完成度たけーな
「ふぅ、急に降った」
突然の雨に降られ、急いでエコール・ホビー店内に入った矢子。既に衣替えも済ませており、制服は薄手のブラウスになった。
「おう、矢子……って透けっ!」
レジにいたエコールはその姿を見て驚愕する。こんな服装でずぶ濡れの為、下着が透けてしまっている。校則の規定があるわけではないが地味めなものを選んでおり、自身の美醜に無頓着な矢子は一切恥じらいがない。
「え? ああ、減るもんじゃないでしょ」
「そういうとこだぞ……拭くもの拭くもの……」
西間の様な勘違い男を増やす原因がこれなんじゃないかとエコールは思いつつタオルを探す。しかしこんな一面がある一方で拒絶はしっかりする方なのでそうでもないかもとか一人で考える。
「あら、ケースに見たことがないものが」
「ああ、レジンキットは初めてだったがきゃら〇みんは流石だぜ。カラーレジンだから塗らなくても色分けばっちり」
普段は空のサンプルケースに、新しいフィギュアが置かれていた。いつも見かけるプラモデルとは違う、ロボットではない存在だ。
「レジンキット?」
「新しい店だって言ったら置くためのサンプルくれてな。
「名前が長くて話が入ってこないわ」
矢子はキャラクター名が長くて大事な部分が理解できなかった。そこはエコールも同意した様で、一般認識らしい。
「だよねー、テキストも長いことで有名でさ。闇属性ドラゴン族なんだけどこのモンスターは光、風、地、炎、水属性としても扱う」
「全属性じゃダメなの?」
そこまで言うなら『全ての属性として扱う』の方が短くて済みそうだが、そうはいかない事情がある。
「神属性だけは特別なんでな」
「ええ……めんどくさ……」
ここは原作ファンにしか分からない、譲れないポイントだ。ルール上神属性に出来る場合もあるが、最初から扱う場合は別。
「そしてこのモンスターは戦士族、魔法使い族、悪魔族、天使族、アンデット族、サイキック族、機械族、獣族、獣戦士族、鳥獣族、魚族、爬虫類族、恐竜族、炎族、水族、雷族、岩石族、植物族、幻竜族、サイバース族としても扱う」
「それも全部でいいんじゃ?」
「幻神獣族と創造神族が含まれない」
やっぱ特例。しかしそこで矢子はある問題に気づく。
「はいはい特別特別……ってだったら創造神族以外として扱うでいいじゃん……」
「だってテキスト省略するとコンマイ語とか言われるし……」
カードゲーマーにしか分からない悩み。しかし一般人にはただの怪文書。
「さらにこのカードはデッキ、手札、フィールド、墓地、除外ゾーンで通常モンスター、儀式モンスター、通常魔法、速攻魔法、永続魔法、装備魔法、フィールド魔法、儀式魔法、通常罠、永続罠、カウンター罠として扱う」
「もう何も言えないわね」
ルール上、としないのはデッキ構築の際に問題が起きるためだが、エコールも説明を放棄している。
「雨あめ! 傘持っててよかったー……」
そこに咲がやってくる。彼女は折り畳み傘を持っており濡れネズミを回避している。そして、ショーケースのレジンキットを見るなり口を開く。
「あ、教導の捕食植物ギャラクシーアイズドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10じゃん、完成度たけーなおい」
「え? これ一般的なの?」
咲がこの長い名前をよどみなく言った為、自分が何か異世界に来てしまったかの様な錯覚を覚える矢子。
「原作知らなくてもアムロとシャア知ってるみたいなもんよ」
「そうか……? そうなのか?」
そうそう、と咲は箱をレジカウンターに乗せるとそれを開ける。そこには似た様なレジンキットが入っていた。
「お母さんが職場で貰ったけど作らないからくれたの。くれた人も積んでおいたけど結局作らなかったみたい。初めてやったけど案外ネットの知識で出来るものね」
「教導の捕食植物ギャラクシーアイズドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10
「待って、いろいろツッコミたいんだけど」
オタクの間では当たり前っぽいことだが、パンピーの矢子には理解が及ばない部分が多々ある。
「なんで作らないのに買ったの?」
「限定品ってその時しか売ってないじゃん? 買い逃したくないじゃん? 破損した時の予備パーツも簡単に手に入らないじゃん?」
「そういうの保証してくれないの?」
そういえばジグソーパズルとかでピース欠品があったら送ってくれるんだったなぁなどと矢子は思ったが、業界ごとに事情は違うのか真顔でエコールに返される。
「ああいうのはサービスだからもう一個買った方が安くつくし、届くの待ってたらモチベなくならね?」
「ああ、うん、分からないことが分かった」
地下アイドルとガチで恋愛出来ると思って費やすお金よりはまだ論理的だと彼女は無理矢理納得した。今日はやけに来訪者が多く、紬もやってきた。
「さっき雨ひどかったねー。あ、教導の捕食植物ギャラクシーアイズドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10じゃない、完成度たけーなおい」
「え? 世代を超えた存在なのこれ?」
一応エコールと咲、矢子とも世代違いではあるが、さらに歳の離れた小学生である紬にもひと目で理解出来た。もう世にも奇妙な物語とかでやっている内容になってきたなと矢子は頭を抱える。
「ていうかその箱まさか……」
