おぞましき生命

 深海こだまは、端的に言えば『運がない』少年であった。

 彼自身はなんらこれと言って特筆することのない、極めて平凡なおつむの足りない母親が生んだ父親の分からない子供であった。母親はこうした例に漏れず知識と知恵が足りず、梅毒に罹り当然の様にこだまへと感染した。

 彼が不運だったのは、出身地と時期もだろう。平成20年代も半ば、福島県で三月末に生まれたこと自体はやはりこれといった要素ではない。生まれた時期の大きな震災があり、よりによって原子力発電所が事故を起こしてしまったことが狂った一枚目の歯車だろうか。

 確定できないのは、それが彼の不運を決定付ける要素たりえないからだ。母親は生存しており、放射能の被害から逃れるため自主避難を開始した。最初は親戚や友人を頼ろうとしていたが、母親に子供が出来たからといって更生する望みが無かったのが二枚目になるかもしれない。

 頼る場所のない母親はこだまに名前も与えず、出生届けも出さずに児童福祉施設に放り捨てた。適当な場所に捨てられて死んでしまうよりは運がよかっただろうが、この中途半端な幸運がこだまの運命を更に狂わせる。

 身元を辿ることが出来なければずっとましだっただろう。こだまは被災地から這う這うの体で避難した悲劇の女性が泣く泣く別れた子供として施設に入った。だが、この施設があまりいい場所でなかった。普通ならここでスタッフからの愛情を受けて親がいなくとも他の子と変わらず成長、もしくは誰か里親が現れて幸せに暮らせた。だが彼が入った施設は被災地の子供という事実を利用して政府から補助金を得ることだけが目的だった。

 金さえ手に入れば、母親から引き離された不安で頻繁に夜泣きし、癇癪を起す他人の子供などどうでもよかった。深海こだまという名前も、適当に付けたのか『深い海でこだまの様に縮こまっていろ』という願望なのか不明瞭だ。

 成長したこだまに、更なる不幸が襲った。先天梅毒の症状として発疹が現れたのだが、それを放射能の影響だと思い込んだスタッフは彼を遠ざけた。放射能がうつる、とどうやら本気で信じていた様で、それを真に受けた同じ施設の子供もそれに倣ったのは当然だった。

 ここで学識と良識のある大人が入っていればまた違っただろう。だがそうはならなかった。なんとこだまが小学校五年生になるまで味方は一切現れず、周囲から距離を置かれるどころか汚染の発生源の様な扱いを受けた。

 少し隣には浅野仁平や土方の様な大人もいたのに、一切出会えなかったのも不運を加速させた。

 時東矢子を時計ごと叩きつけられて運命の歯車を壊されたとするなら、こだまは歯車の歯が一つ欠けた様な不運を積み重ねているというべきか。彼がここまで人から離れていなければ、火傷で腕を失うことにならなかったかもしれない。

「……」

 そしてようやく、彼にも多少の運が回ってきたかに思えた。ある事件に巻き込まれた際出会った人が、こだまを心配して施設を尋ねてきたのだ。その人は虐待を疑っていたが、図星を突かれたスタッフは逆上して彼を倉庫に閉じ込めてしまった。

 寒暖差の激しい倉庫で長らく放置され、こだまはただでさえ弱っているのに衰弱していた。何度も洗濯して薄くなった元々薄手のパーカーでは、長袖でも保温の能力は皆無だ。

 眠る体力さえなく、蹲って出してもらえるのを待つことしか出来ない。長年恐怖と孤独に苛まれた脳には抵抗の術が浮かばない。あったとしても、義手も没収されている状態では出来ることが限られる。

「ぁ……」

 不意に倉庫の扉が開き、光が差し込む。今が昼か夜か、平日か休日かは分からない。だが、倉庫を開けたのが同じ施設の子供と知り、特に解放されるわけではないことを悟る。スタッフは子供がこだまにリンチを加えるのを見過ごしていた。子供同士の間で問題が起きるより、彼が全てをおっ被ってくれる方が楽なのだ。

 子供達が倉庫に入ってきて、こだまを取り囲む。僅かだが、命の危険を感じる。僅かなのは暴力の程度ではなく、もうそれだけしか心が動かなくなっている為だ。子供達のリーダー格の拳が迫った時、こだまは不意に自分の身体が動いた。

「あん?」

 抵抗などしなかったこだまの行動にリーダー格は不審感を抱いた。存在しないはずの両腕が出現し、袖の上から右腕に取り付けられた前腕ほどのチェーンソー、その刃がリーダー格の腕を押しのけていた。

「な……」

 そしてこだまは袖から覗く左手の指でスターターを引っ張る。リーダー格の背筋が凍るより先に、雷鳴の様な音と共にチェーンソーが唸りを上げる。そして、鮮血と共に腕が千切れ飛ぶ。

 声にならない悲鳴を上げ、リーダー格は硬直する。それは他の子供達も同じであった。暗闇の中でこだまの頭髪の先端や瞳、チェーンソーの一部がぼんやりと幽霊の様に光る。顔の一部や服の下も、同じ曖昧な黄緑色を発していた。

 瞳を見る限り、こだまの表情はいつもと変わらず淡々としていた。まるで漢字の書き取りでもするかの様に、特に感情を抱いていない。

「あ……あ……」

 そのまま、残る腕も邪魔な枝程度の感覚で切り取っていく。しっかり片手で固定して腕を落としている辺り、腕を切ることだけは明確な意思があると明白に受け取れた。

 リーダー格は荒い断面によって出血が抑えられ、失血で気絶することも許されなかった。逃げようともがいて倒れたリーダーは背後から皮膚を削る様にチェーンソーを当てられる。

