目覚めの時 ①
あの後、警察が学校に来た。田中の母は息子の変わり果てた姿に泣き崩れていた。
「警察関係者じゃないのね」
「そうだな」
警察の捜査に混じらないエコールを見て咲は呟く。教室は破壊され警察の現場検証が行われるため、生徒が自身の教室で待機する中、彼女のクラスだけ視聴覚室に移動することとなった。
「で、詳しく説明して。マインドアが開いたら、私達どうなるの?」
エコールは咲たちクラスの視線を一身に受けていた。変身を解除して男物の服に身を包んでも、少女の様に見えるが本人曰く『ギリギリ男で踏みとどまった』らしい。部屋の隅にいたが、エコールは観念して教壇に立って説明を始める。
「そうだな……じゃあ俺の例から話していこうか。そう、アレはまだ拙僧がモルカーであった頃……」
「真面目に」
一応切羽詰まった状況なので話は真面目にしないといけない空気が漂う。目の前のふざけた男だか女だかが彼らにとって唯一のケースモデルになるかもしれないのだから。
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マギアメイデン・エコール、府中利家はある事情により仕事を辞め、実家に戻ってきていた。しかしそのまま遊んでいるわけにいかないのは彼が一番分かっている。失業保険の期間も切れ、日々減っていく残高。しかし、就労支援の訓練もままならない始末。
「……」
てんかんの発作が現れたことにより、車の運転が出来ない利家は駅まで職員に車で送り迎えして貰っていた。助手席には大声でひたすら自分の言いたいことだけを言う男がおり、行き帰り数十分でも聴覚が過敏な彼にとっては耐え難い苦痛であった。イヤホンで音楽を聴いていても、それを貫通してしまうのだからどうしようもない。
光や音の刺激に対抗するため、オーバーグラスや耳栓も試したが効果は現れない。その為訓練中も殆ど疲労で寝てしまう。ただ、それも刺激への過敏性が原因かは分からないでいた。睡眠の検査や耳鼻科通いで眩暈についても調べた。内科も一通り受けたがハッキリしたことが言えないでいた。
健康に支障がないのは喜ばしいことであるが、それはそれで問題なのだ。
「今日はあれの発売日か」
公式サイトで食玩の発売日をマークしておき、ちゃんと店へ買いにいく。駅で電車に乗って最寄り駅に帰っても、そこから山道を長々と行かねばならないのでバスを一時間近く待つ必要がある。自転車でも乗れればいいんだろうが、そもそも軽作業もままならない体力でそんなことはできない。
この街は車が人権キャラと言っていいほど、車ありきの設計をされている。駅からショッピングセンターへバスで行けるのはいいが、それでも一時間に数本。帰る方に至っては平日だと一時間に二本。ギリギリ運用に耐えるといったところか。自宅周辺のバスは数時間に一本なのでそもそも乗せる気がない。
「さて……あるといいが……」
利家は食玩の在庫を心配する。まっすぐ食品コーナーの食玩コーナーへ向かえる程度にこの行動は習慣化していた。食玩は発売日が決まっているが、入荷日に出してしまう店もある。そしてそのまま売り切れなんていうパターンは何度も見た。そして今日は発売日午後。人気商品や注目のラインナップは消えている可能性が高い。
食玩コーナーというのは幼児向け菓子の付近に設置されることも多く、必然的に子供が集まる。利家は子供が嫌いだ。子供の高音で耳障りな大声は元より、それを制御出来ないばかりか負けじと大声を張り上げる親もいい迷惑。大体母親なので甲高い声が加速する。
「いらないって言ってるでしょ!」
そして今日も繰り広げられる、勝手に戦えな謎バトル。子供が言うことを聞かないのでイラついている様だが、その子供を構成している遺伝子の半分は自分である。そしてもう半分の遺伝子を選んだのは自分、環境要因も自分で作っているので自業自得に収束する。
カエルの子はカエル、トンビは鷹を産まない。諸行無常。
「ギリギリか」
手に取ったのは特撮の可動フィギュア。雑魚敵の立体化は貴重で何としても手に入れたい逸品だ。
「んあ?」
その時、手にした商品がどこかへ吸い込まれていく。まるで念力で浮かんでいるかの様に、その商品は未就学児と思われる子供の方へ向かっていく。雑魚敵なんぞ子供の欲しがる商品でないことは明確で、その子供は周囲のお菓子を無差別に吸い寄せて身体に貼り付けていた。
「要らないって言ってるでしょ!」
母親のヒステリーが破裂する。いやそれより目の前の現状に突っ込まないんかいと言いたかった利家だが、尋常ならざる事態に危機感を覚えてその場から歩いての逃走を図る。
「まぁもう一個あるし」
棚から最後の一個を確保し、弁当に入れる冷食を買いに行く利家。
「いらなブゲっ!」
が、母親が何かに吹っ飛ばされて利家の方へ飛んでくる。人にぶつかっては危ない。彼は『チーズ牛丼食ってそう』と罵られる程度には地味な見た目をしていたが反応速度に関しては並以上。ゲーマーとしての素養で回避に成功した。
「あっぶね」
母親が飛んできた方を見ると、子供の背後にヒーローの様なヴィジョンが浮かんでいた。母親を飛ばしたのはこのヒーローで間違いない。
「新手のスタンド使いか!」
とりあえず一生に一度はしてみたかったお約束を経て、利家は周囲の状況を見る。あのヴィジョンは他の人にも見えていた。ざわざわと集まっているが、スマホで写真を撮るなど状況の収束に協力しようとする気配はない。
