第12話 急な接触


 放課後。いつものように部活に行った昴とは違い、太一には今日は役割があった。


 太一は図書委員会に所属していて、月に何日か当番があり、その日は放課後の図書室を解放する役目があるのだ。


 この日だけは明里にも先に帰ってもらっている。初めの頃は明里も待ってくれていてのだが、流石に悪いと思った太一がお願いし、今では別々に帰ることになっていた。


 いつものように図書室を解放し、専用のデスクに座る太一。


 図書委員の仕事は割と簡単だ。決められた時間まで図書室を解放し、その間の貸出、返却の対応をして、たまに本棚の整理をするだけ。


 慣れるまでは太一も戸惑うこともあったが、今ではなんら特別な事ではなくなっている。


 テスト期間でもない時期は図書室を利用する人も少なく、一人で対応しても忙しくなることは滅多になかった。


 例にもれず今日も利用しにやってくる生徒はまばらで、いつもとあまり変りはなかった……はずだった。


 だが、今日の図書室では明らかにいつもとは違うことが起きていた。


 ある人が窓際の席に座って勉強していたのだ。


 その派手な姿は、教室にいるよりも静かな図書室では一際目立っていた。


 上埜由貴が図書室を利用していたのだ。


 少し失礼だとは思いつつも太一はその姿を見て目を疑った。


 図書室で彼女を見るのは初めてだったのだ。その見た目は明らかに周りから浮いている。


 太一は今実際に勉強する由貴の姿を見ているというのに、図書室で静かに勉強するというイメージがまったくなかったからか、少し現実味がないような気さえした。


 ああ見えて、実は勤勉で普段から勉強に励んでいるのかもしれない。


 と、少し大げさに言ったが違うことというのはそれくらいで、太一も後で昴に伝えようと考えた程度で、後はあまり由貴の存在を意識することもなかった。


 太一は別のことで頭がいっぱいだったのだ。


 それは明里のこと。


 昴の衝撃的な告白を聞いてからの明里は、一見普段通りに振舞っているように見えた。


 だが太一からは明里が無理をしているのが明白だった。


 三人でも会話こそいつも通り笑顔だったが、普段は綺麗に伸びている背筋はまがってすっかりと猫背になり、覇気のなくなった姿からは悲しみが漂ってくるようで、太一は見ているだけで心配になった。


 長年好きだった人から、別の人が好きだと言われたら当然だ。


 似たような経験はしていても、直接言われたわけではない太一ではその悲しみはただ想像することしかできない。


 ほとんど人がいない静かな図書室の中で太一は思考に没頭していく。


 すぐ近くの校庭からたまに聞こえてくる野球部の声が、太一にはもっと遠いところから聞こえているような気がした。



「ねぇ」


 不意に聞こえてきた声に太一は顔を上げた。


 いつの間にいたのだろう。デスクを挟んですぐ反対側に由貴がいた。


 太一は明里の事を考えて頭がいっぱいだったらしい。声をかけられるまで由貴が近くにいることにまるで気が付かなかった。


 由貴は前かがみになってデスクに肘をついて太一を見ている。


 太一からはちょうど由貴の開いた胸元が見えてしまい、大きな谷間に目を奪われそうになってしまう。由貴に気付かれる前に太一は慌てて視線そらした。


「か、貸出ですか?」


 わざわざここまで来たからにはそうなのだろう。


 太一はマニュアル通りに業務をこなそうとするも、由貴は首を横にふった。


「キミとお喋りしたいなぁって思って来ただけ」

「は? え? 僕と?」


 驚いた太一が思わず由貴の顔をみると優しく微笑まれてしまい、太一は自分の余計に熱くなっていくような気がした。


「こ、ここは図書室ですよ。他の人の迷惑になる事はやめてください」

「でも私ら以外は誰もいないけど?」

「え、あれ?」


 太一が図書室を見渡すと、まばらにいたはずの他の生徒は一人もいなくなっていた。


 どうやら太一が考え事に没頭している間に皆帰ってしまったらしい。逆を言えばそれだけ長い時間を太一はぼーっと過ごしていたことになる。


 気が付いた時には太一は図書室で由貴と二人きりになっていた。


「これならちょっとくらいいいでしょ? 教室ではお隣さんなんだし、せっかくだから仲良くなりたいじゃん」

「は、はぁ」


 由貴は無邪気に笑いかけて来る。


 その笑顔を見ていると太一もなんだか毒気を抜かれたような気がして、自然に頷いてしまっていた。


 どうして由貴が急に声をかけてきたのかは太一には検討もつかない。


 頷いたのも由貴の空気に流されてしまったからだが、このまま会話を続けていれば、なにかしら昴のためにいい情報を聞けるかもしれないとも思え、太一はせっかくのチャンスに乗ってみることにした。


