一国一城の主

 その日、矢子は自宅に西間が待ち伏せているかもしれないということもあり、帰れずにいた。仁平曰くどこかに避難した方がいいということだが、残念なことに頼れる人間がいない。

「私の家は?」

「親御さんいるでしょ? 危険には巻き込めないわ」

 咲に提案されたものの、女所帯では何かあった時に危険だ。男女平等が叫ばれる世の中ではあるが、生物学的な差ばかりは埋められない。個々に焦点を当てると話も変わって来るが、大雑把な話として男の方が身体能力で勝るというのはある。

「んじゃ俺んち……はダメか」

 一瞬、エコールは自分の家を提案したが、すぐに引っ込める。矢子はやはり咲と同じくエコールの両親を危険に晒すのを自分が躊躇うだろうと思ってのことだと考えた。家族を失って悲しい思いをしてきた以上、誰かに同じ思いはさせられない。

「まぁそうでしょうね」

「だって成人男性の一人暮らしだぜ? 女子高生連れ込んだら犯罪でしょ」

「ああ、そういえば」

 しかしエコールは一人暮らしをしているのだった。電話口で言ってたのだが、矢子も聞き流していたので今思い出した。

「ならいいわよ。お願いしていい?」

「いやいいんかい」

 戦闘能力のあるエコールなら大丈夫だろうと矢子は踏んで頼む。エコールは意外そうであったが、西間と彼を比べると絶対的に軍配が上がるのはエコール。

「成人男性だぞ? 見た目こんなだけど本来こんなだぞ?」

「見た目はさしたる問題じゃない。無害そうな面して邪悪なのが今迫ってるわけだし」

 エコールは過去の写真が貼られた身分証を見せて説得するが、例え元来の府中利家でも矢子はそちらを信用しただろう。

「ま、まぁ時東さんがいいならいいけど……。俺大丈夫かな……万が一の時はぶっ殺してくれて構わないからね?」

「事前にそんなこと言う人が万が一のこと起こすと思う?」

 というわけで、矢子はしばらくエコールの家にお邪魔することとなったのであった。


   @


「いやー、お待たせして悪いね」

「いえこちらこそ。わざわざ往復してもらって」

 エコールは事前に部屋を片付けると言って、一度自宅に帰ってからまた迎えに来てくれた。運転の出来ない彼には行き来だけで結構な労力ではないだろうかと矢子は思った。愛知県は天下のトヨタのお膝元だけあって、車が人権キャラ過ぎる。

「変身して走れば楽よ」

 とはいえ、一度矢子の自宅に宿泊の準備をするため戻ったりしたのにも付き添ってくれた。少し眠そうに瞼が閉じかけている。

「疲れてない?」

「いつもだ。なんか一日中起きてられなくてな」

 忘れがちだが、エコールは精神を病んで仕事を辞めた身。てんかんの発覚はその最中に起きた事故だ。それはマインドアに覚醒したとて治るものではない。

 家は学校から少し離れたところにあった。街中なのでバスなどのアクセスはそれなりにあるが、やはり本数の少なさが目立つ。エコールの自宅はアパートの一室で、一人暮らし用なのか手狭だ。

「ちゃんとしてるのね、掃除道具も買い込んで」

「一応一人暮らし経験者だからな」

 実家暮らしだった男の家とは思えない程度に日用品は充実している。かつては転勤で一人暮らしもしたことがあるとのこと。

「触らない方がいいとことかあるかしら」

「あ……そうだな、ベッドの収納は勘弁してくれ……」

 やはり成人男性の一人暮らし。女子高生に見られたくないものも存在する。棚に飾られている美少女フィギュアの類はそのままなのに、とも思ったが矢子は気にしないことにした。いくらオタクコンテンツに足を踏み入れてなくても不快感を与える男の被害に今遭っているところ、こういうものを集めるタイプだがリアルの女性には適切な距離を保とうとするエコールの姿勢はちゃんとした大人なのだと感心する。