利家も写真は取らないまでも、家庭トラブルに巻き込まれて死にたくないのでそそくさと退散することにした。
「な、またかよ!」
が、また目的の食玩が引っ張られる。これが最後の一個。車がなく店の梯子が正直キツイので、なんとしてもここで確保したいところ。
「ぬおおおお!」
子供のものとは思えない力で引っ張られる食玩。両手で抱えても、自分の身体ごと引っ張られてしまう。
「お、諦めたか?」
が、途中で念力が途絶えて普通に持てる様になった。今のうち、と動いた利家であったが、自分に落ちる影で新たな脅威に気づいた。
「なにぃいいい!」
なんとヴィジョンのヒーローが直に襲ってきているではないか。ダッシュで回避するが、ヒーローの拳は硬い床を砕き凹ませる。回避が遅れていたら命に関わる。
「なんて奴だ……、まさか念力で奪えないからタマごととったらぁということか?」
ほんの少し綱引きに負けた程度で強硬手段に出るとはずいぶん短気である。
「うお!」
少し呟く間にも、ヒーローのヴィジョンは利家の眼前に接近し拳を振るう。世界がスローになり、所謂走馬灯が見える。
弟二人が塾だオンライン授業だでお金を使う中、一人で進路指導室に通いつめ小論文の練習に励んだ結果、AO入試での大学進学に成功したあの時。一人暮らしを始めたくせにバイトをしない弟達と違い、バイトの面接に落ち続けてそのことを「真剣味が足りない」と母親に言われながらどうにか見つけて交通費から教科書代まで稼いで奨学金を三年目には借りなくていい様になったあの日。そして愚痴の一つ零すとぎゃーすか喚かれながら内定を取り付けた就活。
(ここまでか……)
死を覚悟した瞬間、周囲の風景が溶け、暗闇になる。そこには血まみれでボロボロの少女が立っていた。そして、彼女は囁く。
「お前に死なれると困るんでな。力を貸してやる」
「誰だ!」
急に現れた存在を警戒しつつ、利家はその素性を問いただす。しかし彼女は正直に答えているのだろうが容量の得ないことを言うだけ。
「私は、お前だ。お前の隠している感情からの囁き、言うなれば、ウィスパー」
「ウィスパー?」
「何がどうなっているか分からんが、私が多少動けるらしい。手段は問わん、死を回避しろ」
会話は一瞬だった。気づけば、腕でヒーローのパンチを防御していた。そして、自分に芽生えた違和感を即座に認識する。服が違う。男物ではありえないひらひら感があった。
「うおおおっ!」
パンチを弾き飛ばす。気合を入れた声は高く、鈴が転がる様なものになっている。
「な、なんだ?」
自分のことをよく見ると、どうやら白い修道服に身を包んでいるらしい。とはいえ随分と漫画ナイズされている。大学時代に友人と遊んだカードゲームで、自分が使っていたカードのキャラを思い出す利家。
「変身した?」
癖が強く髪型の選択もままならなかった髪はさらさらに。手を見ると、素手で床を割る拳を受け止めたにも関わらず白い柔肌に傷一つ付いていない。
「これは……」
(眠れる欲望を呼び起こせ! 赴くままを響かせろ! エコール!)
謎の少女ウィスパーはその声を最後に消える。何が何だか分からないが、とりあえずギリギリで危険を回避できた。ならばすることは一つだ。
「よし、避難だ!」
当然、変身したからといって戦う気にはならない。一応防御能力は証明されたが、かといって勝てるかどうか分からないのに戦うのは無謀。逃げるのが防衛には一番手っ取り早い。
「ぎゃーっ!」
しかし背を向けた瞬間、何かをぶつけられてすっ転んでしまう。起き上がってみるも、服が赤く染まっていた。この鮮やかであるが空気に触れることで黒ずむ液体は、血である。床や手にもべったりついている。背中から攻撃されたが貫通して内臓を痛めたらしい。
「なんじゃこりゃー!」
ヒーローは銃を持っており、煙が上がっていた。まさかの発砲である。だが妙なことに痛みはない。
(効いてないのか? いやでも痛みがないって調子こいてダメージ蓄積でやられるやつやん)
痛くはないが、危なくないということではないと利家は直感で判断する。相手が銃を持っていて追いかけてくるのでは、もう逃げるのが正しいとは言い難い。流れ弾で被害が出る危険も出てきてしまった。
「やるしかないのか……」
もう戦って倒すしかない状態だ。この変身もいつまで持つか分からない。ここは一発勝負でどうにかする他ない。
「こうなりゃヤケだ!」
利家はジグザグに動きながらヒーローに突撃する。銃は直線しか攻撃出来ないため、こうして狙いを反らせば当たりにくい。とよく言われているが効果のほどは不明。だが本体が未就学児というのもあり、引き金さえ引けずにヒーローは利家のタックルを喰らう。
「どけ!」
ヒーローをいくら殴っても無駄。そう判断した利家は短時間で最大の効果を目指すことにした。それは、本体への攻撃だ。
「おりゃあああ!」
様子をのこのこ見に来た本体である子供の顔面に靴底を思い切り押し付けてのヤクザキック。利家の膝ほどもない子供は当然綺麗に吹っ飛ばされる。
こうしてマギアメイデン・エコールの初陣は逃走失敗からの子供への暴力という、目も当てられない始末から始まった。
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