第60話 私と

 食事を終えたら、希星たち三人は速やかに帰っていった。勉強を続けるらしい。忙しいのにわざわざ外出させてしまったのは申し訳なかったとも思うが、良い気分転換になったと言われたので気にしないでおこう。


「夜にまた絵を描かせてくださいね」


 なんて、希星がこそっと耳打ちしてきたのにはこそばゆい気持ちになった。

 さて。

 桃瀬と紫村からは、ひとまずは経過観察という判定をもらった。しかし、俺がずっと今のままの態度でいたら、あの二人はもっと強硬手段で俺と希星を引き離そうとするかもしれない。

 俺は、どういう態度で希星と接するべきなのかね? 俺はもう二十七歳で、相手はまだ女子高生。桃瀬たちは俺が希星を熱烈に愛することを望んでいるのかもしれないが、どう考え直してもそれはどうもしっくりこない。まだまだ保護対象という気持ちも拭えない相手を、一人の女性としてだけ見るなんて難しい。


「……赤嶺さんに相談してみるかなぁ」


 駅に向かいつつ、そんなことを呟く。

 そんな折、その赤嶺から着信。


「よう、どうした?」

『お昼もう食べた?』

「ああ、食べた」

『ちっ』

「おい、そんな憎々しげに舌打ちするなよ。もうちょっと可愛らしさを演出してほしいね」

『あ、あんたと一緒にご飯を食べたいだなんて、思ってなかったんだからね!』

「ぐふっ」


 まさかのツンデレ発言だった。想定外過ぎて思わぬダメージを食らってしまったよ。

 ともあれ、赤嶺はケラケラ笑っていて、こんなあっけらかんとした態度が心地良い。


「飯はもう食ったが、どこか食べに行くか? 俺は軽くデザートでも食べておくよ」

『お、話がわかるじゃない。行こ行こ』

「どこがいい? 指定してくれればそっちに向かう」

『じゃあねぇ……』


 赤嶺が指定してきたのは、俺の家の最寄り駅、鮎白駅近くにある定食屋『如月』。場所は俺に配慮してくれたようだ。

 二十分後に集合、ということで、速やかにその定食屋に向かう。

 午後一時過ぎ。俺の方が先に到着し、五分程待つ。


「ごめん、待ったー?」


 赤嶺がどこかデートの待ち合わせみたいな雰囲気で言った。


「俺も今来たとこ」

「お、わかってるね、青野君。定番のやり取りだよねぇ」

「単なる事実だけどな。じゃ、入ろう」


 店内に入り、奥の方の席に通される。対面で座ると、赤嶺が笑顔でスマホの写真を一枚見せてくる。


「今日は精密採点で九十二点出たっ。一回だけなんだけど、改めてやり始めてから二週間でこれってなかなかじゃない?」

「へぇ、すごいな。俺、精密採点だと全然点数出ないよ」

「青野君はいいじゃん。絵を描けるんだからさ」

「まーな。別に悔しくはないよ。赤嶺さんが急にイラスト描き始めて、それが何かの賞を取ったりしたら悔しいけど」

「それはないなー。絶対無理。あ、先に注文しよっか」

「だな」


 赤嶺は鳥てん定食を頼み、俺はデザートのチョコブラウニーを一つ注文。


「今更だけど、私、歌うの好きだったんだなー、とか思っちゃうね。やってみたら、もっと上手くなりたいなってすんなり思っちゃった。学生の頃からバンドでもしておけば良かったかな?」

「どうかな……。学生のときにそういうのはまっちゃうと、生活のバランスを崩す可能性もある。勉強や就職よりも自分の好きなこと優先……とかな。そんな状態にまでなったらちょっと危うい。

 社会人になって、仕事と趣味のバランスの取り方も上手くなってから始めた方が、案外ちゃんとできるかもしれない」

「そうねぇ。今、趣味を趣味として存分に楽しめるのも、生活の安定を手に入れているからってこともあるかな。勉強しなきゃー、就職大丈夫かなー、って不安があると、趣味に費やす時間に罪悪感を覚えることもあったかも」

「ま、赤嶺さんならその辺のバランスは問題ないかもしれないけどな。俺は若干道を踏み外して、一時期大学生のときの成績がかなり際どかった。留年しそうになったこともある」

