投資の危険性とは

逸真芙蘭

投資をデータから考える ~庶民が一から資産を築くことは可能なのか~

 ある日、経済学部に通う知り合いが投資の話をしてきた。

 経済について学んでいる人間なだけに、投資がいかに素晴らしいものか説くに違いないな、と思っていたら、意外にも投資のネガキャンを始めた。

  

 最近ネットを中心に、FIREという言葉が流行っているらしい。経済学部に通う彼女(以下姫)はそれが気に食わないのだ。


 FIRE

 Financial Independence, Retire Early の頭文字を取った言葉だという。直訳してみると、経済的自立と早期退職、というあたりになりそうか。理系学生である僕にはいまいちピンとこない。

 経済的自立と言うと、一般的には親の庇護から離れ、自らの労働によって得た対価で生活していく、というような意味であろうが、流行りの使われ方ではどうもそういう文脈で使われているようではないらしい。そもそもそうであったら、早期退職という言葉とセットで使われているのが妙である。

 今の若い人たちがFIREという言葉の中で示す経済的自立とは、簡単に言ってしまえば早期退職を可能にするための不労所得を得ることのようだ。彼らにしてみれば、勤労所得で生活している限り、経済的には自立したことにならないらしい。雇用主に雇われている状況は自立しているとは言えないということだろうか。

 そう主張されると僕みたいな(面倒な)理系人間は、「不労所得を得るにしても、それを生み出すものはこの社会の産業活動なのだから、それは経済に従属しているということにはならないのか。ならばこの資本社会で生きる以上は、誰一人として経済的自立なんてできないだろう」みたいな屁理屈を言いたくなるわけだが、今日のところは矛を収めておく。


 では具体的なFIREの方法について調べてみると、多くのFIRE達成者は投資によってそれを可能にしたようだ。


 僕は一般的な日本人に近い感覚を持っているので、その例に漏れず投資と聞くだけでアレルギー発作が出そうになる。経済学部の姫もそうなのだろう。どうにも日本国の教育を受けると、お金を儲けることは悪いことで、金持ちは国民の敵、そして投資なんて危険なんだからやめなさい、みたいな思想を植え付けられてしまうらしい。実際、義務教育でなされる道徳の授業や、国語の授業では、清貧を最高の美徳とし金持ちはいつだって汚いことをする悪者として登場した。教育現場においては「悪い人だけ」がたくさん持てる「お金」の話は極力避けているように思えた。

 今更ながらどうしてだろうと思った。文明人なら誰であろうとお金とは切っては切れない関係にある。毎日の食事から、衣服、住居、そして娯楽はもちろんのこと学校で使う鉛筆や教科書でさえタダでは作れないのだ。それどころかこの国で生活するだけ、言い換えれば息をするだけでも、税金という形でお金を払う必要がある。

 それなのになぜ僕たちはお金をたくさん稼ぐことは悪いことだと思ってしまうのか。

 それはおそらく僕たち庶民がお金のことをよく理解していないせいだろう。一般的な日本人はお金とは労働の対価であり、それ以外の入手経路は殆どないと思っている。そのお金に対する未理解がお金を持つ人達に対する偏見を生み、まっとうな生き方をしている自分たちには資産の構築なんて、縁のない話だと思ってしまう。

 

 だけどそうじゃないんだ。たとえ庶民でも資産を築くことができる。

 

 数世代に渡りプロレタリアに甘んじていた人々による、その気付きが今流行のFIREムーブメントの正体だろう。


 では投資の話に戻る。

 インフルエンサーたちは資産を築きたければ、投資しなさいと言う。だけど金融リテラシーがせいぜい「デート商法やねずみ講に引っかからないようにしましょう」ぐらいにしか発達していない、僕や姫みたいな人間に投資しろと言っても、何をすればいいか分からないのは当然である。そして僕たち庶民はそもそも投資をただのギャンブルとしか思っていない。だから毎年三千円を宝くじ売り場に募金してきて、ソーシャルゲームに課金するのが関の山である。けれど悲しいことに宝くじも女体化したサラブレッドたちも僕たちの懐を暖めてくれることは決してないのだ。どれだけ可愛かろうと、彼女らは僕たちから上手にお金を巻き上げることしかできないのだ。

