小鬼に殺された男
海野わたる
第1話 発見される死体
泥酔した中年のサラリーマン進藤 俊は、夜中にフラフラと千鳥足でアパートの手前に位置する公園へ向かった。
帰宅する際に近道であるからだ。公園の手前でいちゃついている若い男女とすれ違った。男の方は同じ階に住んでいる大学生だ。お盛んなことだ。
おぼろげな意識の中で、公園に植えてある広葉樹を通り過ぎるとき、何か獣のような、生き物の鳴く声を聴いた。
木の上を注視すると、男は暗さで上手く判別することができなかったが、小さな体躯に、大きな丸い目玉が彼の方を覗き込んでいることに気が付いた。
浮気調査、浮気調査。ひとつ飛ばして浮気の調査。あとはペットの捜索。探偵の仕事というものはもう少し名誉のあるものと思っていた。清見 伸介はため息をついた。
だが強盗や殺人、政治犯などと言った犯罪は漏れなく警察が担当することになる。俳優を目指すという夢の傍ら、本堂 新太のもとでアルバイトをしているのだが、それがそもそもの間違いだったのかもしれない。
「もう無理だ!うん、やめよう!」
急に立ち上がってどこかへ行こうとする本堂を押さえつけて、椅子にもう一度座らせた。
「仕事をしてください、本堂さん。俺は自分の分はもう済ませました。」
清見は現像した浮気の証拠写真の束を本堂の机の前に放り投げた。
「君だって飽き飽きしてるだろう?毎日写真を撮って、それを夫や妻に見せて、金をもらっての繰り返し、こんなの僕らの仕事じゃない!」
「もう現実逃避はやめてくださいよ。こんなことしか依頼は来ません。それにこんな依頼だって、俺が色んな人の集まる飲み会に参加して、何とかかき集めた仕事なんですよ。そもそも今時探偵は流行りませんって。金も実績もない俺たちが仕事を選べるわけないでしょう。」
本堂は300ccのエナジードリンクを瓶ごと食べてしまいそうな勢いで飲み干し、机の上に叩きつけて言った。
「この本堂 新太にふさわしい事件を持って来い!俳優さんの人脈とやらで。」
清見は憤慨して掴みかかりそうになったが、この前取っ組み合いの喧嘩をした時に反省したのだ。深呼吸して感情を抑える。清見はすぐ手が出るタイプの人間で、酒の席で喧嘩したことは数え切れないほどだ。
「じゃあこんなものはどうです?」
「なんだ。」
「近庄戸駅から徒歩十五分ほどのアパートのそばの公園で、小鬼が出たらしいですよ。」
ふっと鼻で笑った後、本堂はドカッと座り込んで煙草を吸った。わかりやすく興味がなさそうだ。
「くだらん。だが気晴らしにはいいだろ。ちょっとしたことから大事件へと繋がる
可能性もあるからな。数々の名探偵も言ってた。些細なことが重要なのだ。」
恐らく浮気調査から少しでも逃避したいだけなのだろう。まあ少しでも気を紛らわせればいい。
「それで、詳細を教えろよ。」
「詳細って言っても、ほんとにそれだけですよ。変な話だから頭に残ってたってだけで。
つい二日前の金曜日に、映像関係の職についてる人達が集まる飲み会があって、俺もその中にお世話になっている人が一人いたんで、呼んでもらってたんですよ。
あんまり有名じゃないですけど、たまにバラエティとかでプロデューサーやってる人がいて、その人が仕事上の友人から丁度電話がかかってきて聴いたらしいんですよ、自分のアパートの近くで小鬼が出たから、今度捕まえてやるって。それで特番取ってやるって意気込んでるとか。
何が変だったかって動きが凄くゆっくりだったそうなんですよ。野生の動物とは思えないような。」
「あったこともないおっさんの酒の席での話か!鬼とか言ってるがどうせ猫かなんかだろ、ダニの糞ほど興味が無いがいいだろ!もう何でもいいわ!さっさと行くぞ。」
掛けてあった茶色のロングコートをはおり、足早に事務所を後にした。
二人はその日の午後二時、小鬼を見たという進藤 俊の家へ向かった。
「なんか電話がつながらないらしいんで、家にいらっしゃらないかもしれないそうです。」
「そのくらい確認しとけよ。小鬼が出るってのはここの公園か?ブランコが錆びあがってるじゃねえか。」
