第51話 勝敗

 床にランチョンマットを敷き、その上に料理が並ぶ。ご飯、ハンバーグ、サラダ、シチューという、いつもの昼食からするとかなり豪勢なラインナップ。それ自体はとてもありがたいことなのだが……。


「青野さんのお皿に乗っている二つのハンバーグは、私と赤嶺さんの作ったものが一つずつです。どっちが美味しいか、比べてみてください」


 希星にそんなことを依頼されて、正直俺は困ってしまう。


「……一緒に作ってて、材料も同じで、行程もほぼ同じで……味にそんなに違いなんて出るのか?」


 見た目は確かに少し違う。それぞれのクセが反映しているのか、少し薄く広がったものと、ふっくらしたものの二種類。しかし、よほど味にうるさい奴でもない限り、味の違いなんてそうそうわかるはずがない。俺くらいのバカ舌持ちには、どちらも同じ味に感じるに違いない。


「つべこべ言わないで食べなさい。強いて言うならくらいでもいいから、どっちが美味しいか決めること」


 赤嶺にも指示されて、俺は仕方なく判定することに。


「判定するのはいいけど……本当に、強いて言うなら、くらいのものだからな」


 俺は右手に箸を持ち、ハンバーグの皿を左手に持つ。どちらも同じデミグラスソースを使っていて、ますます味の違いなどわかりそうもない。

 ともあれ、まずは少し平たいハンバーグに手を付ける。箸で一口サイズに切り、それを口に放り込んだ。


「……美味いな」


 表面には程良く焼き目がついて、中身はふわっと柔らかい。過不足なく、美味しいハンバーグだ。

 俺がどう反応するかで二人のどちらが作ったかわかるかとも思ったが、二人とも固唾を飲んでこちらを見つめてくるのみ。これではどちらのものかはわからない。


「……んじゃ、次」


 ふっくらした感じのハンバーグも、同じように口に放り込む。


 表面には程良く焼き目がついて、中身はふわっと柔らかい。過不足なく、美味しいハンバーグだ。

 ……要するに、同じ味にしか思えない。

 神妙な顔をする俺をどう思ったのか、二人が顔を見合わせて尋ねてくる。


「あの、美味しくなかったですか?」

「そんなに変な味がするの?」

「いや、そういうわけじゃない。美味しいよ。ただ……やっぱり言うべきか、同じ味に感じてしまってな……。どっちが美味しいとか、正直さっぱりわからん」

「……そ、それでも、あえて決めてください! 直感でもなんでもいいので!」

「ここでどちらも選べないとか言わないでよ?」

「うーん……」


 ほぼ同じ味のハンバーグ。そこに優劣を付けなければならないというのは非常に難しい。どっちも美味しい、でいいんじゃないのかね?

 しかし、こうして二人の女性から手料理を出され、どっちが美味しいかと尋ねられるなんて、なんともこそばゆいではないか。高校生だったら、この状況に舞い上がっていたかもしれないな。今の俺からすると、現実感がなくて逆に冷静だ。


