紅天魔軍編
紅天魔軍編.1「神思う、ゆえに」
退屈というものを覆すにはどうしたらいいのか、誰もがちゃんと知ってるわけじゃない。退屈を敵だと思うなら、あれこれ何かを変えながらもがき、輝きを求める。そんな行動をすればいい。
でも必ずしも退屈は悪ではないとしたら。
そういうものとあなたがうまく付き合い切れるのだとしたら、ただそれがいなくなるのを待てばいい。そいつがいなくなればいつか光がそちらから来ることだってある。それぐらいなんてことないだろう、軽いトンネルみたいなものだ。
たぶん私のそれもそうだった。3年間の幽閉、ここでの日々を私はずっとそう捉え続けていた。
何事も起きず退屈と付き合い続けるという年月、終わりを待つのみの日々に私はただ灰色を見出していた。
そしてそんな日々が一年過ぎた。
あいもかわらずこの離洲小野村には何もない。
見上げるくらいの高い山。
コンクリートとは縁遠い家々。
春先に感じる土の匂い。
のどかだとかなんだとか言えば聞こえはいいが、はっきり言ってみればこんなとこ退屈だ。
それもこれもまあ、私という人間が悪いのだが。
とある一件で私がいたとあるグループが警察沙汰に陥った。私はそこまででもなかったから経過観察という形になったが、その分両親に言い渡されのがこの場所への幽閉、もとい祖父母の家への引っ越しと高校への入学だった。
都会の刺激とやらに慣れすぎたのかもしれない。あまりにも私には優しすぎた。
だが、それでも私は学業という与えられた責務をこなすべく、気怠い坂道を行く。
終業の鐘が鳴った。
いつものように鞄に教科書とかをまとめて誰かと話すわけでもなく、そのまま教室を出た。西日に照らされつつ、ややゆっくりとした歩みで校舎の中を歩く。
階段を降りて2階に差し掛かったところで私はちらりと目に映る光景に立ち止まった。
明らかに幾つもの荷物を運んでよろよろと歩いている何者かにその向かいから歩いている複数人のグループの肩がぶつかった。バランスを崩した彼女はそのまま倒れ込み、持っていた荷物を床に落とす。
ぶつかった方の人たちはちらりとその人を一瞥するとそのまま談笑しながら去っていった。
はぁとため息をつく。
私はガサガサと動くその人の脇にあったひとつの本を手に取ると、そのまま彼女の肩をつついた。
「はい。」
「おー、助かったんね!」
手元にあった本を渡すとそのままニカっと笑ってお礼を言われる。それに対してはうんだとかああとかしか言えない。
「ごめんの一つくらい言えばいいのに。」
「気にすることなかよ。私も少しは工夫すればよかったんばい。」
「そう。」
いやあれは絶対にあっちが悪いだろう、ということを彼女にいうのも野暮だ。
「これで全部っと、ありがとうね。」
「ああ、待って。私少し持つから、そうしたらよろめくこともないでしょ。」
「おー、あんたはやさしかね。」
世話を焼く必要もないのだが、正直あの集団にはなりたくないという思いとそのまま、ああいうやつらに余計な怒りを振り撒きそうになって、私は書物の山を少し崩して、積み直して腕に抱えた。
「どこまで?」
「部室ね。外になっちゃるけど、それでもよか?」
「大丈夫。」
やや重いと感じるずっしりとした紙の束の表にはみみずの這うような字が見てとれた。
「これ、本?」
「昔の本ね、最も古いのはざっと400年くらい前ばい。」
それはもう古文書の類なのでは?と訝しんだ。
「何の本?」
「知りたいね?」
間髪を入れずにずいっと、私の顔を見てくるその彼女の目には輝かしいほどの光が溢れており、聞くと長くなるパターンかなこれとやや後悔の念。
「なーんて、別に聞かんでもよかよ。長いし、古臭いだけばい。」
なんか、そんな風に言う彼女を見てると、逆に何も知らないのに先入観のまま面倒を感じる自分もカッコ悪い。
