その3
三駅を跨ぎ、事務所のある街にまで帰還する。
更にそこから業務用マーケットへ向かうには、駅から発車するバスで十数分もの時間をかける必要がある。
マーケットへの道中、無剣と切島の間に一切の会話はない。
公共の場、他の客も一人や二人では足りないバスの中で騒々しくするのはマナーに反する。しかして二人に生まれる無言の理由は、より根本的な部分に根差す。
やがて白地に黒の看板がで示される目的地の名は、マーケット・カラスボシ。
「こんな大きなマーケットがあったんですか。初めて知りました……」
「もしかして、両親の手伝いで買い物とか行かなかった口か?」
「……」
切島の言に、無剣は恥ずかしげに頬を朱に染めて首肯。
「小学校の頃から剣道に夢中でして……多分、両親も気を使ってくれてたんだと思います……」
「なーるほどね」
自動ドアを潜り、切島が買い物かごと台車を回収。荷物の持ち手が二人であることを考慮し、かごは二段構造の両面に設置する。
店内は家庭を主戦場とする主婦やその連れたる子供、もしくは三交代勤務で空いていた男性が疎らに商品棚と睨めっこをしていた。平日という事情も相まってか、思いの外に人波は薄い。
切島は携帯端末を小マメに眺め、鵜飼から購入するように言われていた食材をかごに入れていく。
後をついていく無剣は未知の空間に視線を左右に振り、辺りを物色する。興奮の色を隠し切れない様子は、幼子ならば手を繋いで暴走を防止する程に。
彼女の実年齢は一六歳。
精神年齢も決して小学校低学年相応のつもりはない故、親の手を煩わせる子供の真似事などせず、切島から一定の距離以上は離れないように気を配っている。
背後へ必要以上の意識を傾ける必要がない状況。切島も少女のことなどお構いなしに先へと進んでは、既に脳内へ刻まれている店の地図を参考に目的の食材を確保する。
「あっ」
メモ帳アプリの利便性を体感している中、切島が唐突に小声を漏らす。
文面の一節でも削除されていたのか、鍛錬直後の問答の末を思い出した無剣が画面を覗き込む。
そこに記載されていたのは、おそらく鵜飼が要求した食材の数々。
キャベツにもやしに豚肉、と。安価なものに傾向しつつ量は三人としても割高。もしくは多少の賞味期限切れには目を瞑っての大量買いであろうか。
違う、否。彼女が意識を傾けたのは食材ではない。
「無剣裂が切島相談事務所のことを知った経緯……?」
「あ~……確かに、外出る前にそんなこと言われてた気がするなぁ……」
頭を掻きつつ記憶を引っ張り出す切島に対し、無剣は思考停止気味に文面を反芻するばかり。
「ま、という訳で聞くわ。いったいどうやって事務所のこと……いや、ちげぇな。事務所でコロシも請け負うことを知った?」
台車は徐々に疎らな人波から一層の距離を取り、店内の隅へと移行する。そも道端で問い質す内容ではないのだが、次善策として店内の死角へ赴くことで漏洩の可能性を低下させた。
そうして辿り着いた先は、店内の隅。賞味期限切れ間近の製品を段ボールへ乱雑に詰め込んだ、客足が集まり難い地点。
左右へ首を振って人がいないことを確認すると、無剣は殊更ゆっくりと回答を述べた。
「そ、それは……調べたら、出た」
絞り出すような声音は震え、ともすれば虚偽であると自ら語るかのように。
切島は軽く目線を合わせて瞳を覗き、無剣の揺れを認識。視線を逸らす仕草とは別の、嘘をついたバツの悪い児童を彷彿とさせる所作が確信を深める。
「嘘だな」
「えっ」
端的に述べ、切島は端末に表示されたメモを読む。
「えーと。うちのホームページは二種類あって、素直に検索エンジンを頼るだけだと表向き……健全な事務所にしか見えないようにしている。
ダークウェブ? って、ヤツに該当する方でしか本来の姿は見せないから一介の女子高生が知っているのはおかしい……らしいぞ」
無剣の嘘を見抜いたのは単なる直感なのか、細かい用語の意味を理解していない様子でテキストを朗読する。頭上に浮かぶ疑問符を幻視したのは、気のせいであろうか。
閑話休題。
ダークウェブに該当するサイトは市販の検索エンジンで発見することが叶わず、プラウザもまた専用の代物が要求される。