 インフルエンサーたちはそんな哀れな僕らに、分散投資というものを進めてくる。

 

 分散投資とは文字通り、投資先をバラけさせて失敗するリスクを避けようというものだ。

 けれど僕たちはそんなことを言われても困る。どの企業にどう投資したら分散させたことになるか分からないからだ。

 僕にお金を持たせて「分散」投資させたら多分、「ホンダ」「カワサキ」「ヤマハ」「スズキ」あたりに「分散」させてホクホク満足することになるだろう。彼ら日本を代表する自動二輪の四大企業が、迫りくるモーターサイクル電動化の波を乗り越えられなければ、僕が買った株は二束三文になると思う。

 スポーツ好きな姫であれば「ミズノ」「アディダス」「モンベル」「ヨネックス」あたりに「分散」させるだろう。そしてますます家に引きこもるだろう未来の少年少女でさえ夢中になれるようなスポーツの圧倒的スターが登場しなければ、姫が買う株も大して上がらないと思う。

 そもそも僕たち庶民は経済の専門家ではない。どの業界がトレンドになるのか予想するのも難しい。世界どころか日本の会社の動向でさえ、一日パソコンの画面に張り付いて追うなんてことはできないし、そもそも本業で忙しくて、株の動きをリアルタイムで観察するなんてことは、ほぼ不可能だ。

 じゃあどうすればいいか。

 僕たちプロレタリアにも、手軽に分散投資ができる方法があるとインフルエンサーたちはいう。

 それが投資信託というやつである。


 投資信託というものは、多くの人から集めたお金を、プロの投資家が運用することで得られた利益を還元する、というコンセプトで行われている、いわば投資の初心者パックみたいなものだ。

 僕みたいにポケモンカードや遊戯王カードと共にあった少年時代を過ごした人間にとっては、初心者パックやらスターターデッキやらといったものはありがたい存在で、プロがおすすめするなら間違いないみたいな前向きな気持にさせてくれる。

 けれど、祖母に言わせてみれば投資信託なんてものは、小さな銀行の営業マンや、証券マンの懇願によって、仕方なく買うもので、営業の坊やがイケメンでなければ買う必要なんてないものらしい。そして母は、投資信託は美人の生保レディに騙されて加入させられる不必要に高い生命保険と同質なのだから、買ってはいけないと言い唇を戦慄かせていた。昔何があったかは想像しないようにしよう。

 祖母や母の意見にはだいぶ偏見が混じっているように思えたが、確かに調べたところによると、有人販売によって捌かれていた昔の投資信託は、悪質なものも多かったらしい。高い手数料を必要とし、僕たちが投資と聞いてイメージするようなギャンブル的な要素を含んだ商品を押し付けてくることがあったという。


 けれど今は事情もだいぶ変わってきているらしい。

 

 確かに昔は、信託報酬という投資信託にお金を預けることで発生する手数料は、外国と比べると随分と高かったという。けれど今ではなるべくコストのかからない形で運用できる投資信託が随分と増えているというのだ。

 金融庁が、高い信託報酬は日本人の投資意欲を著しく削ぐ一つの要因である、と各機関に怒りのお触れを出したことも、信託報酬引き下げに一役買ったという。


 近年になって信託報酬が下げられた投資信託とは、いわゆるインデックスファンドというものである。


 インデックスファンドとは、例えば株価の、とある地域における変動の平均を表した指数、言ってみればその地域にある企業の株の平均の値段に連動して動くように、プロの投資家がみんなから集めたお金で株を買って、運用するというものだ。その指数の大元は、株であったり、債券であったり、不動産であったりして、また地域も、日本のもの(日経平均株価など)だったり、アメリカのもの(ダウ平均など)だったり、世界中の株価に連動するもの(コクサイインデックスなど)がある。

 これらの指数に連動する投資信託は、たとえば日経平均株価に連動するものであれば、それを構成する日本の企業225社に分散させて株を買えばいいだけなので、お金を管理するプロの投資家の負担も高くないのである。故にコストカットが可能だった。


