第69話 通じない

 午後六時過ぎに、赤嶺と詩遊が帰ってきた。

 それから赤嶺が夕食の準備をしてくれようとしたのだが、希星の作ったハヤシライスが残っているということで、夕食はそれで済ませることに。俺と希星は連続のハヤシライスになってしまうが、二人とも特に文句はなかった。

 四人での食事中、昼に希星の両親がやってきたことを話した。希星の結婚宣言には赤嶺も詩遊も呆れていたが、それはさておき、両親の様子を聞いて、詩遊がぶっきらぼうに吐き捨てる。


「……お父さんたちって、どうしていつも身勝手なんだろう」


 そんな詩遊の頭を、赤嶺がそっと撫でる。


「お父さんやお母さんになったからって、急に完璧な人間になれるわけじゃないの。それに、相手を大事に思うからこそ失敗することもたくさんある」


 詩遊は小さく頷くのだが……。


「あ、あれ……? いつの間にか、私のポジションが取られてるような……?」


 希星が動揺を見せる。詩遊を慰めるのは、通常なら姉の役目だったのだろう。それが、いつの間にか赤嶺の役目に変わっている。


「お姉ちゃん、最近は男の人のことしか頭にない」

「ええ!? そ、そんなことはないよ!? 私は詩遊のことだって……っ」

「いつも家にいないし、いてもなんか描いてるし、あんまり話もしないし」

「……ご、ごめんね! 詩遊をないがしろにするつもりじゃなくて!」


 希星がおろおろしているのを、詩遊はクスリと笑いながら見ている。

 本気で責めるつもりはないのだろうが、不満もあったようだ。間接的に俺もその原因になっているので、申し訳ない気持ちになる。

 二人の様子を見てクツクツと笑いながら、赤嶺が言う。


「お姉ちゃんもまだ高校生だからねぇ。なんでもかんでも一辺にできないよ」

「……わかってるし、別に責めてないし」

「そっかそっか。詩遊ちゃんは心が広いね」

「……普通だし」


 詩遊はまたぶっきらぼうに言うが、こんな態度を取るのも、赤嶺に心を許している証拠なのだろうな。打ち解けていなければ素の顔を晒すこともあるまい。

 ここのところ赤嶺は詩遊と一緒に過ごすことが多かった印象だが、これは詩遊のことを思ってのことだったのだろう。

 俺のことは脇におき、詩遊との時間を優先することで、大事な信頼を勝ち取っている。希星が俺にべったりで、詩遊と少し距離ができていることを感じ、さりげなくケアをしてくれていたみたいだ。

 こういうところは、流石大人の女性という感じだな。自分のことより、人のことを先に考える余裕がある。

 俺が感心している一方で、希星は悔しそうにしている。


「私がお姉ちゃんなのに……できてないことって結構あるなぁ……」

「そう言うなよ。俺から見れば、希星は立派にお姉ちゃんできてるよ」

「そうですかね……? ここ最近のことを思い出すと、確かに私の行動は良くない部分も……」

「世のお姉ちゃんだって、妹のことばっかり考えちゃいないだろ」

「……それはそうかもしれませんね。でも、少し反省します……」


 希星が溜息。真面目過ぎて気負い過ぎなければ良いのだが。

 それから、また雑談しているうちに食事も終わり、午後八時を過ぎたところで、不意に部屋のチャイムが鳴った。


「……誰だ?」


 希星以外で、こんな時刻の来客は珍しい。何かのセールスかと思いつつ、インターホンで応答。


「どちら様でしょうか?」

『希星の母です。少し、お話しませんか?』

「え……希星の、お母様ですか? わ、かりました。少々お待ちを……」


 インターホンを置き、希星たちを振り返る。


「お母さんが来てるんですか?」

「らしいな。とりあえず出てみるよ」


 玄関に向かい、覗き穴で外の様子を確認。父親もついてきているかと思ったが、母親だけだった。

 ドアを開けると、希星の母親がどこか挑戦的な笑みを浮かべていた。


「こんばんは。突然ごめんなさいね。連絡先もわからなかったものですから」

「ああ……構いませんよ」

「もしかして、希星はまたこちらの部屋に?」

「そうですね。希星だけじゃなく、詩遊もですが。それと、もう一人別の女性も」

「別の女性も……? 少し、お邪魔しても構いませんか?」

「ええ……どうぞ」


 笑顔ではあるが、友好的な雰囲気ではない。しかし、希星の母親であるならば、無下に追い返すわけにもいくまい。


「失礼しますね」


 希星の母が室内に入ってくる。その姿を見て、希星と詩遊の雰囲気が冷たくなる。


「お母さん、何しに来たの?」

「娘の様子を見に来ただけよ。特別な理由がないと娘の心配をしてもいけない?」

「……そんなことはないけど」

「あなたの生活に余計な干渉をしに来たわけじゃない。あなたが結婚すると宣言したあの人のことを見に来たの。母親として当然でしょう? まぁ、夜遅くに来てしまったのは申し訳ないと思ったけれどね」