「部室って言ってたけど、何の?」
「んー?まぁ、たぶん入ればわかんね。」
なんだろう、社交的なようでいて、あんまり多くを語らない。なんか気になるなと頭の隅にメモっておく。
「さて、着いたばい。今鍵開けんね。」
「いや部室って言うからてっきり部室棟のことかと思ってたんだけど……」
眼前にあるのは、前々から何あれと考えていた校舎裏の大きなスペースを占める謎の木造の家屋だった。ガッチャンと大きな音を立てて、入口の鍵が解かれた。
「やっぱちょっと掃除せんといけんねー。」
埃が多いと言うわけではないが、入口の付近にはいかんせん雑多に物が置かれていて大きさよりも狭さを感じる作りになっていたものの、少し奥には木の舞台のような場所が一段高く作られ、そこだけ広々とした空白を作り出していた。その奥には中央の朱い鳥居と青々とした勇猛とも言えそうな枝をした木々のコントラストが美しい壁画が聳えている。
「舞台……?」
「そう、当たっとるね。『テーゲー』の舞台ね。」
「て、テーゲー?」
「あれ、伝統学習やっとらんと?」
そこで私はああ、と納得する。
「でもあれって授業で聞いた以上にもう何にも残ってないんじゃ…そう聞いてるけど」
昨年の12月あたりだったか、1年を対象に地域の伝統文化を学ぶための授業があった。そこで出たのが「テーゲー」というこの村近辺の地方でのみ継承されていたらしい舞踊だった。
らしいと言う通り、今やその実態についてはどうも神事に関する舞踊であること以外はほぼ伝わっていない。と言うのが私の持つ最大限の知識だった。
「でもこうしていろんなとこに跡は残ってんね。だからこうしてちょびっとでも可能性のあるもんを集めとるばい。」
「なんのために?」
「そりゃもちろん、テーゲーの復活ばい。」
「復活……?」
「も、もちろん今すぐってわけじゃなかよ。」
靴を脱いだ彼女は優しく舞台に上がると木目の入った床に触れた。
「でも、こうして残しておかば、きっといつか何か起こるかもしれんね。」
「いつかっていつになりますの?」
彼女の真意に迫るべきなのか決めあぐねているとどこから無粋な声が響いた。
振り返ると入口付近にいかにもさっきの彼女らと似た風貌の何者かがいるのが見てとれた。妙に隣にいる彼女がびくつくように反応する。少しずつ暗がりから出て、その顔が見えてくると私はどこか既視感を覚えた。
「久々屋さん、決心はつきましたの?」
久々屋と呼ばれた彼女は口籠った。
「決心って何?」
「あら、あなたは雁ヶ谷さん。」
ちぢこまる久々屋さんの代わりに私が聞くと、相対する彼女は私のことを知っているようなそぶりでそう言った。
「………ごめん、誰だっけ?」
「うっ、少なくとも同じクラスの私の顔を覚えてすらいないとは、あなたもなかなか見どころがありますわね?」
おそらく話すことは初めての人間にこうも言われるとは。
「まあ、いいですわ、私は道安真耶と言います。」
「で、その道安さんは何の用?」
「部外者には関係ない……と言っても埒が開きませんわね。」
いいでしょう、と言って彼女は続けた。
「有り体に言えば、立ち退きですわよ。」
「立ち退き?」
「そう、この小屋のことですわ。部活に入っていなさそうなあなたには関係ないことでしょうけれど、この学校には新しく部活動を始めるにあたって、部室が足りないんですのよ。」
「それでこの小屋に目をつけたってわけ?」
「ええ、そこの久々屋さんが何かしてるみたいですけれど、それもこれも彼女が勝手にやっていることみたいですし、早急に片付けを要求しているのです。お分かりいただきましたか?」
「うん、大体わかった。」
それで、と私はつづける。
「いかにもあなたが正しいみたいに振る舞っているけど、部活創設って条件とかあるんじゃないの?」