「あ、そうなんだ? へぇ、意外かも。しっかりしてるように見えるのに」

「多少は大人になったってことさ」

「そっかそっか。……何が欠けても、今の青野君はいないんだもんね。そういうのも、きっと良い経験なんだろうね」

「今となってはそう言えるよ。当時は切羽詰まってたこともあるけど」

「自業自得」

「まさにそれ」


 話していると、注文していた料理が運ばれてくる。食事を進めながら、会話も続ける。


「そう言えば、青野君って詩遊ちゃんのことはあんまり聞いてないよね?」

「ああ、そうだな。詩遊とは相変わらずほとんど話もしないし、希星からも状況は聞かない。俺には言うなって言われてるんだとか」

「相変わらず嫌われてるねぇ。大事なお姉ちゃんを奪おうとしてる人だから仕方ないかな?」

「……かもなぁ」

「でね、私は詩遊ちゃんとよく連絡取り合ってるんだけど、まずはダンススクール通おうか、ってことになってる」

「ほぉ、そうかそうか。本気でアイドル目指す感じ?」

「それはまだわからない。じっくり話を聞いてみると、まだ気持ちはふわっとしてるみたいなんだよね。アイドルやるってやっぱり大変じゃん? 歌って踊るだけじゃなくて、色んな人との交流があって、日々の生活でも注目されるうっとうしさがあって……。それでも、信念をもってアイドルになれるのか? ってところで、迷いがあるみたい。

 今は独自でネット配信もできるし、どこかの事務所に所属するとかじゃなくて、自分で勝手にアイドルっぽいことやって、個人として細々と活動するだけでもいいんじゃないかとかも考えてる」

「そっか。もう、表現の場ってのはテレビだけじゃないからな。道が多様で悩むな」

「うん。とりあえず、趣味の一つとしてダンスを習おうって感じ。まだ中学生だし、先のことはじっくり考えればいいもんね」

「本当にな。……自分にも中学生の頃があったはずなのに、未来をどうにでもできる若さが羨ましいよ」

「まぁ、中学生には中学生の悩みがたくさんあって、自分の人生はまだまだどうにでもなるってこと、なかなかわかんないけどさ」

「だな」


 そんな雑談をしていたら、いつの間にか食事も終わってしまう。会話を楽しむばかりで、こちらの相談を持ちかけるタイミングを逃してしまっていた。

 食事は終わっていたのだけれど、お客ももう少ないしと、俺は桃瀬たちと会ったことについて切り出す。

 話の流れを説明し、希星と別れてくれ、と言われてしまったことも話した。

 すると、赤嶺はケラケラと愉快そうに笑い出した。


「なるほどねぇ。高校生らしい、余計なお節介って感じね」

「……きっぱり言うなぁ」

「だってそうじゃん? 人の幸せなんて、他人が決めることじゃないんだよ。青野君は確かにちょっと冷めてるところあるけど、私からすればその冷静さはすごく信頼できる。逆に、社会人が女子高生相手に過剰に情熱的になったらやばいでしょ?」

「……だよなぁ」

「希星ちゃんと同じだけの気持ちを返せるのは、同級生か大学生くらいまで。でも、そういうのって思いだけが突っ走ってて危うい。好き合ってるならエッチしてもいいよね、とか気軽に言いそうだし、妊娠したら、俺が学校辞めて養うから大丈夫、とかその重さをわからず言いそうだし。いざとなったら逃げるってことも全然あり得る。

 恋は盲目で、二人とも浮かれてたらとても危険。私は、ちょっと気持ちが高ぶり過ぎてる希星ちゃんには、青野君がついててあげた方がいいと思うよ?」

「……そうかぁ。っていうか、やっぱり赤嶺さんだと話が合うなぁ」

「社会人と高校生が同じ目線で話せないのは当たり前。桃瀬ちゃんたちの友達を心配する気持ちもわかるけど、高校生の意見だね」

「……俺、桃瀬さんたちになんて言うべきだと思う? 大人の意見じゃ、納得してくれなさそうなんだけど」

「希星ちゃんと誠実な付き合いを続けるしかないんじゃない? もう少し長く見ていたら、二人の関係も悪くはないかもって思ってくれるはず」

「言葉じゃ伝わらないことって、あるもんなぁ」

「そうそう。青野君は……希星ちゃんを幸せにしてあげればいいんだよ。それだけのこと」


 赤嶺がどこか寂しげな笑みを浮かべる。そして、俺が何かを言う前に続ける。


「ぶっちゃけ、青野君って希星ちゃんと結婚するつもりあるの?」

「……まだわからないだろ。出会ってまだ一ヶ月だし、相手は高校生。先のことなんて想像できん」

「でも、あの子が嫁になってくれたらいいなぁ、くらいは思うんじゃない?」

「それは、ある」

「じゃあ、結婚するんじゃん」

「まだわからないって。本当に」

「じゃあ、他の誰かと結婚する可能性はあるわけ?」

「あるだろ、それは」

「……ふぅん」

「なんだよ、ふぅん、って」

「べっつにー」

「……なんなんだ?」

「なんでもないよ。まぁ、あと二年は様子見だよね。んー、でもなぁ……」

「なんだよ。言いたいことがあるなら言ってくれ」


 赤嶺が迷うそぶりを見せる。じっくり待つと、渋々という風に口を開いた。


「二年して、希星ちゃん結ばれるのはなんか違うかなー、ってことになったらさ。

 そのときは、私と結婚しない?」

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