第19話 人生を

 女子高生相手に何やってんだこのおっさんっ。

 と心の中で何度も思った。ただ、本格的に性的な何かをしたわけでもないのだから、これはセーフだろとも思う。中学生の淡い恋愛模様じゃあるまいし、ピザを食べさせるくらいでガタガタ言うんじゃない。

 そう思うものの、残りの食事中はどぎまぎしてしまう感覚が抜けなかった。いい大人が何をやっているんだか。本当に呆れてしまう。

 食事を終えて、俺たちは店を出た。会計の時、なんとなく奥さんの方がにやにやしていた気がするのは忘れることにした。

 さておき。


「夜はやっぱり冷えますね。温かい店内にいたからなおさらそう感じます」

「確かにな。もう十一月で、これから本格的に冬だ。……もう一年が終わっちまうなぁ。この歳になると、本当に一年が早い。つい一ヶ月前くらいに明けましておめでとうとか言っていた気がするのに」

「……お正月の前に、まだイベントはありますよ」


 藍川が神妙な顔でぼそりと呟いた。正月の前のイベント……?


「なんだっけ?」

「え!? それ、本気で言ってるんですか!?」


 藍川にものすごく呆れられた。俺、何か重要なことを忘れてる?

 数秒考えて、思い出す。そういえば、思い出したくもないイベントが、正月前にはあるのだった。


「……天皇誕生日だな。うん。ああー、そういうこともあったなー」

「……天皇誕生日は二月です。いつまで平成気分なんですか」

「俺は平成を生きた時間が圧倒的に長いからな」

「それは私だって同じですよ」

「……まぁ、な。はぁ……今年もまたクリスマスの時期かぁ。俺みたいな独り身は、妙に肩身の狭い思いをするんだよなぁ。世間は浮かれてるのに俺にとっては単なる平日ってね。あーやだやだ」

「青野さん、クリスマスの予定、ないんですね?」

「ねーよ」

「私、予約します」

「……ん? 予約?」


 突然何を? 戸惑う俺に、藍川が続ける。


「青野さん。クリスマスは、私と過ごしましょう。いいですよね? 何も予定ないんですから」

「……いや、ダメじゃないか? そういうことはしない方が……」

「なんでですか? べ、別にただ一緒に過ごすだけですよ? 私もクリスマスの予定なんてありません。だから、予定のない者同士、ちょっと遊ぶだけです。それの何がいけないんですか!?」

「……何も悪くないです」


 勢いに負けてそんなことを言ってしまったが、果たしてそれで良かったのか。

 藍川はにんまりと微笑んでいる。本当に、こんなおっさん相手に何を考えているのやら……。


「妹さんはどうするんだよ」

「詩遊は友達と過ごすでしょうし、何度も言いますけど、詩遊はいつもいつも私にべったりというわけじゃありません。適度な距離感で一緒にいれば、何も問題はないんです」

「そうか……」

「そうです。こちらの家庭事情は心配いりません。……あ、そういえば、私、今日はちゃんと家の事情をお話ししようと思っていたんですよ。どういう経緯で私たちが家出をしたのかとか……」

「ああ、それはまた後日でいいよ。事情を知っても知らなくても、俺が藍川さんを支援するのは変わらない」

「……い、今からじゃダメですか? どこか、別のお店でとか……」


 時刻は午後八時過ぎ。高校生なら急いで帰宅しなくても良い時間帯。

 とはいえ、今からまた藍川と一緒に過ごすと、俺の方が何か良からぬことを考えてしまいそうだ。


「ダメだ」

「何か予定でも?」

「……観たいテレビが、あって」

「何の番組ですか? そもそも、もうテレビを観ている世代じゃないでしょう?」


 くっ。もうテレビを言い訳にはできない世代か。俺も、藍川も。


「ええっと、とにかくダメだ! 今日はもう帰るぞ! そもそも、妹さんにはなんて言っているんだ? あまり帰りが遅いと不審に思われるんじゃないのか?」

「それは……まぁ、ちょっと……。この前も、青野さんとどういう関係なのかって訊かれましたし……」

「なんて答えたんだ?」

「……最近少しだけ話すようになったんだよ、って」

「なんか言われなかったか? 怪しいおっさんとあまり親しげにするなとか。何をされるかわからないぞとか」

「……そんなことはありません」

「嘘が下手か。あからさまに目を逸らしたじゃないか」

「で、でも、青野さん、悪いことはしませんし!」

「あまり俺を信用するなっ。男なんて、ちょっとしたきっかけで変な気になっちまうことだってあるんだ! 今日はもう解散! いや、家の前まではどうせ一緒だけど、とにかく終わり!」