え、と一瞬道安さんはたじろいだ。恐らく私が彼女に突っかかってきたことにやや面食らっただけだろう。一つ咳払いをすると彼女は続けた。
「ご心配なく。既に要件、部員、顧問に関してはあたりをつけておりますので。ここさえ取れればすぐにでも申請書を提出できる状況になりますわ。」
「ふーん、あとこの舞台とかそのままだけど、何に使うわけ?」
先ほどの舞台を指差す。
「ダンス部を創設するつもりなので、その練習場所として使うつもりですわ。」
「それってここの伝統を踏み躙っても成立するもんなんだ?」
どうだと言わんばかりの言葉に私は返し、なんでこいつはこんなに突っかかってくるんだと言いたげな彼女の顔を見た。
「では、お言葉ですが、その伝統とやらは本当に守るべきものであるのでしょうか?」
「………!?」
後ろの彼女が酷くびくつきながらも道安さんを見ていた、というかあの目つきだと睨むような、反抗的な感じだ。恐れていながら、怒ってもいる。
「伝統学習、なんてありましたけれどそんなものに意味なんてあったと思われますか?すでにこの場所だって、敬意がこれっぽっちも払われていない証拠なのでは?」
そのまま私と久々屋さんを見つつ、彼女は続ける。
「誰も守ることのない、忘れ去られる因習とやらに敬意を表する必要も従う必要もありませんよね?」
「そんなことない!!」
私の後ろにいた彼女は大声で遮った。
「この村がある限り、この場所が残る限り、紅天様の信仰の証は残り続ける、だからここにあるもの全部、なかったことになんてさせない!」
真っ直ぐに彼女は堂安さんを見ていた。少し私は逡巡したのち、口を開く。
「残念だけど、今この状況であなたに味方しようなんて気にはなれないよ、道安さん。」
「え…?」
正しいとか正しくないとかは今は分からない。でもこの短い間であっても彼女を見てきた身としては、彼女を責めるのは絶対に違う気がした。
「な、なんですのそれ……では、どうするつもり?」
「ダンス、やってるんだよね?」
一歩私は前に出た。
「私が勝ったら今日はひとまず帰ってくれる?」
「え?……ダンスバトルってことですの?」
キョトンとしたのち、やや「あなたが?」と鼻で笑うかのような憐れみを含んだ目で私を見ていた。
「いいですわよ、じゃあ私が勝てばあなたがこのことに口を出すことも今後一切ないってことでいいですわよね?」
「それでいいよ、あとは好きにすればいい。」
「ちょ、ちょっと待つばい…!?」
彼女が驚きの目で私たちを見ていたが、そのまま私は舞台の方を見た。
「ルールや作法くらいは知ってる?」
「もちろんですわ。」
いそいそと彼女が舞台へと向かうの見てから私は久々屋さんに話しかける。
「ごめん、なんか……頭に血が昇っちゃって。」
実は嘘である。全くと言っていいほど本能的な行動は一切とっていなかった。
「え、あ、いや…え、えっと…大丈夫なんね?」
「それは信じてもらって大丈夫。あ、でも一つ頼みたいことがあってさ…」
ゴニョゴニョととあることを伝える。やや面食らったように見えたが、彼女はそのまま頷くと、スマホを操作する。
*
「ありがと、少しだけ舞台借りるね。」
「うん。」
少ししてから私も舞台に上がった。
「用意はいいんですの?」
「うん。あーでも、ジャッジとかDJいないから、それぞれの判断ってことでいい?負けたと思うんなら止めてもらうってことで。」
「ええ。合理的ですわね。」
あまりにも突発的なものだからルールは粗いが仕方ないとしつつ、相手の出方を伺う。
「先攻いきますか?」
「そっちからでいいよ。音源はそっちもあるの?」
「ええ。では、参ります。」
音源とともにぐるりと彼女の足が回り出した。
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