第62話 合い鍵
俺からすると衝撃的すぎる告白があったのは今日のお昼時のことで、今はもう夜の八時である。場所は自宅だ。
赤嶺とは午後五時くらいまで一緒に過ごし、ほどほどのところで解散した。
いや、赤嶺はもっと一緒にいたいと言ってくれたのだが、俺の混乱が大きすぎて、どういう心持ちで赤嶺と一緒にいれば良いのかわからなかった。悪い気はしたけれど、早めに一人にしてもらったのだ。
『告白はしちゃったけど、今まで通りに接してくれればいいよ。……というか、私から言っちゃっておいてなんだけど、やっぱり言わなきゃ良かった、なんて気持ちにはなりたくないんだ。だから、今まで通りに、ね?』
赤嶺は最後にそんなことを言っていたが、果たしてそんなことができるのだろうか。自分に好意を持ってくれている女性に対し、今まで通り気の置けない友達として接するなんて……。なかなかハードルが高いのではなかろうか。
しかし、俺としても、友達としての赤嶺を失いたくない気持ちはある。男女の区別なく、率直に話ができる相手というのは本当に貴重だ。俺の今までの人生において、そんな人は一人としていなかった。男友達とも、昔の彼女とも、俺はどこか一線を引いて交流していたのは否めない。なかなか他人と芯から打ち解けられない俺にとって、赤嶺がどれだけ救いになっていたことか。
「どっちかを選んだら、どっちかが俺の前からいなくなっちまうのかなぁ……」
希星と赤嶺。女性として二人をどう思うかというのは、まだ心の整理がつかない。それぞれに魅力があって、だけど熱烈な恋愛感情を抱いているかというとそういうわけでもない。
ただ、二人とも人としてとても好きで、二人以上に好きになれる人なんてこの先現れないのではないかとさえ思ってしまう。
俺が将来どちらかを選ぶことがあったとしても、選ばなかった方とも交流は断ちたくない。
「……こんなのは、あまりにも贅沢なのかな。まぁ、そうだよな。わかってるさ」
恋人やパートナーになれないのなら、もう友達でもいられない。きっとそういう風になっていくのだろう。
本当に、悩ましい話だ。どちらかを選ぶなんて、二年の時間があったとしても、俺にできるのだろうか?
そんなことを延々と悩んでいると、スマホに希星からメッセージ。
『今からお邪魔してもいいですか?』
どうやら勉強会は終わっているらしい。高校生からすると遅い時間だし、当然か。
『いいぞ』
端的に返事をすると、玄関のドアが控えめにノックされる。本当に今から来るとは思わなかったよ。ドアの前で待機していたとは。
俺は玄関に向かい、ドアを明ける。すると、希星は俺の顔を見ただけで心底幸せそうににっこりと微笑んだ。
「こんばんは、青野さん。遅くにすみません」
「構わないよ。そんなに遅いって言う時間でもない」
俺は気恥ずかしい気持ちになりつつ、希星を中に招き入れた。
「お昼もすみません、急に呼び出してしまって」
「それも構わないよ。用事がなければ俺なんて一日中部屋に閉じこもってるんだ。外に連れ出してくれて感謝だ」
「それを聞いて安心しました。でも……その、二人が失礼なこと言っていませんでしたか? あの後、二人から少し言われたんですよね。あの人とはあんまり深く関わらない方がいいんじゃないか、っていう意味のことを……」
希星の表情が陰っている。
二人の言葉からすると、逆に俺が二人に対して失礼な態度を取ったとも受け取られかねないが、そんなことは考えていないらしい。ちょっと俺を信用しすぎじゃないか?
