ウィスパーを倒せ ①
「追いついたぞ!」
ウィスパーが利家の母に迫ろうとしたその時、ゲームマスターの弟分、マッチアップが間に入る。彼は周囲の人を避難させつつ、戦闘を行う。
「貴様……邪魔をするか?」
「おうよ、兄貴に言われたんでな!」
マッチアップは慣れた格闘家の様にファイティングポーズを取る。一方ウィスパーは大元が運動音痴なだけあり、おもむろに飛び蹴りを放つだけであった。
「ブレイジング……キック!」
炎を纏った飛び蹴りは文字通り、エコールの必殺技。しかし、マッチアップはそのままパンチを繰り出して迎撃する。こちらは必殺でもなんでもない、通常攻撃というより小パンチである。
「舐められたものだ!」
ウィスパーを押し切るつもりで飛び込んだが、ただのパンチが必殺の蹴りを真正面から弾き飛ばす。彼女の脚は砕け、血が吹き出る。
「ぐぁあああっ! 貴様……」
マッチアップは転がるエコールを睨み警戒する。この一撃でダメージが限界に達したのか、徐々に黒い靄となって彼女は消滅していく。
「間に合った!」
利家はバイクで店に乗り付け、戦いの行方を見守る。
「おう、兄貴のバイクじゃねぇか。こっちは終わったぜ」
マッチアップは勝利を報告するが、サリィがそこに補足を入れる。
『警戒して。あれは一時的に実体化する力を失っただけよ。いずれ復活するわ』
「おいおい、どうすりゃいいのさ」
『さぁ? それはあなたがどうにかするしかないわね』
サリィの言うことは無責任に聞こえるが、利家としては納得出来た。他人に倒されて自分の心がどうにか解決できるはずもないに決まっている。
「つっても変身出来ないんじゃな……」
『それはおいおいね。では私達、退散するから』
変身能力無しでどうすべきか、と考えていると、サリィとマッチアップはそそくさと帰ってしまう。それもそのはず、周囲はサイレンを鳴らしたパトカーで包囲されている。明らかにこの事件の黒幕一味の二人は捕まりたくなどないだろう。
警察署に連れていかれた利家は、取り調べを受けることになった。その場にいたため事情聴取というより、名指しで確保されている。
「なぁなんで俺捕まってんの。どう考えても野次馬じゃん」
無免許でバイクに乗ったことは触れずに疑問を呈する。担当したのは老齢の刑事であったが、彼はそこを分かりやすく説明する。
「突如現れた奇特な服装の少女、君はそれと関係があると調べが付いている」
「え?」
「申し遅れた。私は警察OB、元刑事の浅野仁平だ」
刑事、浅野仁平は礼儀として名乗る。とっくに引退した人間が出てくるなど、ただごとではない。
「我々警察は現在の科学で立証できない奇妙な犯罪を数多く確認し、その裏に最近はやりの怪しい健康法、マインドア開錠手術が絡んでいると睨んだ。そしてここ数週間、その事件で出現する謎のバトル系美少女戦士が君であるという調べもな」
警察は基本、証拠や立証がないと動けない。だからと言って、現行で起きている事件に指をくわえて見ているだけということはしない。独自に調査を進めていたのだ。
「どういうわけか君は徐々に、変身した後の姿に寄っていっているが、服装や行動範囲、それに所持している身分証から特定は出来た」
「え? 寄ってる?」
利家はハッキリと初めて指摘を受けたことで、自分の顔を触って変化を確かめる。男なら誰しも生えている銅線の様な堅い髭がなく、もじゃもじゃのくせ毛も痕跡がないほどさらさらだ。
ウィスパーの「お前の身体を使うつもり」とは、こういうことだったのかと今更ながら理解する。心で何度も自分を殺し、肉体を変質させていく。
「うわ……」
「そして君を捕まえたとて、あの暴れている少女を止められないこともこちらは推測している」
「凄く話が分かる……」
警察はかなり丁寧に調べており、大雑把であるが的確に今起きていることの現状を把握していた。
「これまでは君が変身する形であの少女が出現、そして主に他の犯罪への自衛を目的に能力を行使していた。しかし今回は君とあの少女が同時に存在し、かつ少女の方は無秩序な破壊を行っている。破壊活動を行うのなら、最初から出来たであろうが、何故か分裂した状態で起きている。アリバイ工作とも取れるが、我々はマインドア開錠手術を受けた人間が謎の超能力を暴走させる事件をいくつか記録している。今回もそのパターンではないかと仮定した。それに、君は止めに入ろうとしていたしな」