「ひ、ひぃ……」

 中にはへたりこんで失禁する子供もいた。ただ一人、逃げ出そうとした子供を見てこだまはリーダー格を嬲るのをやめ、その子に飛び掛かる。腕の装備はドリルに変化しており、急所を絶妙に外して胴体を貫く。アニメで見る様な円錐のものではない、工具然とした細身だが効率的なフォルムだ。

 絶叫は血を含んだ泡となって消える。

「う、うわぁあああああ!」

 一か八か、一人の子供が反撃に出る。しかしこだまはまた腕を別の工具に切り換えて応戦する。飛び出したのは太い釘。電動釘打ち機を銃の様に扱っている。

「ぎゃあああ!」

 ある程度釘をばら撒いてみたものの、彼は効率が悪いかなと首を傾げつつ釘打ち機を見る。そして、腕そのものを銃身へと変化させて子供達に向ける。空気が爆ぜる様な銃声が何度か響き、ひき肉を子供達の質量と同じだけ製造してこだまは倉庫を去った。


 倉庫で起きている惨劇も知らず、スタッフ達はある対応に追われていた。ひょんなことから虐待の疑いが掛かり、警察やら児相やらの質問責めに遭っていた。何とか誤魔化す為の書類を作るのに、必死なのだ。そんな中、渦中のこだまが職員室を訪れた。

「なんだ……お前か」

 仕事を増やされた逆恨みから、スタッフの一人が立ち上がってこだまに迫る。普段、彼に関心を寄せていないためないはずの腕があるという大きな変化にもあろうことか気づかない。

「お前のせいで……」

 文句を言いかけたその時、こだまに右腕を押し当てられる。瞬間、そのスタッフは大きく痙攣した。人体から煙が上がり、肉の焼ける不快な匂いが部屋に充満する。スタッフ一同は騒然とし、起きた事態を把握するより前に逃げ出した。一目散に裏口を目掛けて走る。しかし既に罠は張られていた。

「ばっ!」

 短い悲鳴が爆音に搔き消える。裏口には対人地雷の様なものが仕掛けられており、鉄片で切り刻まれたスタッフ達は呻きながら助けを求めた。

 邪魔者を全て消し終わったこだまはあくびをかみ殺し、目を擦る。自分に危害を加える者がいなくなり、安心したからだろう。誰にも咎められることなく、久しぶりにシャワーを浴びて身体の清潔を保つことにした。

(腕があると便利だなぁ……)

 何故か急に生えてきた機械の様な義手。服を脱いでもそのつなぎ目は曖昧で、装甲の下に肌が潜り込んでしまっている。曖昧といえば発疹と痣もこだまには見分けがつかず、生傷と古傷が入り混じる状態では自分の健康を図るのが困難だ。ただ、今は少し蓄光素材の様に光っているのでそこが発疹なんだろうなと当たりは付けられた。

 嘘というのは吐き続けると本人にも何が本当か分からなくなってしまうらしい。放射性物質黎明期に存在した時計の文字盤塗りの女性、ラジウムガールズはラジウムをが体内に蓄積して夜間は幽霊の様に光ったという。この話はこだまも知っているが、周りに放射能だなんだと言われ続けてとうとう思い込みで光ってしまったかと呆れた。

 なにはともあれ汚れを流してすっきりしたこだまは空腹を満たすべくキッチンに向かった。しかし牛乳をコップ一杯飲んだだけで立っていられないほどの眠気が押し寄せる。

「んん……」

 何も腹に入れないよりはいいか、ともっと食べる予定だったのを切り上げ、寝室へ直行するこだま。明日もまた学校だ、誰も起こしてくれはしないから寝坊しない様に気を付けようとうすぼんやり思うのであった。


   @


『深海こだまが力を得て、……小学校の生徒を皆殺しにする』

 小学生の女の子らしい小物が溢れた部屋、そこで二人の少女が手帳の一文を見ていた。古ぼけた手帳には、様々な文言が記されていた。ここ十年の重要な出来事、疫病の流行からオリンピックの延期、令和への移り変わりなど、とても予想し難いことが十年前に発刊したと明記されたこの手帳には記されている。

「もうすぐだね」

「絶対みんなを守ろう」

 二人の少女は何か決意を固めている。その理由は、目の前にいるクマのぬいぐるみらしき存在、この手帳を持っていた張本人にある。

「この予言を阻止して、全ての黒幕であるマギアメイデン・エコールを倒すっきゅ!」

「うん!」

 このマスコット的な生き物は、どういうわけか未来を知っておりそれを変える為に二人の少女を探していたのだ。正義の戦士、ポリケアに変身出来る少女を。事件が起きる小学校は彼女達の通う場所、そして深海こだまはそこでも曰く付きの存在で、児童の誰もが親に接触を禁じられる様な人間だ。

 事実を詳しく知っているわけでもなく、少女達も両親に具体的な話をされたわけでもない。ただ、大人たちの態度というのは子供に影響する。直に教えなくともろくでもない母親から生まれた、誰が父親とも分からない、病気を持った怪しい子供であること。そんな出自だからきっと本人もろくでもない因子を持っている、トラブルにならないうちに遠ざけておこうという姿勢が身に付く。

 そんなこだまが自身の扱いを腹に据えかねて凶行に至る経路は想像に難くなかった。

「さぁ、正義の戦士ポリケアの活躍っきゅ!」

 そしてエコールの預かり知らぬところで、マギアメイデンVSポリケアの対戦カードが組まれたのであった。

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