それはそうと、自分が好意を寄せている相手を、友達が気に入ってくれないのは心苦しいだろう。希星の陰りはそこから来ている様子。
「失礼なことなんて言われてないさ。それは心配ない。ただ、悪い。俺はあまりあの二人には気に入ってもらえなかったみたいだ。カッコいい大人じゃなくてごめん」
「そんなことはありませんっ。青野さんは、とてもカッコよくて、素敵な人です! 二人がもし青野さんをあまり良く思わなかったとしたら、それは青野さんのことよく知らないからです!」
「お、おう……そうか」
希星の勢いに気圧されてしまう。俺はよく知らない他人からの評価など気にしないが、希星はそうもいかないようだな。
「私たちの関係は少し特殊で、ありのまま伝えることは難しいとは感じています。でも、そのせいで青野さんがよく思われないのも辛いです……」
「……まぁ、そう落ち込むなよ。全てを打ち明けたとしても、今すぐ俺の評価を良くすることなんてできないさ。女子高生が俺みたいなよくわからんおっさんを警戒するのも当然のことだしさ。
ゆっくり時間をかけて、少しずつ理解してもらえばいい。希星が幸せそうにしていたら、それだけでもう俺たちのことは大丈夫だって思ってもらえるはず。今みたいに辛そうな顔してたら余計に心配させちまうぞ?」
「……そうですね。私が暗い顔してたらダメですよね……」
希星が改めて笑顔を作る。ただ、やはりまだどこかいつも通りとはいかない。
希星には、もっと屈託なく笑っていてほしい。……俺も、もうちょっと他人から見ても良い奴に思われるように努力すべきなのかな……。
ともあれ、それはすぐに叶うことではない。代わりに、俺は常々考えていたことを口にする。
「ところでだが、この部屋の合い鍵、いるか?」
「……へ? あ、合い鍵、ですか……?」
希星がぱちくりと目をしばたたかせる。十秒くらいしてようやく俺の言葉の意味が浸透してきたのか、希星は顔を赤くして目を見開く。
「え? え? い、いいんですか? 合い鍵ですよ? 合い鍵ですよ!?」
「そ、そんなに驚くことか? 今だって好きに入ってもらってるし、特に状況は変わらないぞ? ただ、俺がいない間でもパソコン使って絵の練習できるようにって思っただけで……」
「変わりますよ! だって、だって合い鍵ですよ? それをくれるって、もう、かなり深く心を許しているってことじゃないですか!」
「……そう、かな?」
「そうです! 間違いありません!」
「なら、まぁ、そういうことで……いいよ」
希星がむにむにと唇を綻ばせる。合い鍵もらうだけでそんなに嬉しいのか……。高校生だとそんなものかな……? ああ、でも、確かに合い鍵を渡されるって、何か特別な感じがあったっけ。その感覚も今では朧気だ。
とにかく、希星は合い鍵が欲しそうなので渡してやる。
「えへへ……。合い鍵……もらっちゃいました……。もう、返しませんからね?」
「返せなんて言わないよ。そんで、俺がいないときでも好きに出入りしてくれて構わない」
「わかりました。ありがとうございます」
「……えっと、じゃあ、とりあえず絵の練習するか? その前に晩ご飯? あ、勉強は大丈夫?」
「晩ご飯は食べてきました。勉強はしてきたので、あとは絵の練習をします」
「ちなみに、妹さんはいいの?」
「大丈夫ですよ。平日はだいたい一緒にご飯を食べられるようになりましたし、いつもべったりでいる必要もありません」
「そうか。ならいいか」
ぼちぼち希星が絵の練習を始めるのだが、その間も唇がむにむにと動いている。それを見ていたら怒られてしまった。
「は、恥ずかしいから見ないでください! 顔が勝手に動いちゃうんです!」
「……わ、わかった」
俺からのちょっとした働きかけで、表情のコントロールができなくなってしまう女の子。……可愛すぎだろ。俺は断じてロリコンではないが、この可愛らしさには参ってしまう。
夜の密室に二人きり。相手は大変可愛らしくて、でも決して手を出してはならない。こんな状況、俺にとってはいっそ拷問に等しいかもしれない。
……希星がいると、赤嶺とのことで悩んでたのもちょっと忘れてしまっていたな。いや、赤嶺のことがどうでもよくなったわけではないのだが、なんとでもなるような気持ちになった。
これからまだ二年もあるのだし、気楽に構えていよう。赤嶺とは、今まで通りに接していていれば良いのだ。きっと。
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