第5話 理由
『なんで、絵を描くの辞めちゃうの?』
そう問いかけてきた彼女は、まるで自分が大切な何かを奪われたように悲しそうだった。
あの顔はあまり思い出したくはない、かな。
「……俺、大学生のときは絵とかイラストを描いていたんだけど、いや、今でも少しは描いているんだけど、当時は結構真剣に描いてた。何かしらそれで稼げたらいいなと思うくらいに」
「へぇ、そうなんだ? 絵が描けるなんて初めて聞いたな」
「言わなかったからな。言いたくもなかった。色々と複雑でね」
「ふぅん……。それで、彼女と別れたのにどう関係するの?」
「大学四年生の時、一時期絵を描くのが嫌になったんだよ。自分の実力不足を痛感したり……えっと、とにかく色々あって。それで絵を辞めるって宣言したら、彼女がすごく悲しそうにして、俺に失望したって感じになって、空気が悪くなった。それに、絵も描かなくなった俺は何の取り柄もないただのしがない大学生で、異性としても人間としても魅力がなくなったみたいだ」
「……それでそのまま別れちゃった?」
「そうだな……」
彼女が、俺に対して魅力を感じなくなった流れはそうなのだろう。ただ、俺からの彼女に対する気持ちも、どこか冷めてしまった理由はまた別にある。
俺が絵を辞めた理由を彼女は理解できなくて、理解してもらえないことに、俺は何か大きな溝を感じてしまった。
……なんてこと、赤嶺に軽く説明しただけじゃ伝わらないかもな。
赤嶺も納得できる理由を、もう少し述べるとしよう。
「……まぁ、それは一つのきっかけに過ぎなかったんだと思う。彼女はたぶん、俺に色んな不満があったんだよ。あまり口にはしてなかったけど、もっとこうしてくれれば、ああしてくれれば、ってのがあった。でも、俺は絵を描いていたし、そういう人なら多少至らないところがあっても仕方ない、みたいに思ってくれてた。
それが、俺は特別なところのない単なる至らない人に格下げされて、彼女も愛想尽かしてしまった。ということなんだと思うよ」
「……そっか。そういう別れもあるよね……」
自分から訊いてきたのに、赤嶺は少し気まずそう。俺はなるべく明るく続ける。
「もう随分昔の話だし、暗くなる必要もない。大学生が当たり前に経験する別れを、俺も経験しただけだよ。それで人生終わりってわけじゃない。なんやかんやあって、絵もまた描き始めてる」
「まぇね。ごめんね、こっちから訊いておいてなんだけど、嫌なこと思い出させちゃったかな」
「……新卒の頃じゃあるまいし、今は普通に話せることだよ」
「そっか。ねぇ、絵の写真はないの? 見てみたいんだけど」
「あるよ。とりあえずイラストはこれ」
スマホを操作し、イラストを投稿しているサービスのアプリを開く。こちらは比較的健全なイラストしか投稿していないので、赤嶺に見せても問題ない。
「わぉ、美少女イラストだ! もしかして、えっちな奴とかもある?」
「それは企業秘密です」
「企業じゃないじゃん。でも、すごいね、素人目には普通にプロっぽく見えるよ」
「素人目にはプロっぽく見えるけど、プロから見たら素人って思われる微妙なクオリティなんだ」
「そうなんだ……。あ、美少女イラストも多いけど、動物とかモンスターもあるんだね」
「俺はどっちも好きだからな」
「ん? 今、密かにロリコン宣言した?」
「俺はロリコンじゃない。何故なら見ているだけで十分だから」
「その年齢で美少女好きはもうロリコンでしょ」
「違う。何故なら俺は、少女から大人の女性まで幅広く好きだからだ」
「要するに見境のないヤバイ奴ってことね。女の形をしていればスライムだって愛せるタイプ」
「……まぁ、美少女型スライムも捨てがたい」
「ぷっ」
赤嶺がおかしそうに笑っている。偏見のない人で良かった。相手によっては、俺の社会人生命が終わってしまう危うい会話だった。
「青野君って、ちゃんと話してみると意外と面白いね」
「そんな褒め方をされたのは初めてだよ」
「彼女にも言われなかった?」
「特には」
「彼女の前では猫被ってた? 女の子に嫌われそうなことは極力言わない、とかさ」
「それはあったかもなぁ。彼女がいる間は十八禁イラストも封印してた」
「……過去の話って雰囲気だから、余計なお世話と思いつつ言っちゃうけど、別れた原因ってもしかしてそれもあるんじゃない? 青野君が、結局本音の深い部分は見せなかった、とか。絵を辞めた理由とかも、ちゃんと説明した?」
「……多少は」
少し説明して、意味わからない、という態度だったから、止めてしまったことでもあるが。
「多少は、じゃダメだよ。本当に腹を割って話さないとさ。大好きな人のことを理解したいのに、それを拒絶されてしまったり、どうせわかってくれないなんて信頼してもらえなかったりしたら、それは傷つくよ」
「……そっか」
……思い返せば、そういうところもあったかもしれない。
他人の気持ちなんて簡単にわかるものじゃない。自分の気持ちを軽く一回伝えた程度なのに、細かく言わなくてもわかってほしいという気持ちが働いて、一瞬でも失望した顔をした彼女のことを遠ざけてしまったのかもしれない。
「……ま、もう昔の話だよね。ねぇ、せっかくだから、十八禁のイラストも見せてよ」
「……女性にお見せできるものではありません」
「大丈夫だって。私ももう二十七だよ? エグいリョナ系イラストとか描いてない限りは大抵のものは平気だって。っていうか、ぶっちゃけ十八禁ものよりリアルの男女交際の方がよほどエロいし」
「……女性の口から言うものではありません」
「イエローカードです。それは性差別だと思います」
「そうかぁ……。厳しい時代になったもんだ」
「で、青野君はリョナを描いているの?」
「流石にそこまで拗らせてないよ」
「イエローカードです。一般的には普通ではないとされる性癖を持つ人のことを暗に見下しました。想像するまでであれば、そういう性癖も尊重されるべきだと考えます」
「き、厳しすぎる……。それならもっと、ロリコンにも市民権をくれ。俺はロリコンじゃないけど」
「まだ言ってる。ってか、それは無理」
「何故に!?」
「ロリコンは数が多すぎて、市民権を得ると社会的にまずい気がする」
「あ、そう……。そうかもなぁ……」
もはや手遅れのような気もする。スマホゲームとか美少女ものばっかだし。
ともあれ、こんな話をしていたら、注文したパスタも到着した。
それからも、食事をしながら談笑する。赤嶺からすると俺の印象がだいぶ変わったようだが、俺からしても赤嶺の印象が変わった。入社当初はもう少し堅い印象だったし、会話も表面的なものに終始していた気がする。
お互い、色々と変わったんだろうな。四年もあれば、変わらない方がおかしい。
お酒などなくても話のネタは尽きず、俺たちは長いこと喫茶店に居座ることになった。
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