深淵 ④

 殺し屋、それは金で雇われてターゲットを抹殺する闇の職業。漫画などではお馴染みだが、現実世界、特に治安のいい日本では目にしない存在だ。いたとしても、暴力団の下っ端が鉄砲玉に使われる程度だろう。

 だから今、この日本で買った少女をホテルに連れ込んでシャワーを浴びている中年男も、自分が今殺し屋に狙われていることを知る由はない。曇りガラスの前にタオルを持った少女が立ち、その従順さを満足そうに見つめていた。

「ん? 寒いな」

 しかし、足が張り付いて動かなくなっていた。力づくで離そうとして離れるものでは無かった。お湯を浴びているはずなのに、寒気を感じる。それどころか、肌の感覚がどんどん失われていく。

「な、なんだ……」

「なかなか死なないな。肥満ってのは面倒なものだ」

 困惑する男の前に、扉を開けて少女が現れる。青みがかった銀髪を短くした少女で、どうも身体は完全な撒き餌に過ぎず服を脱いでいない。

「な、なんだお前は……」

「扉越しじゃ殺しきれない、早く済ませたいんだけど」

 この奇妙な現象はこの少女が起こしているらしい。鏡が凍り付いていき、身体も動かない。

「か、金で雇われたのか?」

「それ答える必要ある?」

 下半身に脳が付いている様な男であったが、少女が殺し屋であることには気づいた。恐怖よりも、これが現実かを認識できないために頭が働かないでいた。

「ま、待て、お前に依頼した奴の五倍……いや十倍出そう!」

 そしてお決まりの取引を持ち掛けた。殺し屋という存在に現実味がないことを、この凶器も必要としない謎の殺人が補強していた。

「いらない」

 少女は謎の力により男を一瞬で氷漬けにする。そして、荷物を纏めて部屋を出る準備をする。男の言葉を一人で否定しながら。

「殺し屋ってお金で雇われるから、そうやって簡単に乗り換えると信用失うのよ」


   @


「話しが長い」

 利家の体験談を聞いていた時東だが、肝心な話が見えてこない。心の底にどこか家族への恨みがあるから操られそうになったのであって、自分には関係ないと思っている様だ。

「まぁまぁ、まだ分かっていないことの方が多いから気を付けた方がいいって話だ」

「それでも私にはやることがある」

 利家の忠告もまるで意に介さない。一方、浅野は何かの電話を受けていた。そしてそれを切ると時東や咲にある提案をする。

「マインドアの悪用事件が起きた。ちょうどいい、マインドアを開いたらどうなるか、他の例を見ておこうか」

「他の?」

 マインドアといえば、二人にとってエコールと田中のものが全て。あとは全て聞きかじりだ。極端な馬鹿と制御に成功した者という二極しか知らない彼女達は実際に見ないことにはその悲劇的な末路を実感し切れない。

「では行くぞ」

「ていうか警察の仕事に一般人連れてっていいんですか?」

 外に出て車の鍵を開ける浅野。咲は公務員の仕事をそうひょいひょい見せていいのかが気がかりであった。特にあまり公へ発表していないマインドア関係の話だ。

「うちは警察OBが関わってるだけで民間だよ。連絡も警察から来るけど民間だよ」

「どこまで民間なんだか……」

 浅野曰く民間企業ということになっているが、もうどっぷり過ぎて曖昧な境界。それに一つの疑念があった。

「唯一の戦力が私達と同い年か二つは下くらいなんてのもどうなのよ」

「一応俺二十代後半なんだけど……」

「え?」

 話の中では明言していなかったが、この外見で超年上。もうすぐオッサンに片足突っ込むとは思えない見た目だ。

「どうしてそんなことに……」

「不可逆の変貌、それもマインドアの恐ろしいところだ。現場に行きながら話そう」

 利家はこうなった経緯を二人に語った。


   @


「うおわっ!」

 心の中でウィスパーに殺害された利家は落下した夢を見た時の様に飛び起きた。少し声が高くなっている気がしたが、疲労感があり眠った気が一切しない。今日も就労支援の訓練があったのだが、流石に行ける気がしなかった。

 体調不良を理由に欠席する旨を施設に電話する。こんな危険なら心の中に入るのはしばらく辞めた方がいいかもしれない。

「どうするかな……」

 まだ何とか抑えられる範囲とはいえ、放置するのも憚られる。このまま先延ばしにしてもいいものとは思えない。

「もう一度行くか?」

 あんな初見殺しではゲームだとしても納得がいかない。利家は再び扉のミニチュアを使い、心の中へ再度潜った。


「ええい中間ないんか!」

 戻ったのは死亡した地点ではなく表層であるおもちゃ屋。鍵は一応開いているが、単純に奥まで戻るのが面倒くさいくらいには距離がある。変身して身体能力を強化しても、面倒なものは面倒。