「へぇ、これはご丁寧に」
一部熟練刑事の勘が入っているが概ね正解というところだ。
「警察内部では君を主犯として確保すべきという声もあったが、そういうのは自分の立場恋しい連中ばかりだからこれに首を突っ込むと危ないぞと言って黙らせた。まだ法整備が進んでいない範囲の犯罪を抑止するというのは難しくてね、だから私の様なOBが出張る。何かあった時、警察側が切りやすい様にね」
仁平は利家の信頼を得るために、自身の手を全て明かしていく。彼は有能ではあるが、警察という組織全体では出世したり派閥を築いたりする能力がない、もしくはそこに頓着するタイプではないのだろう。
「しかしよく俺を信用しましたね。勘だけなんです?」
「長年、刑事をしていれば分かる。君は善良な人間だ」
利家は仁平から受ける様な謎の信頼をされることが多い。かつて学校でいじめられていた時、相手が教師の子供だったのだがその子供の言い分を差し置いて「利家くんはそんなこと言う子じゃありません」ときっぱりその教師はいい切ったことがある。歩いていれば道を聞かれ、店で働いていれば商品の場所を聞かれ、要するにぱっと見棘の無い人間なのだ。
ただ受けがいいということは決してなく、三者面談では殆どの担任が『最初はおや? と思うがだんだんいい子だと分かる』と言う様に変人でもある。特に人と目を合わせられない癖が原因で面接の様な短時間かつ一対一の環境ではそちらの印象が勝る為か、バイトなどは受かりにくい。
「それに、偶然居合わせたのに虐待の疑いがある子の為に動いたそうじゃないか。そんな人間が信用出来ないとは思えん。もし君を信じられない様な世の中なら、それはあまりに暗い」
理由は他にもあり、こだまの件に関わったのも評価を上げる要因となっていた。そこで利家はこだまのことを思い出す。
「そうだ、こだまくん大丈夫ですか?」
「ほら信頼できる。彼のことは警察に任せて、まずは君自身の問題を解決しよう」
こだまのことも気になるが、火急なのはウィスパーのこと。こうしている今も、ウィスパーは力を蓄えて再生を成そうとしている。
「ゲームマスターがいればな……マインドアに詳しいのはあの人くらいだ」
「我々もマインドアという能力に対して全く情報が無いわけではない」
警察内部にいるせいでゲームマスターの力を借りられないと悩む利家だが、警察の方でも調査は進んでいた。
「まず、君の身に起きていることがマインドアの暴走という前提で話を進めよう。そこを喧々諤々と議論している時間はないだろうし、君の意思による能力の行使でないのだろう?」
「ええ、なんか変身できないんすよ今。で、変身した姿はウィスパー、あの暴走している奴が使っていた」
マインドアの暴走、それは利家からしても紛れもない事実だ。今思えば、徐々に肉体が変身後に近づくのも「お前の身体を使う予定」とウィスパーが言った通り、暴走の予兆だった。変身、もしくは精神世界への潜入で深淵に近づいた利家を徐々に飲み込む。
それが心境の変化で一気にマインドア能力が成長したせいで、ウィスパー自体が独立して行動できる力を得てしまった。
「その様な事例をいくつか教えよう。君の言うゲームマスターという男は他の能力者にも接触しているからな、彼らから基本的な情報は得ている。マインドアは心の力らしい、つまり発露しているのは感情の一部。例えば君、ムカつく奴をぶっ飛ばしたいとか聖人や仏様じゃあるまいし、心のどこかで思ったことくらいあるだろう?」
「まぁそれは」
「我々の予想では、その部分が主に表出して動き出す。本来は理性に抑えられている部分が暴れ回ることで暴走が起きるのではないかと考えている。むろん、証明が出来ない以上推論しか出来ないが……」
ウィスパーもその一端なのだとすれば、なぜ迷うことなく母親を襲ったのだろうか。自分に母親を殺すほど恨む理由があっただろうか。利家は考える。だが、この話を組み込むと少しでもある不満が凝縮して発露しているのなら不思議ではないとも思える。
