第3話 三人の関係


「え? うそ、だろ?」


まるでこの世の終わりが訪れたような、愕然とした声を上げたのは昴だった。



「……英語の宿題忘れたんだね」


若干の呆れを含みつつも止めを刺したのは明里。昴はすぐに明里に縋りついていた。


「頼む! 見せてく―」

「ダメ」

「……まだ全部言ってないぞ」

「丸写しはダメです」

「そこをなんとか、明里様」


宿題を忘れて明里に助けを求める昴の姿は、太一にとって別に珍しくはないものだった。


 いつものことに慣れていた太一はさりげなく距離をとると、そのまま後ろから二人の姿を静かに眺めることにした。


 何気ない日常の一幕。それでも昴と話す明里は、太一と二人でいる時よりも表情が明るくなり生き生きとしているように見える。


 それは太一の目からは明らかな変化として見えていて、気付いていないのはその表情を向けられている昴くらいのものだろう。


 その明里の表情の変化こそ、太一の初恋が過去のものになった理由だった。


 太一は今でも自分には長所がなく人に誇れるようなことはないと思っているが、そう考えるようになった原因は小さい頃の環境にあった。


 目立つような優れた外見ではなく、人目をひくような特技もない。幼い頃から周りの子供たちよりもひ弱でどんくさく、何をして遊ぶにもお荷物になる。


 そんな状況で自分に自信が持てるわけもなく、元々の気弱な性格からどんどんと引っ込み思案になっていった。


 そんな太一を厄介者扱いする同級生は多かった。そういう人は往々にしてどこにでもいるものだが、幼い頃だと余計に遠慮のない場合が多い。


 いつの間にか男の子は情けない太一を相手にせず、女の子からは馬鹿にされるようになってしいた。


 太一は時にはやりたくもないことを命令されたり、時には使えないからと仲間外れにされた。


 なけなしの勇気を振り絞って見てもすぐに状況が変わることもなく、太一は徐々に自分の殻に閉じこもり周りから孤立していった。


 太一自身が自分に全ての原因があると深く思い込むようになり、自分はダメな人間だと自虐的になった。


 自分は何をやってもダメで皆に迷惑をかける存在。


 何もせず邪魔にならないようにしている方がマシという負の思考が止まらない。そのままどうしようもなくなる前に、太一を助けてくれたのが幼馴染の二人だった。


 太一が虐められていたり仲間外れにされていると、いつも昴が駆けつけてくれた。


 いじめっ子から太一を庇ってくれて、一人にならないように皆の輪の中へ連れて行ってくれた昴のおかげで、段々と太一を虐める人は減って行った。


 辛く嫌な事をされた時は、落ち込んでいる太一の傍にいつも明里が寄り添って話を聞いてくれた。情けない弱音を吐いても優しく全てを受け止めてくれる明里のおかげで、太一は孤独に負けずにすんだ。


 今でも太一が自分に自信を持てないことに変わりはない。引っ込み思案になったおかげで、友達だとはっきりと言えるような人も昴と明里の他にはいない。


 目立たない存在の太一には、クラスメイトにも会話をした事がない人が沢山いる。それでもこうして太一が笑って今を過ごせているのは、紛れもなく昴と明里のおかげだった。


 だから二人は太一にとって何よりも大切で、かけがえのない唯一の親友と呼べる存在であり、その中でも異性の明里を特別な目で見てしまうようになるのに時間はかからなかった。


 同年代の女の子たちからは馬鹿にされるか見下されることがほとんどだった太一。唯一優しくしてくれる明里を好きになってしまうのも無理はなく、必然ともいえることだった。


 幼いながらに自分の気持ちを理解してからは、ついつい明里を目で追ってしまうようになったり、何もしていない時は常に明里の事を考えるようになった太一。


 明里を見るだけでドキドキして初めはそんな自分が恥ずかしかったが、明里の事を考えていると、あまり楽しくなかった学校も楽しく思え毎日が輝いてみえるようになった。


 そんな楽しくて明るい日々も、明里を見ていた太一がある事に気が付いた瞬間に終わりを告げた。


 太一が気が付いたのは明里の気持ち。


 自分が明里に向けているような気持ちを、明里は昴に向けていた。


 つまり、明里は昴のことが好きだと言うこと。


 明里の事をよく見ていたからこそ気付いたことで、それに気が付いた太一は愕然とした。


 それでもすぐに納得する。誰だって自分と昴なら、昴を選ぶに決まっていると、心から納得できたからだ。


 自分を助けてくれるカッコいい幼馴染と張り合うなんて、考えるだけでもおこがましい気がしたのだ。


 こうして太一の初恋は自覚してすぐに砕け散った。が、それでも太一は不思議と落ち込むことはなかった。


 明里も好きだが昴のことも同じくらい好きで、その二人が結ばれるなら心から納得できたからだ。


 大好きな二人のためなら、精一杯応援したいと心から思うことができたのだ。


 いつか昴と明里が付き合って、二人にとって太一が邪魔になるその日まで、太一は二人の傍で明里の気持ちを応援しようと思った。


「太一ぃ~、太一からも明里に頼んでくれ、このままじゃ俺は英語の授業で大変なことになっちまう」

「え、う~ん。僕も丸写しはよくないと思うけど」

「そうは言わずにさぁ、頼むよぉ」


振り向いた昴に呼ばれて太一は二人の元に戻る。


 太一が少し距離をとったのはもちろん明里のため。


 明里の想いを応援するためにこうして少しずつ気を利かせているけれど、残念ながら今のところあまり成果にはつながっていない。


 その時が来たら大人しく二人の傍から離れる。そんな太一の覚悟は、幸か不幸か、未だに試されてはいない。三人で過ごす日々はまだ高校二年生になった今でも続いている。


 だからといって、こんな毎日がいつまでも続かないことは太一にも分かっていた。


 だからこそ、いつか終わってしまうと分かっている太一は今この瞬間を大切に過ごしているのだった。

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