壱話:廻りはじめ 其の弐
ー弐ー
路地裏。
薄暗くて誰もいない。
心臓がばくばくして呼吸も荒い。
いくら逃げても同じ場所。
周りを見渡しながら歩く。
ふと、上に視線を感じる。
見上げると、そこには顔があった。
黒い肌にポッカリと空いた三つの白い穴。
下の大きな穴が三日月の形に歪む。
逃げなきゃ、そう思って走り出す。
散らばる袋やダンボールを
背負っていたお気に入りのランドセルも投げた。
だけど全部
「あ!!」
目の前には地面があった。
転んでしまった。
パイプに引っかかってしまった。
怖くて目から涙が落ちてくる。
「こ、来ないで……」
そして
わたしの横の道から人が現れた。
見た目は普通のおにいちゃんだった。
そのおにいちゃんは
黄色の粉だった。
無駄なのに、
けど
上の二つの穴をおさえてわめいていた。
そしたらそのおにいちゃんは背負ったリュックで
ぶんって音のするぐらい、思い切り。
壁をぬめぬめとなめくじのように移動していった。
おにいちゃんは
「大丈夫?怪我してない?」
「ううん。おにいちゃんは誰?」
「そうだなぁ……【どこにでもいる普通のおにいさん】かな」
「そうなんだぁ。助けてくれてありがとうございます、【どこでもいるおにいちゃん】」
「ぶふっ!!」
突然おにいさんは笑い出した。
何がそんなにおかしいんだろう。
「ふふ……君は面白い子だね。それにいい子だ。だから、今からおにいちゃんの言うとおりにしてね」
「わかった。【どこでもいるおにいちゃん】のいうとおりにする」
おにいちゃんは口元を抑えつつこう言った。
「まず、目を閉じて深呼吸して……何も見てないって心で呟くんだ」
「それって
「知らなくていいことだよ。幻覚……【気の所為】ってやつさ」
「わかった。わたしは【気の所為】さんのことは見てない」
目を閉じて、深呼吸して、そう呟く。
わたしの手を【どこにでもいるおにいちゃん】が握った。
その大きな手は何かをわたしの手に握らせた。
「故知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。君は何も見ていない。見えたものは実態なき幻の産物。惑いの中に住まう者。気にするな。そして忘れろ。迷わないようにお守りを用意した。これは君と彼岸を隔てる境界。決して手放すな。信じ続けろ。君が不変なる世界に生きているその真実を。君が加護を受け、守られているその事実を」
暗闇の中でそのような声が響く。
まるで時間がゆっくり過ぎていくそんな気がした。
ぐわん、そんな音を立てて視界が歪んだ。
真っ黒なはずの視界が。
目を開けるといつもの帰り道だった。
そうだ、わたしは家に帰らなくちゃいけないんだ。
わたしは歩き始める。
ふと、来た道を振り返った。
どうやら普段歩かない路地裏を通ってきたみたい。
何故だろう、そんなはてなマークが頭に浮かんだ。
何か忘れてる気がする。
気にすることでもないと思い、わたしは手をぎゅと握った。
その時、手に硬い感触を覚え、わたしは覗き見る。
そこには砂の入ったガラスの小瓶があった。
どこにでもあるような砂、だけどわたしにはとっても大事なモノに思えた。
小瓶をランドセルのフックに取り付ける。
どこで汚したのか、ランドセルはホコリを被っていた。
そしてわたしは歩き始める。
こーちーはーにゃーはーらーみーたー、いつ覚えたのかわからない、不思議な歌を口づさんで。
女の子が帰っていくのを見送った後、僕は再び路地裏に足を踏み入れた。
【抜け出せない路地裏】、此処は
師走のビル街に隠れるこの道に迷い込むと抜け出すことができないという話が出回っている。
冷静に考えてみればこの噂が存在している時点でその話が成り立たないとわかるだろう。
現に僕も此処の【忌み付け】を理解しているので迷わずに歩いているのだから。
ここで一つ昔話をしよう。
昔からこの世には生命と共に【怪異】が生きていた。
【怪異】は生命体の抱いた信仰や畏怖といった感情によって生まれた非現実的な存在群である。
