第11話 上埜由貴という女の子


 昴の衝撃的な告白をきいたお昼休みも終わり、学校も午後を残すだけとなった。


 あの場では昴の恋を応援することで意見がまとまったわけだが、明里の気持ちを知っている太一は複雑な心境を引きずっていた。


 太一は明里のために自分の初恋を諦めた。


 だからこそ明里にはその気持ちを叶えて欲しかったのに、明里も昴のために自分の恋を諦めようとしている。


 それは太一にとって悲しいことだが、明里の選択を覆してまで自分の気持ちを押し付ける事なんてできるわけがない。


 太一の中で渦巻いているのは、どうしてこうなってしまったのかというやるせない気持ちだけ。


 その原因、と言っては失礼かもしれないが、太一はその原因となった人物を横目でさりげなく確認した。


 すぐ隣の席に、人目を引く派手なベージュの髪の女の子が座っている。


 上埜由貴。昴が好きになった女の子だ。


 紺色のカーディガンを羽織っていて、セミロングのベージュの髪とのコントラストが綺麗だった。


 その髪以上に太一が目を奪われそうになったのはその胸元。制服を着ていてもはっきりと分かる膨らみはクラスを見渡しても際立っていて、しかも胸元のボタンはだらしなくいくつかが開いたままだ。


 短いスカートから伸びる長い脚は健康的な太さでしっかりとしている。机の下が窮屈そうに前になげだされていて、彼女の身長が高いのは座っていてもわかった。


 どこを見ても魅力的で、地味な太一とは正反対の位置にいるような存在の女の子。


 太一の勝手なイメージでは、こういう人たちは学校があまり好きではなさそうだと思っていたが、座っているだけの彼女の横顔はどことなく嬉しそうに見えた。


 全体的に大人びた印象を受ける女の子が見せるあどけない笑顔。


 きっと昴が見たら興奮してしまうだろうと確信するくらいには、太一もその笑顔が魅力的だと思ってしまった。


 上埜由貴について太一が知っていることはあまりない。


 ただ周りのクラスメイトたちが話題にしているのは何度も聞いていた。


 話題にしているのは主に男子だ。明里もよく会話に出てくるが、上埜由貴という名前はそれ以上に聞こえてくる。


 付き合ってみたいだとか、相手にされなかったとか、彼氏はいないらしいとか、胸が反則級に大きいとか、聞こえるのはだいたいがそんな内容の話で、それだけ男子から人気がある存在だということは前から知っていた。


 だが知っていることはそれくらいだった。


 たとえ隣の席だとしても、太一からすると一生関わることはないと思っていたタイプの女の子で、今まではあまり意識すらしていなかったのだ。


 昴から言われなければ気が付かなかったが、たしかに太一はこの女の子から馬鹿にされた記憶がなかった。


 昴はそれを優しさだととったようだが、太一には違うように思えた。


 優しいから馬鹿にしないのではなく、馬鹿にする気もない程ただ興味がないだけなのだろう。


 女の子から見向きもされなかった事は今までに数えきれないほど経験している太一にはそうとしか思えなかった。


 つまり上埜由貴にとって隣の席の地味な男子など、いてもいなくても変わらない取るに足らない存在なだけで、全然優しい訳じゃない。


 優しさで言えば遥に明里の方が上のはずだ。なのに昴はどうしてそんな事に気が付かないのだろうか。太一は上埜由貴について考えているうちに、よく分からない憤りのようなものを感じていた。



「ねぇねぇ」

「…………へ?」


 そうしてモヤモヤしていた太一が、誰かに話しかけられていると気付いた時にはすでに女の子と目が合っていた。


 どうやら考え事に夢中になりすぎて、上埜由貴を観察している間に目が合ってしまったらしい。


 状況だけを見ればじっと見てしまっていたことになり、気持ち悪がられると思った太一は慌てたが、すでにしっかりと目が合ってしまっている今となってはどうしようもできなかった。


「英語の宿題やった?」

「え、英語の、宿題ですか?」

「そうそう。やってくるの忘れちゃってさぁ、よかったら見せてくれないかな?」


 予想もしていなかった急な頼み事に太一は驚きと安堵を同時に感じた。


 幸いなことに、どうやらじろじろと見ていたから声をかけられたわけではないらしい。


 隣の席になってから今までこんな事はなかったから珍しいとは思いつつも、その安堵から太一は流れで英語の宿題を渡しそうになる。


 机に手を突っ込んでノートを取り出そうとした時、太一の脳内に急にある閃きがおりてきた。


「あ、そうだった。ごめんね、僕もやってくるの忘れちゃってたんだ」

「そうなの?」

「うん。だけど昴ならやってると思うから見せてもらうといいよ! おーい昴、ちょっときて!」


 太一が少し声を張って呼びかけると、様子を伺っていたのかすぐに昴がノートを手にやってきた。


「今ね、えっと……上埜さん、から英語の宿題見せて欲しいって言われたんだけど、僕やってきてなくてね。昴が代わりに見せてあげてくれないかな」


 太一の言葉に目を輝かせて頷く昴。


 全身でよくやったと言っているのが伝わってくるようだ。


 昨日に続いて今日も宿題を忘れていた昴だが、朝のうちに明里から教えてもらい、すでに終わらせているのは太一もしっかりと把握していたのだ。


「じゃあ太一に代わって俺が」

「あ、それならいいや」

「え?」


 思いがけない返答にニコニコ顔でノートを開きかけていた昴がピタッと止まる。


「隣の席ならすぐ返せると思って聞いたの。悪いからやっぱり友達に見せてもらうね」

「そ、そっか」


 あっさりと昴の申し出を断った上埜由貴は自分のノートを持って立ち上がる。太一があっけにとられてその姿を見ているとまた目が合ってしまった。


「わざわざ友達にまで声かけてくれてありがとね」

「あ、いえ、別に」

「じゃあ残り時間も少ないけど、お互い頑張って写させてもらおうね」

「あ、はい。そうですね」


 そう言って上埜由貴は軽く太一に手を振ると、昨日も一緒にいた女の子たちの所に行ってしまった。


 あそこまで普通に話しかけられるとは思っていなかった太一はぼーっとその背中を見送る。


 使えないと馬鹿にされたりすることはなく、なんならお礼まで言われてしまった。


 普通のことなのかもしれないけれど、女の子からそんなふうに言われたのは太一にとって奇妙な感覚だった。


「くっ……チャンスだったのになぁ」


 隣で静かに悔しがる昴の声が聞こえて太一は我に返った。


「なんかごめんね」

「いやいやむしろサンキューな。さっそく切っ掛けを作ってくれるなんて太一はやっぱり使える奴だよ。これからもこんな感じでアシスト頼むわ、必ずチャンスをものにしてみせるからよ」

「うん、頑張ってね」

「しっかし、とっかかりがないんだよなぁ。上埜さんの事あまり知らないのがなぁ」


意気込みながらも考え込んでいる昴に太一は苦笑をかえす。


 燃えているらしい昴がなんとも微笑ましかったが、ふいに明里が気になって視線をむけるとすぐに明里とも目が合った。


 瞬間的に太一の心に罪悪感がこみ上げてくる。


 昴の恋を応援することに決めたとは言え、明里の気持ちを知っていながらすぐに昴をアシストしたのは悪かったかもしれないと思ったからだ。


 だが明里はそんな太一に向けて頷いてくれた。


 それはまるで、それでいいと言ってくれているようで、太一はホッとすると同時にやはり気持ちに整理がつけられないままモヤモヤとしたものを抱えることになった。

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