如何に包帯で右腕を覆い、右目に眼帯をしていたにしても彼女はただの女子高生。剣道一筋の少女がパソコンに理解を深める機会など学校の授業が精々、そこでも危険性を訴えるばかりで個人情報や殺人依頼を取り扱う深淵へのアクセス手段を教える訳もない。
「っ……その、あの……」
しどろもどろとなり、額に汗を浮かべて答えに窮する無剣。
呼気が漏れるばかりの状態からやがて沈黙へと変わり、二人の間に購入を促す明るい音頭のBGMが空虚に、空々しく響き渡る。
喉を鳴らす音が殊更大きく聞こえたのは、無剣の意志を確かめるかの如く。
「わ、私のお父さんが、勤めてたから……」
消え入りそうになりながら、それでも切島の耳にまで声が届くように。
無剣は確かな声音で口を開いた。
「どこに」
「烏星、財団に……」
「……なるほどね」
実働要員を除く烏星財団の従業員は何らかの提携事務所への連絡先を確保するように定められている。それは有事の際に頼れる戦力として、万が一の事態へ対処させるための手段にして、一従業員の頃から他者を効率的に扱う術を学ばせる意図もあるらしい。
と、自慢げに語っていたのは鵜飼であったか。
情報源が薄い胸を張っていた様子を思い出す切島とは対照的に、無剣は事情のより深部を明かす。
「連絡先に気づいたのは、半月くらい前……お父さんとお母さん、それに私の三人が写った写真の側に置いた財布から……」
昼なのか夜なのかも判別つかない闇の中。
カーテンをして外界の時の流れを拒絶し、虚ろに開かれた瞳が通販番組の茶番を無為に捉える毎日の一端。
既に意識を失うこともなく何度か夜を過ごしたためか、目は充血し隈も深々と刻まれた見るからに異常をきたしていた無剣の鼓膜を、揺らす音が一つ。
ソファーに腰を下していた状態から身を捻れば、写真立ての近くに置いていた財布が落下していた。
現金と口座カードのみを引き抜かれた状態で現場に遺された遺品を、床に置いていては縁起が悪いと拾いに向かう道中。
「あ……」
散乱する中身の内、多少血が付着した程度の地味な名刺が何故か意識に引っかかり、震える指先で掴む。
豪奢な縁取りや凹凸のような目を引く要素のない、簡素な作りの名刺。
「そこに書かれてたのが」
「切島相談事務所だった、って訳か」
「……」
無言で首肯する無剣。
確かに、切島が直々に手渡しする名刺には本来のホームページ──殺人を含む多くの依頼を受ける旨を記載している方へアクセス可能なURLが付属していたはず。
当然。そこには依頼までの詳細な流れや暗号についても明確化しており、読み込めば要らぬ手間がかからないようにしている。
ふむふむと首を振りつつしかし、切島の疑問はもう一つ。
「だったらアクセスするためのブラウザはどうした。そんな何徹したかも分からん状態でわざわざ専用のブラウザを探す余裕があるとも思えんが?」
「それは……名刺の裏に書いてあったんです。手書きで」
几帳面な父にそぐわない殴り書きで刻まれたのは、ダイイングメッセージという言葉を脳裏に過らせる文字列。
名刺に元々印刷されていたURLの上にある状況が、先にアクセスしろと促すものだと呆然とした思考で無剣は解釈した。彼女が無気力なりに打ち込めば、そこには裏社会で一般的に用いられている専用の検索エンジン。
「見つけるのが面倒だからなのでしょうか、アクセスした後の案内はむしろ親切なくらいでした」
語る少女の表情に、影が差し込む。
口にするのも憚られる深刻な理由には思えないが、父親が烏星財団の関係者と判明すれば無用な軋轢が生まれる。なまじ表だけでは飽きたらず、裏社会にすら影響力を深めようとする組織。
何も知らぬ無剣がそう解釈しても不思議ではない。
と、切島は受け取ったものの、無剣の思いは別にあるのか。大きく、かつゆっくりと首を左右に振り、無剣が口を開く。
「お父さんの亡骸が目蓋に浮かぶ度、思ってしまうんです……」
文字の画数にも拘る几帳面な父が、血が付着するのも厭わず乱雑に書き殴った名刺。
最期に一言何かを遺す猶予があった中、敢えて裏社会用で用いる専用検索エンジンを刻んだ事実が、一つの結論へと一人娘を誘う。
「お父さんは私に……二人の復讐をして欲しかったんじゃないか、と」
認められない。認めなくない。認められる訳がない。
言葉の端々から漏れる感情が、状況証拠を拒絶したいと暗に主張している。
