第7話 不安とか

 駅構内に併設されたカフェ『スターノート』にて、藍川は待っていた。お金の心配はいらないと言っておいたが、注文したのは一番安い三百円のホットコーヒーだけだったようだ。

 俺の姿を確認すると、藍川はすぐに店を出てきた。


「遅くなって悪いな」


 別に待ち合わせをしていたわけでもないのだが、一応こう言っておいた。そして、コーヒー代を渡そうとするのだが、それは拒否された。


「お金はもういただいています。それに、これは私が勝手に待っていただけですから、青野さんは何も気にする必要はありません」

「そうか……。それにしても、妹さんは良かったのかい?」

詩遊しゆのことは心配いりません。私は勝手に色々と心配しちゃいますけど、結構しっかり者なんです。私の帰りが多少遅くても、あまり寂しい様子も見せません」

「……それは、ちょっと強がってるだけじゃない?」

「うーん、そうだと姉としてはちょっぴり嬉しいですけど、本気で平気そうなんですよね……」

「そうか……」

「でも、あんまり放っておくのも良くないとは思っています。まだ中学二年生ですし、全く関心を持たれていないと勘違いすると、非行に走ってしまうかも……っ」

「それは心配だな。とりあえず、早く帰ろうか」

「……そうですね。あ、お買い物は大丈夫ですか? 夕食とかは……?」

「今日は食べてきたんだ。だから大丈夫。まぁ、明日の分があると楽だけど、ある程度食料の在庫はあるから大丈夫……」

「お買い物、していきましょうよ! 私も買うものがあるんです。ね?」

「おお……そっちがいいなら、いいんだけど……」


 俺に帰りを待つ人はいない。だが、詩遊は本当に大丈夫なのだろうか。


「繰り返しますけど、詩遊のことは大丈夫です。今日一日遅くなるくらいは平気です。それに、これからはバイトも控えて、家にいる時間も長くなる……予定なんです。よね?」

「ああ、そうだな。そういう約束だ」


 まだどこか不安そうな藍川。それはそうだよな。お隣さんで二ヶ月ほど顔見知りとはいえ、お互いのことはまるで知らないのと同じ。俺を信頼して良いかわからず、不安になるのも当然だ。

 もしかしたら、こうしてあえてまた俺と会おうとしたのも、その不安を払拭するためだったのかもしれない。俺の気持ちが変わっていないと確かめたかった、とか。

 ともあれ、妹の方は大丈夫なのだろう。中学生にもなれば、むしろ一人の時間を欲しがるかもしれない。

 かくして俺と藍川はこれまた駅に併設されたスーパーに赴く。夜の十一時まで開いているのがありがたくて、俺もよくここで買い物をしている。

 いつもの流れで買い物かごを取り、店内を回っていく。なお、かごは一つだけ。俺と藍川の分を両方買うつもりだが、支払いは俺がする。


「青野さんは、いつもここでお買い物をされているんですか?」

「会社帰りのときはそうだな。でも、家から駅方向とは反対側に別のスーパーがあって、そこの方が少し安く買える。だから、休みの日なんかはそっちで色々買ってるよ」

「あ、そうなんですね。引っ越してきて二ヶ月くらい経ちましたけど、全然知りませんでした」

「あんまりこの辺のことは知らない? マップとかで調べたりとかもしないかな?」

「あんまり……。スマホは持っているんですけど、通信料は月に一ギガまでで抑えてるんです。あまり色々とゆっくり見ている余裕もなくて……」

「現代においては過酷な制限だな。家にワイファイは?」

「……まず、ネット環境がありません。それと、実はテレビもなくて……」

「……あれ? 俺、いつの間にか昭和初期にタイムスリップした?」

「わ、酷いですっ。私はちゃんと令和の人間ですよ!」

「令和にもそういう人がいるんだなぁ……。最近、動画配信とかが流行ってるけど、それは知ってる?」

「あくまで私を昭和の人間呼ばわりするわけですね? それくらい知ってます。っていうか、二ヶ月前まではちゃんとワイファイもテレビもある環境にいました。映画とかだって、レンタルじゃなくてネット配信のを観てましたっ」

「あ、そうなのか。ごめんごめん。……まぁ、つまり、二ヶ月前にちょっとあった、ってことんなんだね」

「……はい。そういうことです」


 さて、これ以上のことを買い物のついでで尋ねて良いものか。深刻な話なら場所を変えたいところ。

 迷っていると、俺の沈黙をなんと思ったのか、藍川が慌てた様子で付け足す。


「あ、別に親が急死したとか、借金まみれで財産を差し押さえられたとかじゃないです。ただの親子喧嘩ですから、心配しないでください」

「親子喧嘩? じゃあ、今はもしかして、家出している感じ?」

「……はい。実のところ、それだけのことなんです。親子喧嘩で、私と詩遊が家を出ました」

「無断で、ではないよな? 未成年が親に無断で部屋を借りられるとは思えない。保証人とかも必要なはずだ」

「はい。ちょっと悔しいですけど、部屋を借りるには父の署名なども必要でした」

「そうか……」

「……言ってしまえば、単なる親子喧嘩で、私たちが勝手に貧しい暮らしをしているだけ、なんですよね……」

「そうか……」


 店内を見て回っているが、正直、全く買い物に集中できない。ただ、こうして話している様子を見ていると、とにかく抱えてるものを誰かに話したかったのかもしれない、とも思う。