「夕夜さんが頂いたけど作り方が分からないっていうから私が作ったの。
「うわ出た」
今度はさっきのが白っぽくなったものが出て来た。今度はどんな限定品だ? などと思っているとエコールの食いつきからそういうものではなさそうだ。
「おお、色を変えてsinバージョンか」
「色を塗ろうと思ってサーフェイサー? ってのを吹いたんだけどいらないのに気づいて方向転換したんだ」
「ナイスリカバリーだ。工作で重要なのは失敗しないことよりもリカバリー技術なんだ」
微笑ましい工作教室である。題材が謎のモンスターでなければ。というかこいつだけでどんだけバリエーションがあるのか矢子は気になったが聞きたくない気持ちもどこかにあった。だが咲がそのパンドラの箱を開けてしまう。
「あさひがキャラ目当てでそのカードゲームのアニメ見てたからぼんやり知ってるんだけど、そのカオスなんたらって難しいルールで出るのよね?」
「あー! あー! 聞きたくない! 情報量で頭痛しそう!」
しかし自分の土俵に入ったことでエコールが嬉々として語ってしまう。
「いや、簡単だ。LV4を普通に召喚してテキスト通りに出せば教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10が出てくるわけよ」
「あれ基本形態じゃないの?」
最初に出てたのすら派生と知り矢子は絶望する。素材からして考えた人も刷ってる方も何かに取り憑かれていたとしか思えない。というかエコールはよくこんなもんすらすらと暗唱できるものだ。
「その後に特定のカードを捨てれば CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDDが出てくる。デッキからでいいし、教導の捕食植物ギャラクシーアイズドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10以外は代用モンスターが効果で使える様になるから見た目より楽だぜ」
「楽とは」
既に名前が長いのでちゃんと宣言するのが大変でそれ以外どうでもいい気がする矢子なのであった。
「それをEXデッキから除外してポンっと出せるのがsin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDDだからぶっちゃけ素材は全部いらないぜ!」
「今までの説明なんだったの?」
そして一気にちゃぶ台を返される。問題のカード一枚さえ捨ててしまえば出せる形態がいる時点で急に制作側が冷静になった様に見えてしまう。
「ども、新しいお店? 作品募集してるの?」
そこに林がやってきた。このエコール・ホビーではショーケースに展示する作品を募集していたのでそれを持ってきたらしく箱を開ける。そこには少しカートゥン調になっている例のモンスターが。
「おお、トゥーン sin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDDか!」
「もう突っ込まない……もう突っ込まないぞ私は……」
これが商品として展開されたのかそれとも一から作られたのか気になるところだが、聞いたら色々と終わる気がしたので矢子は黙っていることにした。
「へぇ、林も知ってたんだこれ」
「へへ、カードゲーム史上でも長いテキストとして有名だから」
「ネットミームとか詳しいもんね」
なんでも突き抜けてみるものである。ユーザー以外からの認知度も上がるのだから。ギネス記録とかもだいたいこんなノリで挑戦されるのだ。
(まさかギネス狙い? いやまさかね……)
一瞬でもこの意味不明な存在に意義を見出だそうとした矢子は自分を恥じた。しかし紙切れ一枚ならともかく立体物が出るなどよほどのことだ。カードもイラストの受注などで経費が掛かるだろうが、立体まで行くとコストが違う。
「いやー、お待たせ。女の子が身体冷やしたらいかんからな」
彼女の考えを切って、浅野がタオルを持ってきた。しかし状況は令和の寿限無、必要はない。
「もうぱりっぱりに乾きました」
「そうか、おやトゥーン sin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDDじゃないか、完成度たけーなおい」
後期高齢者にも存在が伝わっているモンスター。自分だけ知らないものがあるというのがここまで不気味なものかと、矢子は寒さではなく恐怖で震えた。
(落ち着け……どうせ浅野さんも作ってて知っているパターンだ。私以外はこのレジンキットってのを作ってるから、よく考えれば当然なんだ)
冷静になれば、ここまで全員このモンスターのレジンキットを作ってきている。そんな手の掛かることをするということは、当然存在を知っているに決まっている。
「ああ、そうだ。そろそろ乾いたかな」
乾いたと聞き、エコールは店の奥から何かを取って来た。それはさっき林が持ってきたモンスターのポーズ違いである。というか姿も微妙に違う。
「トゥーン sin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDD/バスター スターダストコアキメイルサイバーダークスクラップ」
「後ろのはなによ」
「技名だよ」
もう名前を増やすという執念しか感じないアイテム。しかし今回は色が付いておらず真っ白だ。付属のエフェクトなども白いためこういう姿……というわけではなさそうだ。エコールはこのキットの出来について朗々と語る。
