目覚めの時 ②

 子供を蹴り飛ばし、エコールの初陣は始まった。随分と酷い絵面であるが状況が状況だけにしかたない。ヒーローのヴィジョンは本体がダメージを受けたせいか、揺らいで維持が難しくなる。

「うるせっ!」

 自分が蹴った子供の甲高い泣き声が脳に突き刺さり、利家は顔をしかめる。鼓膜が振動して伝わっているというよりは、直に脳みそへ異物が刺さる様な不快感である。しかしここで集中を切らしてはいけない。チャンスは来ているのだから。

「さっさと決めるぞ!」

 利家の意思に反応し、右足に小さな炎が灯る。本当に小さな、火の粉が散る程度であったが確実に仕留めるという気持ちを反映してか、足取りも軽くなる。

「おおおお!」

 本来の運動神経では不可能な、それこそヒーロー然とした飛び蹴りを敵に向かって放つ。ヒーローのヴィジョンの胸部をキックが捉え、利家は転倒することなく着地した。一方のヴィジョンは漏電の様に火花を散らしながらふらつき、遠くへ逃げていく。しかしそれも虚しく途中で倒れ、小さな爆発を起こして消滅する。

「ん?」

 それと同時に子供の泣き声が止んだ。様子を見にいくと、呼吸はしている様だが目の焦点が合わずぼんやりと宙を見ていた。集めたお菓子にも興味を示さない。口からだらしなく涎を垂らしているが、閉めることもない。

「一体なんだ?」

 状況が呑み込めずにいると、後ろから足音が聞こえる。二人分、この混沌とした状況にしては落ち着いたものだ。利家は視力以外の五感は鋭い。

「どうやら、有能なプレイヤーが現れたようだな」

「でも兄貴、こいつ手術した奴じゃないんだろ?」

 長身の痩せた男に、猫背で肩を張って大きく見せようとするヤンキーの舎弟候な男の二人組だった。手術、という単語を聞き利家はふとあることを思い出す。

「もしかしてマインドア……」

「察しがいいなプレイヤー。彼らはマインドアの強制開錠手術を受けた者だ。その影響を受けて手術をしていないお前も開いてしまった様だが……それはつまり素養の高いプレイヤーである裏付けだ」

 最近テレビや新聞で盛り上がっている、成功者への近道ことマインドア開錠手術。水素水とかマイナスイオン並に根拠のないことであったが、まさかの信じがたい光景に関与しているというのか。

「俺はゲームマスター。お前は不測の事態により盤上へ上がってしまったが、ゲームマスターの義務としてゲームのルールを開示しよう」

「ゲームマスター? あんたが黒幕なのか?」

 ゲームマスターを名乗る男はこの事態の黒幕とするならやけに親切であった。利家の核心に迫る様な質問にも、答えられる限り答える。

「正確には私の同胞だがね。私は同胞の目的を叶えるためこのゲームを取り仕切る。残念だが、それ以上のことは教えられない」

「ゲームの景品とかが目当てなのか?」

「そうではないな。ゲームが行われることで起きること、それが目的だ。これを開示しないことで君がゲームで不利になることはないと保証しよう。あくまでプレイヤーは君と同じホモサピエンスだ」

 深堀りしようにもきっちり線引きをしているのか、やはり教えてくれない部分がある。言い方もまるで自分達は人間ではないかの様な、人間同士の戦いであること以上の含みを感じられる。

「それより、もっと有利になる情報を聞いておかないのか? 君達の法的執行機関が来れば、私達は退散せねばならない」

「そ、そっか、じゃあ……」

 話を逸らすのもうまい。この状況では確かに警察が来れば去ってしまうというのが想像に難くない。

「マインドアってなんだ? それを開くと何がある?」

「簡単に言えば心の扉だ。奥に潜む欲望、押し込めていた感情、それが発露しあの様な、物理法則の世界ではありえない現象を引き起こす」

 利家が想像していた以上に、マインドアというのは単純な代物であった。要するに超能力を得るというものなのだ。それならばモノによっては成功者へとなるのは容易いかもしれない。

「ってことは俺にはバ美肉願望……」

「あの様な幼体ならともかく、この程度の文明を構築する知性体の成体が美貌だけの単純な深層心理であるかは疑問だがな。ともかく、それは君の心の力なのだから君がこうしたいと願えば可能だ。歩くことが容易い様に、出来て当然と思うのが重要だ」

 こういう状況のゲームマスターというのは情報不足で困惑する参加者を高見の見物というイメージが利家にはあったが、この男は実に丁寧であった。疑問に思っていること、これからの戦いにおいて重要になることを全部教えてくれる。

「一体何が目的なんだ?」

 利家の疑問にゲームマスターを名乗る男は淡々と答える。無意識に目を反らす彼に対し、目線を合わせようとしながら。

「ただゲームが面白くなればいい。私にとって結果よりも重要なのは過程だ。戦況が拮抗していても児戯では退屈、逆にワンサイドゲームでも圧倒的ならばそれは見ごたえがあるだろう。それが全てだ」

「俺に何をさせる気だ?」

 今まで映画の中の出来事だと思っていたデスゲームが目の前にある。そう考えると利家は固唾を呑まずにいられない。この男が要求するものによっては、ここで死ぬ可能性が出て来た。

「ゲームのルールは単純だ。この混沌を生き抜け。既にマインドア開錠手術を受けた者は数えきれない。あの幼体の様に制御出来ず欲望のまま振り回す者もいれば、考えて悪用する者もいるだろう。お前がその力をどう使うか、それ自体がゲームなのだ」

