前日譚

GARVITY編

GRAVITY編.1「引力のはじまり」

 <3月:愛知県・J市>


 終業のチャイムと同時に彼女は一目散に駆け出した。もはやそれは衝動そのものだと言ってもいいのかもしれない。

「こら、初島、廊下を走るな!」との小言も聞き流して、階段を2段飛ばしで降りて踊り場のコーナーを最速で攻めるスピードスターに誰もが驚きながらやや道を譲った。

 そのまま校門を抜けて少し先の大通りへ。やや速度を緩めながらも心は全速力を保ち続けていた彼女は誰の目も気にしてはいなさそうだった。

 最寄りの駅の改札を抜け高架線のホームへ。階段を駆け上がったその先の黄色い線の内側で立ち止まる。3年物の音楽プレイヤーを操作して再生するのはお気に入りのナンバー。

 いつまでも彼女の支えで「約束」の始まりを示す曲。


 *
 
 


 今から2年半前のことだった。

「やっぱすごいね、瀬南の曲。」

「そんな、まだまだだよ。」

 高台に聳える展望台に私たちは並んで座っていた。片耳にそれぞれイヤホンをはめている。

「きっと、これからこの曲たちがどんどん世界を変えていくけど、私はその曲の第一号のファンなんだから。」

「大袈裟だってば。それにいろんな人が作ってるんだからこれくらいうまい人だっていっぱいいるのに。」

「じゃあこうしよう。」

 展望台の手すりの方へと向かう。私はそのまま既に夕空から夜空へとなっていた世界を眺めたのち、暗がりにいる彼女に向けて振り返った。

「私たち2人でこの音楽たちを連れ出そう。もっと遠くまで、多くの人に聞こえるように。」

 薄暗かったから彼女の顔はよく見えていなかったけれど、彼女の声はちゃんと聞こえた。

「わかった、約束しよう。いつか……私たちで行こうよ、遠くの世界へ。」

「世界…いいね!きっと私たちならできるよ!セナの音楽を多くの人に届けよう!」


 それが約2年半前。

「いつか、あなたの音楽を2人でもっと遠くまで響かせる」

 その約束がいよいよ果たされるかもしれないチャンスが来たかもしれない。


 *


 少し独特の匂いの広がる廊下は見る物全てを薄めてしまいそうなくらいに白かった。カラフルな病院とか彩りのある廊下くらいあってもいいんじゃないかとも感じてしまうけれど、多分私の軽薄な直感ではひっくり返せないくらいの何かがあるんだろうなと思い、嘆息するしかない。なんとなく、持っていた花束を少しだけ強く握った。

「324…そうだ、ここだ。」

 部屋番号を少し呟きつつ、目的地を探した。

 少し前に今の大きな病院に移ることになって以降、少し面会に行く間隔が延びてしまっていて、朧げだった記憶を呼び起こした私はそのままの勢いでドアを開けた。

「来たよ、瀬南。」

「あ…璃雨。」

 読んでいたらしき本をパタリと閉じた彼女は病室のベッドの上で少しだけ微笑んだ。

 彼女、春宮瀬南は今難病を患っている。もともと私と出会った頃からその兆候はあったようで中学では1年こそ出席できていたものの、時が経つにつれ少しずつ彼女の姿が学校から消えていき、反対に病院で見ることの方が増えた。今では治療のために入院しており、ほぼ学校には来ていない。

「体調はどう?」

「……まあまあかなぁ。」

「そっか。花、こっちに生けとくね。」

「うん。」

 花瓶の水を変えて新たに持ってきた花を挿す。

「……久々だよね、ごめんね来られなくて。」

「いいよいいよ、受験もあったもんね。」

「瀬南は高校とかどうするの?」

「……通信制にした。色々融通も利くし。」

「なるほどね。」

 快方に向かっている、というわけでもなさそうだ。彼女の病状については私が詳しく知っているわけではない。ぶっちゃけ血縁でもない私が聞く必要もないと思うから。

「それでさ!今日来たのは久々に顔見たかったってのもあるけど、これ!」

 なんとなく重い話題を避けるように私は今日の本題を切り出した。スマホの画面を見せる。そこにはとあるSNSのアカウントの投稿が映されていた。

「『ガールズ・ネクスト・モンスター』開催決定のお知らせ…?」

「そう、高校生の女子限定の音楽コンテスト。音楽を主とする表現ならなんでも良くて人数とかは上限も下限もなし、そしてなんとね…上位に食い込めばステージでの発表もできる。」

