視えないもの
ふと、視線を感じた。
振り返ってみるが、そこには誰もいなかった。後ろには住宅に囲まれた細い一本道があり、その先には薄っすらとした明かりが点いている駅がある。今日は少し残業してしまったため、もうじき終電の時間になってしまう。終電を過ぎると駅の明かりはすぐに消えるのだ。転職してすぐに歓迎会を行ってもらったとき、終電に乗ったことがあるのだが、改札を出たところですぐに明かりが消えてしまったのだ。早く帰れと急かされるような感じで驚いたが、私以外に降りる人もいなかったので仕方ないのかもしれない。
ただ、驚いたのは帰路の街灯もほとんど消えてしまっているのには、恐怖を感じてしまった。一本道で何もないが、その間に不審者と出会ってしまうと逃げることなんてできないのだ。そのような状況で明かりがなければ、不審者が闇の中に身を隠せる絶好の場所となってしまう。その時は怖さのあまり、家まで全速力で走って無事に帰宅した。それ以降はなるべく遅くならないように気を付けていた。
後ろの道を眺めているが、そこは何もないただの一本道だった。薄暗い街灯に電柱、街灯から外れた場所は闇の中のようだ。
もうじき十字路にたどり着く。その後は右に曲がり、まっすぐ進んだ後に左に曲がって直進をすれば家に辿り着く。一本道を過ぎれば、道が入り組むので最初の十字路に辿り着けば一先ず安心だ。
前を向いて、十字路へと歩みを進める。だが、また視線を感じるのだ。今まで人の視線を感じるようなことはなかったのだが、背中にじっとりと何かが付くような感じがしてなんと言えない気持ちになった。勢いよく後ろを振り返るが、そこには誰もいなかった。先ほどと変わらない薄暗い街灯に電柱、そして街灯に照らされることのない場所、闇が広がっている。ただそれだけなのだ。
闇の中にもしかしたら誰かいるのかもしれないと目を細めながら確認をするが、人の姿はない。いるとすれば、街灯に舞う蛾くらいしかいない。
明日、両親に会うことへの緊張のせいだろうか。自分の中で勝手に恐怖の対象を作り出して、視えないことへの恐怖を感じることで、自分の精神を極限まで追い詰めようとしているのかもしれない。病院で会ったときは優しかった両親も、明日会いに行った際、会うことを拒絶するかもしれない。もしくは、帰ってきても居ない者として扱うかもしれない。今まで自分がやってきたことは、優しかった両親を変えるほど酷い事だったのかもしれない。現実に向き合うのが怖くて、何かしら理由を付けて明日から逃げようとしているのかもしれない。
覚悟を決めたつもりでも、どんな対応をされても向き合う勇気は出ないのだと実感してしまう。約五年の月日はとてつもなく重く、人を変えるのには十分な年月なのだと心が苦しくなるのを感じた。
何もない闇を見つめながら、その場に立ち尽くしていた時だった。
スマホが鳴ったのだ。
スマホを確認すると、母親から連絡が来ていた。
『明日、あなたの大好物だったものを準備して待っています。覚えていると嬉しいです。お父さんは今からあなたに会うのが楽しみで、椅子に座ったり立ったり、新聞を逆に読んだりしています。私も早くあなたに会いたいです。』
読んでいると、上から水が垂れてきて画面が濡れてしまった。雨が降り始めたのかと上を見るが、雨は降っていない。生温かい水、それが自分の涙だと気づくまで少し時間がかかった。先ほどまで、両親に拒絶されるのではと不安になったり、会うのが怖くて視えない何かに恐怖を感じていたというのに、両親は変わらず自分を大切に思ってくれていて、昔と変わらず優しいのだと実感し、嬉し涙が零れていたのだ。
明日は何が何でも両親に会って、今までの非礼を謝ろうと強く思った。そして、これからは親孝行をすると宣言すると誓ったのだ。
スマホをカバンにしまい、先ほどまで眺めていた闇を見つめた。自分が作り出した視えない恐怖に勝つためにじっと見つめた。
そこには何もない、誰もいない。
自分の作った恐怖に打ち勝ったと安心した時だった。闇の中から、影がこちらに向かって少し動いてきたのだ。
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