その2

 足並みを揃えて歩き、二人は総合墓地を後にする。

 次なる目的地へ赴く最中、互いの間に会話はない。

 切島が過去の一端を語り、墓と会話を始めたために時刻は朝と言い難いまでに進み、気温は俄かに向上。雲一つない晴天から降り注ぐ陽光は、無剣の肌に汗を滴らせた。

 一応の季節は秋。学生も勉学に励み、大人もまた日銭を稼ぐために社会へ身を投じている。

 故、二人の道程の中で誰かとすれ違うこともない。


「……」


 在学時代のセーラー服をそのまま着用している無剣にとって、通行人に乏しい現状は好都合であった。

 少なからず学友がいたことに加え、剣道部の面々にも顔が割れている。そうでなくとも、本来なら椅子に座って黒板と向き合っているべき時分に外を出歩いているなど、通報されてしかるべき状況。

 更に実害面を置いたとして、心情的には無問題かと問われればそれもまた否。


「見せたくもないしね……うん」

「ん、なんだ?」


 右にガーゼの眼帯、腕には包帯。そして当時から変わらず着用しているセーラー服に部活動時代の竹刀とくれば、さながら時の流れに取り残されているかの如し。

 竹刀袋や髪の長さなど一応変わった部分もあるものの、生半可な変化など不変の部位を強調させる役目しか持たぬ。

 きっと、他の皆は先に進んでいる。

 無為に時間を溶かし、停滞した無剣を置き去りにして。

 そんな学友達を見て、万が一にも覚悟が揺らぐことは避けたかった。


「それに、見たくもない……」

「さっきから何をゴチャゴチャ言ってんだ?」

「……何でもないですよー」


 切島からの指摘を平坦な口調で誤魔化すと、わざとらしく無剣はステップを刻んだ。

 先を行った所で、彼女には最終目的地を把握できないにも関わらず。

 やがて当然の帰結として無剣の足取りは静止を繰り返し、マフラーをたなびかせた少年を先行させた。

 その間に通行人は疎らにあれど、知人の顔がなかったのは幸運と言えるだろう。


「んじゃ、到着っと」


 一行が辿り着いたのは、総合墓地から離れた公園。それも森林生い茂る雑木林を含む大規模な場所であった。

 草花が風に揺れて波打つ音が二人を包み込み、雑木林の呼吸に伴うマイナスイオンの放出が科学的事実を超越した心地よさを互いに与える。

 尤も、深く呼気を肺へ送り込む無剣とは裏腹に、切島は何の感嘆に抱かず簡単なストレッチを開始した。


「で、ここで何をするんですー?」

「訓練だよ。そこの木とか見れば、少しは分かると思うぜ」


 指摘され、指差された先へ目を細める。

 葉を朱と黄に染めたイチョウの樹木。単体であらば特に意識を傾ける必要もないそれに、付加価値を見出すとすれば樹皮の表面。

 硬く、月日の経過を脳裏に抱かせる表皮に刻まれたるは鋭利な擦過傷。

 一太刀や二太刀では収まらない剣戟の痕は、下手に傷口へ触れようものなら指を切ってしまうのではないかと錯覚させる鋭利さを予感させた。

 そして元凶と目される少年が三指で挟むは、レシート用紙。


「全刀流初伝──紙切れ」


 言葉と共に振るわれた一閃は、微かな樹皮の欠片を跳び散らかして新たな擦過傷を刻印する。

 しなやかに右腕を振るった程度。何らかの特別な構えも取らず、さながら会話の合間に挟む合いの手を思わせる不意の一太刀が得物と獲物、両者の強度を無視した結果をもたらす。