「まぁ、強いて言えば、こっちのふっくらした感じが好みかなぁ……」


 ふわっとした気持ちで答えると、赤嶺がにんまりと微笑む。対照的に、希星ががっくりと肩を落とす。

 そして、上機嫌に赤嶺が尋ねてくる。


「ふふん? なるほどなるほど? どうしてそっちの方がいいのかな?」

「強いて言えば、ほんのすこーしだけこっちの方が好みの柔らかさだったかなー、と。それと、見た目が好きかなー、って。赤嶺さんが作ったのか?」

「そうよ。私が作ったの。じゃ、この勝負は私の勝ちねっ」


 赤嶺がどや顔で希星を見る。希星はとても悔しそうだ。


「……負けました。悔しいです」

「別に悔しがる必要ないぞ? どうしてもどっちかに決めろって言うから決めただけで、どっちも美味しいのは確かだ」

「……そうだとしても、負けは負けです」


 はぁー、と深い溜息を吐く希星。気にする要素が俺にはわからないのだがなぁ。


「んー、でも、希星の奴って、焼き上がりは早そうだよな。こういうのって、少しでもガスを使わないようにするための工夫とかか?」


 俺の問いに、希星が苦笑い。


「わかりますか? 実のところ、多少薄くしたところでガス代なんて数円の違いなんでしょうけど、みみっちく節約を考えちゃうんですよね」

「いいことじゃないか。一時とはいえ、貧しさを経験したからこそこういう工夫ができる。美味しいのは確かだし、強いて言えばで負けた程度、なんにも気にする必要はないさ」

「……そう、ですかね? ふふ、そう言ってもらえると、気持ちも切り替わりますね」

「今日の負けなんて気にするな。だいたい、希星は絵が上手くなりたいのであって、料理なんて二の次だろ? いちいち気にする必要はないさ」

「……そうですね。確かに、そうです」


 希星が立ち直り、笑顔を見せる。

 が、一方で赤嶺は不満顔。


「……私が勝ったのに、なんか負けた気分だわ。負けて慰めてもらえる方がおいしいだなんて卑怯じゃないの」

「いや、赤嶺さんが負けたところで俺はたいして慰めもしないと思うが……。いい大人なんだから……」

「はぁ? なんか言った?」

「……いえ、なんでもありません」


 こんなしょうもない勝負で負けたからって、赤嶺が落ち込むなんて考えづらい。それだけ赤嶺の強さを信頼しているだけなのだが、どうも不服だったようだ。女性ってわからないな……。

 ともあれ、その後は至極普通に食事を開始。談笑しながら二人の手料理を味わった。いつもこんな食事を食べられるなら、いつか赤嶺が言っていたように、お金を出して手料理を作ってもらってもいいかもしれない。


 食事を終えると、時刻は午後一時を過ぎていた。

 希星が二時からバイトだということで、そろそろ解散する運びとなる。

 メイド服から私服に戻った希星は、玄関先で俺に念押し。


「赤嶺さんと遊ぶのはいいですけど、お部屋で二人きりで過ごすとかは止めてくださいね。約束ですよ?」

「わかってるって。俺たちもこれから出かけるから、心配するな」

「……わかりました。あと、今日は八時には終わります。帰ってきたら、また青野さんのお部屋にお邪魔させてください。それで、そっちのパソコンを使って絵の練習をさせてください」

「タブレットじゃダメだったか?」

「……ダメではないです。ただ、やはり少しだけ使いづらさはありますね。処理が遅めと言いますか……。青野さんのパソコンでも多少のクセはあるのでしょうが、どうせならパソコンのクセに慣れた方がいいのかなとも思います」

「そうか。わかった。もし必要なら、パソコンをそっちの部屋に移そうか?」

「……いえ、それは必要ありません。っていうか、私を遠ざけようとしないでください。泣きますよ? 本当に」

「……わかったよ。いつでも来るといい」

「はいっ。お邪魔させてもらいますっ。それでは、青野さん、赤嶺さん、またお会いしましょう!」

「おう、また後でな」

「またねー」


 希星がにっこりと微笑んで、それから気持ちを切り替えて颯爽とバイトに向かっていく。一時期はかなり辛そうに見えたが、本当に元気になってくれたものだ。


「元気ねぇ、希星ちゃん。それに、本当に幸せそうな顔で青野君を見つめてくるのね」

「だとしても、相手は女子高生。俺は何もできねぇよ」

「二年待つって約束したんでしょ? あの調子なら、二年くらいは平気で青野君を想い続けるんじゃない?」

「そうかなぁ……。高校生の気持ちなんて、いつ移ろうかわかったもんじゃないと思うがなぁ……」

「相手が本当にたいしたことのない男だったら、一時の気の迷いになるでしょうけどね」

「なんだそれ。遠回しに、俺が素晴らしい男だと褒めてるのか?」

「……そーだよ。青野君は立派な人。それは間違いない」

「お世辞でも嬉しいね」

「その受け止め方は可愛くない」

「可愛くなりたいと思ったことはない」

「あ、そ。けど……一人前にきちんと働いていて、自分が苦労して稼いだお金を他人のために分け与えられるっていうのは、それだけで結構すごいこと。

 それに、青野君はロリコンであることを除けば人格者の部類だし、希星ちゃんの大好きなイラストも描ける。女子高生が年上の男性に憧れやすいっていうのも踏まえて、青野君は希星ちゃんにとってとても魅力的な人。そう簡単に諦めてはくれないでしょうね」

「俺がへましない限り、かな」

「そうね。ロリコンを拗らせて、詩遊ちゃんに手を出したりしたら、希星ちゃんも流石に愛想を尽かすかもね」

「それはねぇよ。中学生まではカバーしてねぇ」


 まったく、赤嶺はことあるごとに俺をロリコン扱いしやがる。俺はただ、ストライクゾーンがちょっと広いだけの話だというのに。


「そういうことにしておいてあげる。ところで、青野君。昨日は希星ちゃんとデートだったのよね?」

「ん? まぁ、そうだな。デートっていうか、お出かけだ」

「どこ行ったの? 面白そうなところにいったなら、私も連れてってよ。いいでしょ?」


 軽い調子の問いかけなのだが、赤嶺の言葉にはどこか凄みがある。

 なぜだろう……? よくわからないが、俺は赤嶺の希望を叶えるしかないのだと、直感的に悟った。

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