第61話 二年後に

 時間が止まった。

 そう感じたのはもちろん俺だけで、世界は相変わらず淡々と時計の針を回している。


「……今、なんて?」

「……聞こえてなかったなら、言わなかったことにしてもいいけど」


 赤嶺が視線を泳がせつつ、赤い顔で拗ねたように言った。


「……聞こえてはいたんだけど」

「じゃあ、そういうこと」

「なんでそんな話に? あれ? 赤嶺さんは……ただの友達じゃなかったっけ?」

「んー……わかんない。正直、私も青野君が大大大好きってわけでもないんだよね。青野君といると胸がキュンキュンするぅ、とかじゃない。ただ、青野君がずっと私の側にいてくれたら、きっと良い人生になるだろうなぁ、って思っただけ」

「……そう、かなぁ……?」

「先のことなんてもちろんわからないよ。青野君とまともに交流し始めてまだ一ヶ月程度で、こんなのは私の思い違いかもしれない。本当なら、もっと青野君がどういう人なのか、きちんと見定める時間が欲しい」

「……なら、見定めてから言った方が良かったんじゃないか?」

「ふん。わかってるくせに。それじゃあ遅いでしょ? あんな、全身全霊を懸けて誰かに恋をする人が青野君の身近にいたら、こっちだって悠長に構えてられないじゃない」

「そうだなぁ……」

「今の段階で、こんなこと言うつもりじゃなかったの。私は友達としての青野君も好きだし、余計なことを考えずにただの友達として一緒に過ごしていたかった。それをできなくさせたのは希星ちゃん。混乱して恨むなら、希星ちゃんにしてね」

「恨みはしないさ……。しないけど、混乱はするなぁ。ってか、いつから俺を結婚相手の候補みたいに考え始めたわけ?」

「いつからかな。もしかしたら、久々に二人きりで晩ご飯を食べに行った、あのときからかも」

「あの時点からかよ……。俺、あのとき何かしたっけ?」

「一緒にいて楽しかった。気持ちが安らかだった」

「……それだけ?」

「私たちはもういい大人でしょ? 恋愛対象というより、人生のパートナーとして求めるものって、そういうものじゃない?」

「まぁ、わかるよ。高校生と同じような考え方はしてない」

「私たち、友達としても相性いいと思うけど、夫婦とかになったとしても、上手くやっていけると思うよ。高校生みたいに熱烈に愛し合ってるわけじゃなくても、お互いを尊重しあって、慈しみあって、幸せになれる。

 青野君は、私とじゃそんな人生は歩めないって思う?」

「そんなことはない。……希星がいなかったら、今すぐ婚姻届出そうぜ、とか言いたくなるくらいだ」

「あ、それもいいね。出しちゃう?」

「おいおい。冗談だ」

「わかってるって」


 お互いにクスクスと控えめに笑ってしまう。

 希星のことは大事で、二年後にどんな女性に成長しているか楽しみな人で、結婚することがあればそれも幸せだろうなと思っていて。

 だけど、赤嶺だってとても魅力的な女性なんだよな。女性として意識しないようにすることを止めれば、好きになるのもごく自然なことだと思う。

 だけど。


「……ごめん。赤嶺さんと結婚とか、ものすごく魅力的な話なんだけどさ、俺、まだそういうの考えられないんだ。俺の中では希星が第一優先で、それ以外のことは二の次だ」

「……うん。わかってる。私も、今すぐ青野君とどうこうなれるとは思ってないよ。ただね、青野君と希星ちゃんが進展していくのに、私だけ蚊帳の外っていうのが嫌だっただけ。

 今はまだ、今まで通りただの友達として接してくれればいいよ。でも、私が青野君のことをそういう風に見ているってことは、頭の片隅に置いておいてほしい。

 そして、二年後には、ちゃんと答えを教えて。青野君の人生のパートナーは、希星ちゃんなのか、私なのか……もしくは、別の誰かなのか」

「ああ……わかった。でも、赤嶺さん、本当にいいのか? 二年後って、その……女性からしたら、今からの二年間って……」

「そういう心配はしなくていいの。私はもう大人で、二十代終盤の大切さはよーくわかってる。こんな不確実な道を行くんじゃなくて、堅実に結婚相手を探した方がいい。

 でも、私だって理性ばっかりで動ける人間じゃないの。目の前にすごく惹かれる人がいるのに、それを無視して別の誰かのことなんて考えられない。

 私の選択が将来どういう結果になったって、私はきちんとそれを受け止める。青野君は私の保護者なんかじゃないんだから、余計な心配はしなくていいの」

「そうか……」

「そういうわけだから、まずは私のこと、一人の女性として見てね」

「うん……」

「あ、そうだ。私は別に言ってもいいんだから、最後に一押ししておこうかな」

「うん? 何がだ?」


 頭の整理が追いつかない俺に、赤嶺は最後の追い打ちをかけてきた。


「私、青野君のこと、好きだよ」


 赤嶺が、少女のような空気をまとってやんわりと微笑む。ストレートな一言があまりに強烈で、心臓を矢で射抜かれたような衝撃があった。


「……ありがとう」


 他に、なんと言って良いのかわからない。


「返事は、二年後に聞かせてね」

「了解」

「流石に二年もあれば、青野君も心の整理ができるでしょ」

「だといいなぁ」


 希星と赤嶺を天秤にかけ続けるだなんて、俺に出来るだろうか。途中で悩みすぎて発狂するかもしれん。


「まだまだ時間はあるよ。私にも、希星ちゃんにも。あ、希星ちゃんには、私から伝えておくよ。今日、告白しちゃったよ、って」

「どうも……」

「……青野君、しばらくは考える時間が必要かな? 私は少し静かにしておくから、復活したら教えて?」

「……了解」


 宣言通り、赤嶺は静かにスマホをいじり始める。……いじってはいるが、何も見ていないような気もするな。赤嶺も落ち着かないようだ。

 俺もまだ混乱が納まらず、何を考えるべきかもわからなくて、ただぼうっと天井付近を眺めていた。

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