「……支援のお話、考え直したくなりましたか?」


 また不安そうに尋ねてくる。

 俺は、首を横に振った。


「そんなことはない。単なる親子喧嘩って言っても、その内容は様々。世の中には想像を絶するほどの酷い親だっているし、君がどうしても許容できない何かを抱えて家を出たのもわかる。だから、俺が君を支援しようと思う気持ちは変わらない」

「……そうですか」


 藍川がほっとした表情を見せる。少しでも安心させられるように、俺もなるべく笑顔を心がけておいた。……それに効果があったかは不明だ。自分の笑顔なんて気持ち悪いだけだからな。


「ありがとうございます。その……本当に、青野さんを信じてもいいですか?」

「ああ、いいよ」

「……途中で裏切られたら、私、何をするかわかりませんよ?」

「おお、怖。でも、大丈夫。裏切る予定は微塵もない」

「……そうですか。わかりました。信じます」


 藍川が、強い視線を向けてくる。一度立ち止まり、俺もその瞳をまっすぐに見据えた。……長いまつげが綺麗だな、なんてことはこの際忘れよう。


「俺は君を助ける。約束だ」

「……はい」


 藍川が頷き、ふっと息を吐く。

 それから明るい表情を見せて、悪戯っぽく尋ねてくる。


「ところで、今夜は夕食を食べてきたんですよね? 何を食べたんですか?」

「ああ、パスタだよ」

「へぇ、パスタがお好きなんですか?」

「ん……まぁ、好きだな」

「ふぅん……?」


 俺の返答に何を思ったのか、藍川が意味深な笑み。


「どなたとご一緒にお食事をされたんですか?」

「……誰かと一緒だったのは確信してるのか」

「はい。じゃないと、まぁまぁ好きなパスタを食べに行こうとは思わないでしょう? 素人からすると、パスタってレストランで食べても冷凍ものを食べてもそんなに味は変わりません。そのうえ、レストランだとかなり割高です。これはもう、一人じゃないなってピンと来ますよ」

「……君は探偵にでもなるのか?」

「そんなつもりはありませんよ。ただ……加えて言うなら、相手は男性ではないような気がします。男性同士でパスタのお店に行くっていうのもイメージがつきません」

「パスタ専門店とは限らないぞ? ただのファミレスで、俺がたまたまパスタを選んだだけ、とか」

「たぶんですけど、そのときには青野さんはパスタではなくて別のものを選ぶんじゃないでしょうか? ハンバーグとか?」

「……君はエスパーか? まだ関わり合って三日程度なのに、俺の思考パターンわかりすぎだろ」

「ふふ。これが合ってるなら、私と考え方が似てるかもしれませんね。私ならこうするかも、というのを参考に考えていますから」

「ほぅ。女子高生らしからぬ倹約思考だな」

「この二ヶ月でだいぶ変わりました。それで、どなたと一緒だったんですか? お酒の臭いはしないので、特別な相手ではないと思うんですが……」

「ただの同期入社の女性だよ。普段は特に絡みもないけど、数年くらいに一緒に食事をしたんだ。それだけ」

「二人で、ですか?」

「まぁな。他の同期三人はとっくの昔に転職しちまった」

「そうですか……。でも、特別に親しいわけではないんですね?」

「ぜーんぜん。ま、せっかく同期の生き残りだし、たまには遊ぼうよとは言われたけどな」

「……わかりました」


 ふむむ、と難しい顔をしている藍川。いったい何を考えているのやら。こんなおっさんが誰とどうしていようが、女子高生には関係ないだろうに。……いや、俺に特別に親しい相手ができて、それで結婚などを考えているとかなると不都合なのか。そうなると、俺のお金は当然、藍川のためだけには使えなくなる。最悪、支援は打ち切りなどということにもなりかねない。


「なあ、大丈夫だからな」

「え? 何がですか?」

「俺には特別に親しい女性はいないし、結婚を焦る気持ちもない。藍川さんに対する支援が、半端な形で打ち切られるということはないから、安心してくれ」

「あ……はい。それは心配してませんでした」


 藍川がきょとんとする。なら、何がそんなに気になるというのか。


「そうか……。まぁ、いいや。っていうか、店内でいつまでものんびり話すものじゃないな。買い物、早く終わらせよう」

「……はい」


 少し歩調を早めて、ささっと欲しいものを買い物かごに放り込んでいく。俺は総菜やレトルトものばかりだが、藍川はちゃんと野菜なども取っている。毎日ではないが料理もしているようで、そのための食材なのだとか。

 レジに行き、俺が支払いを済ませる。藍川はまた丁寧に頭を下げてきた。

 買ったものは二つの袋に分けるが、持つのは俺。ここでもまた頭を下げられた。

 店を出てから、藍川がどこかしみじみと言う。


「……男性の手を借りられるって、すごく助かるんですね」

「ま、男なんて力が強いくらいしか取り柄がないんだから、存分に使ってくれ」

「ふふ。そんなことはないですよ。それに……守ってくださる方がいるっていうのも、本当に安心します」

「……おう。一応社会人だからな。なんでもはできないが、高校生よりは随分マシだ」

「はい。その……宜しくお願いします」

「うん。宜しくされた」


 二人で並んで歩き、家を目指す。

 おっさんは女子高生との交流を禁止されていたはずだが、何故か当たり前みたいに藍川が俺の隣にいる。

 本当に妙な縁もあったものだが、この子をきちんと守っていけるよう、しっかりしなきゃだよな。

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