第33話 全力

 夜十時半を過ぎたところで、解散しようという流れになった。

 藍川は隣の部屋に戻るだけなので何も心配はいらないが、赤嶺の家は遠いので俺が送っていこうとした。しかし。


「あ、あの! 今夜は遅いですし、赤嶺さんは私たちの部屋に泊まりませんか!?」


 藍川が随分と勢い込んでいい放った。何のこっちゃと思っていたら、赤嶺が苦笑しながらいう。


「……青野君が私を駅まで送るのがそんなに嫌なの? そんなことしたって、私と青野君は職場が同じだし、二人になる機会なんていくらでもあるよ?」

「あ、いえ、その……」


 藍川が顔を赤くする。どうやら図星らしい。見ているこちらの方が気恥ずかしいじゃないか。


「大丈夫。私もちゃんと約束は守るから」

「……はい」


 その約束とはなんなのか。俺は聞いちゃいけないものなのだろうな。


「っていうか、私がそっちの部屋に行って、布団とかあるの? この季節に布団なしで寝たら風引いちゃうよ?」

「……とりあえず二人分はあります。三人くらいは寝られますよ」

「そっかー……。でも、明日は仕事なんだよなぁ……。結局家に帰って着替えないといけないんだし、やっぱり帰った方がいいかな」

「……そうですよね。ごめんなさい。変なことをいってしまいました」

「いいよ。そういうところも、このロリコンは可愛いとか思っちゃうんだろうけどさ」


 藍川がちらりと俺を見る。俺は苦笑するばかりである。そりゃ、可愛いとは思うよ、もちろんさ。

 俺たちが見つめ合っていると、赤嶺が間に入ってきた。


「はいはい。いつまでも見つめ合ってるんじゃないの。藍川さんは早く帰りなさい。明日は学校でしょ?」

「……はい。そうでした。それでは、私、帰りますね。おやすみなさい」

「うん、おやすみなさい」

「おう、おやすみ。ってか、一緒に出よう。赤嶺さんと二人きりってのも気まずいしな」

「んー? 私といると何か気まずいの?」

「気まずいっていうか、男女が一つの部屋にいたら色々気になるだろ。さ、俺たちも出よう」

「……一応、私を女として意識はしてるってことよね?」


 その一言で、藍川がなぜかぴくりと体を震わせた。……女性として意識しているっていっても、恋愛云々というわけじゃないのに。気にしすぎだろ。いや、気になるのが自然なのかな。藍川の年齢だと。


「……俺は赤嶺さんを女性として認識してるよ。当たり前だろ、そんなの。かといって、恋人関係になろうとか考えているわけじゃないけどな」


 藍川はほっと一息。一方、何故か赤嶺の顔が強ばった気がする。気のせいか?


「……とにかく行きましょ。青野君、さっさと準備してっ」 


 肩を強めに叩かれる。割と痛い。理不尽な……。女性だって暴力はいけないと思うぞ?

 さておき、俺たちは揃って部屋を出て、すぐに藍川と別れる。


「色々と私たちのことを考えてくださってありがとうございました。おやすみなさい」


 藍川が最後にペコリと丁寧に頭を下げる。その振る舞いを見るに、きっと育ちのいい子なのだろうな。


「おやすみ。また明日」

「おやすみー。私は来週くらいにまた顔出すわ。そんときは宜しく」

「……わかりました」


 藍川が少しばかり残念そうにいって、それから自室に戻っていった。

 駅に向かいつつ、赤嶺は苦笑しながらぼやく。


「支援してくれる相手なんだから、表面だけでも取り繕ってくれればいいのにね。いかにも、邪魔なやつがまた来るのか……って顔だったわ」

「相手は高校生だぞ? 社会人じゃないんだから仕方ないさ。つーか、支援してもらってるんだから本心を隠して愛想よくしなきゃって思われる方が寂しくないか? 結局はお金の縁に終始しちまうぞ」