「……青野さんの連絡先を知らなくても、私に連絡くれれば良かったのに」

「希星は私から連絡が来ても無視するでしょう?」

「……かもね」

「とにかく、私は希星じゃなくて青野さんと話があるの。……それはそうと、そちらの方は初めましてですね。私は希星の母、藍川涼子です」


 藍川涼子が赤嶺にペコリと頭を下げる。赤嶺も立ち上がり、頭を下げつつ自己紹介。


「初めまして。赤嶺夕です。希星ちゃんや詩遊ちゃんとは、友達でしょうか。そこの青野君の友達でもあります」

「ふぅん……。友達……。まぁ、いいでしょう。

 それで、青野さん。改めて伺いますけど、希星と結婚するというのは本気ですか? 相手はまだ十六歳の高校生ですよ?」


 俺より先に、希星が口を開く。


「……今すぐ結婚するみたいな言い方をしたのは、流石にあの場の勢いだけ。でも、気持ちとしては今すぐ結婚でも良いし、将来結婚するつもりなのは本気」

「……希星には聞いていなかったんですけどね。で、青野さんとしてはどうなんですか? 本気で希星との結婚を考えてらっしゃる? それとも、希星が勝手に先走っているだけですか?」


 さて、ここはどう答えよう。希星に話を合わせ、結婚しますと宣言してもいいように思う。

 でも、相手は希星の母親だ。まだ明確に気持ちが固まったわけではないと、正直に言うべきだとも思う。

 それに、この場には赤嶺もいる。さぁ、なんて答えるつもり? と挑発的にこちらを見つめていて、これもまた回答に迷う一因だ。

 ともあれ、相手は大人なのだし、こちらの考えをきちんと話せばわかってくれるはず。詩遊や希星の友達からは不評だったが、率直な考えを……。

 と、俺が口を開く前に。


「……即答しないというだけで、十分な答えです。希星が先走り、ご迷惑をおかけしているようですね。申し訳ありません」


 藍川涼子が丁寧に頭を下げてくる。本当に申し訳なく思っているのではなく、これは拒絶の意志表示に感じられた。あなたはどうやら遊び半分で付き合っているようですね、そんな人に娘はやれません、と。

 待ってくれ。そうじゃない。真剣に向き合っているからこそ、即答できない部分があって。


「待ってください!」

「もう結構です。突然お邪魔して申し訳ありませんでした。しばらくは、希星のことをどうぞ宜しくお願いします。親の言うことなどろくに聞きやしませんから、身近な大人として支えてあげてください」


 藍川涼子が迷いなく玄関に歩いていく。


「あの! 待ってください!」


 俺の声かけなど無視して、藍川涼子はさっさと靴を履いて出て行った。

 追いかけるべき……?

 ちゃんと話した方がいい。しかし、あれは大人としてはあまりに一方的な態度ではないかとも思う。社会人と高校生の関係なのだから、簡単な話じゃないことくらいわかるだろうに。

 結局、足は動かなかった。苛立ちと、話しても無駄だという諦めで。


「……あの、ごめんなさい。お母さんが失礼なことを……」


 希星が俺の手を取る。顔を見ると、上手く立ち回れなかった俺を責める様子もなく、ただただ申し訳なさそうにしている。


「いや……俺も悪かったな……。ごめん」

「青野さんは悪くないです。お母さんが一方的すぎるだけです。青野さんが即答できなかった理由、私はちゃんとわかってますから、別に構いません」

「……ああ」


 即答できなかった理由はちゃんとある。むしろ俺の立場で即答できる方がおかしいだろうとさえ思う。

 だけど……なぜか、妙に自分が惨めに思える。対話すらできない相手に対し、俺は無力だな。


「……なんか、カッコ悪いかも」


 詩遊のぼやきが胸に突き刺さる。詩遊からすると、とにかくあの母親に言い負かされてほしくなかったのだろう。


「まー、今回は一方的に勝ち逃げされちゃった感じだね。そう落ち込まないでよ。話すらできない相手じゃ勝ち目もないよ」


 赤嶺が俺の背中を軽く叩く。多少は気が紛れるよ。

 はぁー、と深い溜息。

 俺はただ正面から向き合おうとしたけれど、今回はそれじゃダメだったんだな。

 誰かとわかり合うって、本当に難しい。


「……悪い。少し一人で散歩してくる」


 ちょっと一人で考え事をしたくなり、俺はコートを羽織って、スマホと財布だけ持って部屋を出る。

 希星は追いかけようとしてくれたが、赤嶺が制止してくれた。赤嶺に感謝だな。

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