呑まれた学園 ①

 殺し屋、ノエリア・ヴァンホーテンは所謂ストリートチルドレンであった。学校にも行っていない彼女はまともな職もなく、今日を食って行くのも困難な幼少期を送っていた。人一倍危機察知能力が高いせいか、青みがかった銀髪に整った顔立ちで高く売れると言われても『ウリ』をすることはなかった。胴元に売り上げを搾取され、病気と妊娠のリスクを抱えて日銭稼ぎは割に合わないと感じていた。髪を短くしているのは洗髪の手間を減らす為でもあり、そういう対象として見られるのを避けたい思惑もあった。

(日本ってのは相変わらず恵まれた国だな)

 街を歩くと、故郷とは比べ物にならない発展ぶりに驚くばかりだ。蛇口を捻ればどこでも水が出て、道は舗装されてる。夜中に出歩いてもトラブルに巻き込まれないのは面倒がなくていい。

 そんなノエリアはある日、自分に氷を操る力があることに気づいた。何がどうなっているのか分からないが、うまくやれば極貧から脱出できるチャンスと考えた彼女は能力の研究と使い道の選定に明け暮れた。びっくり人間としてテレビに出ようとも考えたが、ノエリアの国自体が貧しく、テレビスターとなっても大したうま味はない。

 そこで考えたのが裏の仕事。警察というのは、証拠に乏しくても怪しいと思えばとっ捕まえて尋問の末犯人を作り出す。だが、この突拍子もない能力なら怪しいとさえ思われない。万が一捕まっても、脱走の手助けをしてくれる。

 殺すことに抵抗はなかった。肉食動物が獲物を獲るのに思い悩まないのと同じだ。だが、殺し屋として世界を点々とするほど、金銭や幸福以上に憧れるモノが見つかった。他人を蹴落とさなければ生きていけない世界にいたが、世界には自分と同じ様な状況で、または自分の命が消える直前にも他人を思いやれる人間という奇特なものがいるらしい。

(ま、私には無理だな)

 自分には届かないからこそ憧れるというもので、憧れこそするが渇望するものでもなかった。

「ん?」

 そんな憧れを時々思い出しながら歩いていると、目の前からフラフラと歩く少年を見つける。あの足取りは故郷でよく見た、栄養失調の症状だと瞬時に分かった。こんな裕福な国で珍しい、と思ったが少年が倒れそうになったのを見てノエリアは急いで駆け付ける。

「っと……」

 道は舗装されたアスファルト。倒れて打ちどころが悪ければ大事だ。手を引っ張り、何とか少年を立たせる。

(この腕……)

 その腕に触れた瞬間、ある違和感を覚える。腕がまるでロボットの様な機械になっているではないか。進んだ科学を持つ日本ではこういうのもあるんだな、とノエリアは流し、ジャージのポケットを探る。

