変身 ①

 目覚めた利家は一階へ降りた。精神世界での戦いはかなり長引いており、既に日が沈んでいた。普段は取り込む洗濯物や、動かしておく炊飯器も今日は手つかずだ。

「ちょっと、何もしてないじゃない」

 降りるなり、母がそう言うが問題はそこではない。土方への連絡手段がないので自分の無事を知らせることが出来ないのだ。最後の心当たりはかつての母校だが、転勤した教師の連絡先など残っているだろうか。

 その時、珍しく固定電話が鳴る。もしやと思い、利家は即座に電話を取った。

「もしもし」

『もしもし、府中さんのお宅ですか? 昔、息子さんの担任だった土方ですが』

「土方先生! 無事だったんすか!」

 電話の主は土方。おそらく卒業アルバムか何かで電話番号を特定したのだろう。どうにか互いの無事は把握出来た。

『ん? もしかして利家か? そっちも無事だったんだな。全く無茶しやがって』

「それはそうと、戻れたってことは巻き込まれた子らも戻れたんすかね?」

『それはおいおい確認するつもりだ。今度会えるか?』

「はい」

 合流の約束を取り付け、電話を終える。問題は中岡という男が今、どんな状態にあるかだ。利家の場合はゲームマスターから貰ったアイテムの仕様なのか、精神世界で死亡してもリスク無く戻ることが出来る。一方、中岡は恐らく自身のマインドア能力で精神世界へ潜入している。マインドアは展開中、受けるダメージを肉体ではなく精神が肩代わりするため、あまりにも強く損傷すれば廃人となってしまう。

 当然あの爆発とダメージなら廃人になってくれるのが一番手っ取り早いが、死体確認していないと則ち生存フラグ。

「土方……だれだっけ?」

「ほら、中学の先生」

 母親はすっかり土方のことを忘れていたが、概要を聞くと思い出した様だ。

「ああ、あの。なんか兄弟割のこと言って来た……」

 土方は利家の高校進学にもかなり手助けをしてくれていた。弟達が特待で行った私立には兄弟割引きがあり、学費が半額になると推薦入試を薦めてくれた。正直どんなに勉強しても苦手教科が全力で足を引っ張る構成な為、利家には願ったり叶ったりな話であった。高校入試は大学入試の様に理系を切って挑んだりは出来ない。苦手な数学や化学が必ず足元を掬いに来る。

「今思えば、何となく俺の障害のこと分かってたんかな……」

 利家は『広汎性発達障害』を持っている。これは発達障害の一種で、ざっくり説明すると得手不得手が生活に支障をきたすレベルで差を持っているというもの。彼は言語能力や空間把握は高い一方、数字関係が不得手だ。

 単純に計算が苦手という以上に、数字が全然覚えられないので歴史の年号はおろか自分の携帯番号も記憶出来ず、最近やっと携帯番号を空で書けるようになったほど。また能力も高ければいいというものではなく、例えば空間把握の場合、少しの違和感を強烈に感じる為見本と違う図形を取り除くといった行為に時間を要する。

 特にそれが顕著なのが光過敏や音過敏。耳がいいと言えば聞こえがいいのだが、必要以上に音の刺激に苛まれる。

「さぁ、分かっていないだけで調べたら私もあるかもしれないし」

 母の無神経は発言に、利家は心の中でクソデカ溜息を吐く。最近ではどこに気を使っているのか『障がい』と書き換えるのが流行っているが、害で差し障っているのは誰でもない当人なのだ。さもまるで運動神経がないだの音痴だの些細な欠点の様に言うのは、当人にしか分からない差し障りを軽んじているとしか思えない。

 特に母は成績優秀で地元でも有名な進学校出身。家庭の事情で大学にこそ行かなかったが、時期に恵まれいい会社に就職出来た。少しでも職場が気に食わなければ転職を繰り返しては職に就ける能力もあり、バイト探し一つ苦労する利家とは比較にならない。


   @


 ある日の休日、利家は土方と会うことになった。彼は今、利家が暮らす同市内の中学校に赴任している。利家はそこに赴き、状況を確かめることとなった。利家は職員室に通され、無事と近況の報告をする。

「ああ、来てくれたんだな」

「どうです、全員無事ですか?」

 土方は名簿に印をつけながら、あの時いた子供達の安否を確認していた。中岡を軸に事件は広がっていたのだが、その犯人が不祥事で左遷左遷&左遷で被害者も散らばる結果となってしまった。逆恨みでかつての教え子を精神世界へ引き込んで何する気かは知らないが、こう学校を跨がれては確認を取るのも大変だ。

「もうそいつ懲戒免職にしろよ」

「ところでお前……ちぢ、女の子になった?」

 事情を聞いた利家は呆れ果てたが、土方は彼の異変に気付いた。

「いや、そんなはずは……」

「だってお前、成人式の時にジェンダー研究会にいるとか……」

「だからって性転換します?」

 利家は大学時代にそんなサークルに在籍していたが、彼自身特に自分の性別などに疑問を持ったことがなく、単純に居心地がよくて居ついただけだったりする。他の場所ならマジョリティになる内面も肉体も男性という存在が、このサークルではマイノリティになるという面白味は度々言及されたものだ。

