裏切りの牛丼
これは令和も三年目になろうかというある昼下がりのことである。
(ヒャッハー! 牛丼だぜ!)
エコールはその日の昼食を牛丼に決めた。普段、平日の昼食は安いプライベートブランドの冷凍パスタで適当に安く済ますが、外回りなどで出かけている時は外食する。別にタッパーへ一合の白米を詰めて、適当な冷凍のおかずを乗せれば弁当にはなる。だが、そうして来て分かったことがある。食事こそ慌ただしい平日に彩りを与える存在。多少金は掛かっても、贅沢することが人生に潤いを与える。
(やるんなら徹底的にやろうぜ! 満足させてもらおうか!)
アニメで某超人レスラーが宣伝をしていたチェーン店で特盛の牛丼を卵付きで頼むエコール。チーズ牛丼など最近はバリエーションも増えたが、やはりこれに勝るものはない。
「いただきやす」
そう言って箸を伸ばした瞬間、箸は牛丼に負けてへし折れた。
「何?」
環境負荷とやらに気を使って割り箸ではなく、繰り返し使えるプラスチックの箸が使われている。それが折れるなど何が起きているのか。
「ていうか寒っ! 寒すぎてサムス・アランになったわね……」
その原因は一目瞭然、店内の気温が異様に下がっているのだ。三寒四温とかいうレベルではない。まるで冷蔵庫だ。
「マインドア攻撃か?」
疑うべきはまずそれ。しかし近くに能力者は見当たらない。その正体は意外な存在であるのだから、この時点でエコールは気づき様がない。
@
八神咲の通う高校では、日本財政界の偉い人を聞いて講義を聞く授業があった。有料で安くない授業料を払うのだが、実質強制出席なので彼女は相当萎えていた。平日の授業時間を潰してまでこんなことをするのか、この学校は教科書の内容をさっさと終えられるほどレベルが高いわけではない。あとで苦労するのが目に見えているのも倦怠感の理由であった。
(で、この脂ぎったオッサンが『ネット時代のマーケティング』? 絶対ウィンドウズ94出るまでパソコン自体馬鹿にしてたでしょ)
母の影響でPCを自作できる程度には詳しい咲は、この世代の話を良く聞いていた。ワープロがパソコンにシェアを取られることはないと多くの家電メーカーの偉い人が思っていたが、現実はどうだ。そんな世代がインターネットネイティブに何を授業するというのか。
(あー、私にも矢子くらい座った肝があればなー……)
授業料は強制徴収なので無駄にしない為に出ている咲だが、矢子みたいに札束叩きつけた上で欠席する人間もいる。時間の有効活用という点では正しいかもしれないが、今後の内申や金を出しているのが母だという点を加味するとそう割り切れない。
講義は教室のテレビへ放送することで行われる。学校全体を活用した大集金作戦である。よくブラック校則の話題になると『入らなければいいじゃないか』という声が上がるが、入学前に校則やマイナスの行事を調べるのは困難であり、加えて案外学校の選択というのは幅が狭い。強豪校に入る為に県外へ親元を離れて、なんていうのはもはや酔狂の領域で一般市民がやることではないということをご理解いただきたい。
『えー、私は倒れかけた洗剤のブランドを立て直し、そして今牛丼チェーンの経営についているわけですが』
初手経歴自慢は当たり前。経歴こそ輝かしいのだろうが人というのは衰えるもの。昔活躍できたからと言って今もその能力を維持できるかは怪しいものだ。そもそもこのオッサンの功績かどうかなど、証明が出来ない。部下の手柄を横取りする上司なんていうのは、ドラマの世界だけの話ではないのだから。
『……で、不快な思いをされたら申し訳ないが、若い女性は男に高い飯を奢ってもらうと牛丼屋なんて行かなくなる。その前に牛丼の味を覚えてもらう。言わば田舎から出て来た生娘をシャブ漬け戦略というわけですな』
そして飛び出す爆弾発言。教室の空気は一気に冷え込む。おそらく全員が『何言ってんだこのオッサン』となっただろう。生娘もシャブ漬けも高校生に伝わる単語ではない上、分かったらなお冷えっ冷えだろう。
「寒っ! いやなんか物理的に寒い!」
が、冷えているのは場の空気だけではない。教室の気温が異常なまでに下がっている。その下がり幅は急に体が震えだすほどであり、多くの生徒が逃げる様に教室から出ようとする。だが、扉が凍り付いていて開けることが出来ない。
「どうなってんの?」
混乱しつつ、咲はエアコンに目をやる。どうやら、これの誤作動ではないらしい。ということは、と彼女はコントロールパネルに駆け寄る。