「やっと戻ってきた……」

 どうにか自宅らしき場所に復帰したが、また一瞬で仕留められないように慎重な行動が求められる。

「どうやら今はいないらしいな」

 幸い、ウィスパーはいない。試しに家の外へ出られるか利家は試してみることにした。

「鍵は開かないか」

 予想通りというか、鍵を開けることは出来ない。内鍵が全く微動だにしない。しかし内鍵なので鍵を見つけて開錠する様な仕掛けでも無さそうだ。扉には、あるサイトのURLが記されていた。

「これがヒントだな」

 一時期はまっていた脱出ゲームの様なノリ。flashplayerがサービスを終了してからというもの、多くの名作が失われた。そんな郷愁はいいとして、このURLのサイトにアクセスするのがこの鍵を開く手順なのは明白だ。

「よし、パソコンはあるな」

 猫のいる部屋にパソコンが置いてあり、それを起動する。随分昔のデスクトップなので、起動にも時間が掛かる。

「おかしいな」

 だが猫を飼い始めた頃にはノートパソコンになっていたはずだ。時系列の辻褄が合わない。なんとか起動し、ブラウザでそのURLへアクセスする。

「重い」

 だが、サイトが重く表示できない。同人ゲームの体験版一つ動かないクソPCであるが故に、現代のインターネットについていけないのだ。心の中なので関係あるかは不明だが。

「他にパソコンないかな……」

 これはノートの方を探す謎解きだと理解した利家はパソコンの捜索を始める。パソコンのある部屋には今共用になってるパソコンはなく、諦めて二階からパソコンを持ってくることにした。

「仕方ない、自分の使うか」

 二階に上がり、弟の部屋に入り自分のパソコンを手にしようとする。ノートとはいえ使う度に開いて線を繋いでというのは面倒なので、弟の部屋に展開して勝手に使っている。

「あれ? 俺のじゃねぇな」

 だが、その部屋に利家のパソコンはなかった。ただお目当てのパソコンはあり、これでどうにか先へ進める。弟のものだがポケットWi-Fiもあるはずなので、わざわざ下に降りずここで作業することにした。やはり赤いポケットWi-Fiも存在する。

「立ち上がりも早いぞ」

 流石に世代が違う。すぐにURLを打ち込むところへ辿り着けた。ようやくそれが繋ぐサイトの全容が明らかになった。

「就活サイトか」

 就活で散々お世話になった求人サイト。まぁ多分こうだろうなとログインのページに入り、自分のメールアドレスとパスワードでマイページに繋げる。そこにはかつて応募した県外の求人がお気に入りとして残されていた。おまけに、おあつらえ向きに『応募する』の場所には鍵のマークがついている。

「鍵のマーク! これで……」

 そこをクリックすると鍵が開くはず。そう思ったのも束の間、そのリンクへ飛ぼうとすると急にネットが途切れてしまう。

「あれ?」

 ポケットWi-Fiを見ると、リンクを踏む時だけ通信が途切れているらしい。他の動画サイトなどを試しに閲覧したが、その時は問題が無かった。ならばと利家は接続を変えることにした。

「これでよし……」

 一階のデスクトップからLANケーブルを抜き、持ってきたパソコンに繋ぐ。コンピューターに疎い利家だが、この線の繋がりは理解していた。ポケモンを引き継ぐためにWi-Fi環境が必要になったのだが、何故かネットを敷設した親が線の繋がりについて『知らん』などとほざき出したため自分で線を辿ってどこに無線ルーターを付けるか探り当てたのだ。

 今やその無線ルーターは親のスマホを通信制限から守る手段となっている。

「やっぱり行けるな」

 有線のWi-Fiでは問題なくリンクを踏めた。玄関の方から鍵の開く音がしたので、意気揚々と外へ出る。

「さて、次はどこだ?」

 扉を開けると、やはり見慣れた近所の光景。なんだこんなもんかと思い一歩踏み出すと、何故か家へ吸い込まれていくではないか。

「な、何?」

 まるで大きな掃除機に吸い込まれるかの様な暴風。身体が浮き、咄嗟に扉の淵に掴まるも変身した握力さえ通用しない力だった。

「なんじゃこりゃああ!」

 家の中は宇宙に様変わりしており、利家はその宇宙へ放り出されてしまう。当然命綱はなく、扉へ戻る手段もない。

「私はかもめ、私はかもめ……じゃねえ!」

 だが、『自分が出来ると思うことは出来る』のだ。例えば手から炎を吹かして飛ぶということも可能に違いない。そして、強く願った結果実際に可能だった。

「うおおお! アイアンマーン!」

 飛べはした。両手の炎を動力に、扉へ真っすぐと帰還出来る。が、肝心の扉が無くなってしまったではないか。

「うそぉん……」

 加えて、何かに引っ張られていく。地球の重力にでも引かれていっているのかと思いきや、自身の真下に広がるのは木星の光景。木星は茶色っぽかったなどという感想を漏らす暇もなく、超重力の渦へと吸い込まれていくのであった。実物を見たことのない利家の精神世界だからか、木星も映像っぽい。