「まぁそれはいいや。今のところ、全員無事。夢の世界のことも覚えているが……。確認はあと一人だ。あの義手の子」

「深海こだまくんっすね」

 安否確認は順調であった。残るはこだまの件のみだったが、これが非常に厄介であるという。

「あいつのことは気になって真っ先に連絡したんだがな……施設の職員が出るだけで本人の声を聞きたいと言っても電話口に立たせないんだ」

「んんー?」

 深海こだまは市内の児童養護施設で暮らしており、職員が言うには無事らしい。だが、なぜ本人と話させないのだろうか。連絡しているのは恐らく赤の他人だろうが、中岡の後だと怪しく感じるが、一般的には社会的地位のしっかりした教員である。同じ市内なら『研究授業で知り合った』とか言えば不自然さもない。

「なんで義手片方だったんだ……どさくさで落としたのか?」

 義手が片方しかなかったのも気になる。落とした線もあるが、簡単に落ちるようでは不便だろう。それに、片方の袖は最初から結んであった。落とした後に邪魔とならない様結ぶ、というのも考えにくい。拾った時に面倒だろうし、そもそもいくら義手の扱いになれていても袖をわざわざ義手の手で結ぶ意味がない。

「そこが気になってんだよ。あとあいつの歩き方は怪我をした人間のものだ」

 土方は運動部の顧問らしい視点から疑問を投げかける。

「地下鉄が外に出て目覚めるまでに時間があったからあいつのことをよく見たんだが、生傷もあったが昨日今日じゃない怪我も多かった。さすがにこれ以上放置は出来んか……」

「カチコミっすね」

 まさかアニーの時代じゃあるまいし、施設で虐待が行われているなど思いたくないが、これは実際に確認するしかない。


 二人は早速件の施設へ向かった。アポを取ってみたが断られたので問答無用で乗り込む。

「いやお前来るんだ」

「まぁ気になりますし何かの縁ですし乗り掛かった船ですし」

 土方は単独での解決を考えていたので、利家の協力は想像していなかった。特に彼の近況を聞いた時には自分のことで手一杯だろうとも思った。

「お前もいろいろ大変なんだろう?」

「それはそうですがそれとこれは別というわけで」

「昔からそうだよな」

 土方はかつて、利家に『自分に出来ることをしろ』と喝破したことがあったのだが、それがここまで行くとは思っていなかった。一方利家はその言葉を守りつつも、なんだかんだ自分でも奥歯に物が挟まった様な消化不良を嫌う一種の神経質からこの様な行動に出ている。

「お前ちゃんと自分の為に努力してる?」

「……あー」

 逆に、『自分の為に努力しろ』という言葉も贈っていた土方。怪我で練習が出来ない利家にも後悔のない三年間を送って欲しかったが、彼が球拾いなどに専念し過ぎて最後の試合に送り出すにはブランクが不安になってきたのでテコ入れをした次第である。なんというか器用に生きられなタイプなんだなという感想が土方にはあった。

 利家も自分を顧みて、果たして出来ていると胸を張って言えるかは悩ましいところだった。バイトも就職も、物欲の化身たる彼にとっては『自分の為』であった。だがそのバイト代から教科書代や交通費などを捻出し、一方で弟達は働かずに仕送りで悠々自適な一人暮らし。復職に向けて頑張ったがうまくいかず、あまり休むことなく就労支援に通うがうまくいかずど、かつてと違って『頑張ればなんとかなる』とは言い難い状態だ。

「善処します」

「ま、そういうとこがいいとこなんだよなお前」

 話はそれまでにして、正面から施設に二人は乗り込んだ。

「おうおうおう、ちょっと邪魔するで」

「何それ」

 利家は眼鏡の上からサングラスをかけ、チンピラみたいに肩を揺らして歩く。

「いや光刺激対策にオーバーグラス百均で買ったんすけど、効果無くて」

「ないんかい」

「なんですかあなた達は!」

 どう考えても怪しい二人組の侵入に職員は警戒する。職員をかわして中を確認し、こだまの安否を調べるべく二人は左右に大きく振れていた。余計に怪しい。

「お電話した土方です。深海こだまくんはいますか?」

「調べはついてるんだぞ!」

「いますし何の話か分からないですけど無事です! 帰ってください!」

 こうも頑なに会わせないとなると、何だかますます怪しく感じてしまうのが人の業。

「なら会わせてくれませんか?」

「何なんですかあなた達は! 警察呼びますよ!」

「まぁまぁ、いいじゃないですか。連れて来ますよ」

 騒ぎを起こした甲斐があったのかとうとう職員の一人が折れてくれた。しばらく待っていると、こだまがやってくる。やはり義手は片方しかなく、顔に大きな絆創膏が付いている。

「あ、……その……」

「やぁ、無事でよかったよ」

 相変わらずうまく喋れないこだまに、土方は屈んで目線を合わせる。

「どこか怪我したのかい?」

「……こ、転んで」

 数度言葉を交わすと、もういいでしょうと職員はこだまを奥に引っ込めてしまう。


 二人は土方の勤務先である学校の職員室に戻ったが、疑念は深まるばかりだった。

「やっぱ怪しい」

「証拠は押さえたから、後は警察にでも持っていくさ」

 土方は抜かりなく、なんと隠しカメラで面会の様子を記録していた。これなら、少しはこだまの助けになりそうだ。

「さて、お前も気を付けて帰れよ。この件は俺に預けろ」

「分かりました」

 土方に任せればあとは安心、と利家は帰路に付こうとする。

「あん?」

 その時、職員室へ何者かがやってくる。異様に大きく膨れ上がった身体。黒く焼け焦げた表皮。それは精神世界で利家に敗れた中岡の姿であった。

「中岡!」

「あの野郎生きてやがった!」

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