第55話 十年後、二十年後

「なぁ、何かしたいなら、今からでも始めればいいんじゃないか?」


 赤嶺に提案してみる。


「えー? 今更何を始めろっての?」

「それは赤嶺さんが決めればいいことさ。でも、今からでも始めないと、また十年後くらいには後悔してるんじゃないか? 二十七のときから始めてたら、今頃それなりに何かができていたはずだ、って」

「……けど、二十七からの十年と、十七からの十年って違うでしょ? 男の子には想像しづらいかもしれないけど、私はこれから、結婚とか出産とか子育てを考えていかないといけないんだよね。特に子供ができたら、自分の時間なんてあんまり取れなくなっちゃうじゃん? 今から何かを始めても、結局中途半端に終わっちゃうよ」


 赤嶺は、どこか許しを乞う子供のような顔でこちらを見てくる。

 そんな理由があるのなら満たされない部分は諦めるしかないよね、とでも言ってほしいのだろうか。でも、同時に、俺に否定してほしがっているようにも思える。言い訳してないでやれよ、と。

 どちらなのかはわからない。

 ただ、今の俺が思うことを、素直に伝えてみよう。


「俺は男だし、赤嶺さんの焦りは完璧には理解できない。でも……本気でやろうと思えば、一つ何かを続けることくらいはきっとできるって俺は思う。

 二十七歳じゃもう手遅れみたいに言っているが、絶対にそんなことはない。三十七歳の自分をリアルに想像してみろよ。そんで、そのときの自分になりきって自分に問いかけてみな。本当に、この十年間でたった一つのことさえやり続ける時間はなかったのか? って。

 そりゃ、趣味の時間を取れないくらい、大変な時期もあるだろう。だけど、特に大変な時期以外なら、自分のために使う時間だって取れるんじゃないのか?

 もしかしたら、一人では時間の確保もできないかもしれない。だとしても、将来のパートナーの助けを借りたらできるんじゃないか? まだ相手はいないんだし、助けてくれる人をパートナーに選ぶっていう選択もある。

 机上の空論かもしれない。俺が何もわかってないだけかもしれない。もしそうだったら、今の俺を将来思う存分罵ってくれ。

 ただ、端から無理だと諦めてたら、本当はあるかもしれない可能性だって見つけられない。

 赤嶺さんは、本当に諦めてしまっていいのか? 十年後、二十年後、自分の人生にちゃんと納得できるのか?」


 自分自身に対しても痛い言葉。お前が言うなよ、って思う。自分だって、もういい歳なんだからと冷めた部分があって、絵を描くのも程々でいいと思っていた。十年後の自分なんて想像したことなかった。

 それが、希星の姿を見て、妙に感化されて、自分でも何かできるんじゃないかと、変に期待してしまった。これから頑張れば、もしかしたら何か変わるのかもと思ってしまった。

 今の気持ちは単なる勘違いかもしれないのに、赤嶺にこんなことを言うなんてな。

 俺の問いかけに、赤嶺は渋い顔をする。


「……青野君は厳しいなぁ。もっと甘やかしてくれれば、私も緩く楽しく過ごせていたのに」

「赤嶺さんが本当に緩くて楽しい人生を望んでいるように見えたら、甘やかしてたかもしれないな。そんな風には見えなかったから、つまらない説教をしてしまったよ」

「……ちなみに、もし青野君の将来のお相手が、子供が生まれても自分の好きなこともちゃんと続けたいって言ってきたら、どうする? ちゃんと助ける?」

「当然だろー。俺だって、もし子供がいたって自分の好きなことはちゃんと続けたい。俺が続けたいんだから、そのお相手が好きなことをやりたい気持ちも尊重する。理想論かもしれないけど、パートナーってそういうもんだろ」

「……うん。そうだね。青野君なら、そう言ってくれるよね」


 赤嶺が深く溜息を吐く。そして。


「……青野君が、私の……」


 そこまで言って、赤嶺は言葉を切る。


「……うん? なんだ?」

「んーん。なんでもない。とりあえず、私も何かしたくなってきた。でも、自分が何をしたいかもよくわからないんだよねー。青野君や希星ちゃんみたいに絵を描くのがめちゃくちゃ好きって言うわけでもないし」

「何か憧れてるものとかないのか?」

「んー……強いて言えば……歌い手みたいな?」

「へぇ、そういうのが好きなのか。確かに歌うのは好きそうだ」

「歌うのは好きだよ。それに、私、高校生のときの文化祭で、一回だけステージで歌ったことがあるんだよね。友達がバンドやっててさ、歌うはずだった子が急に喉痛めちゃって、私が代役で呼ばれて。急な話だったけど、あのときは楽しかったなぁ……」

「何それ初耳。映像とか残ってないのか?」

「あん? 私の制服姿がそんなに気になるわけ?」

「毎回毎回そういう流れに持っていくなよ。歌ってるところが気になるだけ」

「そ。けど残念。映像は残ってないんだ」

「そうか……」

「代わりに、私が女子高生だったときの写真を見せてあげるから我慢しなよ」

「……別に制服姿を見たいわけじゃないって」

「ふぅん? じゃあ、見ない?」

「……見る」


 赤嶺が意地の悪い笑みを見せる。上手く転がされているようで悔しいな……。


「じゃ、今度見せてあげる。代わりに青野君の高校時代の写真も見せてね。あ、卒アルがいいかな?」

「……卒アルかよ。いいけど、俺のいないところで見てくれ」

「もちろん青野君の前で見るよ。希星ちゃんも見たがるだろうから、一緒にね」

「……はいはい。わかったよ。今度持ってくる。とにかく、歌が好きなら本気で歌ってみたらいいんじゃないか? 試す価値はあるだろ。自分で勝手に配信するのなら年齢制限もなにもない」

「ん……。そだね。歌も、もしかしたらそれ以外も、ちょっと試してみようかな」

「おう。頑張れ。応援するぞ」

「応援されなくても、青野君たちを見てたら勝手にやる気が出てくるよ」

「そりゃ良かった」


 そんな話をしつつ、二人並んで歩き続ける。

 希星と一緒にいるときは、やはり保護者目線が少し入ってしまう。しかし、赤嶺とは対等に付き合えて気が楽だ。

 希星は希星で非常に可愛いし、二年後が楽しみな気持ちもあるが……現時点では、俺には赤嶺のような女性の方が合うのだろうとは思う。

 まぁ、赤嶺は俺にさほど興味もないだろうし、俺がどう思うかなど関係ないか……。

 その後、俺は二時間程赤嶺のショッピングに付き合わされることになるのだが、久々の長時間ショッピングは疲れた。大学生の頃には、元カノに連れられてよくこんなことをしたから、慣れていたんだがな。……ということもないか。当時も結構疲れていた気がする。

 そんなことを少しだけ思い出しつつ、俺たちのお出かけは無事に終わった。

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