彼らは生命の感情・知識・記憶などの変化に大きく存在を左右される体質であった。
その為彼らは生命を襲うことで存在の安定化を行い、一方で生命は彼らに対抗する為の術を身につけて退治を行う、そんな関係性が長らく続いてきた。
しかし、世界で人権などが明確に成り始めた近代において、【怪異】の存在も保証されるようになる。
日本では明治維新の際に【怪異】との和平交渉が行われて基本的な存在権が制定、戦後には怪異と生命および人間の共存化が急激に進むこととなった。
だが、人間は日常性の確保のため、【怪異】は存在維持のため、その関わりは限定的である。
そこで生命と【怪異】の間に立つ仲介人、【霊能者】という立場が確立された。
彼らは過度な殺生・襲撃を行った【怪異】、違法な【霊能】行為を行った生命を取り締まる役割を担う。
彼らがこの世界の平安を保ていると言っても過言ではないだろう。
続いて僕こと
僕は簡潔に言って【祓い屋】、いわゆる非公認【霊能者】だ。
詳しくは分からないが、政府公認の【霊能者】になるためには相応の資格が必要らしい。
【霊能界】についての知識に乏しい僕が資格を持っていないことなど明確であろう。
二年前【祓い屋】となった僕は今、この街で人探しの傍ら【怪異】の把握を行っているのだ。
【祓い屋】であることは家族は一人ーー
そのような一人語りを続ける内に目標を発見した。
黒い液体状の体表に白く浮き出た目と口、
僕に背を向けて自身の目を手で擦っている。
「泣いているのか?誰に何をされたんだ?」
「ひぇっ!!ち、近寄るんじゃねぇ!!お、オメェは何がしてぇってんだぁ!?」
この見た目で会話が通じるとは予想外だった。
丁度いいし
「君に聞きたいことがあったんだ。そしたら君があの子を襲ってたからね。過激に見えたから妨害させてもらった」
「何言うてんでい!!俺は度合いぐれぇわきまえてら!!そんな正確な判断できねぇようで、オメェほんとに【霊能者】なんかぁ!?」
「僕は【祓い屋】だからね。そこらへんの知識に乏しいんだ」
「なんでぃ、ただの【祓い屋】か。ふんっ。俺に何聞いても無駄だぇ。答える気もしねぇ」
此処でも【祓い屋】に対する偏見が強いようだ。
少し強引に聞き出すことにしよう。
「威勢がいいね、君。質問に答えてくれるだけでいいのになぁー」
そう強者感込めていった後、僕はリュックから透明なケースをチラ見せする。
この中には愛用のただの砂が入っている。
「ひぃぃっ!!そ、それは勘弁してくれぇ!!まだ目に入ってて痛いんでぃ!!なんでも答えるから、それだけは許してくれぃ!!」
どうやらうまく聞き込みできそうだ。
「じゃあ、質問をしよう。君は『
やつの様子が変わった。
今までの同様が嘘のような真顔となり、僕から距離を取るようにゆっくりと後ろに下がる。
「その様子だと知ってるみたいだな。彼の居場所を知らないか?それさえ教えてくれればいいんだけど……」
「いや、残念だが名前程度しか知らねぇ。俺はそれ以上深く関わりたくねぇからなぁ」
「じゃあ、彼について詳しく知っている人・【怪異】を教えてくれないか?」
「……さっきは何でも答えるっつたが、すまねぇ、嘘になっちまったみてぇだ!あばよぅ!!」
「っ!!?」
その言葉と共にやつの姿はコンクリートの壁の中に消えてしまった。
言葉が通じるので油断していたが、まさか低級の【怪異】だったとは……。
存在感の薄い【怪異】は実体があやふやな為、物を抜けるといった行為が可能なのだ。
そんな驚きと後悔をしている間にも
此処で逃したらもう情報を得られないかもしれない。
僕は路地裏を走り出す。
道端のゴミを踏む事、もしくは壁を蹴って進む事を忘れずに。
【霊力】には【忌み付け】と呼ばれる掟が存在している。
【怪異】や【霊場】、この路地裏のような特異空間、そして我々人間の使う【霊能力】、すべての概念的な弱点と考えればわかりやすいだろう。
そして【抜け出せない路地裏】の【忌み付け】はずばり「
このパターンはよくあるやつなのですぐに気がついた。
そのため、この道を通るときは道を踏まなければ迷うことすらないのだ。
