ウィスパーを倒せ ②
ウィスパーが利家の両親に追いついたのは岡崎インターというサービスエリア。道路共々比較的新しい場所で、一種の観光地にもなっている。利家も車の練習でここまで来たことがある。
「おいポリ公、何もお前が死ぬことはない。そこをどけ」
「それは出来ない!」
ウィスパーは警察官に退去を呼び掛けるが、拒否される。すぐには襲わず、目的だけを的確に達成しようという狙いが彼女にはあった。しかし、こうも膠着状態では溜息の一つも出る。
「立派なことだ、例えいけ好かない奴でも公務なら守る、お前の様な警察官ばかりなら理想的だし、そういう奴からこうして死んでいく。寒い時代だと思わんかね?」
「もうすぐ仁平さんがオープナーを連れて来る、そうなればお前も終わりだ!」
「ならばその前に終わらせる!」
警察官が守っているのならば、とウィスパーは搔き消える様な速さで移動し、彼の背後にいる両親の前へ出現した。
「お前を倒す必要はない」
「しまった!」
万事窮すか、と思われたその時、マッチアップが飛び込んでウィスパーを押し出す。弾かれたウィスパーは転がって即座に起き上がり、体勢を立て直した。
「またお前か!」
「おうよ、また俺だ!」
以前は一撃で返り討ちに遭ったこともあり、ウィスパーは警戒を強める。
「お前達、オープナーを増やして社会を混乱させたいのなら私のしていることは好都合じゃないのか?」
「なんか兄貴が言うには違うらしいぜ。手術の実績がどーたらとかな」
ウィスパー、利家の認識ではゲームマスター兄弟はオープナーに接触してゲームの名目で社会を乱すことが目的だと思えた。しかし彼らにはより深い野望が存在する様だ。
「手術だと?」
「何度聞いてもさっぱりだけどな。まぁ俺は兄貴に従うだけよ」
肝心のマッチアップは話を聞いても理解出来ていない。ウィスパーも聞くことは聞いたので、さっさと倒して終わらせたいが、相手の実力的にも難しい。
「しめた! あいつならなんとかしてくれる!」
現場に到着した利家は、マッチアップが戦ってくれているのを見て扉のミニチュアを取り出した。近くの適当な防火扉から精神世界へ入るつもりだ。
「どうするんだい?」
「マインドア能力は心の力……元々心に潜入してどうこうしようってつもりだったので、今度こそ心の中にある解決策を探す!」
心の在り方を変えるには、それしかない。もしかしたら無防備になっているウィスパー本体に出くわすかもしれない。
「それ私も行けないかね?」
「え? 危なくないです?」
とんでもない提案を仁平にされたため、利家はすぐに断った。だが、彼なりに考えがある様だ。
「話を聞くにその精神世界、マインドア能力と同じく心の現身だ。ならば、他の人間の視点があれば解ける謎もあるかもしれない」
しかし自分は死んでも戻れるが、仁平にその保証は一切ない。暴れ回るウィスパーの脅威を取り除くために彼は警察としての役割に殉じて危険を冒そうとしているのだろうが、利家には許容しきれないことだ。
「じゃあ、せめて電話で」
「そうしよう」
電話でのやりとりということで一旦妥協する。一縷の希望を胸に、利家は精神世界へ飛び込んだ。
精神世界の構造はある程度把握していたが、実は自宅風空間をまだ突破出来ていない。
「心の形だろ……そこにヒントがあるはずだ」
パソコンの求人に応募すると扉が開くが、罠になっているのは体験済み。仁平はテレビ電話で様子を確認している。
『求人票を押すと開くのか』
「でもそれ全部罠なんすよ。家が宇宙になって吸い出されたり、脚に鎖が付いて玄関に出て来た粉砕機に引っ張られたり……」
他に鍵があるのだろうかと思い、利家は周囲を捜索する。しばらく考えていた仁平はあることに気が付いた様だ。
『ん? 扉に罠ではなく?』
「どういう……」
『いや、宇宙になって吸い出されるなら普通、開けた時に外が宇宙だったとかなら分かるが、家の中が宇宙?』
仁平は罠の方式に疑問があった。宇宙、粉砕機、大量の水、どれも家の中に押し込む様な罠ばかりだ。
『どの求人を押したか覚えているかい?』
「どれって……」
開錠の為に応募した求人を見直すと、勤務地が全て市外になっている。関係があるのだろうか。
『君はてんかんの発作で運転を停止されていたね。警察に記録が残っているよ。そして現住所は車がなければ行動出来ないエリア……。車が無くても生活できる場所に移りたいと思っているが出来ないとかないかね?』
