第10話 明里が優先したもの
あの恋愛事にはまるで興味のなかった昴の口から好きな人ができたなどと聞くことになるなんて、太一はこれまでに考えたことすらなかった。
「……誰なの?」
すぐに反応したのは明里だった。
混乱して言葉がでない太一とは違い、明里はすぐに確信に迫ろうとしている。
急な話で心をかき乱されているはずなのにすぐに対応する明里を見て、太一もなんとか心を落ち着けて昴の言葉を待った。
若干恥ずかしそうにしたいた昴だが、自分から話を振った手前隠す気はないらしく、明里からの鋭い質問にもやや時間をおいて口を開いた。
「同じクラスの……
「上埜由貴? えっと、それって……」
「ほら、太一の隣の席の子だよ」
初めはぴんとこなかったけれど、そこまで言われてようやく太一は顔と名前が一致した。
太一はこんな状況でも昴の口からは明里の名前が出てくるのだと思っていた。冷静に考えれば相談相手に選んでいる時点でそれはないのだが、昴が明里以外の人を好きになるなんて想像もしていなかったのだ。
だから言われた名前を聞いてもすぐには顔が浮かんでこなかったし、隣の席と言われて顔を名前が一致してからも、さらに混乱の極みに突き落とされた。
上埜由貴は、昨日太一の席のあたりでたむろしていた派手な女の子たちの集団の中にいた一人で、太一の席の隣の女の子だ。
隣の席で結構な時間を過ごしている太一だが、会話らしい会話をしたこともなくまるで接点はない。
顔くらいはもちろん太一も知っているが、上埜由貴という人物がどのような人なのかはまったくわからなかった。
そして、接点がないのは昴も同じはずだったのだが……。
上埜由貴という名前を聞いて太一が思ったことは、見た目だけの判断になるが明里とはまるで違う、正反対と言ってもいいタイプの女の子だということ。
そんな女の子を昴が好きだと言うなんて太一には到底信じられないことだった。
「な、なんで?」
太一が口にできたのはそれだけだった。
昴の急な宣言について聞きたいことは山ほどあるのに、太一は混乱と動揺で何を聞けばいいのかわからなかった。
かろうじて言えたのはその短い言葉だけ。
だがその短い言葉の中には、なんで好きになったのか。なんでよりにもよって今いうのか。なんで好きになる相手が明里じゃないのか。太一の中で渦巻く様々の想いが凝縮されていた。
「ん? 好きになった理由か? それはな……」
その太一からの質問を昴は一番シンプルな意味で受け取ったようだった。
「太一って昔からよく女の子にバカにされてたろ?」
「う、うん。そうだけど……」
なんで今そんな事をという気持ちが太一の顔に出ていたのかもしれない、昴がまぁまぁと落ち着くようにジェスチャーしてくる。
「昨日も女の子から気持ち悪いってバカにされてたけどさ、あの子、上埜さんだけは太一の事を馬鹿にしないんだよ」
「……そう、なの?」
言われて太一は昨日の事を思い出す。
あの時、周りにいた女の子たちはみんな笑っていて、太一には全員から馬鹿にされているように感じていた。
けれどよくよく考えると太一のことを気持ち悪いと言った女の子に、席を開けるように言ってくれたのはたしかに上埜由貴だった。
「実はそうなんだよ。昨日みたいな事って今までも何度もあったろ? その度に俺は太一の事を助けてやってたから分かるんだよな。上埜さんだけは太一みたいなのが相手でも見下したり馬鹿にしたりしないんだ。最初は珍しいなぁって、それくらいだったんだけどさ、きっとすごく優しい性格なんだろうなとか、実はいい子なんだろうなって、気が付くと最近は上埜さんのことばかり考えててさ、ぼーっとしてたのはそのせいなんだよ」
そんな風に饒舌に語る昴は、まるで恋する乙女のように目を輝かせている。
どうやらその気持ちは本物で、昴は本当に上埜さんに夢中らしい。
最近ぼーっとしていたのもそのせいだったなんて太一は思ってもみなかった。
「それに今まであんな感じの女の子は周りにいなかったからなんか新鮮でさ、なんていうか大人っぽいだろ。クラスの他の女の子たちと比べても空気違うっていうか、特別な人ってかんじするだよ」
「そ、そうなんだ」
上埜由貴にたいする気持ちを熱く語る昴だが、太一はもうその話の半分も耳に入ってきていなかった。
