第30話 前途多難
詩遊の警戒心向きだしの態度にめげず、赤嶺が穏やかに続ける。
「確かに、青野君がどれだけ口で紳士ぶっても、何を考えてるかなんてわからない。その誠実さを証明する手段もない。ただ、誓約書を書かせることくらいはできるかな」
「……誓約書?」
「そう。誓約書。青野駆は藍川希星に対して支援し、かつ性的な見返りは求めない、もし違反すれば罰金いくら、っていうね。ちゃんと作れば法的にも効果があるはずで、青野君も下手なまねは出来ない」
「……そう言うのがあっても、いざとなったら、どんなことだってできるんじゃないですか?」
「それはそうかもしれない。罰金なんてもうどうでもいい! って思って強行手段を取ることも考えられる。けど、そのときはもう青野君は社会的に死んだも同然。誓約書を書かせるだけでも、かなりの安心材料になると思うよ」
「……そうですか」
「青野君を信用できない気持ちも、お姉さんを大事に思う気持ちもわかる。ただね……詩遊ちゃんももう中学生だから、はっきり言うね。もし、青野君の支援を断ったら、詩遊ちゃんたちの生活は破綻する」
詩遊が唇を引き結ぶ。その予感は、本人も気づいていたのだろう。
「私は又聞きでしか知らないけれど、希星ちゃん、今の生活が肉体的にも精神的にも苦しくて、二階までの階段を上がるのも辛いって思うときがあったんだってね。
そんな状態で無理して働き続けたりすれば、いずれ体を壊してしまうのは明白。お姉さんは、詩遊ちゃんに心配かけたくなくて、強がっていたかもしれない。でも、もう限界が来ていたの。二人の生活を守りたければ、青野君の支援の話は受け入れるしかない」
「……お姉ちゃん、本当?」
詩遊の心配そうな眼差しに、藍川が申し訳なさそうに微笑む。
「……うん。ごめんね、今まで言えなくて。私、確かに無理してた。二人の暮らしを始めてたった二ヶ月で限界を感じてた。青野さんが支援を申し出てくれなかったら、私、本当にダメになってたかもしれない」
「……そっか。でも、そんな気がしてた。お姉ちゃん、無理してるなって。ごめん、お姉ちゃん、わたしのせいで無理させてた……」
「詩遊のせいじゃないよ。二人で決めたことでしょ? 自分たちの望む通りに生きるために、二人で家を出ようって。詩遊のせいなんかじゃなくて、私の責任でもあるの」
「……うん」
詩遊が泣きそうな顔で俯く。この二人の家庭事情、どうなっているのだろうか。まだ聞いていなかったが……。
「お姉ちゃんは、助けが必要なんだね?」
「うん……。そうなんだ。私の力だけじゃ、ダメだった」
「そう……。それなら、もう、仕方ないんだね……」
詩遊が大きく息を吐く。そして。
「……話はわかりました。正直まだ信用はできませんけど、誓約書をきちんと書いてもらった上で、その、青野さんに支援してもらうこと、受け入れようと思います」
「ん。わかってくれてありがとう。信じてくれたことに報いられるように頑張るよ。青野君が。ね?」
「ああ、もちろんだ。信じてくれたこと、後悔はさせない」
「と、力強く言ってくれてるから、今は信じて上げてね。それと、もう一つ」
「なんですか?」
「青野君は、主に希星ちゃんの生活を支援する。青野君の収入を考えると、それだけで結構一杯一杯だと思うのね。だから、私は詩遊ちゃんの生活を支援しようと思ってるの。それも、受け入れてくれないかな?」
赤嶺、すんなりと支援を申し出たな。ある程度人となりを見てからかと思ったが、既に赤嶺は詩遊を気に入っていたのだろうか。
まぁ、今のやり取りだけでもその賢さや姉想いなところはわかるから、それだけで支援しようと思ったのかもしれない。
「……え? それって、また、見返りもなしに、ってことですか?」
「うん。そういうこと」
「……なんで、そんなことをするんですか? 赤の他人を支援したって、なんの得もないじゃないですか」
「そうだね。自分でも、変なことしてるなぁ、って思う。ただ、私、青野君の気持ちもわかるんだ。
見ず知らずの他人のためにでも、ぎりぎりまでできることをしてあげたい。そんな気持ちになることもあるんだよ。
……社会人として何年か働いて、毎日大して変わり映えのない日々を過ごして、自分の行く先もなんとなく見えちゃって、自分の存在価値ってなんなのかなー、とか、ふと思っちゃう……今くらいの歳にはさ」
「……よくわかりません」
「今はまだそれでいいよ。この気持ちがわかるのは、まだ十年以上先」
「……結局、それはわたしたちのためなんですか? それとも、自分の空虚さを満たすため?」
「どっちも、だよ。これは純粋な善意からくる行動じゃない。だけど、純粋な善意からの行動なんて、本当にあるのかな?
難しい話になってしまうけど、誰かのために、正義のために、愛のために……そういう理由で行動するのって、自分が気持ち良いからだと思う。人の行動って、突き詰めればどこかしらに『自分のため』が入ってくる。そのことを否定してしまったら、人の行動は全部が偽善。
……なんて、ちょっと難しいよね。ごめん。
とにかく、私は詩遊ちゃんを助けたいって思ってる。詩遊ちゃんにデメリットはないと思うし、受け入れてくれないかな?」
詩遊はまだ納得していない様子。顔をしかめ、疑わしそうに赤嶺を睨む。
「……他に困っている人がいたら、助けるんですか? わたしたちにそうするみたいに」
「それは無理。これ以上はもうお金が足りないもの」
「……お金があったら?」
「助けるかもしれないし、助けないかもしれない。正直、私は善人じゃないから、それはそのときの気分次第」
「わたしたちへの支援も、気分次第で打ち切るんですか?」
「それはしないよ。大人としての責任がある。ただ、口約束じゃ不安だろうから、事前にきちんと誓約書でも書くよ」
「……そうですか。本当に、意味がわかりません。でも、誓約書まで作るというのなら、その支援は受けます。わたしも、純粋な善意じゃなければ受け取らないなんてこだわって、自分の夢も何もかもを諦めるなんて嫌ですから」
「ん。良かった。それじゃあ、話はまとまったね。これから宜しく、詩遊ちゃん」
「……せいぜい利用させてもらいます」
赤嶺が右手を差し出すと、詩遊も右手を差し出して握手する。詩遊の表情は堅いが、赤嶺は満足そうだ。
話が落ち着いたことで、俺も安心して息を吐く。詩遊は、今後も簡単には俺たちと打ち解けてはくれないかもしれない。でも、それは問題じゃない。打ち解けてもらうより、俺は詩遊が自分の願いを叶える姿を見たい。
藍川も、どこかホッとした表情で詩遊の頭を撫でる。それから俺を見て微笑んでくれるのだが、その微笑みを見た詩遊がむすっと顔をしかめる。
……やはり、まだまだ前途多難だな。信頼を勝ち取れるよう、頑張っていこう。
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