「ええ、引っ越し前提でいろいろ応募したんすけど書類で落ちちゃって」
利家はまず、交通の便がいいところに引っ越したいと思っていた。だがそのためには仕事が必要。現状、車無しで行ける仕事は片手で数える程度な上に障碍者雇用はない始末。先に仕事だけ見つけて引っ越します、と言っても現住所を見ただけで『遠いな』と書類で切られてしまうことも多い。
「便利なのは小中までで、ぶっちゃけあとは不便だ。まぁまさか子供が車乗れない様になるとは思わんだろうが……」
『そこだな、君はこの家に少なからず不満がある。だがそれだけではあるまい?』
人生設計に子供のてんかんまで入れる親はいないだろうが、にしても不便だ。その一方、田舎の広い土地でなければ三人に四畳半とはいえ部屋を与えることは不可能に近い。
「まぁ俺だけどんだけ家に金入れてもどう森の最初期ハウスから動かねぇのは不満だが……」
しかしながら貰っていたお金を受け取らない、間接的に家にお金を入れている自分だけ何歳になっても自由を得られないのは不満も溜まる。実家暮らしというのは家事をやってもらえるというのもあるが、彼は家事までやる羽目になっているのであまりメリットを享受出来ていない。
「第一風呂入りたきゃ自分で入れりゃいんだよ。昔はお小遣いと引き換えだったからまだしも、今はタダ働きだし」
色々不満は出るが、要は用意された玄関から出なければいい話。以前はにっちもさっちもいかない状況だったが、仁平がくれた希望が今はある。
「裏口が開いてる……」
利家の心が変わったせいか、家の中も変化を見せていた。裏口から外へ出ると、今度は見覚えのある役所に辿り着いた。
『ここは市役所だね』
「あー、そうそう。県外のA型就労支援に行こうとしたらなんか月一で面談できないとダメとか……」
利家も指をくわえて現状を見ているだけではない。自宅から動けないならテレワークをすればいいじゃないとテレワークを探してみたのだ。だが、障碍者枠のある職場は就労支援が多く、市役所曰く制度の都合ちゃんと支援出来ているか面談しないといけないらしい。テレビに広告を打っている様な普通の求人サイトで乗っているということは、他の自治体では問題無くテレワーク出来るはずなのだが。
「死ねぇえええこのロートル市役所!」
利家は長椅子を持ち上げてカウンターに叩きつける。心の世界なので普段は十キロでもひーひー言う彼がこんな無茶を出来る。
「五万円の支給にほいほい釣られて悪かったな! お前ら長引くと無駄に箱もの作るから定期的に引きずりおろさなあかんねん! あと人によって五万円って死活問題だからな! 家康の像ばっかつくってんじゃねぇよ! そんなんなら静岡にでもくれてやれ!」
実は最近市長選があり、五万円の支給を公約に掲げた対抗が勝ったのだが就任直後にそれを反故にしてしまった。外からはお金に釣られた哀れな市民に見えるだろうが、この市の風土を考えると現職を長らく放置したくないというのが投票者の思惑であった。それに本当に困窮している人にとっては五万円が必要なので、それを裏切るのも非常に悪質だ。
『そういえば君は、何をしたくてエコールの力を得たのだ?』
荒れる利家に仁平は語り掛ける。オープナーは、欲望の制御が付かない子供ではない限りその心の欲求に能力が影響されるはずだ、と。
「いや俺はオープナーに襲われて、それで咄嗟に変身したというか」
『ふむ……つまり、まだ君の能力は方針の固まっていないまっさらな物とも捉えられるな』
利家は手術も受けていない、たまたま覚醒しただけに過ぎない。彼はゲームマスターの言葉を思い出す。『君の心の力なのだから君がこうしたいと願えば可能だ。歩くことが容易い様に、出来て当然と思うのが重要だ』と。
「願えば叶う……俺は……今すぐ変わりたい、変わって見せる!」
利家の願いはただ一つ。煮詰まった今を打開し、未来を拓くこと。運転も出来なくなり、就労も困難で未来に掛かった靄を今すぐ晴らしたい。そして、その為に差し伸べられた手がある。それを後は掴むだけだ。仁平の提示した、『マインドア犯罪を抑止する民間組織』がそれだ。
「仁平さん、俺乗るよ。マインドア事件を解決するヒーロー。マギアメイデン・エコールになってやるさ!」
