より美しき思い出の中
矢子は意を決して自身の精神へ侵入する。エコールは変身して同伴する。アニメアレンジの効いた修道服はスカートの両サイドに深いスリットが入っており、そしてノースリーブと慎ましい修道女が着るものとは思えないほど大胆。ベールも被っているが、ワインレッドの髪は一切隠さない。指にはズラリとシルバーの指輪を付けており、派手な印象を与える。
スレンダーなエコールが着るから健康的に見えるが、着用者を選ぶ衣装だ。
「これは小学校……の入学式か」
エコールは桜の咲く校門前で記念写真を撮る矢子とその家族を見つけた。だが、彼女はそれが自分の入学式でないことに気づく。矢子は両親の傍におり、被写体になっているのは別の女の子だ。
「これ、私じゃない……」
「え?」
「妹の……ひかりの入学式? なんで、そんな……」
矢子は大きく動揺した。妹のひかりは小学校に上がる前に、事故で両親と共に死んだ。ではこれは何を見ているというのか。
「これは願望、もしこうならって想像の光景なのか」
エコールは精神世界になれており、このからくりを瞬時に見抜いた。何も心の世界は過去の出来事を再生する場所ではない。夢や願いが現れる場所でもある。
「願望……」
世界の秘密を探る為に、矢子とエコールは小学校の中へ進む。校庭では運動会が開かれており、楽しそうに過ごす時東一家の姿が見られた。教室では授業参観、卒業式とあったかもしれない日々が繰り広げられる。
その全てが、両親を失ったが為に寂しい思いを感じた場面の数々になっている。これまで抱いていた孤独は、心の奥底から芽生えた間違いのないものなのだと矢子は改めて突きつけられる。
小学校の近くには、本来の地理ならもっと離れているはずの中学校がある。そこでも、同様に家族が生きていたらというIFの思い出が演じられていた。道中は不自然に京都の街並みになっていたりして、買い物をしている矢子の姿が見られた。
彼女自身には理解出来た。絶対にありえなかった、家族の為にお土産を悩むという幸福の姿なのだと。
「……」
エコールも空気を読んで黙っていた。危険なところではないが、矢子の心を抉るには十分だ。最後に辿り着いたのは今も残る彼女の自宅。新築ではなく、昔から住んでいる家をリノベーションしたものなのが幸いし、両親の死後も手放すことなく住み続けられている。
そこでは、何気ない一日の他愛もない会話が繰り広げられている。堂々と入って行っても、想像上の矢子含む一家は入り込んだエコールと矢子に目もくれない。彼女は今まで黙って姿を見ているだけだったが、それは現実の自分には決して届かないと分かっているからだ。心の中で取り戻すことが出来ないと諦めているから、家族も矢子を見て反応することが無い。
「矢子とひかりの結婚式見るまでは死ねないからな」
いつの日かそんなことを父は言っていた様な気がする。だが、現実は無情だ。結婚どころか小学校の卒業さえ見届けられなかった。
心の中へ入っても寂しさは紛れることなどなく、失ったモノの大きさを見せつけられるだけ。矢子は溜まらず、エコールを置いて家から飛び出してしまう。
「矢子!」
「待ってくれ」
エコールが矢子を追いかけようとした時、彼女の父が呼び止めた。矢子が精神世界を出た影響なのか、周囲の景色は溶けて真っ白な空間になる。
「君は……矢子の友達か?」
「友達っていうかなんていうか」
関係を問いただされても、正直なんと言っていいのか分からない。未成年の娘さんを預かっているバツの悪さからエコールもたどたどしくなるが、父はあるものを彼女に手渡した。
「娘を頼む。死んでしまった私に出来る、精一杯だ」
「……はい」
矢子の母親もやってきて、エコールに思いを託した。
「私からも、勝手なお願いだけどあの子を守ってやって」
「はい、俺はマギアメイデン・エコールですので」
渡されたのは二つの指輪。それはエコールの手でごついシルバーに変化した。シルバーの指輪をメリケン代わりにする彼に合わせてくれたのだろう。エコールは薬指に元々ついていた指輪を外し、それを付ける。そして元の指輪は矢子の両親に渡す。
「ここは時東さんの心の中です。少しでも力になれば」
エコールの姿は府中利家という人間の精神エネルギーが生み出すもの。その一部を残すことで、何か力になろうとした。互いが互いを想い、出来ることを模索していく。精神世界は完全に消滅し、エコールは自宅に戻っていた。
「あ、土足!」
変身状態ではブーツを履いていることを思い出し、エコールは慌てて変身を解除する。
「ご、ごめん……置いてっちゃった……」
精神世界に置き去りにするとどうなるか分からないにも関わらず、エコールを置いて出てしまったことを矢子は謝罪した。
「ああ、問題ない」
「……」
