、それまでは金縛りにあったように動かなかった身体に力が入り、太一は慌てて立ち上がった。


「か、揶揄わないでくださいよ!」

「アハハ! ごめんごめん。でもホントにかわいかったからつい」

「ついじゃないですよ! はぁ、僕もここなので、失礼します」

「は~い、また明日ね太一君」

「……また明日です上埜さん」


 太一が電車から降りるとすぐにドアが閉まって電車は出発した。


 まだ高鳴っている鼓動に合わせて、太一の歩調も速くなる。


『また明日ね太一君』


 別れ際に言われた由貴の言葉が頭から離れてくれず、太一は五月蠅いほどの胸が高鳴っているのを感じた。


 それは仕方のないことだった。だって太一は今まで明里以外の女の子から、また明日なんて言ってもらったことはなかったからだ。


 冷え込んでいる外気を感じながらも、熱くなった太一の全身の熱はそう簡単に冷めてはくれなそうだった。

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