 むぅー、と藍川が膨れ面。そんな姿も可愛い……。だから、俺、そういうの止めろって。


「……それなら、明日また会いましょうよ。私、バイトの終わりは今日と同じです」

「……明日はダメだ。予定がある」


 何時から何時まで、と決めてはいないが、赤嶺と過ごす時間はおそらく長いだろう。


「なんの予定ですか?」

「そこまで言う必要はないだろ?」

「むぅ……。そうですけど……そうですけど!」


 グルル、と今にも唸り声を上げそうな雰囲気。

 俺に懐きすぎだろ、この子。ただ生活を全面的に支援するって約束しただけで……。まぁ、結構なことはしているか。でも、だからって必要以上に交流する必要はない。

 しかし、懐いているだけにしては、俺への執着が強すぎるか。……俺たちの関係では持つべきじゃない感情を、藍川は多少持っているのだろうか。それならなおさら、距離感は大事にすべきだな。


「……わかりました。今日は帰ります」

「おう。じゃあ、もう行くぞ」

「はい」


 俺が歩き出すと、藍川が渋々という風についてくる。

 不満が消化し切れていないのか、道中の会話は少なかった。ただ、俺たちの住むアパートが見えてきた辺りで、藍川が大きく溜息を吐いて、提案してくる。


「青野さん、考えたんですけど」

「何をだ?」

「私にも、何かお礼をさせてくださるんですよね?」

「ああ、そうだな」

「なら、私、青野さんは私の人生を買ってくださったのだと、考えることにします」

「藍川さんの人生を買う……?」

「青野さんは、私の生活を全面的に支援してくださいます。それに見合うお礼なんて、私にはなかなか思いつきません。だから、青野さんには、私の人生の歩みを見届ける権利をお渡しします。

 具体的にはまだ考え中ですが、例えば、今日はどんなことがあったとか、どういうことを考えたとか、将来のためにどういう努力をしたかとか、毎日レポートを提出します。

 恥ずかしい部分もありますけど、出来る限り赤裸々に書きます。そして、私の人生そのものを、物語を読むように楽しんでもらうんです。

 私の人生が、青野さんからいただいているものに見合う程面白いものなのかは、正直わかりません。でも、他ではどうやっても手に入らない希少なものにはなるはずです。

 それと、青野さんは私の人生に口は出さないという気持ちのようですが、思うことがあれば言ってくださって大丈夫です。可能な範囲で、青野さんが私にしてほしいこととかあれば、それを実行します。

 ……それが、今の私に考えられる一番のお礼です。ご飯を作るとか程度では返しきれない恩を返すための……」

「君の人生を買う、か……」


 なるほど、それは確かに他では手に入らない希少な権利。支援と同等の価値があるとも断定できないが、それ以上の価値があるかもしれない。

 俺専用チャンネルで所謂Vlogを提供するようなイメージか。いや、もっとシンプルに、自分しか読まないと思って赤裸々に書いた日記を、俺に読ませてくれるというイメージか。……結構ドキドキするな。


「……わかった。それでいい。面白いお礼だ」


 俺が受け入れると、藍川の顔がパッと華やぐ。


「ありがとうございます! 私、青野さんに楽しんでいただけるよう、頑張って生きていきます!」

「ただし、少し条件。レポートをくれるのは面白い。ただ、レポートのために他のことができなくなるんじゃ本末転倒だ。毎日レポートをくれるなら、一日十分から十五分程度で書き上げるんだ。いいね?」

「わかりました。それでやります。今日から早速!」


 藍川は妙に明るい。自分の人生を公開するなんて恥ずかしいだろうに……と思って、ふと気づく。

 藍川は、自分のことをもっと俺に知ってほしい、みたいに考えているのかもしれない。

 俺へのお礼でもあり、自分の願望を満たすものでもある、と。

 ……計算なのか、天然なのか。たぶん、これは計算も入っているな。

 天然娘という印象もあるが、やはり女性らしい計算も多少はある。

 それで悪くはない。俺のために色々と計算してくれるのは可愛いことだ。

 やがてアパートの前に到着し、藍川を先に家に帰らせる。同時に玄関が開いたら妹に不審がられるからと説明したら、藍川も納得してくれた。


「今日はありがとうございました。ご飯、美味しかったです。それに、これから助けていただく恩、一生忘れません。また、近いうちにお会いしましょう」


 藍川のそんな言葉を胸に、俺はアパートの近くを散歩する。

 ただのおっさんの寂しい人生が、藍川のおかげで急激に色づいていく。

 自分のために好き勝手生きていくはずで、それも悪くないと思っていたのに。

 こうして誰かを支えられることで、自分の存在意義を実感できる。


「……お礼を言うのは、こっちの方なんだぞ」


 藍川にはわかるまい。いつか、この心情を理解できるときが来たら……改めて、藍川にお礼を言おう。

 そう決意して、俺は良い気分で夜風の心地良さに目を細めた。

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