第52話 一発殴る
俺と赤嶺が向かった先は、昨日も訪れた喫茶店、『アンバードリーム』。
店内に入ると、赤嶺は壁に展示されたイラストを見て歓声を上げた。
「わあ、なんだか面白いところだね。青野君とか希星ちゃんが好きそう」
「お察しの通り、希星は気に入ってたよ」
「だろうね。うん、まだ入り口だけど、私も気に入った。あ、ちゃんと喫茶店としても機能してるんだね。パンケーキもあるんだ。美味しそー」
希星は喫茶店メニューなどそっちのけでイラストに吸い寄せられていたが、赤嶺はカウンターに置かれた料理の写真の方が気になる様子。特別に絵に興味があるわけじゃなければ、これが普通だろうな。
赤嶺がしげしげとメニューを眺めていると、店主の矢代さんがやってくる。
「いらっしゃい」
軽く声をかけてきて、店主はまず俺の顔を見る。それからチラリと赤嶺の方も見た。たぶん、どう声をかけて良いか計りかねているのだろう。昨日と今日で連れている女性が違うというのは、捉え方によっては修羅場の予感がするに違いない。
ここは、俺の方から状況を説明した方が良いだろう。
「こんにちは、矢代さん。昨日に引き続きまた来てしまいました。こちらは俺の友人の赤嶺さんで、昨日一緒だった藍川さんとも知り合いです」
「ああ、そうなんだね。なるほど。しかし、青野君も知らない間に随分とプレイボーイになったものだ。日替わりで連れてくる女性が違うだなんて、なんと羨ましい」
「はは。そういうのではありませんよ。……まぁ、少なくとも赤嶺さんは俺の友人です。えっと、赤嶺さんにも軽く紹介しておくけど、この方は店主の矢代さんだ。特別に深い縁があるとは言えないけど、良くしてもらってる」
「……ふぅん。そっか。矢代さん、初めまして。赤嶺夕です。青野君の友人のようなものです」
赤嶺の微妙な言い回しが気になる。友人のようなものってなんだ。
俺は眉をひそめるが、店主は何かを察した様子。
「そうかそうか。なんというか……難儀だねぇ」
「本当に。まぁ、仕方ありません。青野君はこういう人なので」
「何か相談したいことがあったら遠慮なく言ってくれ。軽く一発殴るくらいならいつでも請け負うよ」
「それはいいですね。早速お願いしても?」
「もちろんだとも」
店主が右腕を上げる。ただの冗談にしてはその目が真剣すぎたので、俺はとっさに後ろに下がる。
「ちょっとちょっと、何をいきなり客を殴ろうとしているんですか!」
「いやいや、私も店主である以前に一人の男であってだね、女性を泣かせる相手を許すわけにはいかんのだよ」
「赤嶺さんを泣かせた覚えはありませんが!?」
「そう思っているのは青野君だけだよ。さぁ、こっちへおいで」
いやいやいや、と俺が混乱している横で、赤嶺がケラケラと笑っている。やっぱり泣いてなどいない……よな?