「そうだ、料理くらい……あら」

 自分の都合で泊めてもらっているのだからと台所に向かうが、炊飯器は既に予約が出来ていた。

「もしかして家事出来るタイプ?」

「少しは。家にいた時から洗濯くらいはやってたし。ていうか今の方が自分の分だけで済むから楽だな」

 一人と三人では、確かに家事負担は異なる。一日起きていられない様な身体なら、家電の機能にもよるが大変だろう。特に洗濯は露骨に人数で負担が変化する。

「料理も?」

「いや俺がしてたのは洗濯と皿洗いと風呂掃除と……結構してんな」

「私とあんま変わんないね」

 エコールも思い返せばそれなりにしていたなと思うレベルであった。

「洗濯くらいなら私やるから。あなたやりにくいでしょ、女物の洗濯」

「あー……はいお願いします」

 彼の性質を考えて矢子は自分のすることを決めた。ちゃんと折れてくれるところも、エコールとは付き合いやすい部分だったりする。

「そういえばウィスパーの再発を防ぐために一人暮らしなのよね?」

「ああ」

「解決したんじゃないんだ」

 ウィスパーはエコールに吸収され、事件は幕を閉じたかに思われた。しかし、そうでないから今この状態なのだ。

「また親への不満が溜まるとウィスパー復活の恐れありだからな」

「あの事件で親子の仲とかよくならなかったの?」

 大抵はああいうことがあったら少しは関係性も改善するものだが、現実は厳しい。

「最初は浅野さんの言うことを理解したのか、大人しくなったよ。でも喉元過ぎればなんとやらでな」

 残念なことに、エコールの両親が彼の献身に甘えていたことを自覚したのは短期間。少し時間が立てば炊いたご飯をかき混ぜていないことをぐちぐち言い出したりとまぁ成長の無いこと。母が昔から食べきれない量の食事を注文してしまい、今でも改善されていないことを笑い話の様に語る時点でお察しではある。散らかし癖に関しても、父に至っては共有のスペースを散らかしているのであまり強く言えたもんではないだろう。

 問題、反省、改善のサイクル壊れる。反論がない、反論を事前に封鎖していることに甘えているタイプなのだ。

「でまたウィスパーが復活しそうだったから慌てて一人暮らししたってわけ。そもそもあの店に実家から通うのキツイし」

「そう……」

 矢子はマインドア能力で家族を生き返らせたいと思っているが、府中一家の顛末を聞くと家族を思い出の中の美しい存在のままでいさせた方がいい様な思いも芽生えてくる。

「そう言われると、少し考えてしまうわ。家族を生き返らせるの」

「まぁ悪いことばっかじゃないよ。今は後ろ暗いところばっか目立ってるけどさ」

 エコールも家族に対しては恨みばかりではない。現状そこがフューチャーされているだけで、当然楽しい思い出とかもあるわけだ。矢子は自分の中に芽生えた家族への疑心を恥じた。

「私ってつくづく最悪……勝手に生き返らせようとして、勝手に疑って……」

「俺が悪い話ばっかしすぎなんだけどね。まぁそれを決める為のアイテムなわけだし」

 エコールからすれば自覚して反省するだけかなり上等な人間である。家族がいればそこから生じる酸いも甘いもあるが、いないのでは完全なる無だ。

「そうね。ありがと、ご飯くらいは作るよ」

「マジで? 冷蔵庫大したもんないよ?」

 西間だったら強く否定するだけだっただろうこのタイミングで、悩むことを許してくれるエコールの傍は矢子にとっても安心出来た。そういえば家族を失って以降、周囲は『明るく! 強く!』と強いる一方で腫れもの扱いする為、気丈に振舞うこと以外許されていなかった様なとも彼女は思った。

「さてと」

 矢子はエプロンを取り出し、制服の上に着用して料理を始める。ブレザーのジャケットは脱ぎ、髪も纏めて料理に適した服装となった。

「そうだえこ……」

 献立においてエコールの意向を確認しようとしたが、彼は真っ白に燃え尽きて椅子に座っていた。疲労が溜まったところに女子高生、しかも標準を大きく上回った美少女の制服エプロンは破壊力が高すぎたらしい。


