深淵 ①
咲が訪れた住所には、小さな店舗があった。てっきり、何か事務所の様なものかと思っていたが予想が外れる。ただ、確かに名刺には『エコールホビー』と書かれていた。おもちゃ屋なのか、窓際にはロボットが置かれていた。
「すみません」
「いらっしゃい」
店番をしていたのはマギアメイデン・エコール、府中利家。レジに立っているというよりは、その近くにある机で何かを作っていた。レジだけやっていても暇な為、同時に作業をしているのだろう。
「あの、昨日あった……」
「えーっと、すまん、人の顔覚えるのが苦手で」
エコールは相変わらず咲と目を合わせないが、そのせいなのか彼女のことをあれだけ話していたのに覚えていなかった。
「昨日、学校でマインドアのこと教えてくれましたよね? それでクラスメイトが何か考えているみたいで」
「おや、お客さんかね?」
咲がどういう事情で来たのかを説明していると、奥から初老の男が出て来た。確かに老人ではあるが、背筋は伸びておりガタイはいい。
「仁平さん」
「もしかして昨日の高校の子じゃないか? もしかして、何か相談があるのではないか。愛花からも連絡が来てたぞ」
仁平という老人は即座に状況を把握する。正直エコールだけだと話に難がありそうなので助かったところだ。
「私は浅野仁平。今日学校に来ていた刑事は私の後輩でな。時東という子が危ういという話は聞いていた」
「そうなんですか、あの刑事さんが……後輩?」
凄くすっと話に入るなと思った咲は、ある点に引っ掛かった。刑事が後輩ということは、この仁平は警察官なのか。
「そうそう、私は警察OBだ。利家くんは警察関係者ではないが、大っぴらに動けない分、彼をサポートしながら事件の収束を目指している」
「なんで警察は動けないんですか? あんだけの事件なのに……」
あれほどの大きな騒ぎであったのに警察はOBを導入してなんとか後手ながらの対応をしている。明らかに事件性があっても動けない理由でもあるのか。マインドアが特別な力であるが故、上から圧力でも掛かっているのかと訝しむ。
「単純に物的証拠を掴めないんだ。昨日のだって、本当にあの玩具の銃が知能の低下を起こしているのか分からない。それに、もう立証のしようが無くてな。警察というのは事件が起きた後かつ、証拠が無ければいけない。こういう科学で解明できていない超常的なモノには滅法弱いのだ」
仁平によると、単純に法律や科学がこのマインドアについていけていないということだ。しかしだからといって何もしないわけにはいかない。
「そこで警視庁は協力者と警察OBでチームを組み、事態の鎮静化を図っている。もちろん大っぴらには出来ないから、こういう隠れ家を使ってね」
「それでこのおもちゃ屋……」
このおもちゃ屋は隠れ蓑、フロント企業なのだ。おもちゃ屋というには、少々ラインナップが偏っている様に見えるのだが。
「おもちゃ屋ではないよ、ホビーショップだ」
「何が違うの……」
エコールの主張はよく分からないので、咲は話を進める。
「そうだ、時東さんが大変なの。マインドアを使いそうになって……」
「マインドアなら、予約がパンパンなのよ。オープナーの近くにいれば偶然開けるかもと思って来たけど……」
噂をすればなんとやら、時東が姿を現したではないか。彼女もここの場所は知っている。あのクラス全員に情報は共有されている。
「時東さん! 本気なの?」
「本気よ。私一人の命で済むなら軽い軽い」
どうやら、彼女は自分の命と引き換えにしてでも成し遂げたいことがある様だ。
「もしや、誰か不治の病で苦しんでいるから救いたい人がいるのかね?」
仁平はそう予想したが、状況は似ているのか時東は否定しない。
「悲劇を一つ無かったことにするには、不思議な力に縋るしかないでしょう?」
「死ぬだけならともかく、死ねないなんてことになるかもしれないのに……」
咲は田中の末路が頭から離れなかった。心を砕かれたが、生きてはいる。あれは死んでいない、性格に言えば死ぬことも出来ないのだろう。大砲という物体の死が破損なのか、それとも機能不全なのか、定義し難い。それ以上に反応を伺えないので死んでいるかの確認さえ取れない状態だ。
「確かに、残された者のことを考えるとな。生死不明というのは、死なれるよりもキツイものだ」
警察官である仁平は今までに消息を絶って生き死にが分からないという例も見て来たのだろう。その観点から時東を止める。だが、彼女にその心配はいらなかった。