「これはレジンキットだけどガレージキットっていうものでな。個人がガレージで作る様に趣味の範疇で作って頒布するものだ。このトゥーン sin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDD/バスター スターダストコアキメイルサイバーダークスクラップは当日版権……著作権の都合でイベントの日だけ売っていいよって許諾が出る品だから取り扱いはないけど、これ作ったディーラーさんの商品を置くから宣伝だ。上手く塗装出来ないからそのままなのが口惜しいが……下手に塗るよりこの抜群の形成を見てほしい……。トゥーン sin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDD/バスター スターダストコアキメイルサイバーダークスクラップはデザインの都合尖ったパーツが多いんだけど、ガレキで使われているシリコン型が曲げて成型品を取り出せるから金型と違って鋭利なパーツの製造に向いてるんだよ。その代わり大量生産には向かないんだけど。当然こいつも趣味の範囲で作ってるから生産数が少なくて版権料もあるから高額な部類に入るけどディーラーさんの技術的フラッグシップのポジションにいるから飾るには最適解かなーって思う!」
「ところどころ大事な話があったと思うんだけどこいつの名前のせいで入ってこない」
せっかく為になる話題もあったのにもう霞んだ。既にSNSへ写真も上げており、反応が見られる。
『トゥーン sin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDD/バスター スターダストコアキメイルサイバーダークスクラップじゃん』
『完成度たけーなおい』
みんな知っている様な口ぶりだが、そもそもここをフォローするということは取り扱い商品に興味があり、かつ返信なら知っている人しかしない。矢子は自分にそう言い聞かせて平静を保つ。
「やっほ」
そんな中、何も知らなさそうなあさひがやってくる。だが彼女もこのキットを見るなりその出来に舌を巻く。
「トゥーン sin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDD/バスター スターダストコアキメイルサイバーダークスクラップじゃん! 完成度たけーなおい」
「ええ……」
とうとうキットを作っていない人まで名前を暗唱し始めた。ビートルズのいない世界線に転生したとかそういう映画あったかな、と矢子は思いつつあった。
「お、ここがお前の店か」
「土方先生、来たんすか?」
かつての教え子が店を開いたと聞き、過去の話にも出てたエコールの恩師である土方も店を訪れた。浅野とエコールの中間くらいの年齢なのでバイアスの掛かっていない情報が得られる……と、矢子は安心する。
「お、トゥーン sin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDD/バスター スターダストコアキメイルサイバーダークスクラップじゃんか。完成度たけーなおい」
「……」
だがそれは束の間のものであった。ここまで幅広く知られているとなると、自分の認識が怪しい。エコールのことだし好きなことは熱っぽく語ってそうなのでそれを覚えているかもしれないが、常に多数の生徒の顔と名前を記憶していく必要のある教師が、興味もないこんな長い名前を覚えるのは流石に無理だろう。そもそもこれがエコールの中学時代にあったという保証はない。
「繁盛してんならいいや、んじゃあな」
「またお越しください」
きちんと接客出来るのね、と別の部分に意識を反らして現実逃避するしかない矢子。
「おーっす、どうだ調子は?」
入れ替わりに上代が店へ入る。サブカルには疎そうな彼女が知っていたら自分の正気を疑おう、そう彼女は心に誓った。
「トゥーン sin CiNo.9999 教導の捕食植物ネオギャラクシーアイズFAドドドレミコード・トーカーシンクロンの相剣士@イグニスターLV10 TG-DDD/バスター スターダストコアキメイルサイバーダークスクラップじゃねーか、完成度たけーなおい」
(あ、はい私狂ってますね)
矢子は正気を疑った。
(いや……私が無趣味過ぎるのか? まさかこれ国民的キャラクター?)
西間の趣味がないという指摘を受け入れたくないあまり、一番簡単な結論は捨てなければならない。
(そういえばなんか異世界に行く方法とかやったな? あれか?)
矢子は家族を亡くしたばかりの時、それを受け入れられずまだ家族が生きている世界へ行こうとネットで調べた異世界へ行く方法を何個か何度も試した。しかし、昔のことなので記憶は曖昧だ。
(でも枕元の紙……無くなってたのか効果無くてやめたのかどっちだっけ? エレベーター……は女の人来なかったし)
考えれば考えるだけドツボにハマる。なんだか熱っぽい気がして、雨に降られたせいで夏風邪でも引いたのかともうこの件に関わるのはやめようと思った。
「仮眠室あったよね、少し寝かせて貰うわ」
「あ、ああ、お大事に……」
エコールは何も考えずに了承した。この後、自分が仮眠室を使う時に彼女の甘酸っぱい香りがベッドに沁み込んで悶々とするとは知らずに。
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