第15話 雑談
六時二十分過ぎ。この時刻で既に空は暗い。俺が楡山駅の東口でベンチに座っていると、藍川がこちらに駆け寄ってきた。それを見て、立ち上がって軽く手を振る。
「お待たせしました!」
「いや、俺も今来たところだよ」
「それは嘘です! 五時半頃にはこちらにいたじゃないですか!」
「それからずっとここで待っていたわけじゃないよ。近くに本屋もあったし、そこで色々見てた。だから待ってた時間はそんなにない」
「……ちょっと怪しいですけど、まぁいいです。えっと、何度も言いますが、今日はありがとうございました! 本当に助かりました!」
藍川がぺこりと頭を下げる。さらりと揺れる髪が麗しい……とか女子高生に対して考えるのは止めよう。
「俺にできることなんてささいなもんさ。一応社会人も五年目だし、藍川さんよりは多少マシっていう程度」
「そんなことはないと思います……。青野さんの対応、本当にすごいと思いました。私もあんな風になれればいいなって、素直に尊敬しました」
「そ、そっか。それは照れるが……」
「照れてる青野さん、可愛いですね」
にこやかな笑顔が眩しい。しかし、女子高生から「可愛い」と言われるとは……。
「……なんでもかんでも可愛いと表現してしまうのはどうだろーな?」
「そうやってちょっと話を逸らそうとするところも可愛いと思います」
「うるせ。もういい。ここに突っ立ってたって寒いばっかりだし、どこかお店に入ろう。ちなみに、晩ご飯は家で妹さんと一緒に食べる?」
「いえ。詩遊には、今日は少し遅くなると伝えています。ご飯は作り置きがあるので大丈夫です」
「……ま、そっちがいいと言うならいいか。一人にしても大丈夫なんだな?」
「大丈夫です。もう中学二年ですよ? 何日も一人にされたら寂しさもあるでしょうけど、姉が遅くに帰って来る程度で寂しがる歳じゃありません」
「それもそうか。俺も、中学の頃には夜に家に一人きりだって何とも思ってなかったな。たぶん」
「青野さん、中学生の時はどんな人だったんですか?」
「……そういう話を始めたら長くなるよ。それは後回しにして晩ご飯を食べられるところに入ろう。何か食べたいものはある? もちろん俺が奢るけど」
「……ありがとうございます。基本的になんでも美味しくいただきます。青野さんのおすすめとかはありませんか?」
「俺のおすすめは大手チェーン店の牛丼屋だな」
一瞬、藍川の表情が強ばった気がする。流石にこれは期待外れ過ぎたな。
「……今のは冗談だから、笑ってくれていいんだぞ?」
「あ、そ、そうでしたか。すみません、気づかなくて」
あはは、とどこかほっとした表情の藍川。冗談ではなかったから、気づかないのも無理はない。
「和食なら海鮮系、洋食ならパスタとかピザのイタリアン。どっちがいい?」
「それなら、イタリアンがいいですね。海鮮も好きですけど……詩遊も好きなので、一人だけ食べてしまうのもちょっと……」
「そっか。ま、お金については支援するし、今度二人で行ってみなよ」
「ありがとうございます」
「んじゃ、この辺のことはわからないし、一旦鮎白駅に戻るよ」
「わかりました」
電車で移動し、俺たちは一度家の最寄り駅である鮎白駅へ。そこから徒歩三分程のところに、俺が数回訪れたことのあるイタリアンの店がある。イタリアンだが店の名前は和風で、『幸せ工房』という。夫婦二人で経営しているらしく、かつ奥さんの方は金髪碧眼の外国人女性。この女性が日本好きらしく、店名も日本名にしているのだと、ちらっと聞いた覚えがある。
外観も内装もおしゃれ過ぎず、かといって野暮ったくもない。気負わずに入れる雰囲気が俺としては好ましい。
店は広くなくて、テーブルは六組だけ。料理は美味しいが混み合うお店でもなくて、俺としては穴場の認識。店内に入り確認すると、今日も他の客は俺たち以外に二組だけだ。俺たちは、入り口近くの席に向かい合って座った。
「へぇ……いい雰囲気のお店ですね」
「気に入ってくれたなら良かった」
「……ちなみに、初めてではないんですよね? 以前はどなたと来たことがあるんですか?」
「同期入社の連中だよ。たまに会社の外で会って、色々と話し合ってたんだ」
「なるほど……」
藍川がなんとなくほっとした表情。どういう顔だ?
「これ、メニュー」
「あ、はい。……おすすめとかありますか?」
「正直、どれでもいいと思う。どれも美味しいから」
藍川がメニューを見ていくが、どうやら料理よりも値段が気になる様子。パスタはどれも千円から千五百円程度はするから、藍川の金銭感覚では注文をためらうのだろう。俺だって普段だったら高いと思ってこの店には来ない。
ここは、どれでもいい、ではなく、おすすめを絞ってやる方が良さそうだ。
俺は三つほどの選択肢を提示してやる。藍川は、その中からエビとアボカドのパスタを選んだ。俺は、最近パスタを食べたばかりなので、マルゲリータのピザを選ぶことにする。
また、加えてサラダと飲みもののセットも注文することにした。
「あ、お酒を飲んでくださってもいいですよ?」
藍川が気を利かせてくれるが、俺は首を横に振る。
「いや、俺は酒をほとんど飲まないんだ。飲み会なんかで、どうしてもっていう雰囲気のときだけ」
「あ、そうなんですか? 大人って皆お酒を飲むものだと思ってました」
「そんなことなないよ。むしろ、今はお酒を飲まない人が増えてる。俺の同期でも、あえて酒を飲んでたのは五人中二人だったな」
「へぇ、そんなもんなんですね」
「そんなもんだよ。お酒は飲むと高くつくし、依存症とかの心配もある。飲まなくていいと思ってる奴は、一切飲まずに過ごすのが良いと思う」
「そうですか……。青野さんは、お酒でトラブルを起こすことはなさそうですね」
「今のところはその心配はないな。確約はできないけど」
「ギャンブルとかもしなさそうですね」
「それもないな。ギャンブルの楽しさはよくわからない」
「……なんか、安心ですね」
「安心させるべき相手もいないけどな。とりあえず先に注文をしよう。あと、何かデザートが欲しいとかあったら後で言ってくれて構わない」
「あ、はい。……ただ、あんまり贅沢はできません。詩遊に悪いですから」
「そうだな。その辺はそっちで調整してくれ」
注文のため、厨房に目を向ける。奥さんの方が気づいてくれて、俺たちの注文を取っていった。
彼女が去ってから、藍川が妙に感心した様に言う。
「綺麗な方ですね……」
「よせよ、人妻だぞ」
「そういうつもりで言ってませんから!」
「わかってるって。そんなムキになるなよ」
「もう……。青野さんこそ、あの女性目当てでここに来たんじゃないんですか?」
「俺は人妻を求める性癖は持ってないよ」
「せ、性……癖の話はしてません……」
藍川が気恥ずかしそうに俯く。赤嶺だったら笑い飛ばすところだが、やはり反応がまだウブだな……。女子高生って……いい。
おっと、また妙なことを考えてしまった。ただでさえおっさんが女子高生と食事をしているだけで危ういのだ。自重しないとな。
「悪い悪い。じゃ、とりあえず、先に大事な話をしておこう。俺の考えは簡単にまとめてるから、これを読んでみてくれ」
俺はショルダーバッグから一枚のコピー用紙を取り出す。そこに、今後の藍川に対する支援の内容が書かれている。基本的に藍川に不利なことは何も書いていないが、どう反応するだろうか。
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