「暴走した能力を撃破する、それ自体は何度も試みて成功しているが、また能力は復活して暴走を始める。暴走した能力は抑圧した感情だからな。それが解決できないと根本的に暴走を止めることは出来ない」
「どうすりゃいいんだ?」
根本の解決といっても、容易な話ではない。ウィスパーが暴走している原因を突き止め、なおかつそれをなんとか解決せねばならない。ほぼノーヒントでこれをするのは、さながら昔の説明不足なクソゲーの探索パートだ。
「まずは君自身が暴走の原因に当たりを付ける必要がある」
「うーん……なんか変身してから勝手に身体が親を殺そうとしたからやべぇってなってゲームマスターに貰ったアイテムで精神世界に入り込んで解決しようってなったけど、結局うまくいかなかったんだよなぁ」
利家も手をこまねいていたわけではない。解決の為、独自に動いていた。しかし手ごたえは芳しくない。
「それだ、君は少なからず、ご両親に不満があったのではないか? 私もあまり娘とうまくいってなくてね」
仁平は僅かな手がかりからどうにか情報を引っ張る。利家も少しずつ自分のことを話して整理することにした。
「俺さ、三つ子なんすよ」
「三つ子? 凄いな、一卵性か?」
「はい。まぁ全員一斉に生まれたんで進学も全部同じタイミングで。高校までは一緒だったんすけど流石に大学は別れたんです。なんか中学から成績の開きが出ちゃって。勉強量も大して違わないと思うんだけど……」
利家は中学に入ってから、弟二人に成績で追い抜かされることとなった。彼自身学年で中央に位置し、ことさら問題のある成績ではないが、二人が何の苦労もなく高得点を重ねるために比較は避けられない。
思い返せば、この時点から広汎性発達障害によって発生した得手不得手の差を誤魔化せなくなったのだろう。
「で、俺は県内の私立大学に入って、弟達は県外の国公立に。受験中も俺は足しげく進路指導室に通って、AOでやる小論と面接を練習しました」
利家は進路指導の先生にAO入試を薦められ、そこに集中した。小論文は過去問を全て洗うほど特訓し、元々高い言語能力を遺憾なく発揮できるように努めた。
「でもあいつらは塾に行ってオンラインで授業受けるからパソコンまで買ってもらって……」
自前で受験を乗り切ろうと利家が頑張る中、弟二人は入試に備えて塾へ通った。安くない月謝を払い、パソコンまで整えての戦闘態勢。一人はそこまでして入れるレベルの大学に挑んでいたので彼としても納得だったが、もう一人は担任から『もったいない』と言われるレベルの辺鄙な市立大学だったので特に苦労もなく、ぶっちゃけ予防線のレベルであった。
その後も苦労は続く。必死こいてバイトを探しても、受からないことを『真剣味が足りない』と言われ、やっと見つけたら貰っていた小遣いを切られ交通費や教科書代を自前で出すこととなった。
「俺頑張ったんだけどなぁ……」
よく考えれば奨学金で自宅から大学へ通っているということは実質将来の自分が稼いだ金で行っていることになる。反面、弟はバイトもせずに仕送りを貰い大学院。
「所謂、長男だから我慢出来たという奴か」
「出来なかったからこうなってんすけどね」
長男ではあるが、三つ子な上帝王切開ではもはや取り上げた医者の匙加減。順番は形骸化していると言っていい。現代においては長男の特権が少ないので責任も応じて少なくなるべきではあるが。
「自分の気持ちをご両親に伝えたことは?」
「ないっすよ。少しでもなんか言えばぎゃーすか言い返すし、ちょっと返事がないだけで臍曲げるもん」
僅かに返答がないだけで不貞腐れるという、厄介極まりない性質も実家暮らしでは苦痛になる。利家が自分のペースを崩されたくないタイプというのも相性が悪い。
「ではその両親と電話がさっきから繋がっております」
「ま?」
そんな利家の零した不満が、実は仁平の手によって両親に知らされていた。テレビ電話が繋がっており、両親は車内にいる様だ。
「ウィスパーだったか、暴走した君の能力に補足されない様に、常時パトカーで移動している」
「マジか」
