第五話 背景

 大野みさきは絵を描くことがとても好きである。

 それは、幼き頃のお絵かきの経験から端を発し、今ではどれだけ素敵なセカイを映せるかというその挑戦に没頭するに至っている。

 美術部の部室の片隅、イーゼルに向かい油彩の絵の具を用いて、少女は好きを形にしていく。


「ふぅ……」


 まだ余地が沢山あるとはいえ線は熟れた。工夫は勉強中でも学習済みは十全に用いている。ならば、次はその中身、配色だ。

 とはいえ色を並べて綺麗を成すことは、殊の外難しい。幾ら好きを並べたところで、平らになりすぎることだってあった。


「よし」


 そういう場合、ときに当たり前の中に本来ならばあり得ない極端を差し込んでしまうと、解決するときもある。

 黒い線にオレンジ色を重ねてみても意外と面白いし、青と水色の間に紅を入れてむしろ上手に纏まったときなんて、たまらない。

 勿論、これまでは成功以上に台無しにしてしまうことのほうがよっぽど多かった。

 けれども、今回はマシであるようだ。


「……うん。だいたいこれで良いかな……」


 克明に至るには、決して色も形も足りはしない。しかし絶望を見れるナリにするならば、このくらいの雑の方が或いは良いのかもしれなかった。

 そう考え、紅いセカイのイラストをみさきは未完でもこれでいいと筆を置くことにする。

 ただ最後に彼女は花を一輪、そこに描き足して。少女は呟く。


「セカイの終わり……」


 最近知り合った女の子から見聞きしたばかりの彼方のセカイ、道理を歪めるほどの質量にひび割れた見知らぬ世界の終わりの光景。

 虚言から想起した妄想でしかないそれを、今回みさきは描き出すことにした。

 罅入って、赤で青い彼方すら見通せない空の下、終わりを待つばかりのバッファの群れ。そんな哀しいばかりの全てに、花を添えて。

 一歩下がり、そんな絵を全体眺めたみさきが感じたことは一つだった。


「……昏い……なぁ」


 そう、それは題材が終わりに関するものであるからこそ仕方ないのかもしれないが、描き出されたものは希望が薄く素敵ではなく見える。

 傷だらけのセカイに愛を、と置いた花もまるで供花の如し。集中し、近くで没頭していたからとはいえ、俯瞰できていなかったと反省するみさき。

 少女の線の眦が下がり、出来上がりにバツを付け加えたくなって仕方なくなってしまった、そんな時。


「うっわ、めっちゃ綺麗ね! ムカつくくらいにこの絵すんごいわっ!」


 そんなことを声高に叫ぶツンデレが隣に立ったのだった。




 多田野陽子は、部活動が大好きである。こればかりは、ぐぬぬと言いながらも、捻くれた彼女も云と言わざるを得ないのだった。

 並べて、運動だろうが勉強だろうが芸術だろうが奉仕だろうが、楽しめる。

 彼女が多感であり単純であるからこその、この刺激への多大な弾み具合なのかもしれないが、それに加えて一つ理由があった。


 実のところ、陽子という少女は、誰よりこのセカイを愛していて、そのセカイを愛そうと奮起している仲間たちに触れることがとても好きなのである。

 だから、平気で喧嘩し次に仲良くして、それを繰り返す。そのパワーチートじゃね、と言われても、何よ、と言いながら少女は平気で少年少女の間に交じるのだった。


 そんな観点からすると、たまの美術部活動にて今回の刺激的過ぎる絵を発見してから目を丸くして発した陽子の良性の反応は自然と言える。

 良いものは良い。ムカつくけど。そういう本音を持って、陽子は大いに目の前の滅びを褒めそやす。


「田代先輩! この大野さんの絵、ヤバいわ!」

「なあに~? ……って、わぁ~、さきちんの新境地かな? これはきゅっとなるね~」

「そうよね! ぐんぐんするわ!」

「ん~? あちし的にはひゃあっていう気がするけど~」

「見解の相違ね……私の尖った芸術観が憎らしいわ……」

「……二人とも……変……」


 だが、陽子と田代先輩――田代結衣。部長であり直感で生きているところは陽子に並ぶ――の本気の高評価は、作者におかしいとされてしまう。


「そう~?」

「そうかしら? ……痛!」

「痛~、ぶつかっちゃった~」

「はぁ……」


 自分をどこまでも信じている二人はその言に首を傾げて、そしてごっちんこ。ぶつかりあった頭をそれぞれ擦る尊敬している愉快な二人を見て、みさきはため息を禁じ得なかった。