気づけば、左耳にイヤリングが出現していた。ブローチからピアスへと徐々に肉体へしがみついてきた変身用アクセサリーが、つかず離れずちょうどいい距離を保つ為に変化したのだ。
「変身!」
気合を入れて変身すると、周囲が爆炎に包まれて市役所のあちこちが吹き飛ぶ。崩壊する市役所の瓦礫が消えると、そこは岡崎インターであった。目の前には力を失い、ボロボロで血まみれの元通りな姿になったウィスパーがいた。一方、利家はエコールの姿に変身している。
おそらく、ウィスパーは自分が我慢を続けたことで傷ついた心そのものなのだ。だから血まみれでみすぼらしい。
「貴様……」
「お前の気持ちも分かる。だがそれだけじゃないんだ。なんかこう、ごちゃごちゃしてる」
恨みつらみもあるが、感謝もある。白か黒、1か0で処理できないのが人間だ。今はこうして極端な面が表に出てしまっている。それだけだ。
「憎しみもあるけど、俺は未来を選んだ。今が変われば、少しは気持ちも変わるだろ」
昔は両親に不満をあまり持たなかった。ただ今、自分が上手く行っていない状況だから後ろばかり見てしまうというのもある。ならば、少しでも前を見て景色を変えたい。それが利家の選択だ。
「どうやら収まったようだな」
仁平が様子を見に来る。ウィスパーは戦う力を失い、蹲っている。それを見て、彼は利家の両親に語り掛ける。
「見なさい、あのボロボロの少女が、利家くんの心なのだよ。ああなるまで、あなた達は彼の我慢に甘え、努力に気づかなかった」
エコールの華々しい姿ではなく、ウィスパーの痛々しい姿の方に目を向けろと聞かせる。水鳥が優雅に泳ぐその下で必死にもがく様に、エコールの姿みたくとっ散らかっておちゃらけていないと心が持たないのが利家という人間だ。
「それを今後は考え……」
「見つけたぞ、うちの子の仇!」
仁平の話を打ち切る様に、喪服の男女が現れる。一人は骨壺を、もう一人は幼い子供の遺影を持っていた。もちろん利家に心当たりはない。
「少し姿は変わっているが……あんたがうちの子を殺したんだ!」
「えーっと、どちら様?」
結構な頻度でオープナーの暴走に巻き込まれたため、エコールは頑張って遺影の子供を思い出そうとする。しかし元々人の顔を覚えるのが苦手なので全然出てこない。
「私はただおもちゃ屋のゲームコーナーにいただけなのに! あの子の能力を焼き払って殺したのはお前だ!」
「うちの子を殺すなんて!」
「あー、あれか」
そこまで言われてようやく思い出す。あのカードを嵐にして切り裂いてくる能力のガキである。でもあれは放置していたら、あそこに利家以外がいたら間違いなく死者が出ている。
「あれ? もしかしてマインドア能力を損傷して精神を摩耗し過ぎると死ぬのか?」
しかし話を聞いていると、知らない情報が出てくる。これはこれからマインドア能力で戦おうというエコールにも無関係ではないが、マッチアップが補足してくれる。
「いくら精神が傷ついても生物的には死なねぇぞ? 肉体が無事なら暫くすれば回復するって兄貴言ってた」
「あーやっぱり」
つまりあそこで廃人になってもワンチャン復活のチャンスはあったはずなのだ。しかし手には骨壺。これは茶番でもしているのだろうか。
「私達は自然派なの! SDGsの使徒なの! 機械に繋がれて不自然に活かされる我が子を見てられないの!」
「お前が延命切って殺したんじゃねぇか!」
しかし真相は単純明快。延命措置を停止して息の根を止めたのは彼らだ。
「ていうか延命措置が不自然ならなんでマインドア開錠手術は受けたんだよ! 滅茶苦茶かよ! なんかプペル見てそうだなお前ら!」
色々と辻褄が合わないのだが、何もなしに暴れているというエコール、というよりウィスパーを探すはずもなく喪服の男女は肉をもこもこと盛り上がらせて癒着していく。
「きっとあの子が大きくなったらと想像しない日はなかった……」
「だから成長した我が子の姿で、お前を潰す」
二人が変身したのは、這った姿でも高速に止めてあるバスを優に超えるサイズの巨大な子供。子供といっても、それは姿だけで表面は肉が露出して赤黒く、大きく裂けた口には牙が並んでいる。
「お前の子供はそんなバイオハザードみたいな成長すんのか」
「潰す……!」
「うちの子の仇!」
こんな状態でも中岡の様に知性は残っている様だ。不気味な子供の化け物は起き上がり、辺りのものを蹴り飛ばす。マッチアップに蹴りを食らわせたが、彼は防御し少し後ずさっただけで済む。