話を聞いていたのか、父は不満を露わにし、母は泣いている。利家はそういうとこやぞと思わずにいられなかった。少しでも自分達の思い通りにならないと即被害者面。今まで利家が素直にしていたのを、彼の我慢の結果とは微塵も思わず自分達の教育の賜物だと思っているのだろうか。
『そんな風に思ってたのか……結構自由にやらせたと思ったんだがな』
「そういう問題じゃないだろ。精神疾患ってのは治すのに十年は掛かる様なもんなの! すぐ働けるようにはならん! ドゥーユーアンダスタン?」
当人が長丁場を覚悟していても、家族に理解がなければどうしようもないのが事実。環境にも恵まれ、大きな挫折を味わったことのない、想定のチャート通りに人生を歩めた人間には理解できないだろう。
「あの、お父さん、お母さん、いいですか」
このままでは平行線になると早急に予想したのか、仁平が間に割って入る。
「彼は優しい子です。虐待の疑いがある子供を助けるために、昔の担任と駆け回ったと聞きました。その先生からいろいろお聞きしましたよ」
彼は土方から利家の話を聞いていた。当然、マインドア事件を収拾するには当事者の心、彼らの周辺を知る必要があるからだ。
「マインドアは大きな力です。それはもう、強盗して警察から振り切るなんて余裕なほど。でも利家くんはそれをしなかった」
『当たり前じゃないか、犯罪をしないなんて』
父はそう言い切るが、長年犯罪者を目にしてきた仁平は賛同出来なかった。
「その当たり前がどれだけ難しいことか……。当たり前に存在するものを、当たり前に過ぎて当然だと思っていませんか? 子供の献身を、空気の様に当たり前だと思っていませんか? 親子、家族なんてのは、血が繋がっているだけで究極的には他人なんですよ。子供も独立した人間なんです」
自分より年上の、人生経験も豊富な男の言葉に反論が出なかった。しかし、その全てを受け止めたわけでもないのか黙り込む。
「子育てとはままならぬものです。私も人の親ですのでわかります」
『仁平さん! 何か高速で接近する物体が! 多分ウィスパーです!』
その時、ウィスパーの接近を運転の警察官が伝える。利家は自分の脚元を確認し、異変を確かめる。
「あいつどこから沸きやがった!」
『どうにかならんのか?』
父が聞いてきたが、今の利家にウィスパーを止める手段はない。
「ない。しばらく反省でもしてるんだな」
こればかりは自分が蒔いた種みたいなものなのでご両親には反省を促すしかない。しかしそうは言っても解決しないわけにはいかない。
「でも本格的にどうするか……」
「マインドアは心の力だ、君の心が変わればあるいは」
仁平にそう言われても、急に心変わりする様な根っこならば最初からこんな騒動にはなっていない。
「つってもな」
「君はご両親に恨みつらみだけがあるはずではないだろう。だからこそ、押し込められた憎しみも大きくなる」
解決策はないが、二人はパトカーでウィスパーを追うことにした。答えは、動きながら見つけるしかない。
「なにか、思い出はないのか?」
「つっても俺、大事なことは先生に教わったからなぁ」
思い出を聞かれても、人間として大事なことは土方に学んだそんな思春期。どんなに『平等に扱った』と口で言っても人間がやることな以上、限界はある。二人の親が三人の子供を十分に見るのは難しい。子供も無意識のうちに、それを察してしまう。時代によっては祖父母が存在することで兄弟が現代より多くてもフォローが効いたり、歳の差があることでなんとかなったりする。
「実はな、警察と提携する民間組織でマインドア犯罪を抑止しようという動きがあるんだ。君に協力してほしいと思う。仕事だから当然収入もある。社会復帰を考えているんだろう? マインドア能力者は希少だから、君の体調に合わせた働き方を推奨しよう」
「それはいいっすね」
仁平はある警察のプランを提示する。仕事を探している、それ以前に仕事が出来る身体ではないので困っていたところなのだ。利家は未来へのプランを胸に、ウィスパーを追うことにした。
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