一方で切島は何を述べるでもなく、ただ口を閉ざして続く彼女の言葉を待ち侘びていた。
「お父さんとお母さんを殺した犯人は当然憎い。そんなのは当たり前。
依頼は人生の清算って名義にして貰ってますけど、それが詭弁なのも理解しているつもり……他の人から見れば、私の行為は紛うことなき復讐なのも分かってる」
所詮は自己満足。目を瞑って耳障りのいい言葉を謳って真実を誤魔化しているだけの、偽善ですらない目くらまし。
道理に反することにも関わらず、父親が大手を振って応援してくれているなど、望外ですらあろう。たとえ法を犯すことになるとしても、父は自分の味方をしてくれるというのは人によっては多大な安心感を与えるに違いない。
それでも、と無剣は胸のつっかかりを口にする。
「死に際に復讐を託していたお父さんを、どう思えばいいか分からないんです……」
「はぁ、なるほど」
話を聞いていると相槌を打つ切島。首を振る仕草に若干の適当さが拭えないものの、無剣に意識する様子はない。
「こんな要求は我儘だし、理不尽だとも思ってます」
『妻、
病院に警官が事情調書に訪れた際、偶然耳にした言葉を思い出す。
鑑識の腕が余程信頼置けないでもなければ、父は母の死体を眼前にした後で犯行されたことになる。物言わぬ愛妻の骸を前に、一切の恨みを抱くななど凡そ正常な感性から来る感情ではあるまい。仮に無剣が同様の現場を目撃した時、犯人に一切の憎悪を持たぬなど不可能だと断言できる。
だが、それでも、だとしても。
彼らの娘という立場の無剣裂は、一つの思いを抱いてしまうのだ。
「それでも……それでもお父さんには、こんな道を肯定しないで欲しかったな……」
冷蔵品を扱ったコーナーから冷気が漏れ出たのか、二人の足下に冷たいものが駆け抜ける。
それを少女には血染めの道が発した、新たな流血を滴る瞬間にも夢想する。
たとえ叶わぬ願いだとしても、事実として無剣が今も反故にしている祈りだとしても、両親には娘の健やかな日々を想って最期を迎えて欲しかった。自らの怨念で娘を操るのではなく。
この瞬間にも同級生は学校の課題や塾、いずれも輝かしい未来を照らすには欠かせない要素を着々と身に着けている。半年以上もの時間を無為に溶かした少女では、どう足掻いた所で間に合わぬ差を以って。
己が未来を閉ざす愚行に対し、苦言の類でも呈してくれれば彼女も方針を転換する好機に出来たかもしれないのに。
他方、切島は無剣の言葉を咀嚼し切れていないのか、首を捻って唸るばかりで返事も碌に返さない。
やがて自分一人で考えても埒があかないと拍手を一つ、無剣へと問い質す。
「あぁ、そのよぉ……つまりなんだ、どういうことだ?」
「…………はぁ」
額に手をつき、嘆息。
頭を振る無剣の表情は、己の中に巣食う一端を吐き出した時とはまた異なる形で暗い。
とはいえ、流石の切島も続きがあったのか。言葉を続ける。
「別に託したにしても、押しつけられたにしてもよぉ。その道をお前が歩きたかったんだから関係ないだろ。
脱線したら死ぬって訳でもあるまいし」
死は絶対にして唐突。
予告された最期などあり得ず、伏線など張られる訳もない。
人造の地獄とそれが彩る赤と黒が入り混じった空を見た切島からすれば、無剣の葛藤は悩めるだけ贅沢な代物にしか思えないのだ。
同時に、それを直球に述べてしまえば何が起こるかも分からない地雷原であるということも。
「本当にやりたくないことなら、逃避するなり自殺するなり……打てる手は山ほどあるだろ。
けど、お前はそうしなかった。自分の命を担保に乗せてでも、まだ見ぬ相手に復讐することを選んだ。
これだけが確かなら、充分だろ」
「……」
歯車だろうと言いなりだろうと、悪霊のラジコンだとしても。
そこに当人が望んだという付加価値を示せるのならば、いったいどこに不満があるというのだ。
生きる理由を求めて全刀流の門を潜り、
切島なりに彼女を慰めるため、慎重に言葉を選んだつもりなのだが、肝心の相手は何を言っているんだと冷めた視線を注ぐ。
「それに親父さんだって人な訳だし、そりゃあ殺した相手は憎いでしょ」
「それはッ……そんなことは、分かってるつもりですけど……