矢子は感情がかき乱され、今にも泣きだしそうだった。人の前で泣くのは恥ずかしいだとかそういう我慢はしていない。無意識に笑顔で元気にという周囲の押し付けが身についてしまい、耐えるのが当たり前になっていた。
「……」
そんな矢子にエコールは何故かサメのぬいぐるみを渡した。家具屋が発売して話題になったものだ。矢子はそれを抱きしめると、静かに涙を流した。
@
田中母はある情報を得て、深夜に橋の下へやってきた。矢作川に掛かる橋は川の広さもあり、雨風を凌いで生活できそうなくらい橋下が広い。
「約束通り一人で来たな」
田中母が誰も伴っていないことを確認し、上から声が降ってくる。田中母はその声に驚いた。場所もさることながら、これから殺しの依頼をしようというのにその相手が年端もいかない少女の声では恐怖より不安が勝る。
「さて、商談を始めよっか」
上から降りてきたのは青みがかった短い銀髪の少女。服装も殺し屋とは思えないジャージにクロックスという、反社というより浅いチンピラめいた姿だ。
「あなたが殺し屋? 本当に出来るんでざますの?」
「余計な詮索はしないで。実行犯が直に依頼のやり取りするかどうかなんてカタギの人間には分からないでしょ」
これが殺し屋か怪しくなった田中母は疑いの目を向けるが、釘を刺される。しかし田中母は並々ならぬ憎しみと大金を持ってここへ来ているので、確証がないと納得出来なかった。
「本当の本当にやってくれるんでざますか?」
「いいから黙ってて。ダメな依頼人だと分かったら殺人教唆で警察に突き出すことが出来るのこっちは。なんせ、私が本当の殺し屋という証拠は無いが、あなたが殺しの依頼をした証拠だけはある」
結構丁寧に説明したつもりだが、田中母が理解していない様なので少女は溜息を吐いてさらに詳しい話をする。
「大丈夫? あなたは自分の携帯に殺しの依頼をしたメッセージのログが残っている。そして前金を持っている。一方私は着の身着のまま、つまりしらを切ればあなたが『深夜徘徊のガキに殺人を持ちかけるヤベー奴』にしかならないの」
「ワタクシを脅すのざますか?」
そこまで話されて、ようやく田中母は狼狽する。やはりカエルの子はカエル。志望校に受からず滑り止めで入った学校の同級生を見下す様な子供はこういう親から育つ。
「今更? 裏社会に関係を持つということがどういうことか分かった?」
「い、いいでしょう。では前金です」
何とか前金を渡して田中母は少女の機嫌を取り持つ。彼女は枚数を数え、ポケットにしまう。
「で、やって欲しいのは『マギアメイデン・エコール』っての? 依頼板にターゲットの名前書くなって書いてあったでしょ。罰金、財布とりあえずよこしなさい」
ルールを破った投稿に少女はお冠であった。依頼用の掲示板は厳重に暗号化しているとはいえ、絶対に証拠として抑えられない保証はない。なので基本、待ち合わせだけを書き込み依頼は証拠の残らない口頭で行う。
「な、カツアゲでざますか?」
「ルール破ったのはそっちでしょ。こっちもリスク被ってるの」
話の噛み合わなさに少女は苛立ち始める。警戒心の薄い日本人を殺して貴重な日本円をカモれる相手と考えたが、まさかの大外れと来た。
「いいから寄越しなさい、こっちはあなたを今すぐバラして金目のもん持ち逃げ出来るからね」
武器を持っていない少女にとてもそんなことが出来るとは思えなかったが、身体が冷えていく感覚に田中母は恐怖を覚えた。ここは大人しく従った方がいい、本能でそう感じ取る。
「は、はいぃ……」
大人しく財布を渡すと、少女はカードや身分証は地面に落とした。現金や実物はともかく、カード類は足が付く。
「ターゲットの情報は持っているんでしょうね。アニメキャラを仕留めろとか、イッキューさんみたいな依頼は勘弁願うわ」
「ええ……マギアメイデン・エコールはエコールホビーという玩具屋の経営者なんでざます……」
話を聞いて、少女はじとっとした目で田中母を見る。あまりにお粗末な情報だ。
「それだけ?」
「あ! その警察とつるんでマインドア能力者を弾圧してます!」
なんとか搾り出した一言に、完全に愛想をつかした少女は背中を向けて去る。
「やめやめ、ポリはリスクが高いの」
「あああ、その警察関係者ではなく警察関係者とつるんでる一般人です!」
凄く微妙な立場の相手とあり、少女は少し考える。
「前金の三倍出して、そうすればやるから」
これは少し面倒な依頼だ、と少女は今後の展開に頭を悩ませることになった。吹っ掛けた前金も断る理由に過ぎない。
@
「……なんか、いろいろごめん」
「気にすんな。若いうちは悩んでなんぼだ」
落ち着きを取り戻した矢子はエコールに改めて謝罪する。お茶までいれて貰ったが、すっかりぬるくなってしまった。彼女はそれを飲み干し、立ち上がる。
「明日も学校だから、お風呂入って寝る」
「学校は休みな」