「あ……ぁ」

 少年は上手く喋れないのか、何かを言いたげだったが言葉にならない。ただ、感謝の気持ちはノエリアに伝わった。

「日本では情けは人の為ならず、だろ? 腹の足しにしとけ」

 彼女は常に非常食として何かを持ち歩いている。少年に渡したのはキャンディーだった。

「じゃな、腹減ったら何してでも飯は食っとけよ」

 まさか倒れるまで腹ペコではおるまい、そうなる前に盗んででも食えよと伝えてノエリアは去るのであった。


   @


 矢子がエコールの家に泊まった翌日、一本の電話が彼に入った。こんなこともあろうかとと用意していた寝袋を丸めた直後のことだ。

「え? あの施設が?」

 以前、虐待の疑いで凸していた児童養護施設で奇怪な現象が発生。マインドア関連の部門であるエコールホビーに連絡が入ったというわけだ。

「じゃあ、すぐ行きます」

「私も行く」

 矢子も共に現場へ向かおうとしたが、エコールは事情も事情なので止めることにする。

「家にいた方がいいんじゃない?」

「赤の他人を家に一人で置いておけないでしょ? それに、西間はマインドア関係の事件の噂があれば首を突っ込むはず」

「なら余計に……」

 ストーカー犯である西間と遭遇する危険があるなら、なおのこと家にこもっていた方が安全だ。だが、矢子には作戦があった。

「そこには警察もいるんでしょ? だったら私が囮になってあいつを釣り出す。そこをとっ捕まえてくれればいい」

「あー、なるほど」

 エコールは矢子の提案を警察に伝えると、二人は現場に急行した。


 問題の児童養護施設は黄緑の揺らめきに囲まれており、警察も入れずにいた。目に見えて異様な現象が広がっている為か、野次馬も相当数集まっている。

「もの凄い硬い壁に囲まれているみたいで、どうやって入ればいいのか……」

「そうか」

 浅野も駆け付けており、この壁に手をこまねくしかなかった。

「浅野さん!」

「おお、来てくれたか!」

 エコールは浅野と合流し、矢子を警察に預けて事件の解決を図る。まずは、壁を突破して中へ入る必要がある。

「変身!」

 とりあえず変身してぶん殴ることで壁を壊す試み。炎を纏った拳で思い切り壁に殴りかかる。

「ブレイジングパンチ!」

 周囲が振動で揺れ、野次馬が距離を取るほどの爆音が響いた。しかし、壁に傷はつかない。

「中との連絡は?」

「取れません!」

 浅野が内部にいる人間の安否を確認するが、警察も中へは電話すら繋がらない状況となっていた。これでは、救助はおろか一体どうなっているかも知ることが出来ない。

「これ、使えないかな?」

 その時、矢子は手にしていた扉のミニチュアを見せる。思いつきで、壁に当てながらそれを開くと大きくなって人が潜れる程度の扉となったではないか。

「おお! ナイス!」

「では、私と利家くんで中を確認する」

 突入が可能になったため、まずは二人で様子見をしにいく。マインドア能力の影響なのか、それさえも未知数なのだ。変身出来るエコールはまだしも、浅野には少々危険が伴う。

「これは……」

 中に入ると、そこは確かに施設であったが空が鮮やかな青となっている。青空とは違う、なにか化学的に発光している様な不気味さがある。

「イイアアァアアアア!」

 戸惑う時間さえ与えないかの様に、人とも猛獣ともつかない雄たけびが二人の耳に届く。その主は探すまでもなく、エコール達に迫っていた。全身を歪にバンプアップさせ、風船のように膨らんだ体格。それに追いついていないのか、裂けて肉を晒す肌。あちこちにみられる炭化の痕。謎のタンクと中身をぶちまける為のシャワーヘッドを持っているが、それはかつてエコールが取り逃がした中岡だ。

「あれで生きてるのかよ!」

 あれだけのダメージを負い、まだ生きているという事実にエコールは震撼する。人としての知性は残っているのだろうか危ういところだ。

「私は生存者を探す、君はアレを」

「はい!」

 浅野も中岡の能力は熟知している。他人の精神世界へ潜る能力、それがこの隔絶空間を生み出したとみて間違いない。これを倒せば、隔離は解除されるだろう。役割分担を終え、即座に行動を開始する。

「ぶっ殺してやるぜ!」

 一度倒した相手に遅れは取らない。真っすぐに突っ込み。拳を浴びせようとする。しかし敵は手にしているシャワーヘッドから何かの液体を噴霧した。

「やべっ!」

 慌てて後退すると、液体を受けた左腕を始めとした場所が溶けている。服だけ溶かす様なご都合主義な液体ではない。肌も溶けているため、硫酸の様な液体である可能性が高い。

「こいつは厄介だな……」

 エコールの戦術は接近戦。それに対してリーチが長くワイドな攻撃範囲を持つ硫酸というのは相性が悪い。横に動いて背後を突こうとするも、その知性を感じない姿からは想像も出来ないほど俊敏にこちらを追ってくる。

「ごり押しで突破するか?」

 もう正面から殴り合ってダメージレースで勝利する方法しか思いつかなかったエコールであったが、両手の薬指にはめた指輪が輝く。精神世界で矢子の両親に託された力、それが何かのシルエットを描き出し、弓らしき物体に変化する。

「これは……」

 弦に引かれてしなる部分、リムに刃が付いた特撮ヒーローのよく持っているタイプの弓。ただしそのサイズはDXトイの様に小ぶりではなく、撮影のプロップと言っても通じるほど、エコールの首と腰の長さくらいはある。

『魔響楽弦、ハーピングアロー!』

「喋った! いや、電源入れた時のあれか」

 弓は高らかにその名を叫ぶ。ともかく、これで遠距離の攻撃手段が出来た。中岡に対抗することが出来る。取り付けられたレバーを引き、実際の弓みたいに使って攻撃を放つ。矢の様なエネルギーが中岡を打ち据え、火花を散らす。

「こいつはいいぜ! 助かる!」

 ゆっくり歩いて迫りながら、矢を放って中岡へダメージを蓄積させる。頼れる武器には違いないが、どの程度の威力があるか分からない。リーチで勝る点を活かして油断なく戦いたいところだ。