「暖房が付けられれば……!」
だが、職員室でロックされているのか、暖房を起動させることが出来ない。
「もう……! なんで私いつもこんな目に……!」
咲は割合、自分からマインドア関係に首を突っ込んでいるが、そういう時には不思議と危険な目には遭わない。だが、安全そうだとのほほんしている時に限って被害を受ける。なんならエコールと出会った時がそんな状態まである。
「どうしよう……」
クラスメイトの奈々子も動揺を見せる。こんな時に矢子がいない、つまり彼女をストーカーの西間から守るエコールもいない。
「あ、暖房が!」
諦めかけたその時、突然暖房が起動する。そしてテレビの放送も中断された。気温の低下が収まり、暖房のおかげで凍結が溶けて扉も開いた。他の教室でも同じ状態だったのか、他の生徒も廊下に飛び出した。
「あいつマインドア能力者だったのね……!」
どんな能力かは知らないが、あのオッサンが能力者なのではないかと考え、咲は疑いの目を向ける。教室から大きな三角定規を持ち出し、オッサンが放送している視聴覚室へと彼女は急いだ。
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「やれやれ」
講義をサボっていた矢子は一足早く異変に気付き、職員室で空調を操作しみんなを助けていた。
「これだからあのチェーン店は……」
矢子は父親から、あのオッサンがコンサルをやっている店の悪行をかつて聞いたことがある。なんでも、超人プロレス漫画がアニメ化した時に経営難だったその会社はタダで主人公の好物として宣伝してもらい立て直し、作者はお礼として一生牛丼が食べ放題になるという専用のどんぶりを貰ったらしい。
彼はそのどんぶりを使ったことが無かったが、テレビ番組でそれに関する無駄知識が話題となった際に使うことになった。だが、テレビというアポも取れており取材の趣旨も伝わっている場でそれを反故にされてしまうという仕打ちを受けたという。
「奴の仇を討つ……!」
亡くなった父を思い出してしんみりしてしまったので、これ以上被害が広がらない為にも主犯の討伐へ矢子は走った。
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「お前が犯人か……」
咲と矢子が現場に到着した時には既に、変身したエコールがオッサンを追い詰めていた。
「俺のランチタイムを邪魔した罪は重い……」
「あ、エコールじゃん」
エコールは大きなエネルギーの流れを調べてここへ辿り着いた。特に索敵能力があるわけでもない彼がそんな真似できる程度に大きなうねりがあったということだ。
「お前が講義でくっそ寒い発言して全国の系列店を凍らせたんだろ!」
「どんな理論の飛躍だ!」
一見するととんでもない言いがかりで確かに飛躍した話ではある。だが、と矢子は付け足す。
「女性へのマーケティングを生娘シャブ漬けとか言い出すより飛躍した論理は今後出ないわ」
「うん」
道中でいきさつを聞いた矢子はその発言にドン引きしていた。概ね意味を知った咲も同意する。
「はぁ? んなこと言ったのかよ……今日日アダルトビデオでも聞かねー単語を高校生にお出しするな!」
これにはエコールも呆れるばかり。これ、バイトテロとかではなく経営陣による発言である。生娘は処女のことなのでまぁギリギリ古典文学で見るかもしれないが、シャブ漬けは麻薬などの危ない薬で中毒にするということなのでとんでもないことだ。
「そもそも薬漬けでエロくなると思ってんのか! 薬物ってのはまぁ肌は荒れるし清潔感は失われるし見かけが悪くなる! 効果も性感が高まるだけじゃないからな! んなもんファンタジーの世界だ! ファンタジーなら世界観も含めてファンタジーに振り切れ! 無駄にリアルだと嫌なことがちらつくんだよ!」
「エコール、そういう問題じゃない」
一応創作する身として一家言エコールにはあり熱く語るが、多分あいつそこまで考えてないと咲は止める。
「ていうか自社製品を薬物呼ばわりはどうなのさ」
矢子の言いたいことはオッサン以外の全員が共感した。
「俺、まさに指定医薬品扱いの栄養ドリンクを店の方針で積極的に売り込んでたけど、ちゃんと自分で試していいものだって確信した上で売ってたよ」
「正真正銘薬売りでもシャブ扱いしないのね」