「矢代さん、もういいですよ。気は済みました」
「そうかい? まぁ、君がそう言うならいいか。それで、注文はパンケーキかな?」
「あ、聞こえてました? 美味しそうですよね。パンケーキのセット、お願いします。飲み物はホットコーヒーで」
「承った。で、青野君はどうする? 特別に水道水のお湯割りを一杯五百円で提供しようか?」
「……ただの白湯を一杯五百円は理不尽すぎますよ。俺もパンケーキセット。カフェオレで」
「特別に三割増し料金で提供してあげよう」
「そんな特別扱いはいりませんよ」
「……仕方ない。通常価格で用意してやろうかね。じゃあ、どこか適当に座っていてくれ」
「はいはい」
俺は赤嶺を促し、店内の奥まった場所にあるテーブルにつく。
「なかなかおちゃめな店主さんだね」
「……全くだ。女性が来ているからって調子に乗りやがる」
「私がっていうより、青野君を気に入ってる風だけどね。何かあったの?」
「さぁ? 俺は何もした覚えはない。昨日だってただ普通に過ごしただけ」
「ふぅん……。そんなもんかな……」
赤嶺は首を傾げている。まぁ、俺も何度もここに足を運んでいるし、俺の知らないところで何かしら気に入られる行動をしていたのかもしれない。
「……あ、昨日の子、また来てるのか」
「ん? 昨日の子って?」
「ペンネームはすずしぐれ。昨日、希星と友達になった女子高生だよ」
俺が名前を言ったのが聞こえたのか、少し離れた席のすずしぐれがこちらに気づく。軽く会釈すると、会釈を返してくれた。ただ、俺とは特に親しくしていたわけではないので、それ以上の交流はない。
また、どうやらすずしぐれはタブレットPCを使ってイラストを描いているところらしい。この店ではそういうお客もちらほら見かけるので、すずしぐれもそれに倣ったのだろう。
「……あの子とは、特に仲良くなったわけではなさそうね」
「赤嶺さんは俺をなんだと思ってる? 喫茶店に居合わせただけの女子高生に積極的に話しかけたりしないって」
「どうだか。本当は声をかけたいんじゃないの?」
「んなことはねぇよ。つーか、本人が近くにいるのに変な絡み方するなよ。気まずくさせちゃったら悪いだろ」
「それもそうね。私としたことが配慮に欠けてたわ」
そこで話の流れも変わり、俺たちは他の人の迷惑にならない程度の音量で会話をする。
そうするうちにパンケーキが二つ届き……俺のパンケーキにだけ、チョコペンで一言添えられている。
『激辛! 食べ残したら罰金一万円!』
……店主、完全に俺で遊んでいるな。いったい俺の何がそんなに気に障ったのやら。
俺は渋面を作るが、赤嶺はケラケラと笑っている。
「面白い店主さんだね」
「その面白さは俺の犠牲の上に成り立っているがな」
「本当に激辛なのかな? パンケーキって激辛で作れるの?」
「……わからん。食べてみるしかない」
「頑張ってね? 応援だけはしておく。あ、撮影もしておくから、リアクションよろー」
「よろー、じゃねぇよ。ったく、他人事だと思って……」
仕方なく、赤嶺が撮影してくる中で俺はパンケーキを一口食べる。
「むはっ! ゲホッ、ゲホッ」
こ、これは、本当に激辛になってやがる! よく見るとパンケーキに唐辛子らしきものがふんだんに練り込まれているじゃないか。
「こんなもんを客に出すなんて……訴えたら勝てるぞ、これ」
「でも、青野君は訴えないでしょ? 面白いじゃない。青野君、ちゃんと全部食べるんだよ? 食べ物を粗末にしちゃダメなんだから」
「……粗末にしてるのは俺じゃなくて店主。ってか、面白がるなら赤嶺さんも食べろよ」
「んー、ま、良いけどね。じゃ、一口もらうわ」
赤嶺が、なぜかあえて俺の使ったフォークを奪い、それを使ってパンケーキを一欠片口に放り込む。
「くぅぅ……っ。これ、本当に辛いねっ。ほんのり甘いけど、やっぱり辛さが強すぎっ。私にはちょっときついっ」
「……本当に食べるとはな。なかなかのチャレンジャーだ」
「こういうノリも大学生みたいで楽しいじゃん? それに……こういうのは二人で共有してこそ一層面白味も増すってもんでしょ」
「まぁな。……仕方ない。食べ残したら罰金一万円ってことだし、どうにか片づけるよ」
「うん。頑張って。甘いのが欲しくなったら私のをあげるよ」
「それならどうにかいけそうだ」
本当に大学生にでも戻った気分で、俺は店主の遊び心満載の激辛パンケーキと格闘する。特に辛いもの好きでもないので全てを食べきるのには随分と苦戦したが、赤嶺もちょこちょこ手伝ってくれて、どうにか完食。口の中がひりひりして、もはや二度と味を感じることがないのではないかと不安にさえなった。
店主、後で一発ぶん殴る……っ。と一瞬決意を固めたのだけれど、赤嶺が終始楽しそうだったことを思い出し、これはこれで良い時間を過ごせたのかもしれないと思い直す。
割と良い気分で店主への恨み辛みを吐き出していると。
「マジ下手くそなイラストばっかりじゃん。よくこれを売りに出そうと思ったよなぁ」
この店には場違いな男性の声が、店内に響きわたった。
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