第2話

 都市伝説の舞台になった山道で、私たちは車を降りた。

 照明もない真っ暗な道路は他に走る車もなく、耳が痛くなりそうなくらい静かだった。

「あー、もうサイアクー。真っ暗で何も見えないしー、猫なんてどこにいんのよー!」

 静かな山道に木内さんの声が響く。

 ここまで来るまでの道中でも、木内さんはずっと不機嫌で「つけま取れそうなんですけどー」とか「喉かわいたー」とか、ずっと騒いでいた。

「なんか、ごめんよ」

 ユウが小声で詫びを入れてくる。

 人付き合いのいいユウだけど、さすがに少し疲れをにじませた顔をしていた。

「いや、まあユウに振り回されるのはいつものことだし?」

 わざと冗談めかした言い方をすると、ユウは小さく笑う。

 ふと見ると、暗闇に向かって吠え続ける木内さんを気にしながら、田所さんが私とユウにだけわかるよう手招きをしている。

「一度車に乗ってもらってもいいですか?」

 どうしたんだろうと、私はユウと無言で目を見合わせた。

 田所さんは拝むようなしぐさをしてから、そおっと車に乗り込む。一瞬迷ったけれど、私もユウも田所さんに続いてそおっと乗車した。

 私とユウが乗ったことを確認すると、田所さんはすぐに車のエンジンをかけて発進してしまう。

 え、という顔をする木内さんがみるみる小さくなっていく。

 同じく、え、という顔をした私とユウは田所さんの笑い声に包まれた車内で呆然としていた。

「見ましたか、あの顔! あの間抜けな顔!」

 温厚そうな田所さんが、楽しそうに語る。

「前々から嫌いだったんですよあの女、都市伝説になんの興味もないくせにわざわざ首突っ込んできて、こっちのこと見下して」

 うっ憤が溜まっていたのか、単にこちらの性格が素なのか。

 どちらにしても、悪戯にしては度が過ぎている。

「止めてください」

 ユウが強い口調で言った。

「えー、いいじゃないですか、あんなのは放っておけば」

「止めてください、すぐに戻ってください!」

「……」

 田所さんは無言で車を止め、Uターンする。舌打ちや悪態はつかないものの、仏頂面で、納得はしていないのだろうことがうかがえる。嫌な予感がした。


 木内さんを置き去りにした地点にはすぐ戻ってくることが出来たけれど、どきつい柑橘系の香水の残り香だけがあり、肝心の木内さんの姿が見当たらない。

 木内さんを捜すため、慌てて私とユウが車を降りると、間髪入れずに車が発進した。なんとなくそうなるのではないか思ってはいた。けれども、いざ本当に置き去りにされると、なかなかにつらい。

「あーらら、ユウ、田所さん行っちゃったね」

「……」

 ユウは強い眼差しで見えなくなるまで車を睨んでいたけれど、私を見ると途端に泣きそうな表情になる。

「ごめん……研究会の中でもあんまり交流のなかった二人だったし、他の会員にそれとなく反対されてたんだけど……まさかここまでひどいとは思わなくて……」

「あ、反対されてたんだ、やっぱり」

「ごめん……予定つくのがあの二人だけだったから……鉄は熱いうちにって言うし……どうしても調べてみたくて……それで……そのあの、巻き込んじゃって……」

「いや、もう本当に、ユウに振り回されるのはいつものことだし?」

 冗談めかして言うとユウがくしゃりと表情を歪ませる。今にも泣きそうではあるけれど、強く頭を振って両手で自分の顔をパンパンとひっぱたく。

「今度埋め合わせするから、もう少し付き合って? 木内さんを捜さなきゃ」

「ユウのそーゆうところ、面倒だけど嫌いじゃないよ。面倒だけど」

「面倒とか言わないでよ! しかも二回も! 自覚はあるんだよおお!」

 ユウの情緒不安定な様子を堪能していると、どこからか、かすかに猫の鳴き声がした。

 私とユウはぴたりと動きを止め、耳を澄ませる。

 さわさわと風が吹き、道路から外れた土地に広がる山の木々がざわざわと音を立てた。

 気のせいかと思いかけたその時、また猫の鳴き声が……今度は先ほどよりもずっと近い場所から、聞こえてきた。

「これ、もしかして……」

 ユウがごくりと生唾を飲み込む。

「“誘い猫”?」

 私たちは目を見合わせる。ほんの短い時間の後、ユウが覚悟を決めたように、ひとつ頷いた。

「行こう」

「でも、ユウ、木内さんはどうするの?」

「木内さんも、もともとは“誘い猫”に会うことが目的だったから。だから、きっとあの猫を追いかければ見つかる……はず」

 もっともらしいことを言う友人の目はキラキラと輝いている。

 これは、猪突猛進モードに入ったようだ。もう何を言っても無駄だろう。

 私はため息を、これ見よがしに大きな大きなため息を吐く。

「ユウのそーゆうところ、嫌いじゃないよ、うん」


 猫はすぐに見つけることが出来た。噂通り真っ黒な姿で、この暗がりなのになぜかよく見えた。見つかった猫は短く鳴くと、ついてこいと言わんばかりに歩き出す。私たちは全く見えない足元に神経を集中しながら猫の後を追った。

 猫は時折こちらを振り返り、ゆっくりとしたペースで私たちを先導してゆく。体感的には三十分くらいは歩いただろうか。視界がきかないのに加え、慣れない山の道に四苦八苦しながらなんとか猫について歩いていると、ふいにそれは聞こえてきた。

 笛の、太鼓の、すりがねの、そしてたくさんの人々の声が織りなすざわざわとした、音。

「祭り、の音、がする……?」

 息を切らせながらユウが確認するように言う。

 顔を上げ、音のする方を見れば、明かりがチラチラと揺れているのがわかった。焚火、だろうか。

「都市伝説そのままだね」

「うん、そのままだ」

 明るい方へ近づいてみようとしたけれど、そちらへは足が一歩も動いてくれない。

 猫が誘うように一声鳴く。

「ユウ、どうする? 都市伝説の男性はここから先へは行ってない。私たちも戻る?」

「まさか、ここまで来たんだよ? 毒を食らわば、でしょ?」

 

 

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