誘い猫
洞貝 渉
第1話
きさらぎ駅、犬鳴村、八尺様……。
都市伝説を調べるのが趣味な友人のユウの口から、次々と繰り出される中途半端にリアリティのある怖い話を、私はいつものように右から左へ聞き流していた。
怖い話は嫌いではないけれど、別に好きでもない。
だから、「実はこの近くにも都市伝説の噂がある場所があってね?」と前置きされてから始まった“誘い猫”の話も、別段興味もなく聞き流していた。
「ね、面白そうだよね?」
「そだね」
「興味あるでしょ?」
「そだね」
「じゃ、メンバーと日程はこっちで決めとくから、よろしくね?」
「そだ……え?」
しまった、と思った時にはもう遅い。
目を輝かせて猪突猛進モードに入った友人は私の話など聞かず、一人で勝手にずんずんと計画を推し進めていく。
いつものことではあるけれど、今回も私は、心底楽しそうな友人をただただ眺めていることしかできなかった。
“誘い猫”の話は、都市伝説に興味のない私でも聞いたことがある。
ローカルな都市伝説なので、口裂け女みたいな全国的に有名なものではないけれど、この地域の人なら、たぶんみんな知っている話。
ツーリングが趣味なある男性が、この地域の山道を走っていた時のこと。
男性はいつもよりも調子がよく、気分が乗って計画していた道程よりも多く流すことにした。気まぐれでちゃんと調べていない道に入り込み、行き止まりなら引き返せばいいし、どうせそのうちどこかの大通りに出るだろうなどと高を括っていたが、行けども行けども、どこにもたどり着かない。山道を延々と走り続け、気付けば日も落ち、照明もない暗闇で見知らぬ道をこれ以上走るのは無理になった。
男性が困っていると、道から外れた草むらから猫の鳴き声がする。いつもなら絶対にそんなことしないのに、その時はなぜかその鳴き声の方へ向かってしまった。そうしなければいけないような気がしたらしい。道路から外れ山に足を踏み入れる。暗がりな上、足場の悪い地面を転ばないよう注意しながらしばらく進むと、鳴き声の主が姿を見せた。闇と同化するような真っ黒い猫だった。月明かりもろくになく自分の手さえも見えないような山の中で、なぜかその猫の姿ははっきりと見えたそうだ。
猫がまた一声鳴いた。そしてどこかへ案内するかのようにゆるりと歩き始める。男性は猫の後を追った。もはや猫を追いかけること以外になにも考えていなかった。どれほど歩いたのか、すぐ近場からなにやら祭囃子のようなにぎやかな音が聞こえてくる。明かりもチラチラと見えるし人の気配もする。男性はそこでようやく、自分が遭難しかけていることを認識した。すでにもと来た道は見失っていたし、バイクを置いてきた道まで戻れたとしても、とてもじゃないが走行は無理だ。助けを求めるため人の気配のする方へ行こうとするが、なぜか足が動かない。
猫がまた鳴く。まるで男性を呼んでいるように。猫は男性を人気のある方角とは別の方へと誘おうとしている。男性はここにきて初めて恐怖を覚えたそうだ。
あの猫は一体どこへ連れて行こうとしているんだ?
そもそも、ここはどこだ? なぜこんな山奥に人がいて、祭囃子が聞こえるんだ?
男性は後先考えずに、走り出した。人のいる方でも猫の呼ぶ方でもない、来た道を引き返そうとしたそうだ。夜目も利かない山を走り回り、大した怪我もせずにいられたのは本当に運がよかった。息が切れるまでひたすらに走りまくり、男性はなんとかバイクを放置していた場所までたどり着くことが出来た。どれくらい山をさまよっていたのか、日が昇り始めている。道が明るく照らし出されて、これ幸いにと来た道を引き返したそうだ。
ほうほうのていでなんとか家に帰り、シャワーを浴びて倒れ込むように布団に入ると、スマホが鳴った。男性の友人からで、連絡がつかなくなっていた男性を心配していたという。男性はあの山で猫を追いかけ、三日もさまよっていたのだ。
「じゃあ、行きましょうか!」
都市伝説好きなユウが意気揚々と宣言する。
時刻は夜八時。ユウが集めたメンバーは四人で、私とユウの他、ユウの所属する都市伝説研究会から田所さんと木内さんが来た。
温厚そうな男性の田所さんは優し気に微笑んでいる。彼が今回“誘い猫”の都市伝説で囁かれている山までの足として車を出してくれることになっていた。
「よろしくね」
田所さんが人のよさそうな笑顔で挨拶してくれる。私もよろしくと返して、互いに会釈し合った。
「ねえ、いいから行くならさっさと行こうよー」
木内さんがイライラした様子で田所さんを小突く。バサバサなまつ毛に濃いチークが目を引く化粧で、原色のヒラヒラした服にこれでもかと高いヒールのパンプス。主張の強い柑橘系の香りを振りまいている。これから山に向かうとは思えない服装だ。
「……ねえ、ユウ。木内さん、なんで誘ったの?」
小声でこっそりユウに尋ねる。ユウも苦笑いしつつ小声で教えてくれた。
「誘い猫を抱っこした画像をSNSに投稿したいんだって」
「……なるほど?」
田所さんが急かす木内さんをやんわりとなだめながら、車に乗る。
「ほら、あんたたちも乗るなら早くして」
車内から木内さんが大声を出す。
主催者はユウなのでは、なんて思いながらも私とユウは慌てて車に乗り込んだ。
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