「降りることは……?」

「ゲームから降りるのも戦略だが、生き物とは生きている限り盤上に立っていると思え。私のゲームから降りる、というのもそのカードでの勝負を放棄したという、プレイングの一つに過ぎない」

 利家にとって重要なのはこのゲームというのが強制参加かどうかというもの。逃げたりした場合、この二人が始末しにくるなどのペナルティが無いかという心配だ。だが利家の考える様なサバイバルゲーム的な想像とは異なり、ゲームマスターの考えるゲームはもっと壮大なものであった。

「つまり戦わなくてもあんたらに殺されたりはしないと?」

「もちろん。戦闘を避けるのも立派な戦術だからな。そんな無粋なペナルティはないことを保証しよう。しかしマインドアを開いた者、オープナーが点在するこの盤上で他のプレイヤーに関与せずにいられるかは私にも保証しかねるが……」

 ゲームマスターはしっかりと自身の立ち位置を示した上で、利家の後ろを指さす。そこには先ほど吹っ飛ばされた子供の母親が立っていた。

「うちの子に……何をしたぁああ!」

「オープナーが起こした事件に君が巻き込まれた時、それがゲーム開始とも言えるな」

 母親は恨み節と共に、黒い影の様な兵隊を次々と生み出す。武器を持っている上、飛び掛かってきてそれを避けると足踏みだけで床を粉砕してきた。一体一体があのヒーローのヴィジョン並であるということなのか。

「言っておくが、我々は自衛こそするが手を貸すことは出来んぞ」

「ええー!」

 利家が二人の後ろに逃げるので手一杯な一方、ゲームマスターと弟分は素手の攻撃で兵隊を吹っ飛ばし、爆散させていた。すると、母親の姿勢が揺らいだ。

「ん?」

「心のリソースは有限だ。ゲームマスターへの攻撃に割くのは、オススメしないぞ」

 そこで彼はふと気づく。撃たれたのに痛みがないこと、ヴィジョンのヒーローを粉砕された子供の魂が抜けた様な態度。そして、マインドアの力が心依存であること。それらはある推測に繋がる。利家は小さく手を上げて質問する。

「あの、もしかしてマインドアで出したものってぶっ壊されると心もぶっ壊れるんすか?」

「心そのものだから当然だ。お前も気を付けろ」

「なるほど」

 答えはイエス。あの兵隊は無尽蔵ではない。倒していけば、母親の精神を削り切ることが出来る。一方彼のマインドアはこの変身という鎧。ダメージの受け過ぎには注意だが、武器や使役する何かになるよりはよほど管理しやすい。

「俺はあいつらを一撃でねじ伏せられる」

 利家は拳一つで影の兵隊を倒すイメージを脳内に浮かべる。元々妄想逞しい上、今の姿は実際の彼とかけ離れているおかげで想像は簡単。あとは実行するだけ。

「おりゃあ!」

 パンチで兵隊を殴ると、想像通り一撃で打ち倒し、爆散させる。確かに心の力、出来ると信じたことが出来る様だ。

「ということは必殺技もいけるか……?」

 ただ敵の量が多いのでこのまま戦っていても面倒。一気にケリを付けたいところだ。戦いが長引けば被弾も増えてしまう。利家はいくつかの候補を上げ、名前を決めて必殺技を放つ。

「ブレイジングキック!」

 名前があるとイメージしやすとはどこの漫画かラノベのセリフだったか。想像したのは炎を纏ったキック。その通り、火の玉となって影の兵隊を薙ぎ払い最後の一人に直撃すると吹っ飛ばしながら爆発させる。

「やけに爆発するな……」

「え? 仕様じゃないんすか?」

「それはお前が倒した時に派手な爆発をイメージしてるからだろう」

 ここに来て衝撃の事実だが、母親も撃破して事態はどうにか収束する。やはり、兵隊を全滅させられた母親も魂が抜けた様な状態になって転がっていた。ゲームマスターはカードを二枚持ち、呟いた。

「物欲にマジョリティとしての優位性か、浅ましい精神ではこの程度の能力だな」

「え? 負けたらカードにされるの?」

 ここにきてまさかのデスペナルティかと冷や汗をかいたが、ゲームマスターはすぐ否定した。

「ゲームオーバーになった者の記録に過ぎん。心の封印など、傍観者でしかない私に持てる能力ではないよ。使い道といえばボーナスの番人くらいか」

「あ、そうなんだ」

 ゲームマスターは謙遜するが、弟分は掛け値なしに絶賛する。

「いやすげぇよ兄貴! そのカード俺でも使えるんだからさ! なんかすげぇ能力だしそんな能力になる心持ってる兄貴すげぇよ!」

「常に他人というのは優れて見えるものだ、弟よ。私からすれば、お前や彼の様に直接ゲームに参加できる能力の方が優れているさ」

 なんだか良好な兄弟なんだなと利家は思ってしまう。彼も三つ子の長男であるが、正直兄弟の折り合いは良くない。一人はまだマシだが、もう一人はもう働かない理由作りに大学院に行っている様な気さえしていた。

「ではこれにて失礼。ゲームの質問はいつでも受け付けているから、この連絡先に掛けてくれ」

 ゲームマスターは名刺を華麗に投げる。普段はどんくさくてキャッチボールさえできない利家であったが、突然の名刺を難なく片手で受け取れたことに驚く。

「あ、取れる。ラインじゃないんだ……」

 そこには電話番号と対応できる時間、そうでない時間にはショートメッセージを送る旨などが記載されている。社会人経験のある彼からすれば、凄く丁寧な名刺に見えた。

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