この対象はやつも含まれており、逃げるときに壁にへばりついたり壁抜けしたりしたのもそのためだろう。
あの女の子を連れ出すときなんか、あの子を背負いながらゴミを踏み歩く羽目となった。
どれだけ苦労したことやら。
そんな悪態を心でついていたせいか、それとも身体が路地の往復で疲れていたためか、僕は路地を抜け出すまでに何度も転ぶ羽目こととなった。
なんとか通りに出て
やつの【霊気】は……そう離れてはいなかった。
走れば追いつく程度であるため、僕は再び走り始める。
景色は商店街的な町並みから石壁で区切られた住宅街へと変化していく。
一瞬僕の横を【霊気】が通り抜ける。
これは別の【怪異】のもの。
怪異は生命ある所なら何処であれ存在するのだから、気にする必要も無い。
そして丁度十字路に差し掛かったとき、その瞬間が訪れた。
左に曲がろうとした僕は、同じくこちらの方向に曲がってきた女の子と対面することになったのである。
お互いがぶつかってその場に倒れ込む……なんてラブコメの定番展開にはならず、お互いが左右へと避けることとなった。
お互いが左方向に曲がってかわそうとする。
しかし、この時僕は忘れていた……僕の左には石壁しかないことを。
次のコマでは、僕はダイナミックに石壁に当たり、地面に倒れ込んでいた。
相当焦っていたのだろう、僕はさっさと立ち上がろうとするが、上手く足を路面に立たせることが出来ない。
苦戦を強いられていたその時、僕の両腕を後ろから誰かが抱えて起き上がる手助けをしてくれた。
漸く起き上がった後、その人物に礼を言おうと後ろを振り返る。
そこにいたのは、先程僕と正面衝突しかけた女の子であった。
やや焦げ茶じみた腰下までのロングの黒髪に茶色の瞳、年も背も僕と同じくらいであろうか。
「ごめんね、飛び出しちゃって。大丈夫?怪我してない?」
路地裏で少女に言った言葉をまるまる返される。
僕自身のダサさが恥ずかしく赤面した。
「多分。えっと、そっちは?」
冷静に考えれば彼女が怪我を負うはずがないのだが、少しでも強がりたかった僕はそのように問いかけた。
「私は転んでないから……あ、手から血が……」
彼女はそう言って僕の掌を覗き込む。
壁から身を守るために擦りむいたらしく、右手の平に血が滲んでいた。
「これぐらい平気だから気にしなくていいよ」
これ以上の辱めを避けたい僕はそう答える。
すると彼女は僕の右手を突然握り始める。
困惑する僕をよそ目に彼女は呪文のようなものをつぶやく。
「……諸々の禍事・罪・穢有らむをば、祓い給え清め給え……よしこれで大丈夫!」
「あのー……僕の手握って何してるんですか?」
少女が唱えたのは確実に
だとしても、この場で唱えるのは少々理解に苦しむ。
「あ、ごめんね、説明なしに始めちゃって。そうだなぁ……私なりの
……まさかのラブコメ展開常習犯だった。
どこぞの上の妹との会話なら絶対コメントを差し込むところだが、流石に衝突しかけただけの浅い関係の女の子には言わないでおくことにした。
「それじゃ、気をつけてね!穢れ無き日々があらんことを!!」
いや、貴方こそ気をつけてくださいよ。
というか最後の決め台詞が謎でしかない。
嵐のように現れた同年代の女子に手を握られ
そこで僕は感じたのだ、その
「待って!!」
思わず叫んだ。
彼女を引き止めるために、彼女に話を聞くために。
しかし彼女の姿はもうどこにもなかった。
いたのは僕を不思議そうに見る通行人一同。
おそらく僕は今、不審人物なのだろう。
転びに転んだことで僕の服は汚れきっていただろうし。
此処で今更目的を思い出した。
やつの【霊気】を探すが、既に感知外へといなくなってしまったようだった。
恩師の手掛かりもつかめず、ボロボロになり、変人になってしまった……その流れが精神に応え、やや項垂れつつ歩き出した時、何かが地面に落ちているのを見つけ手に取る。
それは小さな注連縄を型どった飾りだった。
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