 そして今では高い人件費がかかってしまう銀行窓口などから投資信託を購入する必要はなく、インターネットの普及によって随分と庶民に優しい入手経路ができあがっている。それがネット証券というものだ。

 ネット証券の中には、少額購入なら購入時手数料をゼロにしている会社もある。


 ここで上述した優良なインデックスファンドを買えば、祖母や母が警戒した、イケメンや美女を喜ばせるだけの哀れな消費者になる危険性は皆無になる。


 けれどしかしだ。まだまだ疑り深い、我がプロレタリアの同胞たちは、そのインデックスにさえ警戒する。というか大体の人はそうなのである。そして僕もその一人だ。


 僕の世代は子供の頃にリーマンショックや、東日本大震災を経験し、世界や日本の株がそろいもそろって仲良く暴落して大人たちが大騒ぎしていたのを目の当たりにしている。最近では新型コロナウイルスの世界的な流行で、世界の投資界隈が阿鼻地獄となっていたのは記憶に新しい。僕らと違って日本が世界経済を牽引していた頃を知っている世代は、バブル崩壊で痛い目に遭った人を何人も知っていることだろう。

 株価が一本調子で上がり続けることなんてありえないのである。


 だけどここで、投資はギャンブルじゃないということを、僕たちはよく知っておく必要がある。

 確かに株というものは暴落するときはすごいスピードで落ちていく。去年のコロナショックでは一日に千円以上も日経平均が下落したこともあったし、リーマンショックのときは一日で十%落ちたときもあった。

 全業界に分散した株の指数であっても、落ちるときはスルスル落ちるのだ。

 けれど、投資というものは短期に行うものではない。


 ここで一つ簡単な質問をしよう。

 三十年前と今の世界では、どちらが豊かになっているだろうか。


 確かに日本を切り取ってみれば、経済王者の座から陥落し、一人あたりのGDPは世界ランキングでもみるみる順位を落としているが、三十年前みんながみんな手乗りのコンピューターを持てるなんてことあり得ただろうか?

 日本の株価だけを見ているとわかりにくいが、世界に目を向けてみれば、確実に豊かになっているはずだ。後進国と呼ばれた国が発展を遂げ、摩天楼はその身長を伸ばし数を増やし、より多くのお金が世界中で動くようになっている。


 世界全体の株価は、数々の経済危機を乗り越えながらも、成長を続けている。それは僕たち人類の豊かになりたいという気持ちが普遍的なものだからだ。今でも新型のiPhoneが出れば人々はこぞって買い、アップルウォッチやAirpodsなど新しいデバイスが発売されれば話題になる。新幹線は今も延長され続けているし、マックとスタバは店舗数を増やし、民間人が宇宙に行く時代だ。そうでなくとも、僕たちは生きるため食事を取らなければならないし、服が破れれば新しいのを買い、きれいなお家に住みたがる。そしてここが最も重要だが、人類は増え続けている。

 現代人はもはやお金を使わずには生きていけないし、今までしていた贅沢をやめろと言われてもできないのだ。その現代人の生態こそが世界経済を支え、その成長の原動力になっている。


 世界全体の株価の変動を平均すると、およそ一年でプラス6%ほどになる。もちろんリーマンショックなどの大事件を加味しての数値だ。


 案外少ないと思うかもしれない。

 でもそこに投資はギャンブルではないと断言できる理由もある。


 投資で目指すのは、その地味ながらも、着実に成長する世界経済の将来性にあやかることだ。一日でお金を倍にするような(それなら100%の変動!)ギャンブルとは違って、一年かけて100万円を106万円にする。僕らの親世代が生まれた昭和中期に50円だったそばが今では500円となったように、放っておけば上がっていく物価の成長に資金を晒すのが投資である。経済の潮流に乗ることこそ投資の本質だ。(やっぱりそう考えると、FIREの経済的自立という言葉はなんだか実情にそぐわないように思える)

 今僕が握りしめている五百円玉を大事に取っていても、五十年後の蕎麦は食べられないという可能性は大きい。つまりリスクを取らないのもまた、資産を相対的に目減りさせるリスクがあるということだ。給料は変わらなくても、物価が上昇すれば生活が苦しくなるのと同様だ。


