深淵 ②
大きな問題ではある。自分が特に操られているという感覚もなく家族を手に掛けようとしていたという事実は。家族への感情はともかく、それで豚箱だけは勘弁願いたいものだ。
「確かにそうした方がいいかもね」
就労支援施設で利家は今後の身の振りを考えていた。今の状況では無駄に期間を食いつぶす一方。職員からしても一旦切り上げて体調を整えた方がいいのだろう。多くのケースを見て来た人が言うのだ、そのアドバイスには従った方がいい。これで言質も取れたというもの。
「ていうかなんか小さくなってない?」
「え?」
毎日見ていると他人の変化は見えにくいというが、職員という言わば赤の他人からも分かる程度に利家の身体に異変が起きている様だ。
(たしかに服が少し大きい様な?)
いつもヘビロテしている服も袖が僅かにあまり、ベルトの穴も変わった。元々背が高い方ではないが、小さくなるということがあるのだろうか。
(そういえば声優さんで背が縮んだって話が……)
長い間叫ぶ役をやっていた人の背が縮んだという話を聞いたことがあった。ただそれは加齢もあるだろうし一般的な事象ではない。
(気のせいか)
あれだけ美少女への変身を繰り返していれば錯覚も起きるもんだと思うことにした。
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もしかして耳鼻科系の不調ではないか? と精神の主治医に言われたので彼は耳鼻科に通っている。母の職場でも紹介状を書く先として評判のいい医者だ。診察室には子供の描いた絵が飾ってあり、院長の人柄を伺わせる。
「うーん。まわってるねぇ」
リクライニングする椅子を倒し、目に器具を付けて利家の瞳の動きを観察する院長。眩暈の兆候は確かにあったが、いろいろ検査しても薬を飲んでも改善の傾向が見られない。いつも通り薬を処方されて終わり。原因が分からなければどんな名医にも手の施しようがない。
「おも……」
隣の薬局でもらう薬というのがマズイシロップ剤で、二週間分も処方されるとずっしり重い。もう仕入れに使う箱そのまま渡されるレベルなのだ。レジ袋が有料の昨今、空気を読んでタダで袋に入れてくれる始末。
「久しぶりだな、エコール」
「ん? あなたは」
そんな時、突然前にゲームマスターの男が現れた。弟分も一緒だ。
「兄貴、急にどうしたんですか? 駒に会いたがるなんて」
「相談の内容は読んだ。お前のことだ、もしマインドアの影響で人を殺した場合、警察に自首してゲームを降りることになるだろう。良カードは手放したくないんでな」
ゲームマスターは相談のショートメッセージに『意思をしかと持て、お前が出来ると思ったことは出来る。つまり出来ないしたくないと思えば不可能になるということだ』と返していた。その通りにしてきたが、時折無意識に凶器を持っているので油断が出来ない。
「立ち話もなんだ、どこかへ行こう」
「わざわざ、どうも……」
怪しい男二人についていくのは憚られるが、現状を打破するにはゲームマスターの助言が必須だ。わざわざ彼もその警戒を考えてか、近くのファストフード店を選んだ。
「マインドアとはすなわち、心の力。お前は魔が差すというこの国の言葉を知っているな?」
コーヒーを飲みながらゲームマスターは語る。お昼時なので人もそこそこいるが、だからこそ話の内容を気にする者も少ないだろう。この会話も数多くの雑音、その一つになる。
「それはもちろん」
「お前を支配しようと、いや違うな。お前のもう一つの意思、それこそが『魔』だな」
時間的に利家は昼食としてチーズバーガーのセットを食べていた。コーラもポテトもLにしてある。一方弟分はコーヒーが苦手なのかジュースを注文していた。
「マインドアが開いた影響で、お前が奥底に押し込んでいた感情が力を持って表に出た。それがお前の変身能力であり、両親を殺害しようとするものの正体だ」
話は単純。マインドアを開いてしまったせいでこうなっている。おそらくはあのウィスパーとかいう存在の仕業だ。
「ウィスパーの目的はそれか……」
「そのウィスパーというのもお前の一部だから、正確にはお前の目的だがな」
「俺が人を殺したいと?」
自分が人を殺したがっているという信じがたい事実を否定する。しかしより事情は込み入っていた。
「よく不満に思って『ぶっ殺してやる』と口走ることがあるだろう? それが極端に凝縮されて噴出したのがそのウィスパーだろう。お前から良心や呵責を全部取っ払っているから極端にもなる」
