第71話 似顔絵

 部屋に戻ると、希星たちは俺の部屋で雑談に興じていた。


「青野さん、お帰りなさい」

「青野君、お帰りー」

「……お帰り?」


 詩遊だけは首を傾げ、なんで自分がこんなことをこいつに言わないといけないんだろう……? みたいな雰囲気だが、まぁいい。


「ただいま。家に帰ると出迎えてくれる人がいるってのは、やっぱりいいもんだなぁ」

「……青野さんが望めば、そういう生活が一生続きますよ」


 希星がじっと見つめてくる。その情熱的な瞳は本当に嬉しいね。


「ありがとう。けど……それはもう少し保留な」

「はい……。あの、大丈夫ですか? お母さんのこと、あまり悩まないでいいですからね?」

「うん……。わかってはいるんだがなぁ」


 本当に赤の他人だったら、あっさり切り捨ててしまっても良いかもしれない。しかし、相手は希星の親で、できれば仲良くしておきたいところ。


「……なぁ、希星のご両親が喜ぶ贈り物とかって、何か思いつくか?」

「へ? 贈り物ですか? うーん……何が嬉しいんでしょう? 正直、いまいちピンと来ません」

「そっかぁ……」

「何? 青野君、物で釣ることにしたの?」


 赤嶺が意外そうに尋ねてきた。


「物で釣るっていうか……。酒とか美味いもんでも渡したら、案外あっさりと話がまとまることもあるのかなって。人間ってそんなもんだろ?」

「あー、そういうこともなきにしもあらずかもね。ただ……そういうことなら、似顔絵でも描いてあげたら? 青野君も希星ちゃんも絵が上手いんだし」

「似顔絵……?」


 その一言に、何かハッとするものがあった。


「……なるほど。どうせ話もできないなら、似顔絵を贈ってみるのも悪くないのかもなぁ」


 イラストにも絵画にも興味がなかったとしても、似顔絵には多少なりとも反応してくれるはず。


「……ダメですよ。私の両親、むしろ絵を見るのは嫌でしょうし……」


 希星が消沈した様子で言う。両親が、希星が絵を描くことを拒絶してきたのを知っているからだろう。


「んー、やってみる価値はあるんじゃない? たぶん、あのお母さんだって、絵が嫌いなわけじゃないでしょ? 言葉じゃ伝わらないことでも、一枚の絵なら伝えられるかもしれない。

 例えば……そうだなぁ、テーマは、ベタだけど『感謝』とかにしてみたらどう? 希星ちゃんが両親の笑っている姿を描いて、ありがとう、って一言添えるとか」


 赤嶺の提案に、希星は渋い顔。


「……嘘くさくなりますよ」

「そっかー……。嘘を書くのは良くないねぇ」


 俺としては、赤嶺の提案はなかなか良いものに思う。大人なら、色々と思うところを一旦飲み込んで、感謝を伝えるくらいはできる。

 そもそも、希星の親への感情だって、全部が嫌悪ではないはずなのだ。掘り起こせばきちんとあるはずの感謝の気持ちを出せばいいのだが、そのコントロールはまだ難しかろう。

 それならば。


「……俺が、希星の似顔絵を描こうかな」

「え? 青野さんが、私の? ですか?」


 希星も赤嶺も首を傾げる。


「そう。希星は、何も無理しなくていい。ただ、俺が、俺の見てきた希星の笑顔を一枚の絵にする。その一枚でご両親の気持ちが変わるかわからないが……こんな素敵な笑顔の娘さんを産んでくれてありがとうって、俺は素直に伝えられる。そこから始めてもいいんじゃないかな」