でも、お父さんには綺麗でいて欲しかったというか……子供の贅沢と言われれば、それまでですけど……」
「だったらさ」
無剣の消え入りそうな言葉へ、切島は指を鳴らして反論する。さも名案が浮かんだと言いたげに白い歯を見せる様は徒に不安を煽るものの、だからといって何かを口に挟むつもりもない。
音で変な注目を集めた自覚はあるのか、一度周囲に人がいないことを確認し、切島は言葉を続けた。
「親父さんは娘の身に何かあった時のために連絡先を遺した、って感じに考えればいいじゃない?」
「──」
「どうせ死人に口なし。好き勝手に生者の都合よく考えていこうや」
雑な、捉えようによっては死者を冒涜しているとも認識し得る言葉。
しかし無剣は目と口を広げて放心し、まるで天啓でも受けたかの如き衝撃を顔全体で表現する。
発想の転換よりも、そもそもの前提をすり替えたといった方が正確か。
父が母の死体を発見した後で殺害されたのは、現場の状況からも疑う余地はない。だが、死に際に名刺へ裏社会専用検索エンジンを記載したのは己が内の復讐心に突き動かされた結果ではなく、一人遺される娘の身を案じてのことではないかと。
ふざけた置き換えだと切り捨てるのは至極単純。死者の無念を冒涜していると怒気を露わにしても文句を口にする者はおるまい。
だが、ならば父が復讐心に突き動かされたという証拠はどこだ。今際の際に娘を呪うため、呪詛の情報を遺したという証拠もまたありはしない。
祈りも呪いも生者が勝手に夢想したもの。
真実は闇の中へと沈んだが故に。
「……はー」
溜息を一つ。
つくづく自らの安さを自覚しながらも、無剣は確かな安堵を覚えていた。
ここまで簡単な回答で肩の重みが取れるのならば、今までの葛藤はなんだったのだ。若干の腹立たしさすらも心中より浮上してくる。
「とりま、ここら辺まで情報を引っ張ってこれればいいだろ」
「えっ」
ジャケットの内側に手を突っ込むと、切島は何らかの操作を行って白日の下に晒す。
USBメモリを彷彿とさせる小柄な直方体に幾つかのスイッチ。突起部に刻印された四角や三角は録音した中身の再生時に作用する代物であろう。
録音機。それも持ち運びに便利な小柄サイズ。
今までの会話をも余さず録音されていた事実に、無剣は顔を蒼白に染める。
「も、もしかして……今までの会話、全部……?」
恐る恐る問う声音には震えが混じり、両肩にまた外気とは異なる要因で震えている。
その理由に気づいていないのか、張本人は意に介することもなく言葉を紡いだ。
「録音の容量が足りていればな」
実際には事前に鵜飼が容量を確認し、大丈夫だと確信したがために切島へ与えた代物。彼自身が準備したならいざ知らず、遥かに準備に信頼が置ける幼子が直々に手に取った上で授けたのだ。そのような初歩的なミスが起こるはずがなく。
結末を察した無剣は唇を上下して困惑の色を見せる。
そして切島は音量を下げた状態で録音機を操作すると、録音状態を確認。
『お父さんの亡骸が目蓋に浮かぶ度、思ってしまうんです……』
「うん、キチンと録音できてるな」
「あのっ、そのッ……しないで、欲しいですんけどー……」
「あぁ、やっぱり駄目なヤツ?」
「……」
こくり。
切島の鼓膜が擬音に揺れる。
黒セーラーの少女が口にした答えは既知の範疇だったのか。切島は慣れた手つきで録音機を操作し、丸が刻印された突起部を押す。
「あ……」
「後はこうして音を上書きして、っと……」
録音機を持った腕を天井へと伸ばし、店内で流れるBGMが無剣との会話を塗り潰す。
「本当に、消してくれてるんですか……?」
「なんで事務所のことを知ったのかは、鵜飼から聞くように言われたから消せねぇけど。それ以外は聞かれなかったからな」
別に構わねぇだろ、あっけらかんと語る少年の表情は明るく楽観的。ともすれば能天気とも捉えられる態度に、無剣も言葉を失う。
また、BGMの継ぎ目が著しく不自然にも関わらずに録音した結果、証拠を隠滅したと誤解した鵜飼の雷が降り注いだのもまた、別のお話である。
何故なら、仮初だろうとも一つの救いを見出した無剣の感情だけは、紛うことなく真実なのだから。
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