「そう、なら大丈夫。私は残された側だもの」
「それって……」
なかったことにしたい悲劇、そしてこの言葉。咲の中にある仮定が浮かんだが、踏み込めずにいた。クラスメイトである以上の接点がないため、どこまで距離を詰めていいか分からない。
「だから失敗してどうにかなっても悲しむ人はいない」
「それはどうかな?」
投げやりな時東に、エコールは久々に口を開く。やけに自信満々だ。
「なにそれ、もしかして自分が悲しむなんて陳腐なこと言いたいの?」
「いや、もし成功して救いたい人を救えたとしよう。だがその後、自分が乗っ取られてその人を殺してしまうなんて最悪過ぎるパターンは想像していたか?」
乗っ取られると聞き、咲は昨日の話に出て来た、エコールに力を与えたウィスパーという少女の存在を思い出す。
「もしかして……マインドアを開くとなんかもう一つの人格が芽生えるとか、それに乗っ取られてるからみんな力を悪用しちゃうとか……」
「残念なことに元々抑制が効かないからマインドアみたいなトンチキパワーに飛びつくし、安直な能力になるんだ」
「じゃあ何なの」
田中や機能の話に出て来た親子は元々の性格に問題があったからああなったとエコールは断じる。確かにそうでもなければワクチンを怖がる一方でマインドアなぞという変な能力の手術は受けない。
「まぁ何を隠そう俺がそのウィスパーに乗っ取られかけてな。こういう例は他に報告がないからなんとも言えないが、だから二人共に起きる可能性がある」
エコールはその危険性について、自分の体験を含めて話初めた。
@
「ふごっ」
初めての変身から数日後、利家は変わらない毎日を送っていた。就労移行を殆ど眠って過ごしたというのに、帰ってからもぐったりぐっすりとリクライニングしたソファアで眠ってしまう。辺りはすっかり暗くなっており、彼は急いで家事をする。
「あんま疲れとれない……」
変身していれば身体能力の高さから回復力も上がると踏んだが、精々飼い猫に踏まれても痛くない程度であった。太った身体を細い足で支えるため、乗られるととんでもない圧力が身体に掛っていつもは痛い。
ご飯で他の部屋に誘導して扉を閉め、洗濯物を入れる。最寄り駅は山道五キロの田舎にある戸建ては、小中校の頃こそ学校が近くて便利だったが歳をとるにつれてアクセスの不便さが浮き彫りになる。親としてもてんかんで車に乗ってはいけないという診断が下るのは予想外だっただろう。
「はぁー」
実家暮らしであるが皿洗い、洗濯、炊飯はするので殆ど一人暮らしの頃と仕事量が変わらない。なんなら、家族分するせいで増えてさえいる。
「戻るか」
多少は楽だが、劇的に変身したことで何かが改善するわけではない。変身状態で訓練を受ける、睡眠をとるなど工夫もしたが、謎の疲労感と眠気に襲われる現象ばかりは避けられない。
「もっと便利な能力がよかったなぁー」
手にしたブローチを見つめてぼやく。藤色の宝石が埋め込まれた花のブローチが変身アイテムになっている。ただ心の力というだけあり、これを常に持っていなくても必要な時には現れてくれる。家に忘れても変身しようとすれば手元に出るので、財布か何かにくっつけておけば纏めてもってきてくれるかもしれない。
車の音がして、母親の帰宅を利家は悟る。とりあえず家事は済ませることが出来た。
「ただいまー」
これから繰り広げられる茶番劇を思うと溜息が出る。問題は飼い猫のことだ。猫自体は利家も可愛がっているが、対応に問題がある。
「出ちゃかん、出ちゃかんって。あー」
母は猫が待ち構えている扉を開けると、案の定外に出してしまう。玄関は閉まっているので完全室内飼いの猫が屋外へ飛び出すことはないが、二階へパタパタ上がっていく音が聞こえた。
「部屋閉めてる?」
母は自室を閉めているか聞く。ベッドの隙間などに入り込んで大変、程度にしか思っていないだろうが、利家は趣味の都合部屋に刃物が置いてあり怪我をしないか心配になる。それに部屋を閉めても季節によっては建て付けが悪く、完全に閉められず開いてしまうこともある。
リビングへの扉は曇りガラスとはいえ向こうが見えるので待ち構えていることくらいすぐ分かるし、何度もやっていればどうなるか分かりそうなものだ。しかし何の対策もせず同じことを繰り返す。脱出の妨害に成功することもあるが、正直そろそろ対応策くらい練ってもいいのではないかと思うのであった。