 日本全国をイースト・センター・ウエストと大まかに分けた3つのブロックの上位6組に入れれば、それぞれのブロックでのセミファイナルでのステージ発表、さらにそこでも上位に入れば東京での決勝ステージも見えてくる。 

「もしかしてだけど、璃雨……」

「うん。私は瀬南が作った曲で参加したい。」

 ずっとずっとそれは私たちの約束だった。「瀬南が作る音楽を私たち2人で連れ出す。」という約束。

 でも、本格的な入院以降瀬南と一緒に参加する状況は作れなくなってしまった。

「せめて、私だけでも約束を果たしたい。」

 瀬南は少しだけ俯きながら何かを考えているような目をしていたが、やがて口を開いた。

「……随分と昔のことを覚えてるんだね。」

「2年前のことを昔なんて言わないでよ、老け込んだわけじゃないのに。」

「あ、ごめん。ん……」

 また何か考え込むような様子を見せる。正直なんというか乗り気だと思っていたから意外というか。

「メンバーはどうするの?私ってバンドサウンドしか作ってないよ?」

「それはなんとかする。高校でメンバー集めはするに決まってるし。」

 私自身はボーカルとギターはできるからあと4人くらい。ベース、キーボード、ドラム。あともう一人のギター。

「そんなにうまく行くかなぁ。」

「行かせてみせるよ。」

「なんでそんな強気なの…」

「それだけあなたの歌に力があると思ってるから。」

 本人にはキョトンとされてしまっているが至極本気だ。

 私は春宮瀬南の音楽に惚れている。どれくらいかというと演奏のために本気でお年玉をエレキギターと関連機材に注ぎ込むくらいにはだ。

「もう…ほんと恥ずかしげなく言うよね。」

 はぁとため息をついた彼女はそのまま続ける。

「いいよ。期待してる。私の曲の音源は今までの分持ってるでしょ?」

「やった!よかったらまた作っていいんだよ?」

「決勝まで行けたら体調面含めて考えておくよ。」

 今は調子次第だが、彼女の今までの作成曲は普通の両手の数え方では収まらないほどたくさんある。使う曲には困らない。

 いつになくやれそうな気がしてきたと、私は来たる明日を待ち望んでいた。


 *


「課題はまだあるけど、とにかく楽曲の許可ももらえたしってことで!ありがとう、じゃあね!」

 本当に嵐のようにめちゃくちゃですぐさま消えていってしまう時間だった。いつの間にか夕空すら消えていき、代わりに白色の電灯が病室を照らしていた。

「退屈は…しなさそうだな。」

 中学のまともな友達といえばほぼ彼女、初島璃雨だけだった。それ以外は2年以降ほぼ疎遠だったが、彼女だけはずっと面会にも来てくれていた。

「約束」を果たす。

 その彼女はそれを律儀にやり遂げようとしている。

 嬉しくはあるがなんと言うかあそこまで持ち上げられるほどなのだろうか、できすぎていると疑いたくもなる。

 手元のノートに書かれた、気の早い彼女のバンド名に指でそっと触れた。こう言うのは未来の仲間と一緒に決めてよとは思うのだが。その言葉を反芻する。

「……GRAVITY。」

 対訳は「引力」。私の音楽が持っている、人を惹きつける容赦なくとめどない力を表したいと言った彼女の言葉。


 その始まりの日では、私たちはまだ引力に気づきもしなかった。

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