明日に備えて、と思ったが出鼻をくじかれる矢子。心配してくれているのかと思ったが、さすがにそこまで弱くはない。
「もう大丈夫だから」
「あー、いや西間が待ち伏せてるといけないし……」
すっかり忘れていたが、矢子は幼馴染という特権を活かした悪質なストーカーに追われていた。彼女としてはただ近くで生まれ育っただけの他人なのだが、周囲が特別視する為ストーカーとして認知されていないのが厄介だ。
「警察の方にもご苦労かけるわね……。ストーカーって凄く厄介でしょう?」
「ああ、まぁ浅野さんの後輩なら何とか知恵こねくって対応してくれるだろうが、警察の仕事は基本手遅れって言うしな」
何気なくエコールが発した言葉に、矢子は聞き覚えがあった。それは父の漫画に乗っていたセリフである。警察のロボットが活躍する話だ。そこでは、警察は犯罪が起こりそうだからと怪しい人を捕まえることは出来ない。犯罪が起きてからしか動くことが出来ないという話がされていた。
「……」
父の事を思い出すとまた泣いてしまいそうなので、誤魔化す為に矢子はテレビを付けた。すると、なんの因果か過去に警察がストーカー関連の事件で犯した不祥事を特集していた。
「あら、噂をすればなんとやら」
「桶川か……」
「知ってるの?」
「ああ、弟が心理学やってて話は聞いたことはある。警察の不祥事もあれだが週刊誌以外の大手マスコミも大概だろこれ」
基本的に、マスコミは自分達の不祥事にはダンマリを決め込む。民法は本来競争する関係にあるはずなのだが、結託した方が得という現状がある。
「そういえばテレビ見ないわね」
「俺もほぼゲーム用モニターだわ。あとニチアサ」
テレビは家族で見てワイワイするもの、というものが矢子の中にはあるので家族が死んでからテレビを点けることがなくなった。そんな現代っ子達なのだった。
「さてお風呂お風呂」
矢子は浴室に向かう。それを見送り、エコールはマグカップを片付ける。
「あれ?」
冷めたお茶を飲み干したはずのカップには、淹れたての湯気が立ったお茶が残っていた。気のせいかと思いエコールはそのまま片付けを続ける。この家は一人暮らし用の手狭なものであるため、キッチンは廊下に面しており浴室やトイレも狭い廊下で繋がっている。
「……」
脱衣所から聞こえてくる衣擦れの音に悶々としないわけではない。だがエコールはしっかり理性を保つ。水音に至ってはよりハッキリと聞こえるが、精神世界とはいえ両親に任された身。ここで折れるわけにはいかない。
「女神転生やろ……」
ゲームをして気を紛らわせるも、些細なミスを犯してしまう。
「あ、物理反射やん……」
女子高生が自分の家にお泊りするのは魔法使い一直線の恋愛弱者男性には刺激が強すぎるとつくづく思い知るのであった。
しばらくもくもくと金稼ぎをしていると、湯上りの矢子が出てくる。
「上がったわよ」
「あ、ああ……」
顔を上気させ、濡れた髪を張り付かせた姿は寝間着が中学の体操服だったとしても胸の高まりを抑えられないものであった。心臓が痛いほど鼓動し、汗が吹き出す。体操服では腕や足が露出し、健康的な色気が目に突き刺さる。
「じゃ、じゃあ俺も……」
平静を装うため、エコールはさっさと風呂に向かう。が、湯舟に張られたお湯を見て変な考えが浮かんでくる。
(これに浸かったんだよな……、いやいや何考えてんだただのお湯だぞ? 卑猥は一切ない! いいね!)
何故かその日の湯はやたら熱く感じたという。
「のぼせてない? 熱くし過ぎた?」
「はは、小さくなったから茹だりやすくなったの忘れてたぜ」
風呂から出たエコールの顔を見て、髪を乾かしながら心配した。まさか一人で妄想逞しくした結果とは口が裂けても言えないのである。
「さて……夜更かしは美容の敵だからな、寝るか」
「待って、髪乾かさないの?」
そのまま眠ろうとしたエコールを呼び止め、矢子はドライヤーを差し出す。
「そういえばやったことないな……」
「男の人でもやるんじゃないの?」
「俺は髪型も選べないくらい剛毛でな、乾かす必要ないんよ」
本来の姿と違い、今はシャワーを当てれば地肌を洗えるほどサラサラの髪。なので手入れは必須だと矢子はレクチャーに入る。
「はい、じゃあやってあげる」
「あ、はい」
有無を言わさずエコールの背後に回り、髪を乾かす矢子。柔らかな指が触れ、肩が緊張でこわばる。
(落ち着け……この程度でガチ恋はマジでカッコ悪いぞ……相手女子高生だし)
エコールは自分の薬指を見て落ち着きを取り戻そうとする。今はないが、そこには確実に矢子の両親が託したものが宿っている。命を多方面から狙われているとも知らず、エコールの独り相撲が展開されているのであった。
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