「さて……」
利家は猫が心配なので二階へいく。疲れた体に結構厳しい作業だ。幸い扉は閉まっていたので進入することはなかったが、抱えて戻るもの一苦労。
「ふぅ」
「あんた痩せた?」
無駄な気苦労ばかり背負わされては痩せるよ、などと思いつつそんなこんなで夕食である。母のパートのシフト次第であるため、時間はまぁまぁズレる。基本、母の職場の愚痴を聞きながら。しかし利家はあることをずっと考えていた。
(このまま就労支援を続けてもいいものか……)
仕事をしたいが、まずは崩した体調を戻さないといけない。そのため、就労支援を利用しているのだが実はこれ、利用期間に制限がある。二年という期間が設けられており、利家は実に一年半を過ぎてしまった。過ぎると再度利用するのにいろいろ面倒がある。その上、今の状態では訓練すらままならず就職など夢のまた夢。
まずは体調不良の原因をハッキリさせておきたいのが本音だ。ただ、中々そうは言い出せない。というのも、彼の両親は僅かに何か反論をすると総出でまくしたてて潰すという悪癖が昔からあった。そのせいか利家は正直に両親へ相談出来ない場面が多々あった。
最悪なのはそれを当人が自覚していて「くどいのがうちの性質」とあまつさえ開き直っている点だ。
(休みの時の昼飯がチャーハンヘビロテなのをちょっと言ったらじゃあ食うなとか極端なんだよ)
そんな欠点を欠点とも思わない態度を見続けたせいか、両親の背中よりも恩師に学んだことが多い。
利家の恩師は中学時代の部活の顧問である。厳しいが生徒と向き合い、頑張っている利家のことを父に向かって「あの子は見捨てない」と言ったことがある。そのことを聞いていたからか、厳しくても彼は恩師についていった。卒業の時には「部活一の努力家」と称されたが、正直利家は「そうかぁ?」と謙遜気味であった。
なんだかんだ、卓球が好きだから続いたのだろうという面は大きい。
昼に寝ると夜中眠くなくなるというのはどうしても付き纏う問題で、その日も夜遅くまで利家は小説を書いていた。夜の方が筆の進みがいいのもまた事実。明日もあるので流石に寝ようと一階へ降りて歯磨きと服薬を済ませることにした。
「……」
父は何故かソファで寝ていることが多い。理由は聞いたことないが、妙な歪さを感じないでもなかった。いつもの様にキッチンの電気だけを付けて、薬を飲む。キッチンのシンク下には棚があり、包丁をしまえるようになっていた。
そこから一つ、利家はパン切り包丁を取り出す。母が昔パンを作っていたこともあり、切り分けられていない食パンをスライスするのに用いていたのだ。
そういえば年始に早速、「今年こそ働いてもらう」と言われていたのを思い出した。基本物欲の化身である利家は働きたくないわけではなく、前の仕事も車の運転ありきであったため退職せざるを得なかっただけ。就労支援へいく前もバイトに応募したが、どれも受からなかった。第一、大学時代のバイトも就活も苦労したのでそう簡単に決まらないだろうことは何となく分かっていた。
少しでも嫌なことがあれば職を転々と出来る母の様な人間には分からないだろうが。利家は他人への無関心と嫌な奴だと思っても少しいいとこを見た程度でチャラにする程度の甘さを持っている為、あまり人間関係を問題にしない。
しかし一方で弟二人は大学院に行かせたまま。唯一利家が希望しなかっただけなのだが一人に関しては就活のタイミングで言い出した上教授と合わないだので休学までしている始末。
両親的には平等に扱っているつもりだろうが、とてもそうは思えない。そもそも子三人に対して親二人ではどうしても平等になどならない。いっそ三つに切り分けてはどうだろうか。利家はパン切り包丁を手に、父の枕元に迫る。
「ん?」
ふと、彼は何をしようとしたのか思い出せなくなる。たしか、この包丁で父に危害を加えようとしていたのは確かだ。だが、操られていたという感覚も、父に対する憎悪も無かった。
「これは……ヤバい」
根底にあるのは危機感。なにか得体の知れないものが自分の中にいる。そして、それが紛れもなく外的なものではなく自分の一部で相違ないという確信。彼が翌朝を待たず、ゲームマスターに連絡を取ったのは言うまでもないことであった。
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