 それでも確かに一年で6%しか増えないなら、投資なんてしなくてもいいとプロレタリアの同胞が思うのも無理はないのかもしれない。一年で6%減る可能性も大いにあるわけだから。

 けど年率6%の成長率という数値はそのリスクを大きく上回るほど大きいものだ。

 僕みたいな理系人間は、数字のデータを出されると自分で計算せずにはいられなくなる。

 試しに表計算ソフトを使って、実際に年間6%ずつ成長する投資信託にお金を預けたら最終的にどうなるのか計算してみた。

 ちゃんとプロレタリアの実情に沿うように日本の世代ごとの平均世帯年収を用いて計算をする。


年齢 平均世帯年収(万円)

20-29 362.6  →10%   36.26   

30-39 614.8        61.48   

40-49 694.8        69.48   

50-59 756          75.6   

60-69 394.6        39.46   


 一般的な家庭では額面年収の10-20%を貯金しているという。資産形成を目指す諸君は、無駄遣いを無くしてきっと年収の20%を残すことができよう。その半分を毎年、世界株式のインデックスに連動する投資信託に投資したと仮定して、運用期間を二十歳から定年退職するまでの45年に設定して計算する。


 結果としてはただの貯金なら、2625万円にしかならないものが、投信で運用したら65歳時点で1億1556万円になる。

 ただの6%がこんなに膨れ上がるものなのかと、驚いただろうか。

 これが複利計算の凄みであり、同時に恐ろしさでもある。

 よくコツコツ返済しても、減らない借金、みたいな話を耳にするだろう。アレの原因がこの複利というやつだ。投資家にとってはありがたいものだが、それを受ける側からすれば、やっかいな敵になる。

 どうしてこんな事が起きるのかと言うと、単純に数学的な処理で説明できる。


 高校に通った人ならΣという文字に見覚えがあるだろう。

 これは和を表すのに使う文字だ。


 年率6%でお金を運用する結果が知りたければ

 Σ[k=1..40](一年の積立額Yk×1.06^k)

 を実行すると40年間でどれくらいのお金になるかわかる。

 実際は毎年の積立額は年収の変化によって変わるので、煩雑な計算になってしまうが、毎年60万と固定したらΣ1.06^k=164.0476836なので60万×Σ1.06^kより、最終評価額は約9842万円というわけだ。2400万円の元手が四倍に化けるわけだ。

 別な例をあげる。カードローンを10%の金利で借りたとする。これを複利で契約すると毎年10%借金が増えるということだが、二年経てば20%ではなく1.1×1.1なので1.21倍つまり、21%増えることになる。三年目は1.21の更に1.1倍なので30%ではなく33%増える。これを繰り返し十年経てば1.1の十乗で159%増える。もとの二倍以上だ。

 100万円借りて十年放っておいたら借金が259万円に増えるというわけである。ちなみにカードローンの10%という金利でかつ複利は合法である(実際は複利の金貸しは闇金がほとんどだが)。これは借りた側からすれば、悪魔みたいな仕組みだが、逆に金を貸す側、つまり投資側に回ればいかにありがたい仕組みかわかるだろう。

 ちなみに価格変動のリスクが少ないとされる、先進国の国債、社債などの債券に投資する投資信託は、年率4%ほどの上昇率だ。上の平均世帯年収をもとに計算する運用シミュレーションでも、退職時には6766万円になる計算だ。

 たとえ年数%でも、40年積もり積もれば驚くほどに膨れ上がる。

 

 以上が複利というものの正体だ。


 ここまで長々と書いたが、以上を勘案すると、どうやらFIRE、FIREと騒いでいる人たちはそれほど胡散臭い連中でもなさそうだ、ということがわかってきた。

 その結論を、データをもとにした投信の資産運用の結果とともに姫に見せてみた。


 曰く

「ごめん、説明がオタクっぽくてよく分かんなかった」

 

 とりあえず、経済学部の学生が投資のことをよく理解しない限り、日本の現状は変わらないだろうなと僕は思った。


 あと僕はオタクじゃない。

 



 

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