「チッィ! 二人分だけあって馬鹿力だぜ!」
「こんなのが親じゃなかったことだけは感謝するよ。おいウィスパー」
エコールはウィスパーに呼びかける。
「お前も俺の一部なら、俺が死なねぇように手ぇ貸せ!」
「しょうがないな」
ウィスパーは承諾するとその姿を消し、粒子となってエコールの周囲に纏わりつく。そして、彼女は指ぬきのロンググローブとシルバーの指輪を装備した姿になった。足元もひざ下までのブーツ。鳴らした足裏には金属の装飾もある。
「俺はエコール、マギアメイデン、エコールだ!」
「うおおおおおあああああ!」
子供の化け物が走り寄り、エコールを踏みつぶそうとする。しかし、彼女はそれを蹴り一発で押し返す。盛大に倒れる化け物にエコールは追撃を試みる。
「ぐげえええ……!」
「オスメス分からんがブレイジング金的だ!」
股間に炎のキックをぶつける。ここは神経の集中する部分なので効くはず。
「何?」
しかし、化け物はまるで意に介さず足を閉じて拘束しに掛かる。
「化け物に人体の理屈は通じんか!」
エコールは咄嗟に退いて足が潰されるのを防ぐと、全身を燃やして化け物を焼き尽くす作戦に出た。
「オーバーヒート!」
どこが弱点か分からなくても、ダメージを与えていればいつかは蓄積して倒せる。血が出るならば殺せる理論だ。
「オラオラァ!」
脚の拘束が緩くなったのを見計らい。グロテスクなぶよぶよの両足に拳を叩き込んでエコールは離脱する。さすがに無作為では効率も悪いので、彼女は立ちあがった化け物の眼球に目掛けて拳を振るう。
「これでどうだ!」
潰された眼球からは黄色い汁が飛び出たが、すぐに焼け焦げて汁は止まる。化け物は不快な高音の鳴き声を上げ、エコールを掴んだ。やはり人体の弱点を突いても怯まない。
「うわっと!」
化け物は口を開いてエコールを噛み砕こうとする。しかしそんな隙を見逃すはずもなかった。開いた大口に向かってエコールは炎を噴射する。
「中からこんがりしてやる!」
外がダメなら内側から。さすがに口があるなら消化器官くらいあるだろうと睨んでの攻撃。ついでにキックで前歯を折って離脱も行う。
「ウガアァァァ! イダイイダイヨォオオ!」
致命的なダメージこそなかったが、痛みは本体である親の方に通っていたのか、化け物の背中からドロドロに溶けた人型の様なものが飛び出す。
「しゃぁ、ああいうのが弱点って相場決まってんだよ!」
エコールはアスファルトを熱して白熱させ、人型に飛びついて首をロックし、体重をかけて地面に叩きつける。
「鉄板焼き、スープレックス!」
肉が焼ける音と共に、首をごきりと折られて人型は化け物の体重と投げ技の勢いをもろに受ける。
「ウゴオオオオオオ!」
痛覚は共有なのか、腹からも人型が飛び出した。倒れているうちに追撃すべく、エコールは腹に乗って猛攻を仕掛けた。
「シャイニングウィザード!」
膝を顔面に叩き込み、そして頭を掴み転倒するように体重をかけて腰をへし折りにいく。
「ええい!」
「ゴフッ!」
効くかどうかはわからないが、せっかくなので指を一本ずつ脱臼させる。すごく地味だが痛いのは確かだ。
「懇切指折り!」
「オオオオァアアア!」
グローブの様にパンパンに膨らんだ指を見るに一応ダメージはあるらしい。それを炎を纏った手で握り込み、粉々に指を砕く。
「えい」
あまりの痛みに化け物は一心不乱に起き上がり、どたどたと無様に逃亡を図った。いよいよ決着も近い。
「これで読了だ、とぅ!」
エコールは燃え盛りながら飛び上がり、一筋の炎をなって化け物に降り注ぐ。
「ブレイジングキック!」
爆炎のキックを受けた化け物は天高く吹き飛び、空中で大爆発を起こす。よほど高いのか、サービスエリアの窓は揺れるだけで割れることはなかった。爆発の後から二つの人影が落ちてくる。
仁平と警察官が向かうと、黒焦げになった二人組がまだ生きているのか蠢いていた。上半身だけ、かつ全身炭化するほどの火傷でも死なないというのはおぞましい限りだ。
「コロ……コロ……」
「ヨク……モ」
こうして、マギアメイデン・エコールは誕生した。しかしこれは、今から始まる大きなうねりの序章に過ぎない。
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