第17話 漆黒の騎士
「おや、ラナウィ。授業は終わったのかい?」
ラナウィが王城の回廊を『箱庭』に向かって歩いていると、お仕着せを着た父がのんびりと歩いてくるところだった。
次期女王の教育のために、専任の教師たちから授業を受けているラナウィは、休憩時間に必要な資料を探すために書庫に向かった帰りだった。
難しい文字の並びと長時間にらめっこしていたので、父の相変わらずの平凡地味顔に、ラナウィは悲しいながらもほっこりした。
「授業でわからないところがあったので、書庫から本を借りてきたのです。父様はお仕事ではないのですか?」
「午後から陛下が視察に向かわれるから、早めの休憩をとるようにと言われたんだよね。ラナウィの時間があるなら、一緒にお昼ご飯はどうだい?」
父は男爵の出で、高位貴族ではないものの女王の近侍としての地位を早くから確立していたと聞いている。だというのに少しも偉そうにしている素振りもないし、他の高位貴族の家族関係を聞いていると仲が良い家族だと思っている。
他国では王族はもっとギスギスしていて権力争いに明け暮れているところもあるという。自国が平和なのはいいことだ。兵士たちは人間相手ではなく、魔獣を討伐するためだけに鍛えればいいのだから。
まあだからといって魔獣の相手が簡単かと言われるとそんなこともないけれど。
はい、と頷いたときばしんと何かを叩きつける音が響いて、そちらに顔を向けた。
「平民出がちょっと隊長に気に入られたからって偉そうにしやがって!」
怒気を孕んだ男の声にラナウィは思わず肩を震わせた。王城内でしかも幼い王女の前で、そんなに怒鳴り散らす人などいない。
自分のことではないのに、恐怖に体がすくんだ。
けれど、言われた相手ははあとなんとも気の抜けたため息を吐いただけだった。
女王教育で教師に眉を顰められるだけで萎縮してしまうラナウィとは大違いの対応に興味をそそられて植え込みから中庭を覗いた。
二人の少年が並んでいるのが見える。
一人は茶色の髪をしていて、もう一人は漆黒の髪色だ。
「『箱庭』の警備だって本当はオレがなるはずだったのに! なんでお前なんだよ」
「うっぜ……実力だろ?」
「はあ!?」
ラナウィは漆黒の髪色の少年にくぎ付けになった。やや長めの髪が彼の小さな顔にかかっている。切れ長の瞳は灰色。くゆる煙を思い起こせるような澄んだ色だ。高い鼻に、薄い唇は不機嫌そうに吊り上がっているけれど、その姿ですらひどく様になっている。気だるげな雰囲気は退廃的だけれど、そのアンニュイさも彼の美らしさだった。
すぐに思い浮かんだのは物語の漆黒の騎士だ。
けれど、ラナウィは『箱庭』の警備と聞いて侍女のルニアが興奮して話していたのを思い出した。
『今日の警備に漆黒の騎士様がいらしたんですよ。平民出身だそうですけど、とても剣の扱いにたけているとかで、十五歳という若き年齢で大抜擢されたって噂で! なによりも絶世の美男子で、溢れんばかりの色気のある騎士様と、都でも評判らしいんですよね』
漆黒の騎士と聞いて、当然ラナウィの胸は高鳴った。二回目の顔合わせの時にそれとなく警護している騎士の姿を観察したりしたが、兜を目深くかぶっていたため髪色まではわからなかった。
年齢は十五歳という話だったので、一番背が低い人かと勝手に当たりをつけていたが、今見ている限りとても長身だ。ひょっとしたら父よりも高いかもしれない。
「平民なんて高位貴族に嫌われるに決まってる。『箱庭』に出入りしているのは王族なんだろ。ぼろが出る前にオレと代われよ」
「出身などで差別などいたしませんわ」
思わずラナウィは立ち上がって叫んだ。
『箱庭』の警護は名誉なことではあるけれど、純粋に王族とその次代を護るために必要な仕事だ。警護の騎士の実力を無視して家柄で決めるなど愚かなことはしない。
「ひ、姫様!?」
「『箱庭』の重要性を理解している方が警護の騎士を選んでいただいたのだと解釈しています。ですから、彼が言うように実力です。まあ精鋭ばかりを揃えて魔獣討伐やそのほかの警備をおろそかにすることもできませんから、バランスは考えられているでしょうけれど」
「あんた、褒めて落とすのか」
「お、お前、姫様相手に、不敬だぞ!?」
「これは失礼しました、立ち聞きしていたお姫様?」
気配を読まれていたのか。
確かに指摘されたとおり、立ち聞きしていたし覗き見もしていた。とてもばつが悪い行為である。
ラナウィは動揺を押し隠して、微笑んで見せた。
「『箱庭』の騎士ならば、我が騎士も当然ですもの。手助けが必要かと思いましたが、余計なお世話でしたね。騎士の矜持を傷つけてしまったのなら謝罪いたしますわ、ルーニャ卿」
「うえ、気持ち悪っ」
「はあ?」
あまりの暴言に押し黙ってしまったラナウィの代わりに、隣にいた騎士が頓狂な声をあげてくれた。代弁してくれたことに感謝しかない。
「だって姫様って五歳なんだろ。弟たちも十歳超えてるけど、こんな気持ち悪い話し方しないぞ。子供らしくない」
「ばっか、姫様と平民の子供を一緒にするな! もうやだ、お前、ほんとなんなの!?」
嘆いている騎士の横で、できるならばラナウィも嘆きたかった。
子供らしいってなんだろう。
確かに、時々城にやってくる子供たちはもっと可愛らしい話し方をしていたような気もする。今のところラナウィの身近な子供で可愛らしい話し方をするのはヌイトゥーラである。彼の話し方を真似れば、気持ち悪いなどと言われることはないのだろうか。
「ははは、姫様。そろそろ次のご予定の時間になりますよ、行きましょうか」
快活に笑いながら、後ろからやってきた父が困り果てたラナウィを助けてくれた。
「ええ、わかりました。では、ルーニャ卿、失礼いたしますわ」
極力声が震えないように、ラナウィはバルセロンダに声をかけてその場を父とともに去った。中庭から回廊に入って人目がなくなったことを確認して、へにょんと眉を下げる。
「父様、私、気持ち悪いですか……?」
「そんなことあるわけないない。 私たちの可愛い娘だよ!」
かばりと抱きしめてくれた父のぬくもりに癒される。
そして沸々と胸に沸いた感情に、ラナウィは戸惑った。それは紛れもなく――怒りだったから。
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