「だあああ!」

 文字通り落下した夢を見た直後の様に飛び起き、周囲を確認する。相変わらず現実の自室だ。扉のミニチュアが部屋のドア前に落ちているので間違いない。

「こうなったらもう一回!」

 再挑戦を試みる利家。しかし聞きなれたはずである自分の声に妙な異変を覚えた。

「あれ? 変身解いてないっけ?」

 自分の服装を見るとしっかりパジャマなので変身は解除されているはず。きっとあんな信じられない事態に陥ったから混乱しているのだと自分に言い聞かせ、もう一度心の中へ入る。

「イクゾー! デッデッデデデデッデ、カーン」

 疲労からおかしなテンションになっていたが、彼を止める者はいない。

 再びどうにか自宅のある層へ辿り着くと、今度は違う求人に応募することで扉を開ける。

「今度こそ……」

 扉を開け、外に出る。今度は吸い込まれない様にダッシュで。だが、足に何かが引っ掛かり壮大に顔面から転んでしまう。

「いってくない!」

 相変わらず変身していると痛覚がないのは謎だが、足が引っ張られて家に引きずられていく。何か鋭いものが激しく回る音と共に。

「うわ」

 鋭利な刃物が付いた機械が玄関に設置されていた。巻き込まれたら粉々に切り刻まれそうな勢いで。それに気づいた時にはもう遅く。ぐちゃぐちゃにされて目が覚めるのであった。


「くそ、もう一回!」

 三度目の正直と、利家は再び心の中へダイブを試みる。ベッドから降りると、少しパジャマのズボンがズレた。ゴムで止めるのでそんな急に伸びてダメになったりしないはずだが。これでも変身すれば問題ないので、変身して中へ入ってしまう。

 面倒な前段階をまたひーこら突破し、別の求人に応募することで鍵を開く。扉は空いたが、開くと同時に大量の水が家へ流れ込んでくる。

「あ」

 勢いよく流され、廊下の扉を突き破って家の奥へ押し流されると、なんと下水施設のような場所へ出ていた。しかし下り坂の様な形状と大量の水のせいでさながらスライダー。

「罠とかねぇよな……」

 ひたすら流されていくが、特にアイテムが落ちているわけでもない。逆に罠も設置されていない。突然宇宙に投げ出されるよりはマシかもしれないが、この下りもどこまで続くのか分からない。

「げ」

 安心していると、流れてくるゴミを裁断する為に回転する機械が出現する。さっきの機械の大きいやつ、といったところか。このままではまた死に戻りだ。

「一か八か……オーバーヒート!」

 無抵抗なまま死ぬわけにはいかない。手から渾身の炎を放って機械の破壊を試みる。炎がぶつかると激しく金属がひしゃげる音がし、煙と炎が立ち上がる。状況は分からないが、このまま突っ込むしかない。

「保険のブレイジングキック!」

 水の流れを利用し、右足に炎を灯らせ、キックの体勢を取る。無事に裁断機を抜け、死を免れること自体はできた。

「よし!」

 形式的に奥へ潜る形になるため、これでどうにかなったはず、と利家は安心した。

「うわああ!」

 そうこうしていると終着点に辿り着く。匂いがきつく、ゴミの浮いている文字通りの下水。いよいよ、探索も第三段階へ突入したかに思われた。


   @


「で、一体何が起きたって?」

 現場で起きていたのは、ある奇怪な事件であった。現場はごく普通の飲食店だ。チェーン店ではなく個人経営だが、客が殺到しており異様な雰囲気に包まれている。

「ここってカレーがまずいことで有名な蕎麦屋じゃない?」

「いや逆は聞いたことあるけどなんだそりゃ」

 咲は店の名前を見て、ある噂を思い出す。この街には異様にまずいカレーを出す蕎麦屋があるのだとか。その手の噂に疎い利家は同郷ながら一切聞いたことも無かった。

「というかよくこんなちっこい店のこと覚えてたな」

「まぁ名前が印象的だからね」

 店にはでかでかと看板に『真厨荘』と書かれていた。近くの道にも看板が出ている。

「もうちょっと名前なんとかならん?」

 浅野もこれには一言言ったかった。まずそうなんて言われたら怖いものみたさで来る客もいるだろうが、よほど美味しくないとリピーターは期待できない。

「蕎麦屋なら蕎麦が美味しいなら問題ないんじゃない? ていうか普通に美味しくなっただけでしょこれ」

 概ね時東の言う通りだ。マズかったのが美味しくなったから客が殺到している。それを通報するとは疑心暗鬼も甚だしい。果たして、この店で何が起きているのか。四人は早速調査を開始するのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る