第2話 疑われる住人達
警察が呼ばれた。検視が行われ、他殺と推定された。
死因は絞殺であり、死亡推定時刻は土曜日の午前二時ごろと思われる。使用されたロープは見つからず。現場から財布の中身が持ち去られていたため金銭を目的としていた可能性も高い。
「以上が、捜査からわかったことだ。」
公園のベンチに向かって棚橋刑事が説明を終えると、腰かけている本堂と清見の顔を見渡した。
「それで、お前たちは何をしに来たんだ?今度こそ殺人をやらかしたのか?」
「殺人とは違う話を聞きに来たところに、偶然出くわしただけですよ。今回は依頼でもなんでもなく、気分転換のため足を運んだだけ。」
本堂はぶっきらぼうに答えた。二人が棚橋刑事と顔を合わせるのはこれで三度目である。以前千代田区にあるホテルで出会ってからおよそ四か月ぶりの再会になる。
「今日は休暇のつもりでしたが、棚橋刑事がそこまで言うなら僕らも協力して差し上げましょう。」
「なんだと?いつお前らに協力を頼んだ。」
捜査状況を話している時点でそれと同義ではないのか、と清見は思った。実際ホテルでの事件もほぼ本堂が解決した。しかし棚橋刑事との関係性が悪くなれば、今後の探偵事業に支障が出ることは間違いない。
「棚橋刑事!俺たちは仕事がなくて困ってて、どうにかして捜査に協力させていただけませんか?本堂さんも事件に対する興味が尽きないんです。よろしくお願いいたします。」
清見は声を張って二人の間に入って、何とか収めた。本堂が不服そうな顔をしているが、清見は完全に無視した。
「まあ、そこまで言うならいいだろう。それでお前らが現場を見たときに、何か気になったことはあるか?」
本堂が人差し指を立てた。
「一つ。被害者の手の甲に小さな噛み傷のようなものが目に入ったけど、それは何か。」
「ああ、右手の手の甲にあった傷だな。何の動物の歯形かは判明していないが、酸っぱい、刺激臭を放っていたな。このアパートは防音に優れていてペットOKだが、被害者はペットを飼っていなかった。外で何かに噛まれたと考えるのが自然だな。」
「小鬼だ。」
清見は無意識につぶやいていた。
「これからアパートの住人たちに対する事情聴取を行う。今から付き合え。」
本堂は棚橋刑事の提案にうなずいた。
三階建てのアパートには九つの部屋があり、住人は被害者を含めて全部で八人。101号室に運送業に携わる男。名前は畑中敬三。年齢は三十代前半。102号室は空き部屋。
103号室に栗林 花が居住しており、年齢は二十代後半。コールセンターに勤めている。
201号室、203号室は共に空き部屋で、202号室に木下 前作と木下 裕子の老夫婦が居住しており年金を頼りに生活をしている。
301号室には被害者の進藤 俊。302号室にはフリーターの男。名前は広瀬 拓也、年齢は三十代後半。303号室には大学生の男、金田 浩二 が居住している。
「現在は外出している103号室の栗林さん以外は自室で待機してもらっている。とりあえず三階に居住している住人からあたるつもりだ。」
立ち上がると三人は階段を上がり、302号室のインターホンを押した。
「ああ、刑事さん、どうぞ。」
広瀬はドアから顔をのぞかせて、三人を招いた。散乱した服やゴミ。整頓されていない室内は、男の一人暮らしという言葉から連想されるまさにそのものである。
部屋の隅にはテレビと、古びたスピーカーが置いてある。小柄な広瀬は落ち着きがなく、常に体を小刻みに揺らしている。
「ひ、広瀬 拓也と申します。フリーターです。」
気弱な男はあまり声を張らずに自己紹介を済ませた。
「刑事の棚橋です。こちらの二人は協力者の方で、事情聴取に同行させているんですよ。プライバシーの方は心配いりませんので安心してください。早速ですが、金曜日の深夜は何をされてましたか?」
「ええと、金曜日ですか?その日はバイトを早番で終わって、夜の六時には家にいたと思います。テレビで映画を見ていました。一人でいたので証明できる人はいませんが。」
棚橋刑事はメモを取っている。
「なるほど。進藤さんに恨みとかを持つ人間に心当たりはありませんか?口論をしているのを見たとか、痴情のもつれとか、金銭の貸し借りとか。些細なことでも結構ですが。」
広瀬は金銭、という言葉を聞いた瞬間、少し表情が強張った。
「いえ、あまり話したこともないので、思いつきません。」
「最後に、ロープか何か持っていたりしますか?」
「ロープですか?ええ、持ってますよ。趣味が登山なので、一応ありますけど。」
「見せてもらえませんか?」
広瀬は大きなリュックサックから登山用のロープを取り出した。
「申し訳ありませんが、調査のため少しの間預かっても構いませんか?」