「ま、それもそうね。支援はするけど、ちゃんと人と人との繋がりを持ちたいもんね。高校生だし、あの態度は仕方ない。それに、青野君は、あんな風に嫉妬を滲ませてくれるのが嬉しいんだもんね?」

「嬉しくないとはいわないさ」

「素直じゃないいい方っ」


 また肩を強めに叩かれる。


「痛いな。もっと加減しろよ」

「やーだね。青野君には加減してやらない。青野君が私を怒らせるのが悪いんだからね!」

「俺がいつ怒らせた?」

「ずーっと! もう、そのなんにもわかってない態度がムカつく!」

「……そうかぁ。悪かったな」

「なんもわかってないのに上っ面で謝ろうとするなっ」

「……わかったよ。んー、でも、悪い、俺には何が何やらだ」

「……今はそれでいいよ。そのうち……そのうちわかればいい。っていうか、ちゃんとわからせる」

「ああ、そうしてくれ。俺は、いってもらえないとわからない」

「そんなもんだよね。ちゃんと伝えないと、自分の考えも気持ちも伝わるわけがない。私も勝手にイライラしちゃってごめんね」

「……ん。殴るのを控えてもらえれば十分」

「殴るのも愛情表現ってやつよ」

「そんな歪んだ愛情表現は願い下げだ」

「そのうち気持ちよくなるってば」

「なりたくねぇよ」


 そんな話をしつつ歩いていると、俺たちはすぐに駅に到着する。


「……それじゃ、私は帰るけど、私がいないからって自制心失っちゃダメだよ」

「わかってるって。今の段階で手を出すつもりは、本当にない」

「そ。ならいいけど」


 駅に着いたのに、赤嶺はなかなか改札を通ろうとしない。少し拗ねたような態度で、俺から視線を逸らして立ち尽くしている。


「……駅から家まで、遠いんだっけ?」

「んーん。歩いて五分くらい」

「そっか。でも、気をつけろよ。夜道の一人歩きは危ない。なんならタクシーを使っても良い。俺が出すぞ」

「大丈夫。道は明るいし、問題ない」

「ならよかった」

「うん。……あのさ」

「うん?」

「私、希星ちゃんが、少し羨ましいかも」

「……というと? どの辺が?」

「……あんな風に、全力で誰かを好きになれるところ」

「それはわかる。大人になると、そういうの出来ないもんな」

「うん。本当に。恋愛が生活の中心になってるなんて、とても想像できない」

「……だからこそ、こんなおっさんと女子高生なんて、釣り合わないと思うんだけどな」

「希星ちゃんは、それでもいいっていうんでしょうね。そのうち辛くなるかもしれないけど、若くて柔軟性もあるだろうから、案外あっさりそういう関係を受け入れるかもしれない」

「……ま、恋心なんていつまで続くかわからないよ」

「確かにね。……本当に、そう。そうなんだけど……私も、最後にもう一度くらい……」


 赤嶺の言葉が途中で途切れる。最後にもう一度くらい、全力で恋をしたい?

 その気持ちもわかるよ、なんて暢気に思っていたら、赤嶺が身を翻して改札に向かう。


「青野君、また明日、会社でね! 送ってくれてありがとう、おやすみ!」

「ああ、どういたしまして。おやすみ」


 赤嶺が手をヒラヒラと振って、改札を抜けていく。その背中が見えなくなってから、俺も帰路についた。


「……赤嶺さんなら、最後にどんなやつを好きになるんだろうな」


 きっと、俺には想像もできないくらい、いい男なのだろうな。そして、赤嶺が誰かに恋をしたら、俺と会うこともなくなってしまうのだろう。

 寂しいけれど、その恋は応援したい。……応援したくない気持ちもこっそりあるけれど、それはどうにか忘れよう。

 そんなことを考えながら帰路に付き、俺は冷たい空気の中を歩いた。

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