今も店で客商売をしているだけあり、エコールの方がまだまともな商人としての感覚を持っている。
「別売のパーツ買おうとしてた客に『キット付属の方がいい』って言ってた時は正気を疑ったけど、ちゃんとポリシーあるのね」
矢子はエコールのことをそんなに立派な大人ではないと思っているが、一応の筋が通っている点は評価している。
「ああ、車軸受けは最初の内、デフォのPOMの方がいいんだよ。軽いし精度も高いからな。ARシャーシが出た時はあれ目当てにエアロアバンテ買う奴がいたくらいだ。あの値段ならブレーキに当てた方がいい」
「なんで魔法少女を自称するオッサンの方が感性まともなのよ……」
咲はもう社会的地位が信用出来そうにない。
「とにかく、なんか言葉に応じて相手を洗脳するマインドア能力とかなんじゃないか? 倒させてもらう!」
とりあえず、この騒動の主犯と思われるオッサンの撃退をエコールは開始した。
「マインドア能力? そんなもの知らん!」
オッサン当人は知らないというが、もう白を切っている様にしか聞こえない。
「嘘を吐くな!」
「ぐへッ!」
グーで顔面を殴られるオッサン。必死に訴えてもまるで聞く耳を持たない。
「本当に知らないんだ! 一体なにが起きたんだ!」
「キン肉マンを裏切り、男塾の名を汚した口で何を言っても信じられない」
矢子は珍しく感情的になっていた。上げた二つの漫画は亡父との思い出、そして彼の青春でもある。
「何それ?」
「昔ジャンプで連載していた漫画よ」
咲は世代的に知らないが、ジャンプと聞けばある程度作品は思いつく。
「え? じゃあ鬼滅とか呪術読んでる?」
「本誌買ってない。家にあるのよコミックスが」
「この流れでワンピース出ないの時代感じるな」
エコールは女子高生の話題に出る漫画で世代の差を実感した。彼が高校生だった頃は自称オタクの半端な陽キャがよく上げる漫画であったがのだ。コミックス百巻を超えたという事実に震えろ。
「仕方ない、多少痛めつけて口を割らせるか」
「本当に知らないんだって!」
オッサンが涙声で言っても泣き落としにもならないのであった。エコールはオッサンを逆さまの状態で肩に乗せ、股を開いて首を肩口で固定。そのまま尻もちを着く。
「ブレイジングバスター!」
「グハァアア!」
炎を纏ったキックやパンチほど派手さは無いが、ダメージは発生している様子。咲は疑問に思って矢子に聞く。
「ねぇ、あれ痛いの? エコールの方がダメージ大きくない?」
「あれは敵の体勢をロックし、落下の衝撃で首、股、背骨へ同時にダメージを与えるの。下手な打撃技より、柔軟性がない人は痛いんじゃないかな」
こうして、実情はともあれこの事態を引き起こしたと思われる人物を仕留めることに成功したのであった。
@
「やはり親子丼はなか卯……なか卯しか勝たん」
「一番の被害者は親子丼開発してた人じゃないかな?」
後日、エコールと矢子はなか卯で親子丼を食べていた。あの発言は大きく問題となり、同時期に発表する予定だった親子丼のPRが打ち切られた。まさかのバイトテロならぬ経営者テロ。心中お察しする。
「十年掛けて開発した親子丼の意味変わっちまうからな」
なか卯の親子丼には追加で生卵をトッピングするとブルジョワだ。うどんも付けると満足度が違う。
「で、結局あれは何が原因だったの?」
「ああ、本当にあのオッサンは関わってないらしい。半分な」
調査によると、あのオッサンがマインドア能力者というわけでないことが判明した。学校という人の心が渦巻く空間でくっそ寒い発言をしたが故に、とんでもない事故に発展したというべきか。
「学校で失言しただけであんなことになるのね……」
「学校ってのは長い年月大人数の心を受け止める場所だ。だから、誰かのマインドア能力を加速機代わりにしてああいうことになる」
マインドアに関する情報を各所の協力で集まり、前に起きた事件も解明が進んでいる。矢子の突発的な覚醒で因幡レンと合流出来たのは大きな前進であった。
「ということは、あの学校の惨劇も根本の原因はあの学校の中……か」
「だな」
一時は深海こだまの能力によるものと思われていた小学校での大量殺人も、根っこは学校に存在するということになる。今や、この国には見えない爆弾が大量に埋まっている状態なのだと改めて認識することとなった。
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