本堂がブランコの片方を手で押すと、きしむ音が響いた。子供が乗っても大丈夫なのか?と不安になる音だ。一通り見渡すと真っ直ぐ植木を歩いて回った。
「おい、これ。」
立ち止まって指をさしている。清見はその先を見ると、目を凝らせば小さな小動物の糞のようなものが見えた。
「これが小鬼の正体だな。詳しくはわからんが、やっぱりくだらねえな。その進藤って奴のところに行くか。そいつが姿を一目でも見たんなら大体の予測はつくだろ。」
進藤が居住しているアパートは三階建てで、全体で九つの部屋がある。その中で進藤の部屋は三階で角部屋の301号室だった。
二人が三階へ上がる途中、一人の端正な顔立ちの女性が階段から降りてきて、すれ違った。清流のような長い黒い髪に清見が見とれていると、女性はぺこり、と丁寧にお辞儀をして階段を下りて行った。
301号室の前に立ち、インターホンを押すが返事はない。日曜日だから仕事ではないだろうが、他に何か用事があり外出しているのだろうか。
「どうするよ。待ちぼうけか?」
手持ち無沙汰になっていたところに、老夫婦と管理人と思わしき服装の男が階段を上がってきた。
「なんだね、君たちは。」
老夫婦の夫の方が、驚きと不信感を前面に出して二人に問いかけた。
「僕たちは進藤さんの知り合いなんですよ。今日ちょっと用事があったもんで。失礼ですがどうかなさったのですか?良ければお聞かせ願えませんか?」
清見が尋ねると、管理人と思われる男がほっとしたような様子を見せた。
「進藤さんのお知り合いの方で、、、。なんだ、心配ないじゃないですか。このご夫婦が、進藤さんが心配だとおっしゃるので、進藤さんのご無事を確かめようと思ったんですけれど。」
男はそう言ってマスターキーを出した。管理人で間違いないようだ。
「なぜ?何か不審な点でも?」
本堂が興味を持ったようだ。
「それがねえ、毎週日曜日はうちの主人と進藤くんで、釣りによく行っていたんだけれど、今日は顔を出さないもんだから。約束もしてたんだよね。」
老婆が落ち着きのある声で、少し悲しむように言った。
「ああ、実は昨日も、石川で農家をやってるいとこから米が届いたからおすそ分けしようと思ったんだが、その時もいなくてね。」
老人の夫の話を聞くとたちまち、本堂は眉をひそめた。
「二日顔を見なかっただけで隣人の家に押し入りますか?随分過干渉なことですね。」
本堂は老夫婦に毒を吐く。
「私達は押し入るってわけじゃ、、、。だからこうやって管理人さんに相談してね、ただ心配で、、、。」
老婆は困った顔をして、夫の方を見つめた。
「まあまあ、無事そうならいいじゃないですか。こうしてお客さんもいらっしゃってることですし、ご健在でしょう。」
管理人が話をまとめて、その場を去ろうとすると、
「いや、開けよう。実は僕らも連絡がつかないんですよ。用事があったんですが電話もつながらないので直接お会いしに来たんですよ。」
本堂が妙な提案をだした。
「ですが、そう簡単に開けるわけにも、、、。」
「管理人さんも足を運んだってことは少し心配なんじゃありませんか?構わないじゃないですか、気にかけているだけなんですから。やましいことも何一つないでしょう。」
「本堂さん、何言ってるんですか?」
できるだけ三人に聞こえないように本堂をたしなめるが、全くもって意に介さない。
「興味があるだろ。何もなければよし、何かあれば俺たちにとってはなお良しだ。」
清見が反論しようとすると、手で制された。
「さあ、ちらっと確認するだけじゃあないですか。」
本堂は管理人に催促した。
「わかりました、でも今回だけですよ?」
観念した管理人は、全員の顔を見渡す。連帯責任であることを訴えているようだ。渋々と言った動作でカギを取り出し、ゆっくりと錠を回した。
音が鳴り、ドアノブを捻り戸が開く。暗い室内が、自然光で照らされていく。薄っすらと伸びてゆく光の奥で、廊下の上の、横たわる中年の男の死体が浮き彫りとなった。
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