太一が気にしているのは明里のこと。
せっかく昴のためにお弁当を作ってきた日に、よりにもよって好きな人ができたと言われたらいったいどんな気持ちになるのだろう。
建前にしたとはいえ、最近様子がおかしかった昴を心配していたのは本当だし、昴のためにきっといつもより早起きしてお弁当を作るために頑張ったに違いない。
それなのにお弁当を渡してからすぐこんな話をされるなんて……。
太一は先ほどから喋らない明里の顔を直視することができなかった。
だが今の興奮気味の昴には、この場の空気を察する事もできないようでどんどんと話を進めてしまう。
「それで相談なんだけどさ、俺って今まで誰かを好きになったり恋人になったこともないだろ。だからどうしたらいいのか分かんないんだよ」
「……どうしたらって?」
「そりゃもちろん、どうやったら上埜さんと付き合えるかってことだよ。だからさ、太一と明里には俺が上埜さんと上手く付き合えるように協力して欲しいんだ」
「僕と明里が!?」
「頼むよ! どんな些細なことでもいいんだ。話すきっかけになってくれたり、何か上埜さんの情報を聞いてくれたりとかホントにどんなことでもいい。俺は少しでも上埜さんと仲良くなりたいんだ。協力してくれよ、こんなこと太一と明里にしか頼めないんだ」
真剣な瞳で熱い想いをぶつけてくる昴からは、どれだけ本気の気持ちなのかが嫌でも伝わって来る。
言葉通りに受け取ればそれだけ昴から信頼されているということなのだろうが、今だけはその信頼が逆効果だと太一は頭を抱えたくなった。
「なぁ、お前たちならもちろん協力してくれるよな?」
「……」
太一は答えられない。
なぜなら明里の気持ちを知っているからだ。
太一だって本当なら昴に何か頼まれたら張り切って力になりたい。
いつも自分を助けてくれた頼りになる大好きな幼馴染。自分がその人の力になれるというのなら太一は喜んで協力した。
こんな案件でなければだ。
昴の気持ちを応援するために協力すれば、もう一人の大切な幼馴染の気持ちを蔑ろにすることになってしまう。かと言って、ここで協力を拒めば昴の気持ちを蔑ろにすることになる。
昴と明里。太一にとってどちらも大切な幼馴染で、何よりも二人の幸せを願っている相手なのに、そのどちらかを選ばなければならないなんて、すぐに答えの出るものでもなかった。
「協力するよ」
隣から聞こえたその返事に太一は目を見開いた。
隣を見れば明里はいつもと変わらぬ笑顔を昴に向けている。
「私も誰かと付き合ったことなんてないから何ができるか分からないけど、昴のためならもちろん協力するよ」
「ほんとか!?」
「うん。だって昴は大切な幼馴染だもの。昴が困ってるなら力になりたいし、心から応援する。ね、太一?」
明里の言葉を聞いていた太一は全てを察した。
明里が言ったことは、昨日の太一が明里に向けて行ったものと一緒だったからだ。
たとえ自分の気持ちを諦めても、それでも好きな人を応援したい。
太一がそう決めて初恋を諦めたように、今明里も同じ選択をしようとしている。
太一にとってそれはとても悲しいことで、だからと言って出しゃばれることは何もなかった。
有無を言わさぬような明里の確認は、太一に余計な事を言うなという牽制でもある。
ここで太一が明里を応援するために何かしらのアクションを起こそうとも、それは明里の望んでいないことなのだ。
「……もちろんだよ。僕も、昴を応援するよ」
「おぉ! ありがとう二人とも! やっぱり持つべきものは幼馴染だな!」
感極まったのか昴が豪快に太一と明里を抱きしめてきた。
明里と太一を同時に抱きしめているその行動には、感謝以外の特別な気持ちは何もないのだろう。それが太一にはとても残酷なことだと感じた。
明里ははっきりと昴を応援すると言った。
けれどその選択には相応の痛みがともなったはずだ。同じことを経験している太一にはそれが少しは想像できる。
昴に抱きしめられている今、明里の顔は太一からは見えない。
それでも今、明里がどんな顔をしているか太一は目に見えて分かるような気がした。
静かな中庭に、昴の笑い声だけが高らかに響いていた。
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