第68話 うん

 希星の両親が去った後、俺と希星は近くのスーパーまで歩き、そこで昼食用の買い出しをした。


「こうして一緒に買い物していると、夫婦みたいですよね?」


 希星は心底嬉しそうにそんなことを言ってきて、俺は複雑な心境。嬉しくないわけはないが、相手はまだ十六歳の女子高生。あまり浮かれるべきではない。

 買い出しも三十分くらいで終わり、再び俺の部屋に戻ってくる。希星は料理を始め、俺はしばしベッドに腰掛けて完成を待つことに。

 その間、ぼちぼち話をする。


「……希星はあまり聞きたくないかもしれないが……両親は、また来るよな?」

「でしょうね。私の言ったことに納得はしていないでしょうから」

「とりあえず、俺の話も聞いてくれればいいんだけどなぁ」

「……どうでしょうね。あそこまで人の話を聞かない人だとは思っていませんでした」

「まぁ、根底にあるのは、希星のことが大事っていう気持ちなんだろうけどさ」

「……かもしれませんね。でも、愛情があるからって、何をしても許されるわけではありませんよね? 自分の思い通りに育たないとダメだなんて言うのは、もはや愛情じゃなくて支配欲でしょう?」

「それもそうだ。正義を盾にすれば傍若無人に振る舞っていいわけじゃないのと似たような話だ」

「そうですね。一方的過ぎる愛情は、暴力と変わらないと思います」


 親の話をするとき、希星の声は冷たい。このわだかまりは、どうにか解決してやりたいとは思う。希星だって親のことを悪く言うのは辛いはずなのだ。


「希星は……両親が嫌いかい?」

「……嫌い、です。きっと」

「そっか」

「青野さんは……私と両親が仲良くしてほしいと思いますか?」

「それは思うよ。でも、どうしても無理なら仕方ないとも思う。仲良くできない家族なんて世間じゃ当たり前にたくさんある。家族がいつでも仲良くすべきなんてのは幻想だ」

「私、どうするべきだと思いますか?」

「べきの話をするなら、仲良くすべきだよ。もちろん。家族なんだからさ」

「ですよね……」


 希星が疲れの滲む溜め息。見ている方も辛いくらいだ。


「焦らなくて良いぞ。何年か経って色々経験したら、自然と仲良くしてもいいと思える日が来るかもしれない。

 親としても、希星が自分の道で幸せに暮らしていたら、心配事もなくなって、冷静になれるかもしれない」

「……ですね。けど、早めに仲良くしないと、困ることもあるんですよね……」

「例えば?」

「む。またとぼけてますね? そんなの、両親の許可がないと青野さんと結婚できないからです。決まってるじゃないですか!」


 希星が不満そうに俺を睨んでくる。十代での結婚、希星は本気なのか……?


「……結婚は焦る必要ないだろうに」

「焦ってません。結婚したいだけです。すぐにでも!」

「まだ出会って一ヶ月ちょいだぞ。気が早すぎだ」

「青野さんは……私と結婚するの、そんなに嫌ですか?」

「嫌とかそういう話じゃないんだ。今がどんな気持ちだったとしても、たった一ヶ月じゃ見えないことはたくさんある」

「お互いのことを深く知るなんて、結婚してからでもいいじゃないですか」

「おいおい……。それは暴論だろ……」

「結婚してからじゃないと見えないこともたくさんあるんじゃないですか?」

「それは、そうかも……。でも、とにかく少し落ち着いてくれ。結婚は時期尚早すぎる」

「……親への挨拶も終わったのに、何を渋っているんですかね」

「あれを挨拶を呼ぶな。ほぼ無視されて、喧嘩別れだろうが」


 希星も冗談のつもりで言っているのだろう。クスクスと笑っている。


「……私の未来の旦那、って言ってたくせに」

「可能性の話だ」

「私の中では確定事項です」

「……未来はわからん」


 ふぅ、と希星が小さく溜息。そして、手にしていた野菜と包丁を置き、俺の方へやってくる。


「青野さん」

「……なんだ?」

「もう、言わないでおくなんて全く意味がないと思うので、これだけははっきり言っておきます」


 希星は大きく息を吸い、俺を真っ直ぐに見つめながら、告げる。


「私は、青野さんが好きです。大好きです。今すぐ結婚したいくらい好きです。そして青野さんの子供を産んで、一緒に家庭を築きたいです。私がまだ子供だって思う気持ちもわかるので、本気で今すぐ結婚してくださいとは言いません。でも、私はその気でいますし、本当に大好きだってことは、覚えておいてください」


 明確に、はっきりと、誤解のしようもなく、希星が言葉を紡いだ。

 そして、半ば呆ける俺のことはほったらかしで、希星はにっこりと笑ってから昼食の支度に戻った。


「……おう」


 時間差でそんな呻きだけを漏らして、俺は大きく息を吐く。

 希星の気持ちなんてとっくにわかっていたけれど、改めて言われると圧倒されてしまう。

 人から真っ直ぐに好意を向けられる……。とても嬉しくて、同時にとても怖い。

 その好意を向けられるだけの価値が自分にあるのかとか、どう応えればいいのかとか、色々考えてしまうな。

 呆けているうちに、希星は淡々と昼食の準備を終わらせる。座卓を挟んで座り、ハヤシライスのいい香りが室内を満たす。


「青野さん」

「……うん?」

「私、青野さんと出会えて幸せです。一緒に過ごして、ご飯を食べて、大事な話も、くだらない話もたくさんして。こんな時間を、ずっと続けていきたいです」

「……うん」

「何も焦ってはいませんが、私は青野さんを離すつもりはありません。赤嶺さんにだって譲りません」

「……うん」

「もう、さっきから、うん、ばっかり。そりゃー、青野さんの立場では色々言えないこともあるかもしれませんけど、もうちょっと何か言ってくれてもいいと思いますよ?」

「……悪い。色々、考えちゃってな」


 俺が視線を下げると、希星が一呼吸置く。


「……ごめんなさい。私が一方的に気持ちをぶつけちゃって、青野さんも困っちゃいますよね。でも……今は、少し嬉しいです。青野さんが、私のためにたくさん考えてくれること。私のことで頭がいっぱいになってること。

 青野さんは、青野さんのペースで考えてくだされば大丈夫です。私は少し急かすような態度を取ってしまうかもしれませんけど、気にしないでくださいね」

「……ん。そうだな」

「それじゃあ、食べましょうか。青野さんのために愛情込めてますので、味わってくださいね?」


 希星は少し恥ずかしげに言う。

 相手が女子高生じゃなければ、今すぐ婚姻届を出しにいこう、なんて言いたくなるくらいだ。

 俺は……どうするべきなんだろうな。希星も赤嶺も積極的に好意を伝えてくれるのに、俺は何も答えを出せていない。

 このままでいいのか……。いや、良くはない。でも、やはりどれだけ考えてもすぐに結論なんて出せる気がしない。

 手作りのハヤシライスは美味しくて、妙に胸に染みる。

 情けないのは俺ばかり。希星の前では偉そうなこともたくさん言っているけれど、やっぱり俺もまだまだ未熟だ……。

 なかなか先に進めない思考を繰り返しつつ、俺は希星との何気ない会話を始めた。

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