「あの、一応言っておきますけど……僕と話しても面白くはないと思いますよ」

「それは実際にしてみないと分からないでしょ?」


 最後の悪あがきのように太一の口から出た言葉にも由貴は顔色一つ変えない。


「じゃあまず、太一君って呼んでいい?」

「な、名前ですか?」

「え? ダメ?」


 由貴の距離のつめ方に面食らう太一。


 だが、もちかしたらそれくらいは普通のことなのかもしれない。由貴は不思議そうに首を傾げて驚く太一を見ている。


 明里以外の女の子とまともに会話をしたことがない太一は、女の子から名前を呼ばれるだけで少しドキドキしてしまう自分が情けなかった。


「いえ、別にダメというわけでは」

「じゃあ太一君で決定ね。私のことは由貴でいいから」


 そんな由貴の返しに、太一はより衝撃を受けた。


 名前で呼ばれることよりも、名前で呼んでいいと言われた事の方が信じられない。


 明里以外の女の子の名前を呼んだことなんてない太一は、すこしだけ嬉しいと感じてしまい、そんな自分の気持ちを否定するように慌てて首をふる。


 変に喜んでいる場合ではなかった。急に名前で呼でいたら昴が変な勘違いをしてしまうかもしれない。


「……あの、僕は上埜さんと呼びますね」

「アハハ、別にいいよ。この恥ずかしがり屋さんめ!」


 由貴におでこを優しく突かれて放心する太一。


 これくらいのタッチでも動揺してしまうのは太一だけで、由貴はまったく気にしていないようだった。


「そう言えば昨日はごめんねぇ。席占領しちゃってさ」

「……あぁ、いえ、気にしてないですから」

「皆悪気はなかったんだ。ていうか言ってくれたらすぐ避けたのに、どうして言わなかったの?」

「それは……」


 理由をきかれて言いよどむ太一。


 正直に話すか迷うも、恥ずかしがって下手な言い訳し、強がってしまう方が後々恥ずかしいような気がした。


「声をかける勇気がなかっただけです」

「女子に声をかけれないってこと?」

「うっ……まぁそうです」

「お友達とは普通に話せてるじゃん。ほら、何ていったっけ、あの可愛らしい綺麗な子」

「もしかして明里のことですか?」

「あ、そうそうその子!」


 太一にしてはまたしても以外だった。


 太一は明里と教室でも普通に会話をしているけれど、そんな太一の様子を気にしている女の子なんていないと思っていたからだ。


「明里は、あと昴もですけど昔からの友達なんで、二人は特別です」

「へぇ~そうなんだ。昔からってどのくらい?」

「小学校に入る前からですね。家が近所なんです」

「じゃあ三人は幼馴染ってわけだ」

「そうなりますね」


 そこまで話し終えたところで太一はそあることに気が付いた。


 由貴がニヤニヤとした笑いを浮かべて太一を見ていたのだ。


「な、なんですか?」

「いや~、気付いてるか分からないけど……太一君今も普通に話せてるから、私も特別なのかなぁって」

「……あ」


 指摘されて初めて太一も自覚した。


 言われてみればそれなりに会話が続いている。昴のためにと考えていたこともあるのだろうが、由貴の人柄も影響しているのかもしれない。話しやすく自然にいろいろと喋ってしまっていた。


「顔、真っ赤になってるよ?」

「ッ……揶揄わないでください!」

「アハハ、ごめんって、揶揄ってないからさ」


 太一は今更になって女の子と二人きりで会話をしているという状況を意識して、なんだか落ち着かなくなってきた。


 正面にいる由貴から逃げるように視線をあちらこちらに彷徨わせると、壁にかけてある時計が目に留まる。


 時刻はすでに図書室を閉める時間を過ぎていた。


 まだ昴に言えるような情報は何も聞けていないが、逃げるには絶好のタイミングで、太一は鍵を持ってすぐに立ち上がった。


「あの! もう閉める時間なので!」

「あ、そうなの?」

「はい、なので上埜さんも退出お願いします。僕は戸締りしなきゃいけないので」


 だからもう帰ってくれ。はっきりとは言わないが、太一はそう伝えたつもりだった――


「おっけ、じゃあ一緒に帰ろ?」


 ――だから、そんな太一の意志をまるでくみ取る気のない由貴の返答に、太一はまた固まることになるのだった。

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