 本当に、何か意味があるのかはわからない。言葉を尽くすわけじゃないから、余計に話が拗れる可能性もあるのかもしれない。

 それでも、完全に断絶してしまうより、きっといい。


「いいんじゃない? 面白そうだし、やってみなよ」


 赤嶺は乗り気だ。

 希星はどうかというと……。


「……試してみてもいいかもしれませんね。私も、別に両親と絶縁したいわけでもありませんし」

「じゃあ、やってみよう。コンテスト用の絵も描き終わってるし、時間はある」

「わかりました。ちなみに、えっと……私、モデルをした方がいいですか? 写真で……?」

「まぁ、せっかくだからモデルをしてもらおうかな。写真より大変だけど、写真を見てるだけじゃ出せない味ってのもある」

「……わかりました。やります。むしろ、やりたいかもです」


 希星が恥ずかしそうに微笑む。この瞬間を写真に収めるっていうのもいいんだけどなぁ。


「……わたし、そろそろ帰るね」


 呆れ顔の詩遊がつまらなそうにぽつりと呟き、玄関に向かう。

 それを赤嶺が追いかけていく。


「私、送ってくるね。すぐ戻ってくるから、二人きりだからって過剰な接触はダメだよ?」

「べ、別に何もしねぇよ」

「……してくださってもいいんですけどね」

「おいおい」


 赤嶺も呆れ顔で詩遊の後を追い、部屋を出る。

 それにしても。

 もともとは俺一人で二人分の面倒を見ようと思っていたけれど、現状を見ると、赤嶺も協力してくれて本当に良かったと思う。

 俺一人だったら、詩遊の心のケアまでは全く行き届かなかっただろう。


「……赤嶺さんには頭が上がらないな。特に詩遊のことに関しては」

「ですね……。私、頑張ればもっと色々とできる気でいたんですけど、いざやってみたら全然でした。情けないです……」

「希星は立派だよ。俺の高校生時代と比べればあまりにも立派すぎるくらい。自分のことしか頭になかったのが恥ずかしいよ。高校生なんて、だいたいそんなもんだとも思うけどさ」

「……でも、今はこうして立派に大人の男性です」

「今は、な。希星もいずれそうなればいい。じゃあ、早速描こうか。希星はそこに座ってくれ。俺は正面に座るから」

「はい」


 希星と座卓を挟んで向かい合って座り、俺は描画用のタブレットPCを構える。


「……似顔絵を描くなんて、久しぶりだ」

「前回はいつだったんですか?」

「さぁ……いつだったかなぁ」


 似顔絵を描く機会なんてそうそうない。前回描いたのは数年前で、モデルは前の彼女。

 色々とすれ違いもあったけれど、俺は彼女のことが好きだったし、彼女の似顔絵を描くのはとても楽しかった。


「……今は、私を見てくださいね?」

「もちろんだ」


 勘が鋭いというか、なんというか。俺が昔の彼女を思いだしていたことを、希星は察したらしい。


「えっと、笑っていればいいんでしょうか?」

「ずっと笑ってるのは辛いだろ? 普通にしてくれてればいい。希星の顔を見ていたら、笑顔は自然と浮かんでくる」

「……青野さんの中の私は、ちゃんと笑顔ですか?」

「うん。そうだな」


 出会った当初は、いっそ死にかけているようにさえ思えた。

 しかし、今の希星はとても綺麗で、笑顔の似合う健康な女の子だ。

 タブレット用のペンで、軽く当たりを取っていく。相手はマンガも読まなさそうだし、今回はリアル寄りの絵がいいだろうな。


「私、青野さんの隣で、ずっと笑っていたいです」

「ずっと笑ってるなんて無理だよ。泣くときもあるし、怒るときもある。誰かと一緒に生きていくっていうのは、そういうこと。

 いつも幸せじゃない代わり、いつも不幸ってわけでもない。

 幸せだけを共有するんじゃなくて、不幸も一緒に乗り越えられるからこそ、かけがえのない絆になる」

「……なるほど。私、そういう絆を築いていきたいです」

「……ゆっくり時間をかけて、な。すぐには築けない絆だからこそ価値がある」

「はい」


 希星が力強く微笑んでいる。

 申し訳ないけれど、俺はその笑顔でまた昔の彼女を思いだした。

 でも、昔の彼女と、今の希星の笑顔は重ならない。

 将来は結婚しようか、なんて話もしていた彼女だけれど、結局は楽しい時間を過ごすことしかできなかった。とても幸せそうに笑っていた彼女は、辛い時期を一緒に乗り越えるなんて面倒くさいことは頭になかっただろう。

 それは俺も同じで。

 今思えば、別れてしまうのも当然だった。

 ただ、彼女と過ごした日々は確実に俺の血肉となっていて、彼女以外の誰かと過ごすための力になっている。

 ありがとう。

 希星には隠れて、心の中だけで感謝しておく。


「……青野さん?」


 希星の声が若干低い。なんでバレる?


「……なんだ?」

「なんでもないですよ? なんでもないので、集中して描いてください」

「わかった……」


 なんでもないことにしてくれているうちに、集中して描いていこう。

 昔のことはもう忘れて、俺は希星の似顔絵に没頭した。

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