「グガァアアア!」

「なんか必殺技使える?」

 エコールは弓に取り付けられた、何かが読み込めそうな場所を触る。どうやらシルバーなどを触れさせるだけでは反応しない様だが、そこをハイタッチの要領で押し込むと右手薬指の指輪が光り、読み込まれる。

「あ、必殺待機音」

 音楽が鳴っており、何をするものかイマイチ分からないが特撮オタク兼玩具野郎のエコールにはそれが何なのかを理解することが出来た。

「行くぜ必殺!」

 そのまま弓を引き搾り、矢を放つ。いつもより煌きの強い光の矢が真っすぐに中岡へ向かい、その身体を貫いてタンクにも穴を抜けてどこかへ飛んでいく。

『ハーピングフィニッシュ!』

「グゲァエエエエ!」

 タンクの穴から硫酸を浴び、中岡は悶え苦しむ。エコールはふと、持っている場所にもトリガーらしきものが存在することに気づき、もう一つの必殺技も試すことにした。指輪を読み込んでから、今度はトリガーを引いての必殺技。

「こっちはブレードっぽいぞ!」

 弓の刃が輝き、近接の必殺であることをエコールに伝える。動けなくなった中岡に駆け寄り、その刃を振り下ろす。

『ハーピングストライク!』

「セイヤぁあああっ!」

 刃は一切引っ掛かりを見せず、中岡の巨体を通り抜ける。そして爆発を起こした。ヒーローものではよくある表現なのだが、急に起きたためダメージこそないがエコールも巻き込まれてしまう。

「うわっちっち!」

 中岡は倒れ、周囲の異常な空間が現実へ戻り始めた。倒れた中岡はそれと共にうっすらと姿を消していく。

「あ、待て!」

 とうとう能力を使わなくとも精神世界へ入れる様になったのか、それとも現実世界へ留まる能力を失ったのかは分からない。だが、これで一件落着だ。入れる様になったためか、警察も突入してきた。

「エコール!」

 矢子も駆け付けた。彼女の両親には感謝しなければな、とエコールはハーピングアローを見て思うのであった。負けはしなかっただろうが、かなり楽に戦うことが出来た。

「大丈夫だった?」

「変身解除すりゃ治るよ」

 怪我の心配をされたので、いつもの様に変身解除しようとする。だが、ふと硫酸を浴びた左腕を見ると、怪我が無くなっているだけではなく服の損傷も無かったことになっている。

(あれ?)

 治癒能力にしては妙だなと思いつつ、エコールは変身を解く。ハーピングアローもそれと共にどこかへ戻ったらしく姿を消す。

「あの化け物を倒したか」

「浅野さん、施設の人は?」

 施設に取り残されていた人々の安否を確認していた浅野が戻ってくる。表情は険しい。

「おそらく、あれとは違う何かに襲われたのだろう。生存者はいなかった」

「あれとは違う?」

 矢子はエコールが化け物を取り逃した責任を感じない様にそう言っているのだと思ったが、実情は違った。現場を見て来た浅野にはマインドアが何なのか分からずとも理解は出来た。

「ああ、あの化け物は薬品……毒物か何かを武器にしていた。だが、ホトケさんはあの化け物の身体では到底入れない様な施設の奥、そこで殺害されていた。それも浅野くんが何度か戦った化け物が使ったことのない、人体を引き裂く様な凶器でだ。大人も子供もな」

 中岡はロケットランチャーや火炎放射器、ガトリングに硫酸など分かりやすい『武器』を使う。特にレンジにおいては『安全圏から一方的に痛めつけたい』という願望が表出したかの様に、遠くへ届く武器ばかり。

 マインドアが心の表れだというのなら、子供相手ならともかく大人に中岡が接近戦を挑むだろうか。

「全員ってことは、こだまくんも……」

 エコールはこだまのことを思い出す。全員死んでいるのであれば、彼もまた犠牲者になっているのだろう。だが、浅野は首を横に振る。

「いや、妙なことが少しあってな。なぜか施設にはさっきまで人がいた様な、生活感があるのだ。気になって調べたが、深海こだまくんの荷物だけ無くなっていた」

「え?」

 取り残された人や生存者を探そうとした浅野は、自然と寝室などを見ることになった。そこで、こだまの学用品が持ち出されていることに気づいた。靴もなく、まるで普通に登校したかの様に。

「それじゃあ……」

「こだまくんは前にも精神世界へ落ちたことがあったな。おそらくそれで耐性が付き、一人だけ無事でこの事態に気づかなかったのか……」

 一抹の謎と多数の犠牲者を出し、この事件は幕を閉じた……かに思われたのであった。

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