広瀬は黙ってうなずいた。
「僕の方からも質問していいですか?」
いきなり本堂が口をはさんだ。
「簡潔に四つお聞きします。現在お付き合いしている女性はいますか?」
「いいえ、いません。」
「ペットを飼っていますか?」
「いいえ。」
「貯金は多いほうですか?」
「恥ずかしながら、全くありません。」
「玄関にあったタグのついたままの登山靴、あれは最近買ったものですか?」
「ああ、そうです。」
「最後に冷蔵庫を見ても構いませんか?」
広瀬は承諾した。
「ありがとうございます、また来るかもしれません。」
ひとしきり冷蔵庫を物色した後、そう言って本堂は外へ出て、刑事と清見もそれに続いた。短い問答に、清見は本堂の意図することがわからなかった。
「本堂さん、なんであんなに変な質問をしたんです?お付き合いしている人がいるかどうかなんて。それに冷蔵庫の中を見る意味は?」
「朝のことをもう忘れたのか?僕たちが階段を上がる時に、一人の若い女性とすれ違っただろう。だが若い女性が住んでいるのは一階だけだ。ではなぜ二階から三階へと上がる階段に女性がいたのか。簡単に思いつくのは住人の恋人。そうでなければほかに理由があったのかだ。冷蔵庫は経済状況の確認とかだ。人が金を使うといえば趣味か食費だろ。」
「なるほど。」
「見とれてて何も考えてなかったのか?俳優目指している癖にそんなんじゃ、女優を前に緊張して、演技もろくにできないんじゃねえのか。」
本堂の嫌味は頭に来たが、図星だったので反論はしなかった。
「仏さんの近くで喧嘩してるんじゃねえよ。次は303号室の金田 浩二のところだ。」
「棚橋刑事、その前に広瀬さんの指紋を取って、財布についている指紋と比較しておいてもらえませんか?」
「指紋を?わかった。」
三階の反対側へと向かおうとしたとき、いきなり302号室のドアが開いて清見の肩にぶつかった。
「うわっ。」
清見は驚きで声を上げたが、部屋から顔を出したのは鑑識の男で、小さなビニールの袋に入れたものを三人に差し出した。
「棚橋刑事。被害者の服についていました。」
袋の中には短い茶色の毛が入っていた。
「ふむ。噂になっていた動物のものだろうな。ありがとう。引き続き調査を続けてくれ。あとそうだ、広瀬さんの指紋を採取して財布についていたものと照合して置いてくれ。」
金田 浩二は清潔感のある見た目の好青年だった。パーマのかかった黒髪をセンターパートにしており、丸眼鏡をかけている。ファッションは若者向けのブランド品が目立つ。
金田の室内は整っており、本棚にはその性格を表すように作者ごとに小説が並べられていた。金田はミニチュアプードルを飼っており、三人が部屋の中へ入ると駆け寄ってきた。
「金田 浩二といいます。立橋前大学の三年生で、学部は教育学部です。高校の国語を専攻しています。」
棚橋刑事も自己紹介を済ませた後、
「金曜日の深夜は何をしておられましたか?」
「金曜日ですか?夜の八時まで内にいて、そこからここでテレビを見てましたよ。」
進藤を殺す動機を持つ人間に心当たりはなく、ロープの類も持っていなかった。棚橋刑事の質問が終わると、本堂は金田に対して広瀬の時と同じ質問を繰り返した。
「付き合ってる女性ですか?居ますよ。半同棲なんです。」
「その人なら多分僕ら、今朝お会いしましたよ。随分きれいな方でしたね。」
清見は素直に感想を言った。
「え、そうなんですか。自慢の彼女です。何だか恥ずかしいな。」
金田は少しうつむいた。
「金曜日も彼女はここに?」
本堂はつまらなそうに聞いた。
「いえ、金曜日は別々に過ごしましたよ。ペットですか?プードルのこの子だけですよ。名前はミルクって言うんです。貯金ですか?学生なもんで、全然ありませんよ。親からの仕送りのおかげで困ってはいませんが。冷蔵庫?ええ、ご自由にご覧になって下さい。」
本堂が冷蔵庫を物色していると、ミルクが清見の足の臭いを嗅いでいるのに気が付いた。
「可愛いなあ。でもどうして茶色なのにミルクって名前なんですか?」
「よく聞かれますよ。本当に適当なんですけどね、天の川が見えたときに飼い始めたんですよ。ほら、天の川って英語だとミルキーウェイって言うでしょ?」
清見が金田と雑談を楽しんでいると、物色を終えた本堂が足早に部屋を後にした。
清見は一礼だけ金田に送り、その場を後にした。
「次は二階の木下夫妻のところだな。お前たちに一度会っているから、変に警戒されないように正直に身分を伝えておくつもりだが構わんな?」
棚橋刑事が念を押すと清見と本堂は承諾した。
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