   @


「どうしよ……」

 矢子と咲のクラスメイト、茶川はマインドア暴走で砲台と化した挙句大破した田中の下を夜だというのに訪れていた。ここでは田中の母親が夜な夜な彼の友人を募って、心の再生を試みて集会を行っている。学校に許可は取っていないが、あのこと無かれ主義の校長なので面倒臭そうな相手には突っかからない。

 茶川が悩んでいるのは、矢子のこと。彼女は強くマインドアの力に惹かれている様に見え、田中をこの有様にしたエコールという部外者とつるんでいる。このままではまた、クラスメイトから犠牲者が出てしまう。何とかする術はないのか。

「来ていないか」

 その矢子を気にしているもう一人、西間洋も能力の謎を解明しにここへ彼女が訪れると踏んで顔を出していた。

「あらー、全く可哀そうなことが起きてるわねー」

 そこに低い声を限界まで高く作って文字通り躍り出た不審者がいた。髭の後が残る顔に厚化粧、ムダ毛を一切処理していない中年太りの身体にひらひらの衣装を着込んだ、今描写したら方々から怒られるタイプのオカマだ。

「誰だお前は!」

 誰もが不審がり、数少ない集まった人々からどよめきが起きる。

「あなた方、オープナーに脅える日々で本当にいいの? 私が皆さまのマインドアを開いて世界を変えて差し上げましょう」

 怪しい人物から怪しい誘い。マインドアは手術で開くものというのがマスコミの報道で常識となっているが故に、騙す意図のある美味しい話に聞こえて来る。

「そうすれば、エコールを倒せるのか?」

「エコール? ああ、あのゲームマスターの駒ね」

 それに飛びついたのは西間だった。怪しいオカマもエコールの名前を聞き、彼に情報を渡す。

「ゲームマスターという、人間を駒としか見ていない神気取りのいけ好かない奴がいるの。あのエコールはそいつのお気に入りってわけ」

「くそ……だから矢子に手を……」

 西間はまんまと騙され、エコールが矢子を唆しているという妄想を固めていく。

「俺はマインドアを開く、矢子を守る為に!」

「ええ、とても勇敢な人ですね。ではこちらへ」

 こうして、一人の男は都合のいい想像に掻き立てられて暴走を始めた。当人が悩んで立ち止まっている最中だというのに。


  @


「これが心の中へ入るドア……」

 矢子はエコールから渡されたドアのミニチュアを見ていた。心の中の世界、それは危険も伴う冒険だというのは聞いている。自分の心の中を他人に見せるのは躊躇われたが、話に出て来た様な精神世界を悪用するオープナーがいたらひとたまりもない。ましてやどこかで西間がそんな能力を得ていそうな悪寒がする。あれだけ人の心に土足で踏み込む人間だ、能力がそんな他人を一切尊重しないものでもなんら不思議ではない。

「ねぇエコール。ついてきてもらっていいかな?」

「いいのか? 心の中だぞ?」

 矢子は『こいつのことだし私になんかあったら気に病むだろうな』と自分の甘えたい心に蓋をして言い訳を作り、動向を頼んだ。当然エコールは確認を取る。

「精神世界に潜んでる奴もいるんでしょ? だったら戦える人がいた方が安心だし」

「なら、行くよ」

 矢子がミニチュアを開くと、近くのドアにそれが張り付いて変化を起こす。室内を区切るドアが、見覚えのある玄関へ変わった。

「これは……」

「使う人間によって入り口も変わるのか」

 矢子は自宅の玄関へと姿を変えた扉に手をかけ、恐る恐る中へ入っていく。これで寂しい気持ちが収まればよし。危険を冒すことも無かったと思えるし、エコールとの出会いは無駄でなかった。

 矢子の心で待ち受けるのは、蛇か鬼か。それはこれから分かることだ。

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