 続きしなるは上段からの振り下ろし。

 これもまたレシートの通過した側から、年月を衣としたはずの樹皮をバターの如く両断。


「ふぅ……」


 軽く息を吐き、再度切島は紙の刃を放つ。

 紙で指を切る、という現象は紙の端がノコギリを彷彿とさせる形状をしている上、珪素と呼ばれるガラス繊維に似た物質が性質を補強しているがために発生する事象である。

 だがこれは人体がガラス繊維よりも脆く、ノコギリ刃が肉を抉る作用を果たすことが前提の話。

 人体を樹皮に置換しただけの状態で同様の理屈をなぞることなど本来は不可能なのだ。


「で、この鍛錬ってどの程度続くのですかー……?」


 人知れず、無剣は呟く。

 歴戦の勇士ならばいざ知らず、あくまで一般的な剣道を嗜んでいたに過ぎない高校生の少女には、切島の行為は未知の競技を観戦するに等しい。

 最低限のルールさえ把握出来なければ、楽しむものも楽しめない。

 それから経過した時間は一時間前後。

 退屈を持て余した無剣には、青空を雲が流れる如く無為な時間に思えた。

 ただ外の空気を吸えただけでも新鮮な気持ちを味わえたものの、それでも無限の暇という印象は否めない。半年もの時間を無為に溶かした者が述べるには、些か手遅れな話でもあるが。


「お、時間か」


 機械的な、そして単調な音色が鳴り響く。

 僅か一時間前後にして久方ぶりにも思えた変化に無剣が潰れかかった目蓋を開く中、切島は懐の携帯端末を取り出して液晶をタップ。アラームを切る。

 軽く息を上げてこそいるが、呼吸の調子が平時よりもやや早い程度。身体を温めるためのジョギングならばともかく、剣道経験者の無剣にも追えたか怪しい速度の連撃を立て続けに、休むことなく振るい続けるなど尋常ではない。

 首を鳴らすに数度、切島が足取りを無剣へ向ける。


「よし。今日の鍛錬はここまで、っと」

「アラーム……そんなものを準備してたんですねー」


 意外にも明確な時間の基準があったことに軽い動揺を見せる無剣に、呆れた声で切島が応じた。


「あのなぁ……俺だってアラームくらいは使えるぞ……

 前に鍛錬に集中し過ぎて、危うく依頼をすっぽかしかけた時に鵜飼からこっ酷く叱られてな。以来、鍛錬の時には事前にアラームで時間を区切るようにしてんだわ」

「依頼をすっぽかしかけて……」


 関心すべきか、それとも嘆息すべきか。

 どっちつかずの感情が赴くまま、白髪を左右に揺らす。

 とはいえ、これで切島の日課は終了。鵜飼からは万が一に備え、日課の終了次第速やかに帰路へつくように言付けられている。それは無剣にとって実質的な軟禁生活の再開をも意味する。

 名残惜しく青空を見上げると、一羽の鳥が自由に、何物にも縛られることなく大空を羽ばたいていた。


「ん、なんか言われてたような……あぁ、そうそう。鵜飼からさ、飯の買い出しもついでに頼まれてたんだったわ」

「へ?」


 端末を操作しながら、切島が首を振って呟く。


「いやでもなぁ、一旦無剣を送ってからの方がいいんじゃねぇか……?」


 切島ですら抱く至極当然の発想である。

 無剣裂は命を狙われている。それも資金の潤沢な極道組織、三平会によって。

 最初の刺客こそ単なるチンピラ程度だが、それを退けた以上は次の刺客も検討段階であろう。未だに襲撃の手がかかっていないのは即興の三下ではなく、暗殺経験の豊富な手慣れの手配に手間取っていると想定した方が合理的。

 更に最悪なのは、既に手配そのものは完了しており彼女の隙を狙う段階に進んでいる可能性。

 人混みに紛れる買い出しは絶好の襲撃チャンスであろう。

 と、ここまでは切島側の事情。


「わ、私も荷物持ちくらいならやれますよー!」


 久々の外をもっと満喫したい無剣は、切島へと詰め寄って訴える。


「でもさ。腕折れてんじゃん、お前」

「ひ、左が空いてる……だからもう少しだけ、外にいさせて……!」

「──」


 お願い。

 心を込め、嘆願。

 少女の訴えに思うものがあったのか、切島は暫し放心して目を開く。

 彼が意識を取り戻したのは、握っていた端末が掌から零れ落ちて足下の紅葉を砕いた時。耐衝性に優れたカバーを使用していたため、液晶には傷一つないものの画面が幾らかスライドする。

 音に気づいた切島が眼前の少女の訴えに改めて首を捻る。

 その間、僅か二秒。


「ま、いっか。そんな大事なことなら鵜飼はもっと念を押すし」

「ってことは……!」

「いいと思うぞ。買い出しの付き添い」


 俺も楽出来るし、という〆の言葉は左腕を上げる無剣の鼓膜にまでは届かなかった。

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