思い出アンブレラ

@ramia294

第1話

 主婦業は、たいへんです。


 年中無休の二四時間労働。

 誰が認めてくれる分けでもありません。

 

 小学生までは、あんなに可愛かった息子も高校生の今は、母親の私に向かって


「クソババア」


 と言うようになり、あの頃は、あんなに情熱的だった主人も今では、言葉を忘れたように、無口です。

 時の流れというものは、とても無慈悲なものです。


 こんな気分の落ち込むときは、何処かオシャレなカフェでランチでもと、街を歩いていると、いつの間に出来たのでしょう?こんな田舎町には、そぐわない、こじんまりと、でもオシャレなカフェがありました。


『古時計』


 慎ましく書かれた店名に好感を持った私は、入ってみることにしました。


「すみません。ここには、ランチしかないのですよ。それ以外は、コーヒーとデザートを選べるくらいです」


 たった一人で、このお店を切り盛りしているのだろう、店主が言いました。


 デザート、コーヒー付きのランチを頼んだ私は、運ばれて来るまでの時間、店内を観察しました。


 まだ木の香が残る、清潔な店内ですが、やたら時計がある事が、微笑ましい。


 店名が、古時計だから?と思っていると、柱時計が、一斉に鳴り出しました。


 小さな調理場の中(これは、見えない)。私の席の左の壁に掛かる大きくて、立派な物。後ろの壁にある祖父母の家にあった物とよく似た時計。


 大きな音の割には、何故か不快に思わない不思議な柱時計の音。聞いていると懐かしい気持ちになり、頭の中がボウッとしました。


「お待たせしました。ランチです」


 店主の声に我に返った私は、頬が濡れているのに気が付いた。指が濡れていることに、驚いている私に気付かないふりの店主は、


「デザートとコーヒーは、後ほどお持ちしますね」


 そう言って、調理場に下がっていきました。

 ランチは、とても美味しかったです。特に目新しい物も、派手な物もありませんでした。


 ごはんに、野菜と厚揚げの煮物、焼いた魚と、お味噌汁。お店で漬けているらしいお漬けものも付いていた。


 すべて、丁寧に作ってあって、とても美味しいランチでした。最近忙しいと言って、料理を手抜きしている私は、少し恥ずかしさを感じました。


 香高いコーヒーと甘過ぎないチョコレートケーキを楽しむと、とても元気になりました。


 支払いを済ますと、外は雨でした。シトシトと降る程度なので、濡れても平気かなと考えていると、


「これをお持ち下さい」


 そう言われて、店主に一本の傘を渡されました。


「ありがとうございます。とっても美味しかったので、近いうちにまたお邪魔します」


 何故か店主は、困った様な顔をしました。


「この傘と雨は、お店からのサービスです。心が疲れた時、お使い下さい」


 やはり泣いていた事には、気づかれていたようです。お恥ずかしい。


 それにしても、あんなに美味しいランチをいただけたうえに、傘まで頂けると思いませんでした。


(今、雨もサービスと言ってたような?雨がサービス。どういう事?)


 とりあえず傘を開く。シトシト降る雨ですが、傘に雨粒が落ちる音が、わずかに聞こえます。


 再び頭の中がボウッとなりました。

 突然、頭の中で、まだ若かった頃の主人の姿が蘇りました。

 高校で、ただのクラスメイトだと思っていた主人に突然、おずおずと告白された事。

 初めて好きだと言って貰えて嬉しくて、恋愛の意味なんて深く考えず付き合った事。

 二人で、会うたび、主人を好きになっていった事。

 お互い別の大学に行く事になって、主人よりもカッコいい人に告白されたのに、何故か主人の事が頭によぎり、その場で断った事。


 プロポーズされた時の涙。

 子供が生まれた時の涙。

 

 気付くと、一人で傘を持ち、立ち尽くしていました。触らなくても頬が濡れている事に気付き、慌ててハンカチを使いました。


 しかし、心は、スッキリしていました。今の人生は、間違っていない。少なくとも私自身が望んだ人生だ。そう確信が、心の中に芽生えています(蘇ったのかな?)。


 見上げると雨はやんでいました。せっかく頂いた傘ですが、お返ししようと振り返ると、お店が消えていました。


 お店を出てから、傘を開いただけです。一歩も歩いていないのに…。


 貰った傘は、手の中にあります。

 どうなっているのでしょうか。


 とても気になりましたが、元気になった心が、歩け、歩けとの呼びかけに、身体が勝手に動きだします。


 弾む様な足取りで、家に帰ると子供と主人の帰りを楽しみに、何故か笑顔になってしまう事が可笑しくて、笑ってしまう私は、夕食の支度を始めました。


 あの傘は、今でも時々使います。傘を開こうとすると、僅かな間、雨も降るようです。

 

 私の笑顔に引きずられたのか、我が家には、笑いが絶えなくなりました。



        終わり

 






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