「止める方法は?」
そんなものが表に出ようとしているのなら、止めるのは当然の判断だ。両親だけでは被害が済まないかもしれない。さらに言えば、自分の筋力ではなくあの変身した姿となればとんでもないことになるのは想像に難くない。
「ある。当然な」
ゲームマスターはあるものを差し出す。小さな扉の細工らしきものだ。少し厚みがある。
「これを使え、お前の深層心理へ入れる」
「こんなアイテムあったんだ」
「当然だ、マインドアは我々発祥の技術だからな。ただし気を付けろ、敗北はお前が自分の心に呑まれることを意味する」
まさに前門の虎、後門の狼。このまま放置すればいつウィスパーに乗っ取られるか分からない上、屈服させるのも危険ときた。
「どうすかはお前の自由だ。その選択もゲームの一つだからな」
このアイテムと選択肢を残し、ゲームマスターは立ち去った。猶予はありそうだが、究極の選択肢を叩きつけられた形となる。
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とりあえず選択は後回しにして、利家は日課を熟すことにした。実家から外に出るのが困難な以上、何等かの理由で外出する時にやりたいことを概ね熟しておく。その一つに、アーケードゲームがある。
「さてと」
カードを使うアーケードゲームで、セーブ用のカードを使うと一日三回のミッションを熟すことで一定以上のレア度確定でカードの印刷が出来る。それに四回カードを印刷するとキャンペーンに使う応募券が印刷されるので定期的にゲームをしておきたかった。
「くっそボタン堅いな……」
アーケードのボタンは筐体によってコンディションが異なる。おもちゃ専門店に置いてあるこれは連打しなければいけないボタンが摩耗し、戻りが悪くなっていた。
「あー、あー」
先ほどから無視しているが、未就学児程度の子供がお金も入れずにゲーム機のボタンをバンバン叩いている。昨今の苦しいゲームセンター事情を考えるとお金も落とさないのに消耗ばかりさせる行為は控えて欲しいものだ。
「はぁ」
舌打ち混じりに溜息を吐いていると、バキ、と嫌な音がゲームコーナーに響く。音源の方を見ると、ゲーム機がエラー画面を起こしながらただカードを吐き出している。
(あーあ、壊しちゃったよ)
一方で利家は「お、これならいけるか」とレア発掘を試みる。印刷という方式上、極めれば当たりを付けることが出来る。筐体のハンドルを回して排出されるカードをある程度見れるのだが、その弾のカードを把握していればそれでレアが埋まっているか分かる。一定のレアリティにしかいないキャラがあるのだ。
「よし」
この発掘で当てられると確信し、一発で最高レアを引き当てる。妙に運がいいのは昔からだった。が、それを印刷しようとした時筐体に異変が起きた。画面がエラーを表示し、カードが無限に排出される。
「ええ……」
店員を呼ぼうか考えた瞬間、カードが舞い上がる。なんと、あの子供がカードを操っていたのだ。
「またオープナーかよ!」
子供には自身のマインドアに自覚がないのか、無邪気にカードをばら撒いて近くにあった自販機やガチャガチャを破壊して中身を取り出していた。
「あっぶね! くそ、変身!」
さすがに危険を感じ、利家は変身する。母親らしき人物はスマホを見ていて、まるで状況を認識していない。スマホは有効活用すれば育児を助けてくれるが、大半は子供ではなくスマホを見ている有様。これこの様に。
「おい! 聞いているのか! やべーぞ止めろ!」
母親に声をかけても全く反応がない。イヤホンは付けていない様に見えるが、最近はコードのないものも増えて見分けがつかない。
「ぐおわ!」
声に反応したのか、腕がカードの嵐でズバッと切れる。痛みがないのは幸いで、骨が見えるほど深く切られて血が溢れ出していた。鮮血が白い修道服を染める。怪我した場所にはカードが突き刺さっており、圧迫して止血するのも難しい状態だ。痛くないだけで痛みは想像でき、背筋がぞわぞわしてくる。
こんなものを普通の人間が喰らってはひとたまりもない。そんな中で堂々とスマホ見ている母親は肝が据わっているのか馬鹿なのか。おそらく後者だと利家は考えた。
「どうする?」
エコールの武器は拳。このままでは近づくことが出来ない。自分と外敵、二つの敵にエコールは立ち向かうこととなった。
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