 少女にとって、このセカイは綺麗である。しかし、それはこの大好きな女の子を容れてこそ。

 そう、多田野陽子という光がなければ、セカイなんてどう健全であろうが終わっている。

 そも描いてみたけれど、こんな陽子の居ない虚実のセカイに価値はないのだ。終わろうが勝手にすればいい。


 そして、そんな感情を抜きにしても、赤と黒が効きすぎたこの絵が言われるほど面白いとみさきには思えなかった。

 付け足した極端は良くあれども全体は素敵ではなかったのだ。少女はそう、納得したい。

 けれども、良いものを見れてにこにこと綻ぶ陽子は、そんな半端を許さなかった。頭をまだ擦りながら――ひょっとしたらたんこぶになっているかもしれない――彼女は断じる。


「にしても、良いわコレ。私の絵とかこの絵と比べたら締め付けが足りないわね! 生きている感が足りないわ。もっとこう、恐慌させた方がいいかしら?」

「よこちゃんも大概上手だけどね~。でもこの絵は確かにかなりイケてるな~」

「……辛い……それって……いいの?」


 みさきには、二人が自分がつまらなくて切り捨てようとしているところに価値を覚えていることが、よく分からない。

 辛い、悲しい。それはあまり良くないものだ。スパイス程度にあるのは許せても、それに浸ってばかりでは面白くないはず。

 けれども、それですら果たして思い込みだったのだろうか。太陽の少女はまた怒りを面に出しながら、叫ぶのだった。


「いいに決まってるじゃない! 辛い悲しい、結構じゃないの。どんなんだって、腐るほどかかってきなさいっての!」

「結構……」

「そうよ! この絵は正直ぶん殴られたくらいに衝撃的で悲しいけれど、そんなの悪いばかりじゃないわ。コレはこれで良し、よ!」


 これは尖っていて、刺さるのは痛い。けれども、それだって誰かの良しである。

 そんなありきたりな言葉を、しかし芯から発する陽子はやはり普通ではない。

 あっけに取られたみさきの横で、結衣もぼさぼさ長髪を弾ませながら笑む。


「よこちゃん流石~。それって偏りだって愛されていいってことだよね~? じゃあツンツンしたよこちゃんも愛していい? うふふ~」

「……それはダメ」

「あら~」


 そして、どう描いたのかしらと絵に寄る陽子。そこに手をわきわきさせながら忍び寄ろうとした結衣はしかしみさきに止められる。

 掴まれた左手の痛みから、この子もこの子でヤンデレで尖ったさんだな~とか思いながらも、引っ込む結衣。

 そうして、また離れたところから自分の絵をの後ろ姿を容れた上で観ることになったみさきは、違った所感を抱くのだった。


「……ああ」


 胸に滾るは、愛。

 なるほど、結論は付いた。良しと、少女は大きく丸をつける。これはつまり。


「……背景……だった」


 光を際立たせるための、昏い背景だったのだ。





 みさきにとって、山田静は邪魔者だった。太陽の近くの黒点低温。素敵な絵に合わないなにか。それが、へばりつくように、陽子の周りを離れてくれない。

 遠くから彼女らを覗いていたみさきは、アレを除きたいし、消し去りたくて仕方がなかった。


「……だから……刺そうとした……」

「はぁ。拗れた人ですね……私だから、何もなくてよかったのですけれど。本当だったら大変ですよ?」


 だから近寄って、カッターナイフを向けてみた。けれども、それが相手に触れる前に勝手に自壊したことで気付く。

 ああ、これも特別な何かなのだと。


 そんな述懐を受け、凶器を向けられたことすら大して気にもとめていない静の様子に、その理解は深まる。これは、光に合わない黒色だと。

 ぼう、とコールタールの瞳を細く隠すみさきに、静は問う。


「そんなに、あの人が大切なのですか?」

「当然……愛している」

「でも、そのために他の人を傷つけてはいけませんよ?」

「違う……黒を……切り取ろうとしただけ……」

「はぁ……壊れてますか、コレ。どうしましょう?」


 普通の少女は、不通に困る。

 そう。あの日からどうしようもなく一途になってしまったみさきは、ある種の偏りに壊れてしまっていた。

 切り取れなかった、ならば次はどうしようか。塗りつぶせばいいのだろうか、などとみさきが考えていた時。


 とても綺麗な顔を、笑みに歪めて少女は言う。


「あなた、黒と言いましたね。でも本当に私は黒なのでしょうか?」

「……違うの?」

「違わないかもしれませんが、ただそれだけではありません。混色が最終的に黒に至るとしても、内包する色の意味は消せない」

「……つまり?」

「――私のヒミツを少し、教えてあげましょう」


 そんなことを、ただただ純なみさきは真に受けたのだった。


 少女はとあるセカイの終わりを聞く。





「……黒もあり……」


 そして、少女は受けた衝撃を絵に描き、受け入れた。これは、それだけのこと。


 みさきはただ、遠く光り輝く見つめるのが大好きなまま。今回暗がりを瞳に容れるようになったばかり。


 相変わらずに陽子を見つめてばかりいて、もうちゃきん、とハサミは使わず仕舞われている。


「ふふ。バカとハサミは使いよう。バカなハサミも使い方次第です」


 だから、そんな背景の言葉は聞こえない不通

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